<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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海外のタクシーといえば「自動車」に限ったものでない。
シクロや馬車、などといってものもタクシーに分類してもいいのかもしれない。

タイのトゥクトゥクを初めて利用した時はいささか勝手がわからず戸惑ったものだが、トゥクトゥクにしても屋根に「TAXI」と表示されていることが多いので、あれもタクシーの一種と思えば何ら問題はない。
問題はメーターがついていなくて価格を交渉しなければならない、というところに問題がある。

タイはすでに途上国とは言いがたい経済力を持ってきているが、田舎へ行くとまだまだでタクシーが走っていない、または見つけにくところもある。
初めてロッブリーというところへ出かけた時は、シクロを使おうか、それとも歩こうか大いに悩んだものであった。

国鉄のロッブリー駅を下車するとタイの田舎の駅らしくとっても殺風景で、駅舎の前にはタクシーなんぞはおりわせず、客待ちをしているシクロのお兄さん、おじさんたちが列を無して屯していた。
列車を降りた乗客は非常に少なく、観光客らしき客は私ぐらいしか見当たらないくらい寂しいところなのであった。
駅前に屯していたシクロの運転手たちが一斉に私を見つめたのは言うまでもない。

「お、これは、やばい」

数人がシクロを引きながら私に近寄ってくるのが目にとまった。
ガイドブックによると、ロッブリーの街はそんなに大きくないので徒歩で全てを見て回ることができると思われた。
地図を見る限りはせいぜい2km四方に観るべき観光スポットは点在している。
17世紀にお城があったいう遺跡、クメール時代の寺院跡、などだ。
最も見たいところはもちろんクメール時代の遺跡跡。
ガイドブックを観る限り、アンコールワットを小さくしたようなその独特の形状が私の心を誘ったのであった。
ところが、アンコールワットに似たクメール寺院跡は駅からすぐのところにあり、しかも鉄道沿いの大通りの踏切角にあるという。

こんなんでシクロを使うのはずいぶんと非経済的だと思った。

案の定シクロの運転手たちは私に近寄ってきて「乗らないか」というような手振り素振りで話しかけてきた。
この頃の私は、というか今もそうだがタイ語は、
「高い」
「安い」
「バス停はどこですか?」
「バス停へ行きたいのですが」
「私の名前は○○です。」
「君綺麗だね」
ぐらいのことしか言えないのだ。
したがってシクロンの運転手をやり過ごすには「指差し会話帳」しか武器はなかったのだ。
で、指差し会話帳タイ編のページをめくると、やはりいたれりつくせり。

「歩いて行くからいいや」

というのが載っているではないか。
わたしはすかさず、そのページのその部分を指さして運転手たちに見せた。
その部分には日本語と英語、そしてタイ語が書かれていて運転手たちはすぐに内容を理解し、非常に残念そうに諦めてくれたのであった。
諦めてくれなかったのはベトナムのシクロなのであったが、それはまた別の機会。

今考えてもシクロぐらい価格交渉をして使ってあげれば良かったと思う。
というのも、シクロの料金などたかが知れており、ましてや私はバックパッカーとは言いながら日本人。
タイの人たちと収入が違い、できれば利用してあげて彼らの生活の少しでも足しになれば良かったと、少々悔いるものがある。
なお、悔いがないのはベトナムのシクロであったが、クドイようだが別の機会。

結局私はロッブリーの街をウロウロしたのは良かったものの、暑くて暑くて、ちょうど市場のすぐそばにあったミスタードーナツの店に入って、

「なんで……ロッブリーでミスドに入ってしもたんかな」

と考えながら、コーラと原色ギドギドのドーナツを食べ、

「そうだ、バイクタクシーに乗ろう。さっきそこの市場の前で見たし」

と結論してしまったのであった。
それならシクロを使えばよかったものを、ミスドから出た私はバイクタクーの運転手に指差し会話帳とガイドブックの写真を示しながら、

「クメールの遺跡に行ってから、バスターミナルに行ってちょうだい」

とお願いしたのであった。
来る時はバンコクから列車に乗ったのだが、帰りはさっさと帰りたかったのでバスを利用することにしたのだった。

つづく

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