誠に残念なことですが、様々な経験を経て、人類の文化や知恵も進歩してきたと考えられていた21世紀に、多くの人々が「悪夢を見ているのではないか」と思うような熾烈な戦争が起きてしまいました。
ロシアのウクライナ侵攻は、もう1年10カ月になろうとしていますが、解決の兆しすら見えない人類の悲劇として続いてしまっています。
そして、この10月にはハマスのイスラエル攻撃から始まり、イスラエルの徹底した反撃という熾烈な戦争が起きてしまいました。
人類の調和と発展が言われ、世界平和への希求が、人類の歴史の中でも最も強くなったと思われ、人類の共通の課題は、地球環境の回復、温暖化防止、そのためにSDGsが広く叫ばれるようになった地球社会の中で、こんな人間同士の破壊と殺し合いが起きるなど、あり得ないと思う人が大部分ではないでしょうか。
しかし2つの戦争は、現実に進行中で、破壊と人類同士の殺傷は今日も続いています。
そして、マスコミの世界では、長期に続いて来ているロシアのウクライナ侵攻より、イスラエルのハマス殲滅作戦に紙面や時間を割くことが多くなってきているようです。
こうしたマスコミの情報提供のボリュームの変化に従って、ロシアからの不条理な侵攻に自由世界の支援を得て戦うウクライナについての関心が薄れることについてウクライナのゼレンスキー大統領が懸念しているという報道があったりします。
マスコミはその本来の性格として、新しいもの、より変化の多いものを取り上げるのは、ある意味では自然なのかもしれませんが、地球人類はこの2つの戦争をどう認識し、如何なる関心と判断を持って観て行かなければならないのでしょうか。
勿論それは、それぞれの人の立場によって違うでしょう。現に戦争の中で、まず自分の命を考えなければならない人から、相争う陣営の中でそれぞれの立場や信条による人も当然いるわけです。
しかし、人間の本性に立ち帰って考えれば、先ずはそうした争いをしない事でしょう。戦争があれば、早く終わることを願う心が人間の本来の心でしょう。
その上で、更に考えてみると、ハマスとイスラエルの争いは、宗教という面もあるものの、実態は、垣根をめぐる隣同士の感情的怨念の報復の連鎖という面が強いのではないでしょうか。相互理解を進め、互いに良き隣人となることを願うばかりです。
それに対して、ロシアのウクライナ侵攻は、領土という争点を掲げながら、その背後には、人類の歴史の中で克服してきた専制主義、独裁主義が、人類の望む平和を実現する社会体制である自由主義、民主主義に対して、改めてその存在を主張しようとする、「人類社会の在り方への挑戦」、人類社会の求める進化の方向を逆転させようとする、異常な動きと認識すべきものではないでしょうか。
勿論、戦争は早くやめてほしいと誰しも考えています。しかし同時に、その戦争の意味するもの、その戦争の解決の在り方が人類社会に何を齎すかも見定めておかなければならいように思うところです。
ロシアのウクライナ侵攻は、もう1年10カ月になろうとしていますが、解決の兆しすら見えない人類の悲劇として続いてしまっています。
そして、この10月にはハマスのイスラエル攻撃から始まり、イスラエルの徹底した反撃という熾烈な戦争が起きてしまいました。
人類の調和と発展が言われ、世界平和への希求が、人類の歴史の中でも最も強くなったと思われ、人類の共通の課題は、地球環境の回復、温暖化防止、そのためにSDGsが広く叫ばれるようになった地球社会の中で、こんな人間同士の破壊と殺し合いが起きるなど、あり得ないと思う人が大部分ではないでしょうか。
しかし2つの戦争は、現実に進行中で、破壊と人類同士の殺傷は今日も続いています。
そして、マスコミの世界では、長期に続いて来ているロシアのウクライナ侵攻より、イスラエルのハマス殲滅作戦に紙面や時間を割くことが多くなってきているようです。
こうしたマスコミの情報提供のボリュームの変化に従って、ロシアからの不条理な侵攻に自由世界の支援を得て戦うウクライナについての関心が薄れることについてウクライナのゼレンスキー大統領が懸念しているという報道があったりします。
マスコミはその本来の性格として、新しいもの、より変化の多いものを取り上げるのは、ある意味では自然なのかもしれませんが、地球人類はこの2つの戦争をどう認識し、如何なる関心と判断を持って観て行かなければならないのでしょうか。
勿論それは、それぞれの人の立場によって違うでしょう。現に戦争の中で、まず自分の命を考えなければならない人から、相争う陣営の中でそれぞれの立場や信条による人も当然いるわけです。
しかし、人間の本性に立ち帰って考えれば、先ずはそうした争いをしない事でしょう。戦争があれば、早く終わることを願う心が人間の本来の心でしょう。
その上で、更に考えてみると、ハマスとイスラエルの争いは、宗教という面もあるものの、実態は、垣根をめぐる隣同士の感情的怨念の報復の連鎖という面が強いのではないでしょうか。相互理解を進め、互いに良き隣人となることを願うばかりです。
それに対して、ロシアのウクライナ侵攻は、領土という争点を掲げながら、その背後には、人類の歴史の中で克服してきた専制主義、独裁主義が、人類の望む平和を実現する社会体制である自由主義、民主主義に対して、改めてその存在を主張しようとする、「人類社会の在り方への挑戦」、人類社会の求める進化の方向を逆転させようとする、異常な動きと認識すべきものではないでしょうか。
勿論、戦争は早くやめてほしいと誰しも考えています。しかし同時に、その戦争の意味するもの、その戦争の解決の在り方が人類社会に何を齎すかも見定めておかなければならいように思うところです。