<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



JR東日本の名物新幹線MAXが引退をするのだという。

総二階建て。
3列プラス3列の詰め詰め座席。

私はこのMAXにたった一度だけ乗車したことがある。
栃木県の宇都宮に行った帰りで、

「ううううう、新幹線乗り継いで宇都宮から新大阪。めどくさい.......」

と若干憂鬱になっているときに宇都宮から東京駅まで乗車したのがMAXなのであった。

このMAX。
乗り心地は正直言ってほめられたものではなかった。

私が乗車したのは1階の座席。
窓から見えるのは防音壁の真っ白、かつ、防音壁のふちがチラチラする、まるで壊れたテレビの画面のような光景が永遠と続く景色なのであった。

おまけにMAXは各駅停車なのであった。
東海道・山陽新幹線なら「こだま」にあたる特急で、各駅に停車するのは結構なのであったが、停車した窓から眺める目線の景色はプラットホームの床の側面なのであった。
ホーム上を行き来する人々の足元がしっかりと見える。
女性のスカートの中が覗けてしまうのではないか、と一瞬変態に間違えられては大変と、目のやり場に困ったことも記憶している。

しかし、そのような景色の問題など、軽い内容なのであった。

最も大きな問題は座席がめちゃくちゃ狭いという問題なのであった。
ボディサイズは普通の新幹線なのに、座席が一人分多いのだ。
このため一人当たりの座席に幅は恐ろしいくらい狭く、相撲取りのような体格をした人はどうやって乗車するのか、正直言って真剣に考え込んでしまうくらい狭かったのだ。

この座席はちょうど山陽新幹線のひかりレールスターや、今週末に運行を開始する九州新幹線とはまったく反対になる座席構成なのだ。
こちらは2列プラス2列の4人がけ。
普通指定席でもグリーン車と同等の快適さなのだ。

MAX引退。
その原因は、老朽化でもなんでもなく、座れる人が限定されるほどの狭さにあるに違いない。

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私の自宅には今、テレビはあるのだがテレビのアンテナがない。
したがって地上波デジタルも、アナログも見ることができないのだ。
それでは、どうやってテレビを見ているのかというと、テレビの向こう側で娘や私がドラマを演じてそれを嫁さんが見て楽しむ、なんて馬鹿なことはあるわけが無く、すべてインターネット接続のCATVで見ているのだ。

このインターネットの接続のCATV。光テレビ。
これがなんとも便利な代物で、ニュースからドキュメンタリー、ドラマから映画まで、全てのジャンルを楽しむことができるので、正直いって地上波なんか見えなくてもまったく困らない。
ま、困るとすれば巷の話題についていけなくなることぐらいだが、私が子供の頃とは違って、今やテレビの番組が日常の話題に上るなんてことはほとんどなく、むしろ「昨日、CSでこんな面白い番組があったよ」という話題の方が注目を集めたりするので、ほんと、地上波は要らないのだ。

むしろ番組も地上波で放送しているチャラチャラした番組よりもCSで放送されている硬派なドキュメンタリーや懐かしのドラマのほうが面白いことが多いので、地上波はなくても困らないが、CATVはなくなると困る、という状況でもある。

また、映画はすべてハイビジョン。
受像機に外付けHDを接続すると、そのまま録画も出来てしまうのでこれまた便利で快適。
DVDに長時間モードの粗い映像で録画して貯めることもないし、DVDそのものを購入する必要さえない。
全部HD。
見たい番組はリストから選んで再生するだけの手間なので、これに慣れるとDVDの入れ替え、購入が面倒くさくなってしまう。

ということは、エライことなんだ。

つまり巨額の投資をして建設している東京スカイツリーもCATVの前では無用の長物。ネットでハイビジョン映画をHDに録画する世の中なのでブルーレイも必要ない。

時代があまりに早く流れているために、スカイツリーを建設している間にスカイツリーが不要になりそうになり、ブルーレイが普及している最中にブルーレイが要らなくなる時代が到来している。
ほんとに未来を読むのは難しいものだ。

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前原外務大臣が辞任した。
在日の外国人から毎月5万円の献金を受けていた、という法令違反の責任をとっての辞任だった。

毎月たった5万円貰っただけで大臣を辞任しないといけなんなんて、かなりショボイ話なんだと思ってしまう。
ショボイ話しだが、在日といえど外国人。
国益を守るという意味では、今の世の中たとえ5万円でも潔癖を守る必要があったのは確かだ。

尤も民主党の半分のメンバーを構成している元日本社会党の人々の考え方は「外国人参政権を求める」というもので、選挙権を与えようというくらいだから5万円の献金も「おかしなもの」と考えることはできなかったのかも分からない。
しかも、土井たか子が党首を務めていた頃はパチンコ店からの献金が明らかになって、当時未だ真当な週刊誌だった週刊文春に叩かれるという経験もあるくらいだ。

とかく、その手の考えが乏しいのも今の議員さんたちの共通した特長だと思われてならない。

たまたま、経済欄では中国の投資集団が日本の乳製品会社を買収しようしていることを伝えていたが、その買収の理由が「日本人は良く働くから」に聞いてあきれるものがあった。
中国人は日本人を奴隷か下僕だと考えているのではないかと、疑ったくらいだ。
その乳製品会社はどこなのか。
なぜ、だれも日本人は経営を支援してあげようと思わないのか。

なんとなく、前原大臣と類似の人たちが大勢いるように思えるのが不思議なのだ。

たかが5万円、されど5万円。

金額の多寡に関係ない、責任問題なのだ。

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フェイスブックの使い方がわからず四苦八苦している。

海外に住む友人が、どうやら私宛にバースデイカードを送ってくれているようなのだが、そのカードの見方がわからなくて困っている。

私は高校時代、大学時代を通じて、どちらかというと最新のテクノロジーには敏感な人なのであった。
オーディオはLカセットというものさえ知っているし、パソコンはBASICプログラムなら、簡単なものであれば今でも書くことができると思う。
ビデオのアナログ編集もお手のもの。
様々なイコライザーを使用してビデオアートを作成したこともあり、今はやりの3D_CGもCGそのものが珍しかった80年代後半にすでにチャレンジ。
日経CGのような雑誌にも作品を発表し「なかなかやるやん」と周囲からは尊敬のまなざし(多少オタクっぽいのニュアンスはあったものの)で見られてた。

それが今やIT音痴。

その兆候は携帯電話でメールが打てるようになったころに現れていた。
というのも、周囲が携帯電話でメールを打ち出したことに、「キーが使いにくい」という理由だけで、日本語入力をマスターすることを自ら拒絶。
気がついたら、周囲では私だけが「メールできない人」になっていたのだ。

パソコンのキーボードはブラインドタッチ。
プログラムも多少書ける。
エクセル&ワードは言うに及ばす、IllustratorもPhotoshopも基本はちゃんと使えて不便はない。

それが気がつけば携帯でメールを打てない人に変化していたのだ。

もちろんmixiも最初は分けがわからなかった。

「ソーシャルネットワーク? 何、それ?」

という有り様。
そのIT音痴に成り果てた私に次ぎに立ちはだかったのはフェイスブックなのであった。

ツイッターは何となくその本質が理解でき、できたからこそ好きではないのだが、フェイスブックは未だにわけがわからない。
分からないのでアカウントだけ作って、悩んでいる。

IT音痴。

年齢の経過とともに悪化しそうな雲行きである。

嗚呼。

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関西の大手私鉄でトップを切って南海電車が全駅を禁煙にするのだという。

タバコを吸わない私には朗報だ。

正直言って喫煙コーナーから流れてくる紫煙の匂いと煙たさには辟易することが少なくない。
新幹線に乗ることが多いのだが、4号車に乗ったりすると禁煙車両にも関わらず喫煙車両の3号車の匂いが漂ってきて不快な気分になることが少なくないし、ランチの時間にレストランでタバコを吸われるのも、これまた迷惑なのだ。

日本は「禁煙」という分野では他のアジアの国に比べると後進国という印象が拭えない。
シンガポールもタイのバンコクも人の集まる場所は基本的に禁煙。
電車の中はもちろんのこと、レストランも禁煙。
日本だけが、一部の場所を除いて、プカプカ自由なのだから、ちょっと大げさだけれど日本の保健行政はどうなっているのか!と、憤ることも少なくない。

まあ、喫煙する人にとっては「それこそ迷惑なんじゃないの」と言いたいところかも知れないが、やはりタバコの煙は吸わないものには至極迷惑。

南海電鉄は関西大手私鉄であは、どちらかというと「田舎」部分を走っている部分が多い鉄道だ。
阪急、阪神、京阪は関西に三大都市のいずれかを両端に結んでおり、窓からの景色はどこを切り取っても都会だが、南海電車は一方のターミナルは大阪難波だが、もう一方は和歌山と高野山で、どちらかというとローカル色が濃い。
ローカル色が濃いということは、それだけ保守的な人たちが多く住む地域を走っているということもできるわけで、その南海電車があのハイソな地域を走る阪急電車よりも早く「全駅禁煙」を謳うことは、一種の革命のような気がしなくもない。

なお、タバコ販売が減るかも知れないが、タバコにまつわる清掃費用を考えると、禁煙にするのは会社経営にかなりプラスになることなのかも知れないとも思ったのだった。

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山手線に乗っていて、「石川光陽写真展」という展示会の吊り広告が目に止まった。
セピア色の古そうな写真。
辰野金吾が設計した有名な東京駅の赤レンガの駅舎前を走る都電。

現在の写真ではないことは間違いない。

このような昔の写真の写真展、というのは私の最もお気に入りのジャンルの展覧会。
はじめ東京都写真美術館の展覧会の広告かな、と思ったが、違った。
鉄道歴史展示室での展覧会の広告なのであった。

東京汐留にある鉄道歴史展示室。

「♪汽笛一声新橋を~、はや我が汽車は離れたり~」

と鉄道唱歌の冒頭で歌われている、あの新橋駅の遺跡の上に建っている博物館が展示室。
ともあれ、東京駅にも近い新橋にある博物館なので、大阪へ帰るまでに時間があれば寄ってみようと思った。

このように興味あることで「寄ってみよう」と思っていると、どういうわけか寄って見る時間ができるもの。
もしこれが仕事の「寄ってみよう」だとなかなか時間ができないのが不思議ではある。

ということで、大阪へ帰る1時間ほど前に地下鉄を新橋で下車して鉄道歴史展示室へ立ち寄った。



石川光陽という人は、本業は警察のカメラマンであったそうで、写真が特殊技術であった当時、その腕前は半端ではなかった。
その半端ではなかった腕前は事件の記録にとどまらず戦前戦後の東京の姿を愛情を込めて写し出しているのだ。

作品は幾つかの分野に分けて展示されていたが、総じて面白いのは東京都民の何気ない日常を警察官の目ではなく、一人の東京都民として写していることだった。

桜咲き誇る大通りを走る都電。
交通整理をするおまわりさん。
銀ブラする市民。
歌舞伎座に立ち寄る進駐軍。
などなどなど。
中でも通りでおしゃべりに興じている高校生の写真が印象的だった。
彼女たちのカメラに投げかける笑顔が現代のそれと寸分変わらず、健康的で、自由闊達そうなのが、なによりも印象的なのであった。
まさかそれが昭和一桁時代の写真であるとは。
後ろに広がる東京の街並みが現代であれば、彼女たちも今の高校生だと説明しても、だれも「嘘でしょ」と言わないくらい、自然に現代的なのであった。

しかし、私にはこの展覧会でもっと衝撃を受けた展示物があった。

それは資生堂パーラーのメニューなのであった。

そこには、当時は東京や大阪くらいでしかお目にかかれない洋風メニューが価格と共に書かれ、当時の文化を想像させる。
山本夏彦が「誰か戦前の昭和を知らないか」と語った、あの世界がメニューの中に広がっていたのだ。

そのメニューには飲み物の他にサンドイッチのセットがリストされていて、それぞれが面白い。

タマゴサンドやハムサンドは今でも一般的だが、驚いたのは「キャビアサンド」や「フォアグラサンド」のあることで、これはもし現代でもあれば、かなり高直なものになることは間違いない。
卵サンドやハムサンドが50銭程度なのに対して、キャビアサンドは1円50銭。

資生堂パーラーで楽しむ人達の生活水準も噛み締めることのできた展覧会なのであった。




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世間を騒がせた京都大学を初めとする大学入試の「試験時間中の答案流出事件」。
解決しそうな雰囲気だ。

大学入試、といえば思い出すだけで情けない感情が蘇ってくる。
というのも、私は高校時代、結構一生懸命勉強し、それなりの成績を残して志望大学を受験した。
赤本もトライした。
模試もトライ。
担任の先生も、同級生の何人かも期待して、
「〇〇くん、頑張って」
などと言われて、
「まあまあ」
などと、ちょっとばかし有頂天になった記憶がある。

その結果、第一志望の大学はめでたく不合格。
第二志望の大阪芸術大学に合格した。

言い訳のようになってしまうが、第一志望の大学は東京にある芸術系の大学で、定員がごく少ない上に受験生が数千人。
畢竟合格率は数%の厳しい門。
ところが試験問題事態はそんなにめちゃくちゃ難しいものでもなく、たとえば、この大学の赤本を他の学部のものも含めてやってみたのだが、楽勝楽勝。

「なんや、簡単やん」

と天狗になる始末。
合格することなどなんでもないものと思っていた。
ところが、結果は一次試験で「不合格」。
現実は厳しかったのであった。

そこへいくと大阪芸大の問題は簡単で、当時、「嗚呼花の応援団」のモデルになった大学だけに、数学の試験なし、英語なし、論文と、簡単な絵コンテだけの審査なのであった。
しかも、そのまま面接試験に突入し、なんでもない質問を受けて答えるだけで、だれでも(というわけでもないけれども)合格してしまう、ほんとに受験勉強のやりがいのない大学なのであった。

そんな試験で合格通知がやってきて、浪人するのが面倒だった私はそのまま大芸大に入学。
しばらく、先生のレベルの高さと生徒のレベルの〇〇さに悩まされ、重傷の5月病を患ったのを鮮明に憶えている。

そこへいくと、やはり国内トップレベルの京都大学の入試なんぞ、そんな簡単に合格できるわけではない。
吉田キャンパスで未だにサヨクっている人たちが存在している、センスの古~いい大学だが、多くのノーベル賞受賞者を生み出しているように、東の雄である東京大学と比較してもある意味上を行ってる凄い大学と言えるだろう。

その京都大学の入試問題は「ネットを使ってグループで挑戦するのが妥当かも」と、クラウド的発想で、受験生の並列演算を実施してトライしようとする輩が現れても不思議はない。

今日、東京都内で開催された政府機関が後押しするような某シンポジウムの講師がはっきりとそう言って笑いを取るぐらい説得力のある考えだけに、今回の騒動。
どう解決されるのか「期待される」ものがある。

ということで、京大の入試問題はチームワークで回答だい!


注:何故か今や大阪芸大は国内一流の芸術系総合大学になっており、先輩諸氏よりも後輩の方が立派な人が多いという妙な大学に進化している。従って、大芸大を目指す受験生の諸君へ告ぐ。
本気で勉強プラスデッサンや演奏などの技量を磨いていないと合格することは難しいぞ。

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