tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本経済再活性化の可能性を考える その7

2009年08月03日 10時37分21秒 | 経済
日本経済再活性化の可能性を考える その7
 日本経済活性化の可能性について、いろいろな側面から検討してきましたが、最後に残るのは、日本は成熟段階に達してしまったので、これ以上はもうあまり成長はしないんじゃないかといった問題です。

 そうした問題は確かにあるでしょう。例えば、現在の日本経済が、かつての高度成長期のような10年間の年平均実質経済成長が率9パーセント台といった可能性があるかといえば、それは多分無理でしょう。しかし、追いつけ追い越せの目標がなくなったといっても、現在の経済社会にとっても改善すべき問題点は沢山あります。その改善に取り組めば、年3パーセント程度の成長は十分可能性があると思えます。

 1980年代の前半は、「1億層中流」という言葉が流行り、日本人は今より余程豊かさを感じていたと思います。しかし当時の日本人は結構バイタリティーにあふれ、元気でした。経済もうまく回転し、経済成長は3~4パーセントを確保、世界から高く評価され、日本人は自信を持っていました。

 その日本人が元気を失ってしまったのは矢張り、 プラザ合意(1985)による円高そして過剰流動性による土地バブルの崩壊後のいわゆる「失われた10年(実際の影響は今日まで続く)」の、過酷な経験に打ちのめされたからではないかと感じられてなりません。

 企業にとってみても、10年、15年の間、必死にコスト削減だけを続けていかなければならない状況に追い込まれれば、人材育成への余裕は失われ、人の和は乱れ、人心は荒廃、良い仕事への意欲などは次第に失せていくことになるでしょう。

 企業でも、社会でも、あまり長期に亘ってデフレ不況のような異常な経済状態が続けば、世代から世代への連続を保つリンクの中に「失われた世代」が発生し、技術や技能、意識や文化の継承が部分的に中断されるような状況が起こります。同時に、人心の荒廃は、いくら頑張ってもどうにもならないといった絶望現象を多様な形でもたらします。
 「人」が唯一の資源の日本です。こうした原因が今日の日本経済の心理的な閉塞状態をもたらしているのではないでしょうか。

 確かに日本はある意味では成熟段階に達したかもしれません。しかし成熟段階といってもそれはあくまで「より良い社会へのプロセスの1段階」でしょう。社会の進歩には終着駅はありません。
 問題があるだけ、その解決への「努力」が経済社会の成長の原動力になるというのが人類社会の経験です。


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1 コメント

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鋭いコメント有難う御座いました。 (tnlabo)
2009-08-03 15:53:12
高齢化、規制改革の大鉈、超円高、バブル崩壊、何とか切り抜けている日本は立派だと思います。
これからも切り抜けのために、高齢者にも元気が出るようなこと、みんなで考えましょう。
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