企業の構成者は、株主か? 従業員か?
「企業は人間と資本の有機的結合体」、「企業は人間が考え出したもので、人間が資本を使って、社会をより豊かで快適なものにするための装置」、こんな風に私は考えています。
企業は法人ですが、自然人と同じように、時には悪いこともやります。企業を動かすのは自然人ですからそれは当然です。企業に関係する(構成する)人間は主に、株主と従業者(経営者も含む)です。企業が社会の要請に応える良い企業になるか、悪い・駄目な企業になるかは、企業を構成する人間次第です。
先ず株主ですが、法律上企業は株主のもの、株主は経営者より上位です。しかし、ここで株主というのは、その企業を応援し、資本を提供する株主のことでしょう。
私の友人に、シャープを応援している人がいます。シャープの開発力は本物だと言い、液晶の過剰投資で蹉跌、株価が暴落しても株主を続け、テレビもスマホもアクオス、NISAで暴落したシャープの株を買い増し、5年後には復活だ、と応援しています。
マネー資本主義の今日、こんな株主は減ってしまっているでしょう。内容を知らない企業の株でも儲かりそうなら買い、値上がりしたら売却、売買益しか眼中にない株主が普通でしょう。そして、これが企業経営者に短期利益重視の経営を強いるようです。
もう一方の企業に関連する人間は、その企業で働く人たち、トップから新入社員、パート、アルバイトまでです。そしてこの人たちは、社会のため、顧客のために働いています。
株主や銀行(資金提供者)のために働いているという意識はほとんどないでしょう。
J.バーナムが「経営者革命」を書き、ドラッカーが経営の本質を説き、日本企業の多くが「社会に役立つ」ことを社訓に掲げるように、資本家は後退し、企業は社会のためのゴーイング・コンサーンとなったのです。
このゴーイング・コンサーンを動かすのは、企業で働く人間集団です。そしてこの人間集団は「経営管理者」と「一般従業員」から成り立っています。
ところで、このブログの主要テーマの1つでもある「労使関係」は、(特に日本的経営においては)企業という人間集団の中の、この2つのグループによるチェック&バランスのシステムとしても発展してきています。2つのグループは、立場は違っても、社会(顧客)貢献という目的は共通です。
強欲なマネー資本主義の資本提供者より、企業目的を共有する企業内の人間を尊重し、労使関係の切磋琢磨で企業の健全な発展を図ることが益々重要になっているように思われるのですが、近年この切磋琢磨が希薄になっているのが残念です。
「企業は人間と資本の有機的結合体」、「企業は人間が考え出したもので、人間が資本を使って、社会をより豊かで快適なものにするための装置」、こんな風に私は考えています。
企業は法人ですが、自然人と同じように、時には悪いこともやります。企業を動かすのは自然人ですからそれは当然です。企業に関係する(構成する)人間は主に、株主と従業者(経営者も含む)です。企業が社会の要請に応える良い企業になるか、悪い・駄目な企業になるかは、企業を構成する人間次第です。
先ず株主ですが、法律上企業は株主のもの、株主は経営者より上位です。しかし、ここで株主というのは、その企業を応援し、資本を提供する株主のことでしょう。
私の友人に、シャープを応援している人がいます。シャープの開発力は本物だと言い、液晶の過剰投資で蹉跌、株価が暴落しても株主を続け、テレビもスマホもアクオス、NISAで暴落したシャープの株を買い増し、5年後には復活だ、と応援しています。
マネー資本主義の今日、こんな株主は減ってしまっているでしょう。内容を知らない企業の株でも儲かりそうなら買い、値上がりしたら売却、売買益しか眼中にない株主が普通でしょう。そして、これが企業経営者に短期利益重視の経営を強いるようです。
もう一方の企業に関連する人間は、その企業で働く人たち、トップから新入社員、パート、アルバイトまでです。そしてこの人たちは、社会のため、顧客のために働いています。
株主や銀行(資金提供者)のために働いているという意識はほとんどないでしょう。
J.バーナムが「経営者革命」を書き、ドラッカーが経営の本質を説き、日本企業の多くが「社会に役立つ」ことを社訓に掲げるように、資本家は後退し、企業は社会のためのゴーイング・コンサーンとなったのです。
このゴーイング・コンサーンを動かすのは、企業で働く人間集団です。そしてこの人間集団は「経営管理者」と「一般従業員」から成り立っています。
ところで、このブログの主要テーマの1つでもある「労使関係」は、(特に日本的経営においては)企業という人間集団の中の、この2つのグループによるチェック&バランスのシステムとしても発展してきています。2つのグループは、立場は違っても、社会(顧客)貢献という目的は共通です。
強欲なマネー資本主義の資本提供者より、企業目的を共有する企業内の人間を尊重し、労使関係の切磋琢磨で企業の健全な発展を図ることが益々重要になっているように思われるのですが、近年この切磋琢磨が希薄になっているのが残念です。