tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

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生産性向上と人手不足:そろそろ意識転換の時期では

2019年05月09日 21時42分19秒 | 労働
生産性向上と人手不足:そろそろ意識転換の時期では
 今年、1月2日のこのブログで「今年は「生産性向上」取り組みの第1年に」と書きました。
理由は安倍政権が「有効求人倍率」の高さを誇るようになって、人手で不足はアベノミクスの成果を示すものだといった意味合いの発言はいつも聞かれますが、それを単純に喜んだり、誇りにしたりしていていいのかという気持ちが強かったからです。

 ご承知のように、人手不足というのは、仕事は沢山あるけれども、仕事そしてくれる人間が足りないと言うことです。そんなことは昔から何度もありました。
 同時に、人手が余ってしまって、就職が困難だといった時期も何度もありました。恐らくこれからの日本の経済社会でも、人手不足の時もありましょうし、人余りの時もあるでしょう。

 それならどうすればいいのでしょうかといえば、人手不足の時には「生産性向上」に励み、人余りの時には「賃金・仕事を分け合う」(ワーク&ウェイジ・シェアリング)をするというのが基本でしょう。

 人手が足りなければ外国から連れてくる、余ったら帰ってもらう、というのも往々とられる手段ですが、これは必ず困難な問題をお起こすことが経験上明らかです。できるだけ自分たちでやって他国にまで迷惑をかけないというがベストでしょう。

 もし外国からの働き手を受け入れるとすれば、それは日本の「よりレベルの高い働き方」を学んでもらうという教育訓練の場を提供しましょうという意味でお招きします、というのが従来の日本の基本的な考え方(技能実習制度)でした。

 これは素晴らしく筋の通った考え方だと思うのですが、このところ、人手が足りなければ外国から入れるという考え方に変わってきたようです。人手が余ったらどうするのですかという懸念は当然ありますが、そちらの具体的な考えは見えていません。

 何故こんなことになるのかという理由を考えてみますと、人手不足はアベノミクスの成果という誇示はあっても、「人手不足は生産性が上がらないから」という反省がほとんど言われない、という思考のアンバランスに原因があるからのようです。

 GDPがほとんど増えていないのに、人手不足がひどくなるというのですから、現在の1.6倍という有効求人倍率を満たす人を採用したら、日本の生産性は大幅に下がることになります。(注:労働生産性=GDP/就業者数)

 政権はなぜ、有効求人倍率ばかり言って、生産性向上についてはほとんど言わないのでしょうか?
 日本の生産性はアメリカの6割(日本生産性本部)だそうですから、アメリカ並みの生産性を上げれば、4割人が余るという単純計算も可能なわけです。
 
 一方で、AIを使えば「人間が要らなくなる」といった心配をしている人たちも沢山いるようです。
 AIの進歩は著しいので、そうした可能性も近い将来あるのでしょう。

 最近は、こんな極端な主張ばかりで、生産性向上についての地道な研究がなかなか見られませんが、振り返ってみれば、日本の経済社会の発展の歴史は、生産性向上の歴史でもあったのです。 高度成長は、生産性の急速な発展によって可能になったことは当然です。

 そろそろ、人手不足をかこつよりも、生産性向上により大きな努力を注ぎ込むことに意識の中心を持っていくという本来の方針を打ち出す時期に来ているように思うのですが・・・。