tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

レフェリーはプレーに参加しないのが原則

2020年10月23日 22時11分00秒 | 文化社会
社会経済思想と政治形態(試論):新自由主義と政治(10):補遺
 このテーマで9回にわたっていろいろ書いてきましたが、政治の世界で社会経済思想が利用されるのは、それなりの意味はあるのでしょうが、現実の政治はは、思想や理念などはそっちのけで、リーダーの意図する目標、政権の維持が第一義、そのために何をすれば一番効果的かが政治の動きを左右するという事が一般的と見えて来ました。

 一方、この所の世の中は、コツコツ頑張って成功を収めるよりも手っ取り早く成果を求める「短期的視点」が主流の世の中です。
 
 こうした状況の中で、政治は次第にポピュリズム化し、思想や理念よりも「当面の人気」を得るための政策を重視することになったようです。
 国政選挙は、言ってしまえば「人気投票」に堕してきているのです。選挙の際の人気で多数を取れば、後は思い通りのことが出来ると考えるのです。

 そして、政権を取れば、やるべきことは財政と人事を握って権力の維持の徹底を図ります。そして、行政はその権力を背景に、民間の活動分野に口も手も出し、民間の活動を政権の意向に合うように仕向けて行くのです(忖度の世界)。

 スポーツですと、審判、行司、レフェリーは、プレーヤーがルールに則ったプレーをしているかどうかの判定をするのが仕事です。審判、行司、レフェリーがプレーに参加することは、絶対に許されません。

 ところが、最近の政府は、国民がルールを守るためのレフェリーであるにかかわらず、往々にして、民間がやるべきプレーに手を突っ込んでいるのです。

 この動きは最近、日本の政府にも目立ちます。労使の仕事である春闘に口を出す「官製春闘」、カジノを日本に何か所作るかを政府が決める、労働者の働き方に政府が口を出す、民間会社の料金設定にも口を出すが、出す業界と出さない業界は恣意的に決める、果ては、学術の世界にまで人事介入するなどなど・・・・です。(そろそろ芸術の世界にも口を出すのではなどの声も聞かれます)

 民主主義社会では、政府の仕事は、国民によく相談したうえで、国民がみなそれなりに納得するような法律制度を作り、その成果を見守るというのが、基本でしょう。
 ケインズ政策やゼロ金利政策は、緊急時の例外であって、何でも政府がやればいいというのは、大きな間違いだというのが新自由主義の原点だったのではないでしょうか。

 政府が常時ケインズ政策をやるのは経済を歪める(経済が政権の手段になる)として反対したのが新自由主義で、そこにはM.フリードマン流の「 政府の見えざる手」といった考え方が生まれたのでしょう。

 最後に、自由主義圏の国々の中で、こうした独裁色を強める政府を生み出す原因として、何でも政府に頼んでやってもらおうという安易な考え方を多くの国民が持つようになったこと、国民自身の怠惰、政府依存指向があることも大きいのでしょう。
 本当はこれが一番恐ろしいのかもしれません。

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