<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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電車に乗って周りを見渡すと誰も彼もがスマホの画面に集中している。
その光景って一種異様な雰囲気で、昔のB級SF映画を見ているような感覚にとらわれてしまう。
もはや新聞を小さく折りたたんで読んでいる人を見かけることはほとんどないし文庫本や週刊誌を開いて読んでいる人もまばら。
まだ生き残っているのは問題集を開いて勉強をしている高校生の姿ぐらい。
とりわけこれからの季節は受験シーズン到来ということもありそういう「安心できる」光景を目にすることが増えていくだろう。

このスマホばかりの電車の車内。
みんなの画面に何が表示されているのか時々目にしてしまうことがあるのだが、多くはゲームかLINEのメッセージのやりとりである。
一心不乱に画面を叩いているサラリーマンや大学生風の男、おっさん。
「おはよー」だとか「だよね」などというくだらないメッセージをやり取りしているOLや学生。
かくいう私も時々映画なんかを見ていたりするので偉そうなことは言えないが、ともかく詰まらない内容ばかりなのだ。

これで5Gなどという高速通信技術が本当に必要なのかどうか疑いたくなるところなのだが、スマホはもはや集団中毒を起こしているアヘンのようなもの。
自動車や自転車では交通事故の原因になり、鉄道ではホームからの落下、他の人との衝突などの発生原因にもなっているし、子供が使うとSNSを通じた誘拐監禁、性犯罪などに繋がり社会問題にもなっている。

スマホを代表とするそういう中毒を醸し出すビジネスが今盛んになりつつある。
古くから麻薬はまさにそいうものだが、許認可された薬物でさえ中毒症状を発症するにも関わらず処方箋が大量に発行され製薬会社のビッグビジネスにつながっているという、なにやら世の中変じゃないかというのが満ち溢れているのだ。

そういう社会の内容をかつてアルコール中毒を経験して、それを克服したイギリスの著名ジャーナリスト、デイミアン・トンプソンが著したのが「依存症ビジネス(ダイヤモンド社)」。
人は何をもって快感と感じるのかということを調べているうちに見つけた一冊が本書なのであった。

大量消費社会と中毒ビジネスには密接なつながりがあり、知らず識らずのうちにその世界に引きずりこまれている。
スマホ画面を見つめる群衆の光景はまさにその代表例。
設けるためには中毒にさせるということも手段の一つであることを感じたのだったが、スイーツもそういうものであることを認識させれるとどこかのフラペチーノやどこかのフレンチフライポテトのスパイスもそういう目的を含んでいるのかと愕然とした。
ビジネスは体と精神力を張って戦わねばならないない時代になっているようだった。


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