<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地




初めて飛行機に乗ったのは1978年8月。
高校1年の夏休みで大阪空港から成田空港まで乗った日本航空なのであった。
その時の機種は憶えていない。
当時の私にはB747とそれ以外としか区別がつかない、いわば中途半端なヒコーキ好きの高校生なのであった。
もしそれがサンダーバード2号やウルトラホーク1号、流星号などであれば区別をつけることができたが当時はできなかったのだ。
だから機種がわからないB747とは違う飛行機に乗ったのが最初だった。
成田でトランジットして乗ったのは紛れもないB747。
成田空港からロサンゼルス空港までの太平洋横断路線であった。
それも今はなきパンアメリカン航空の機体だった。
ただこのB747は私がイメージしていたB747とは大きく異なっていた。
B747といえば先頭の2階建て部分を筆頭に広く広げた両翼、4つのジェットエンジン、長い胴体というのが一般的なイメージだ。
だがこのB747は異様に胴体が短くずんぐりしたフォルムで足の代わりに翼が生えたオタマジャクシような形状なのであった。
めちゃくちゃ格好悪いフォルムなのであった。

「なんやねんこれ?」

私は知らなかったのだがB747ーSPという現在では見ることのできない機種だった。
B747の胴体を短くすることでアンカレッジを経由せずとも日米を結ぶことのできる当時としてはスグレモノというか飛行距離のためにボディサイズを犠牲にした妥協の産物の機体なのであった。
帰りのロサンゼルス空港で私の乗る予定のパンナムのゲートの隣は日航機のゲートになっていた。

「あっちに乗りたい」

と赤い鶴丸を見ながら思ったのだ。
その原因は単にパンアメリカンの不味い機内食に辟易としていたからではなく、パンナムのSPと比較して普通のB747だったJALに憧れがあったのも大きな原因があったことは否定できない。

この初めての空の旅で覚えているのは「JALの方に乗りたい」ということと「行きも帰りも機内食が不味い」ということと「機内の映画は字幕がないので何を言っているのかわからない」ことと成田から伊丹に飛んだ帰りの便から見た夕日に照らされた富士山の絶景なのであった。
総合して飛行機を楽しんだという記憶は富士山の景色以外にほとんどない。
ナビもパーソナル液晶テレビもない時代の太平洋路線でどこを飛んでいるのかもわからない退屈な9時間は二度と経験したくないと思った旅でもあるのだ。

ということで現役のパイロットであるマーク・ヴァンホーナッカー著「グッド・フライト、グッド・ナイト」を読んで思い出したのはそういう初めての空の旅なのであった。
今では毎月何度かヒコーキを利用してほとんどを大阪〜東京しか乗らないのだが、今はナビもあるし機内エンタテイメントもある。
しかし一番楽しいは窓の外の景色を楽しむこと。
そういうことを総合的に思い出させる非常に情緒溢た且つヒコーキファンも楽しめる上質のエッセイであった。

著者はブリティッシュエアーウェイと思われるB747を操縦する機長であり、傍ら雑誌にエッセイを寄稿。
それをまとめたのが本書なのだが、そこにはパイロットとしての視線、乗客としての視線から見た空の旅のエピソードが描かれているのが実に興味深い。
ANA出身の内田幹樹のエッセイや小説も面白いが、これはまた違った視点で面白い作品だった。

例えばパイロットになるために授業料を稼ぐために調査会社で働いたことや、牧師だった父のこと、初めての海外渡航先が高校生の時の金沢であったり、祖先の故郷であるハンガリーのこと、日本語で機内アナウンスを試みようとしていたこと、その他機内のエピソードなどなど。
どれもこれも短編の小説のような輝きがあり、驚きがあるのだ。

それでちょっと思い出したのだが「翼よあれがパリの火だ」の中でリンドバーグもまたパリへ向かう機中の中でスピリッツオブセントルイス号を得て空に飛び立つまでのいくつもの話を回想していたことを思い出した。

空の旅は様々なことに思いを馳せることができる。
それが最大の魅力なのかもしれないと思った一冊なのであった。



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