<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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数年前に初めて仙台を訪れたとき、街の中心部でJAZZ FESTIVALが開催されていて、しばし仕事を忘れて聞き惚れていたことがあった。
仙台でJAZZ。

関西人はJAZZといえば神戸が有名で、最近では大阪高槻市のJAZZストリートも毎年テレビに取り上げられるほど知名度が上がってきている。
昨年は大阪ミナミでJAZZ FESTAが開かれ、道頓堀で生演奏、なんて風景も見られた。

初めての仙台で偶然にJAZZを聞くことになったのは、実際のところかなり意外な感じがしないでもなかった。
もちろん、悪い意味での意外ではない。
JAZZの洒落た大人のリズムが、とってもよく似合う街だと思ったのだ。

仙台という街は、想像以上に市街地が美しかった。
とりわけ定禅寺通りの背の高い並木は印象的で、洒落たレストランやブティックなどが並ぶ様子からは、ファッションセンスの上で実に洗練されたところだという印象をもったのであった。

その景色とJAZZの音楽が頭の中で融合して、大した仕事もしないままだったにも関わらず、仙台に対する良い印象を持って大阪に帰ってきた。

実のところ、仙台を訪れJAZZを耳にするまでは、仙台の音楽といえば、月並みかもしれないがさとう宗幸の青葉城恋唄なのであった。
ちょうど私が高校生の時にヒットした曲で、ザ・ベストテンでこの歌を耳にするたびに、
「なんて美しい詩なんだろうか」
と、ちょっとキザッポク思ったものだった。

「清瀬川、流れる岸辺......」
で始まる歌詞はキラキラと輝いているようで、季節が夏の歌だけに暑いけれども爽やかな感じがしたものだ。
でも、歌詞の締めくくりは1番から3番まで、すべて「あの人はもういない」。
別れた人の思い出を語る寂しい歌だと気がついた。

「あの人はもういない」
今回の震災は、この歌の歌詞に別の意味を持たせてしまったのではないだろうか。
なんとなく、ネットで購入した青葉城恋唄を聴いていて、目頭が熱くなった。



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