<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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大阪府富田林市。
大阪芸術大学出身のわたしとしては大学のある河南町に隣接する富田林市は地元と言っても過言ではない身近な町。
のはず。

その富田林に江戸時代の風景そのままの寺内町が残っているとこをつい最近まで私はちっとも知らなかった。
それも駅のすぐ近くにその伝統的建造物群保存地区は存在しており、歩いてもすぐなのである。
尤も私の母校の最寄り駅は富田林ではなく、その1つあべの橋駅寄りの喜志という駅だ。
だから富田林駅はめったに利用することがなかったのも事実ではある。
地元金剛バスそのまんまの学生用のスクールバスは満員にならないと発車しないという困ったバスだった。
だから急いでいるのに発車しないスクールバスに見切りをつけたとき、かつ喜志行の路線バスの時間も合わないときに富田林に出たぐらいだった。
だから富田林へ出ることは少なかったのだが、そいうときも駅前に寄り道もせずさっさと近鉄電車に乗って自宅やバイト先に向かっていたので富田林のことはPL学園以外に余り知らないという状態が今日まで続いていたのだ。

先日、その富田林にある伝統的建造物群保存地区に出かけることがあり初めて町なみをこの目で確認した。
正直ビックリしたのだった。
大阪府下にこのような江戸時代や明治初期の町なみがそのまんま残っているところがあるとは、早く観に来るべきなのであった。
なんでも大阪府下では唯一の伝統的建造物群保存地区はここだけ。
したがってかなり貴重な存在で市や府では総力を上げて保存をしているという雰囲気が漂っていた。

先日世界遺産に登録された私の生まれた堺市も実は伝統的建築物は少なくない。
私の母の実家は堺本願寺近くに墓地があるのだが、旧市街であるそのあたりは古い建物が沢山のこっていて、ある緑茶やさんは元禄時代に建てられた町家をリノベーションしてカフェにして平日でも混雑するような状況で日経にも取り上げられているくらいだ。
ところが堺は第二次世界大戦の空襲で旧市街がほとんんど焼けてしまい古い建物はまばらになって残っているという状態だ。
なんといっても母の実家の隣にも焼夷弾が投下され隣近所が大騒ぎになったということをよく聞かされたものだ。

このような状況で大阪府下の古い街がことごとく米軍の攻撃目標にされたのにも関わらず、ちゃんと残っているところがあることに感動を禁じ得なかったのである。

なお、富田林のこの地域では様々なイベントが毎週のように展開されているようで観光をするにもいいところであることを今回確認したのであった。




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