tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

時間は主観的なものか? 客観的なものか?

2023年11月25日 10時12分40秒 | 文化社会
今日は土曜日です。もう大分前のことですが、矢張り土曜日に「時間と宗教」というテーマで書いています。

土曜日は、あまり世俗の現実については書きたくないような気がすることもあって、あの時は何となく「時間と宗教」の関係を考えてみようと思ったのです。

それなりに納得できる結論になったような気がしています。
時間について広汎な研究体制をお持ちの大阪大学の北澤茂教授によれば、人間の大脳の頭頂葉内側面の後方に位置する脳回の「楔前部(けつぜんぶ)」という所が、経験した事を文字通り時系列に脳に記憶させる仕分けを司る所だということです。

ここは認知症の原因になるアミロイドβが溜り易い所で、それが溜ると時間感覚がうまく機能しなくなる、つまり記憶の整理が巧く行かなくなって認知症になるようです。

ですから、我々が、物心つく頃には楔前部が確り機能するようになり、幼い時らの記憶の連続が頭の中に整理されているのでしょう。

この時間の認識ですが、小学性のころの1年は随分長かったと思うけれども、歳とると1年の過ぎるのが速い事速い事などと言います。

また、友人と会って話が弾んでいるときは、あっと思う間に時間が過ぎますが、手持無沙汰で何かを待っている時間や、つまらない講話を聴いているときなどは時間が随分長く感じられます。

という事は時間というものは、その長短も含めて人間の脳が認識しているもので、それはある意味では人間の脳が時間の認識、つまり時間を創りだしているという事ではないのかという意見も聞きます。

これを突き詰めていくと、時間というものが客観的に存在するのではなく、人間の脳が認識することで生まれて来るという事になるそうです。

時間は人間だけが認識しているもので、その他の動物ははただ「現在」を生きているだけという事になる、つまり「現在」しかないという事なのです。

こうして時間とは何だ? という事になるわけですが、やっぱり時間は客観的に「ある」と考えた方が正しい(人間にとって都合がいい?)のではないかと考えるところです。

おそらく多くの皆様も同じようにお考えだと思っています。
私が居ようと居まいと、総ての人に時間は同じように流れていて、人間の脳がその流れを過去・現在・未来と整理できる能力を持ったという認識のぢ方が、最も物事を上手く説明できると考えるからです。

「時空」と言いますが、時間も空間も結局よくわからない事ばかりです。人間がいなかった時も時間は流れていたようですし、人間が到達できない(光や電波や素粒子を利用しても)空間(宇宙)も広大でしょいう。

ビッグバン以前にも時間は流れていたのでしょうし、ビッグバンで出来た宇宙は拡大中とのことですが、その外側にも「宇宙でない空間」がありそうです。

そんな解らないものが客観的に「ある」のだろうと人間が認識するのですから、やっぱりすべて人間の脳が作り出したものではないのかという気がしないでもありません。 

やっぱり解らない事ばかりですが、でも時にこんなことを考えてみるのも楽しいような気がするというのも不思議です。

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