去る1月、森永卓郎さんが亡くなりました。
森永さんと親しいとか、特に関係があるという訳ではありません。森永さんが獨協大学で教えておられた頃、企業の中堅グループが企画したセミナーに講師で来られ、企業の中堅管理者向けの話をされるのを聞く機会があったことと、後年、森永さんが編者の本に、出版社の編集担当者の依頼で執筆したことぐらいです。
その後は、「ザイム真理教」など、大蔵法、財務省の財政均衡を説く経済学に、「均衡に縛られ過ぎては経済は良くなりません」などと書かれて随分人気を集めたこと、さらに、ステージ4の膵臓がんの宣告を受けながら、体力や外貌は衰えても、気力も舌鋒も全く変わらずに経済の問題、人間の生き方などに、ますます独特な発言をされる元気を失わないという人間の精神力の強さに感銘を受けつつ、その発言をお聞きしていました。そしてまさに、人生の最後が発言の最後になり、訃報をもってすべてを終えたというところまで見とどけることになったのです。
若手の経済学者だった頃の中堅管理者向けのお話は、細部は覚えていませんが、サラリーマン人生いろいろだけれど、頑張れば、何かいい事がありますといった中堅管理者向けの応援歌だった記憶で、「あの先生の話は面白いよ」と推奨した覚えがあります。
享年67歳は、まだまだお若いですね。もっともっと健康で活躍しておられれば、もっと積極的な意見も聞けたのではないかなどと欲を言いたくなります。
ステージ4の、しかも膵臓がんと診断された時は、大きなショックだったでしょう。
しかしその後も、そうした様子も見せずに、証券バブルについての問題を指摘し、自分は全株をすでに処分した、いずれ株価の崩壊は来るといった警告や、マネー経済のバブル化の危険を指摘され、多くの方に解って欲しいという事でしょうか、マスコミへのプレゼンスに全力を尽くしておられたように感じられます。
実は、あのエネルギーの源は何かという事を考えた時、森永さんが、繰り返し書き、話された言葉に、ある意味では、人間の本質を見るように感じ、今日の随想を書く気になったのです。
森永さんが言っておられるのは「人間死んだら何もなくなるのだから、生きているときに幸福で楽しくやらなきゃダメでしょう」という趣旨の人生の意義、自分の生活の仕方です。
単純な言葉の中に深遠な意味が凝縮しているのは、「人間、死んだら何もなくなる」という言葉です。
何と素直な「悟り」の世界でしょう。森永さんなりの「悟り」の境地を開き、それを明確に発言し、生きている事の意義を際立たせようという事ではないでしょうか。
森永さんは、多趣味だったようですが、多くの趣味を持ち、明確な思想、意見を持ち、その趣味を追求し、自分の意見を述べることが、自己表現で、自己表現こそ生きていなければ出ないのですから、生きているうちに、自己表現を出来るだけしておかなければと考えておられたのでしょう。
古来、「虎は死んで皮を越し、人は死んで名を残す」と言いますが。森永さんの自己表現は森永さんの名と共に残るのです。
「人間、死んだら何もなくなる」と大悟しつつ自己表現に努めた事が人の心の中に何かを残しているのでしょう。
そう言えば、森永さんは、お礼は、貰った相手でなくても、ほかの人にでも誰かにすれば良いと思えば気が楽になると言っています。この辺りも何か関係がありそうな気がします。(合掌)