<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」はリアルな宇宙旅行の描写で強烈な印象を残した。
とりわけ地球軌道上をスペースシャトルが宇宙ステーションへ向かう描写では、当時の映像技術の粋が集められ、今見てもその新鮮さを失うことはない。
スペースシャトルの客室内にペンが浮かび、それを客室乗務員が手にとり、座席で眠っている地球から月に向かっている科学者の胸ポケットに直すところは、どうやって撮影したのか大きな話題にもなっただろう。
少なくとも1978年のSFブームのときは多いに話題になったものであった。
コンピュータグラフィックスは無い時代。
モーションコントロールカメラも一直線の動きしか機能しない時代の驚きベくテクニックなのであった。

あれから40年。
映像技術は格段の進化を遂げ、ついに宇宙空間での描写を正確、かつスリリングに描写できるレベルに達していたのだった。

映画「ゼロ・グラビティ」は自分自身が宇宙旅行に出かけ、そこでトラブルに巻き込まれてしまったような錯覚にさえ陥るほどリアルな映像が見るものを魅了する作品なのであった。
ともかく「2001年宇宙の旅」とは状況が大きく異なるこのときに、「これは、本物みたいだ」と思わせるのは並大抵ではない。
どう異なるかというと、多くの人々が国際宇宙ステーションやスペースシャトルからの生映像や写真などで無重力の宇宙空間がどんなものであるのかを見知っており、そういう状況で観客に不自然に感じさせずに映画を堪能させるのは演出もさることながら、特殊視覚効果の技術はかなり高いハードルを超えなければならないはずだ。

しかし「ゼログラビティ」は、そういうハンディを完膚なきまでに無用にし、宇宙空間の恐ろしさと、そこへ挑戦している人類の科学技術と、人間の英知と勇気を見せつける魅力ある作品なのであった。

正直言って、作品のコンセプトを聞いたときは物語が最後まで持つのかどうか、疑問に感じたものであった。
「宇宙空間に放り出された二人の宇宙飛行士の物語」
だけでは、主人公が到底助かるとは思えず、最後には悲惨な結末だけが待っているのではないかと考え、見ることを躊躇させた。
ところが雑誌、新聞など、あらゆるメディアがこの映画について賞賛の声を送っており、
「これは見なければ」
ということに相成ったのであった。

あらすじは書かないのがマナーだが、ひとつだけ物語の魅力的な要素を上げるなら、それは物語がほぼリアルタイムで進行することだ。
これはゲイリー・クーパーの「真昼の決闘」がとった有名な手法だが、この「ゼログラビティ」も、ほぼ現実の時間とでドラマが同時進行で展開される映画で、それだけにハラハラドキドキ感は否応無く、高まるのだ。

宇宙空間を描写する映画では、ついに「2001年宇宙の旅」を超える映画が出現したことにもなり、さらに、宇宙プロジェクトの難しさと、宇宙旅行の怖さと魅力を十二分に伝える面白い映画ではないかと思ったのであった。

なお、この映画はできればIMAX 3D品質の画面と音声で楽しむことをお勧めしたい。
まさにIMAXで見るために誕生したような映画に思えるからだ。

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我が家のリビングルームにはテレビがなく、メディアを見聞きするとなると、古いCDラジカセが1台チェストの上に置かれているだけだ。
したがって、食事をしながらテレビを見ることはない。
ラジオ放送が朝夕のお供なのだ。

朝はNHKのニュースに始まりラジオ体操。
実に健康的だが、ぴょんぴょん飛び跳ねると、
「床が抜けるでしょ!」
とカミさんに叱られるのが欠点だ。
そしてまたまたニュースという具合に耳で一日の始まりのニュースを確認する。
夜は民法FM局の音楽番組かiPhoneをラジカセに接続して音楽を聞いていることが多く、話題の獲得はもっぱら食後にインターネットから入手することになる。
こんな我が家なので「紅白歌合戦」も畢竟、ラジオで聞くことになる。
私は独身時代が長かったからのが原因か、それとも我が実家の習慣のためか紅白歌合戦を真剣に視聴することはまったくなかったのだが、カミさんの実家ならびにカミさん自身も大晦日は「紅白歌合戦」という典型的な日本人なので、私も紅白を目にするようになってしまった。
カミさんは若い時に海外生活が長かったので、逆に日本的なものが好きなのかもしれない。

ところが目にする、といっても、それは自分の実家であったり、カミさんの実家であったりするわけで、自分の家ではだいたいにおいて食事中はラジオで聞くだけにとどまってしまう。
つまり我が家では年越しそばとラジオの紅白歌合戦がセットになっているのだ。

このラジオの紅白歌合戦。
戦慄すべき歌のクオリティの満載の番組なのであった。
少なくとも昨年(つまり一昨日)の番組は。
歌う方も、MCを入れる方も、何がなんだかさっぱりわからない。
何を言っているのかわからない。
情景描写もわからない。
歌は下手くそ。
ベテランの細川たかしあたりも悲惨極まる出来栄えで、正直言って「NHKのど自慢」のほうが、遥かにマシと言った歌唱力の集合体なのであった。
正直、これで受信料を徴収するというのはおこがましい話だ。

綾瀬はるかは何を言っているのかさっぱりわからない。
バラエティ番組のコメントならいいかも知れないが、これは「紅白歌合戦」。
国民的番組のはず。
それで「今の歌はどうでしたか?」などという返答に困るような質問をするものだから杉良太郎などは呆れ返って怒りもしていなかったのだ。

アナウンサーが中をとりもち、描写を苦労していたのだが、まるでサッカーのラジオ中継か、バレーボールのラジオ中継のように言葉で状況を想像することができない。
画面がないとサッパリわからない構成になっていた。

歌のテンポがどれもこれも異常に早く、なにか不都合でもあって早く帰りたいのかな、と思うような有り様だった。
圧巻はももクロというグループで、音は外すし、声は出ていないし、NHKのど自慢の鐘1つのようなクオリティだったので、
「なんじゃこりゃ」
と思わずつぶやくと、中学生の娘が、
「ももくろやで。人気なんやで」
とフォロー。
娘の説明がなければ、実家で払っているNHKの受信料を差止めようかと思ったくらいなのであった。

AKB48の大島某は大ベテランの北島サブちゃんをさておいて「卒業します」とびっくり宣言し、話題を占領。
こういう大先輩に失礼な発言はこのような部隊では避けるべきだが、元はといえばAKB。
芸能人としての礼儀作法は皆無なので仕方がないと言う他無いのであった。

ということで、紅白歌合戦。
戦慄の大晦日ラジオ放送なのであった。

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