tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

Pura Goa Gajah ゴアガジャ 象の洞窟寺院

2008-05-26 20:59:41 | 日記

儀礼や祈りをするための場所を、バリではPura(プラ)と言う。プラは神々を祀った施設で、日本の神社に近いのだが、英語で「temple」と訳すため、「寺院」と言うのが通例となっているようだ。
バリの観光名所は各地にあるのだが、ウブド近郊の観光の目玉は、ゴア・ジャガだろう。14世紀にオランダ人に発見された11世紀頃の遺跡。ゴア・ガジャとは象の洞窟という意味だ。昔の僧侶の瞑想場とか隠者の住居などの説があり、定かではない。
駐車場で車を降りると、プナからこの先30mと指差された。ひとりで土産物屋が並ぶ道を松葉杖で通るが、さほど、客引きが強くない。これも、松葉杖の特権なのだろうか。

6000ルピアの拝観料を払い、斜面を下りていくと、下の広場にいかにも古そうな石造の沐浴場が地面を掘り下げるように造られており、広場の左手に巨大な神の顔の石彫りが施された洞窟の入り口がある。かっと目を開いての流し目。レゴンダンスで見かけるしぐさだ。日本の神社にある金剛力士のように、洞窟内に仏敵が入り込むことを防いでいるのかもしれない。洞窟内は高さ約2mで左右に神像を安置する場所が設けられている。左にガネーシャ像、右にリンガのほか多くの宗教彫刻がある。リンガ(男根像)はシワ、ウィシュヌ、ブラーマの三大神を象徴しているらしい。

ガネーシャは、太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた象の頭をもった神で、4本の腕をもつ。障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、商業の神・学問の神とされる。その誕生は、パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで誕生したのがガネーシャだ。パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしている際に、シヴァが帰還した。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒しガネーシャの首を切り落とし遠くへ投げ捨てる。
パールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけるが、見つけることができない。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させた。これが、ガネーシャが象の頭を持っている所以とされる。
儀式の始めや仕事始めなど、大事なことを始めるときは必ず最初にガネーシャを拝むのがヒンドゥーの習わしだ。日本の仏教でも歓喜天(聖天)と呼ばれ、ちょっとエッチな意味を含む仏(ほとけ)の一人。商売の神様としてよくインド料理店で見かけたりする。

 


ツォツィ

2008-05-25 12:44:41 | cinema

南アフリカのヨハネブルグのスラム街だけの話ではない。映画「バス174」は、ブラジルのストリートチルドレンの実態をモチーフにしたものだったし、「セントラル・ステーション」や、「シティ・オブ・ゴッド」でもブラジルの社会の底辺に生きながらえる者達の渇望を描いている。
北朝鮮では各国の経済制裁に起因する食糧難のため、食糧確保に出掛けた父母から離れて子供たちが都市部の闇市や鉄道駅に集まり、「コッチェビ」(花つばめ)と呼ばれる集団を築いている。また、ロシアやモンゴルでは、極寒の冬を生き延びるために温水管が張り巡らされたマンホールの中に住み着く子供たちがいるし、バングラデシュの首都ダッカには33万人以上、ルーマニアの首都ブカレストには数千から1万人もの、プノンペン ストゥンミーンチェイ郡にあるゴミ山の傍には2千人の、そして、フィリピンのパヤタスのゴミ捨て場で、さらに、インドでも、ストリート・チルドレンがスラム街に暮らしている。
現在、国連の推定では、世界中にストリートチルドレンは1億人以上としている。日本でも、第二次世界大戦後、「戦争孤児」たちが身寄りのない「浮浪児」として都会の底辺を這いまわっていた。

この映画の物語の舞台となるヨハネスブルグには、近代的な高層ビルが立ち並び、白人や一部の裕福な黒人たちは豪華な高級住宅街で何不自由ない生活を送っている。一方で、貧しい人々が暮らすスラム街では砂ぼこりが舞い、ストリート・チルドレンが土管の中で生活している。
主人公の名はツォツィ。3人の仲間と満員の電車に乗り込み、スーツ姿の男を取り囲んで金を脅し取ろうとする。ところが、声を出されそうになった拍子に、仲間の1人がアイスピックで腹部を刺し貫いてしまう。平然と行われる殺人は、日常茶飯事のことなのだろうか。無表情のツォツィの顔の奥にはどれだけ残忍なものが潜んでいるのかと思えてくる。

ストリート・チルドレンは多くの大都市に存在するのだが、彼らは単に貧しい生活から逃れるためだけでなく、両親の離婚や暴力など家庭内の問題が原因で故郷の村を離れて、心の傷をかかえたまま路上で生活を送っていることが多い。そして、彼らの生活は、小商い、荷運び、靴磨き、ごみ拾い、売春など不当に低い賃金での長時間労働でなんとか成り立っている。その暮らしは、路上で生活しているため、所持していた現金を夜眠っている間に盗まれたり、不衛生な環境のために病気になったりするなど絶えず危険にさらされている。もちろん、学校には通っていないことがほとんどだ。
路上に生きる女の子たちは、ある年齢を境に売春に関わっていく。父親がいなかったり、父親がいたとしても家族を支えるだけの収入がなかったり、そんな状況におかれた女の子の多くが自分の体を売って金を稼いで来いと自分の親に強要される。そして、客側は後の事を考慮せずにことに及ぶためコンドームを使用せず、加えて売春している子供らも貧しさからコンドームを購入できないという事情もあり、これもがエイズの問題を拡大させている。
それでも、ストリートでの生活は、初めて味わう「自由」を彼らにもたらす。誰にも邪魔されない生活は、彼らにとって本当に素晴らしいといえるものだ。食べ物を分かち、身を寄せあって寝た仲間との間に育つ友情。家や仕事場で感じた苦しみや心の痛みは、仲間と目的もなく歩き回るときだけは忘れることができる。

とにかく、食べるために彼らは働かざるを得ない。仲間と一緒に盗みもするだろう。盗んだ野菜や果物を別の場所で売る。・・・・・・麻薬も売る。彼らは自分が稼ぐ以外にストリートでは生き残る道がないことを知っている。家族の元へは絶対に戻らない。両親、兄弟、だれも彼らのことを引き取りたくないどころか、家族として認めもしない。そんな愛情のかけらもない場所に戻って一体何になるんだ。

ストリート・チルドレンがなぜ生れているのだろうか。
南アフリカはその典型だろう。先進国の資本による大規模な農園が各地に生まれる一方で、土地を共有しながらそれぞれが自営の農民であった古来の社会は崩れて、人々は地主の土地を耕作する小作農または農業労働者になっていく。ここに現代の「貧困」の原点がある。ひとにぎりのエリートと大多数の貧困層からなる社会。アジア・アフリカの各国に共通する植民地時代の土地所有関係が基盤になっている。
加えて、近代化は、農業などの第一次産業から工業などの第二次産業への移行を伴い、農業生産の効率化により人々が農村から都市に流れ、工業化を支える労働力となるはずなのだが、実際にはそうなっていない。教育を受けていないことが問題なのだ。
都市においても同じだ。農村からやって来た大量の人口を吸収できるだけの雇用が都市にはない。しかも、南アでは、1994年の民主化(アパルトヘイト撤廃による史上初の全人種参加の選挙実施)以降、公的部門の民営化により20万人以上の雇用が失われた。社会的サービスの民営化は貧困層の生活を直撃する。利益優先のため、貧困層へのサービスは切り捨てられるのだ。
その上、多くの発展途上の大都市では、人口の増加にも関わらず雇用条件や住宅環境など都市の環境が整っていない。この環境の不備が都市の周辺に拡がるスラムを生み出し、そしてストリートでインフォーマルな仕事につく子どもを生みだしている。多くの場合に、スラムに住む人々のうちのほとんどは農村、漁村から移り住んできた人々なのだ。

日本の人口に匹敵する数のストリート・チルドレンたち。近代化すればするほど、その数は増大する。根は深い。せめて、盗みでも何でも良い。あぶく銭を手に入れたストリート・チルドレンたちが、この映画を見て何かを感じ取って欲しいと思う。そうでなければ、ぼくらがやっていることは、安全な檻の外から中にいる彼らを覗き見ているに等しい。ちょうど、臓器を求めて、子どもや若者たちを物色している死の商人のように。


郷愁の道

2008-05-24 23:48:24 | 遠野(岩手)


遠野の道には、今ではほとんど見ることがなくなった風景が、今もごく普通に広がっていた。河童淵は、小さな澄んだ川だった。川の流れは緩やかで、あたり涼しさを広げていた。子供の頃にハヤを釣って遊んだ遠い記憶。今では見ることの出来ない景色。
この淵には太郎という河童が住んでいて、この場所に洗濯に来る女性達に悪戯をしていたらしい。エッチな河童を想像。

現代の旅人は、遠野になにを求めて訪れ、何を得て帰って行くのだろうか。早池峰山へ登る古道の入口に立っている鳥居。2本の柱の上の笠木はすでになく貫だけが残されて、それでも風雪に耐えている。
遠野物語にある『恋愛成就』祈願の場としてよく知られている「卯子酉(うねどり)様」。
「遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願をかけると、不思議に男女の遠が結ばれた。また信心のものには、時々淵の主が姿を見せたともいっている。」
境内の木々やロープに結ばれている赤い布は縁結びの願掛けで、左手だけを使い結ぶことができると縁が結ばれると言われている。

その他はただ青き山と原野なり・・・・・・ 








バロンダンス

2008-05-24 22:49:26 | 日記

クシマンにあるCV. CATUR EKA BUDHI。50,000ルピア。バロンダンスを観るには観たのだが、印象がほとんどない。バロンダンスは善と悪の戦いの物語を表しているらしい。しかし、本編が始まる前の歓迎の踊りを、数分間、見たところで飽きた。強いて印象を言うなら、空いていたぼくの目の前の席に、上背の高いオージーの中年女が途中から座り、後ろの人たちの視界を遮ってデジカメの写真を狂ったように撮りまくっていたことだ。傍若無人なカメラ小僧は、日本人と中国人の特徴と思っていたのだが、それを凌駕するほどの、田舎者のオージー女の激写。時代は変化しつつある。
「善と悪とがどちらの勝利もないまま、いつまでも同時に存在し続けているというバリの二元論的な思想。バロンとランダの戦いは永遠に続き、ランダにかけられた魔法をバロンによって解かれた使徒たちは最後に胸にナイフ(クリス)を突き立てるが、それでも死ぬことすらできない・・・・・・」
所詮、古典芸能。踊り手にそれなりの意思がなければ、こちらには何も伝わらない。それでも、後ろで観ていた中年の日本人の客たちは、渡されたリーフレットをもとにダンスのストーリーを熱く語りあっていた。ところで、彼らは、たとえばこのダンスが90分も続くとしたら、最後まで飽きずに見終えることができるのだろうか。
ブレークダンスなど、観客を喜ばせるような見せる要素を入れたのなら、まだマシだったかもしれない。ただ、古代から受け継がれた伝統芸能に対して失礼な話ではあるのだが。

一つだけ言うのなら、きらびやかなガムランの音と、目をカッと見開いたまま独特のしぐさで踊るレゴンダンス。ああした、スローなしぐさと、瞬きを止めた流し目は、恐らく、踊り手をトランス状態に導くことになるのだろう。事実、踊り手と目が合っても、彼女たちにはこちらに対する意識がない。つまりは、何も見てはいない。
トランス状態をシータ波が支配する脳波と仮定するのなら、踊り手は心理的に顕在意識と潜在意識との間にある障壁が取り除かれた霊的な別次元の状態になる。顕在意識が取り除かれば、サルのような、あるいは、トリのようなしぐさが現れてもおかしくはない。したがって、こうしたトランス状態へ誘い込む踊りが、宗教的な行事と結びつくのは当然のことなのかもしれない。

「難解な古典芸能だね。だけど、途中からストーリーが追えなくなってしまって・・・・・・」
プナに感想を聞かれてそう答えると、プナはもっともだと言う顔でうなずいた。そう簡単にわかるものかというところか。
だが、彼は続けた。
「神様への奉納舞踊には、いく種もの種類があって、それを踊る時、踊り手のみならず観衆にも”神が来る”ことがある。
神は何の前触れもなく、時には、同時に何人もの人にやってくる。男でも女でも、神が訪れた人々は、踊り、叫び、走りまわる。
そして司祭から聖水をかけてもらい、ようやく神から解き放たれるんだ・・・・・・」
彼が言う「神が来る (God comes)」の意味は、おそらく、線香と香りとガムランの響きの中、ゆったりとした動きの奉納舞踏を長時間見ていると、観客もトランス状態になることがあるということなのだろう。地元の人たちの、極度に緊張した精神状態での観劇。
神と合体して会話し、自ら神として行動する霊的な状態にならしめる。さらに、霊的に強い聖獣バロンや魔女ランダを演じる者は、必ず、踊る前とあとには、悪霊にのり移られないようにお祈りを欠かさないらしい。
彼の真剣な顔つきに、ぼくはバリの宗教儀礼の奥深さをかいま見たような気がした。恐るべし、バロン。あの、ぼくの前の席で狂ったようにシャッターを切り続けていたオージー女には、・・・・・・”神が来ていた”のかもしれない。
                   
耳に残るガムランの響きには、この地から黒潮にのり島々を経由しながら、日本へ渡った祖先もいたであろうことを考えさせられた。バリ音楽の音階は、沖縄の音楽と同じくハ・ホ・ヘ・ト・ロの五つの音を使う。そして、日本の和音階も五つの音で構成されるのだが、陽音階はハ・ニ・ホ・ト・イ、陰音階はイ・ロ・ハ・ホ・ヘで、沖縄やバリの音階とは異なる。古来の日本は、たしかに混血文化なのだ。



サヌールの海岸

2008-05-23 23:08:04 | 日記

約束の9時よりも15分前にホテルのロビー行くと、ドライバーのプナはすぐにやってきた。昨日の車とは違い、丸っこいデザインのTOYOTAの2ボックスカー(Yaris)。バリで走っている車の90%は日本車だが、日産キューブのような角ばったデザインの車は少ない。インドネシアでは、丸い形の車が流行っているのかもしれない。
とりあえず、彼と日程の打ち合わせ。今日、見たいものは、サヌールの海岸、ウブドの町並み、バロンダンスとケチャダンスの伝統芸能、ウルワツ寺院。盛りだくさんの予定だが、彼が言うには時間的に問題ないとのこと。
エアコンを止めてもらって窓を全開に。そして、車を走らせサヌール海岸へ。

交差点を渡り、その看板の下をくぐると、道の両側に小さないろんな店が建ち並んでいた。海岸へ続く道の突き当たりに車を止めて、松葉杖で砂浜へ。風は海から陸へわずかに吹いていたが、鏡のような静かな海だった。見渡す限りのインド洋を堪能。
サンゴの白砂の海岸はきれいに掃除されていて、タバコの吸殻はもちろん、目に付くようなごみは全く落ちていない。多くの人々が、この景観を維持するため努力しているのだ。感謝。温暖化の影響で海岸の浸食がだいぶ進行しているというのだが、日本政府の援助で砂が流出しないように護岸整備がされているらしい。そうした努力のおかげで、外洋に面した海岸を潮風を受けながら、のんびりと気持ちよく散歩することができる。

遠くの沖を木造船がゆっくり走っていく。サヌールは、バリの中で最も古くからビーチリゾートとしての開発が始まったところだが、とうの昔に珊瑚は死滅していてダイビングには向かない。だが、サヌールの北の方なら、雨期は東からのうねりでリーフブレークのいい波が立つらしく、サーフィンのポイントとして有名のようだ。

まだ朝早い海岸には、ほとんど人がいなかった。ちょうど朝食の時間帯で、日の出を参拝した人たちが帰って、海辺で遊ぶ人達が出てくる狭間の時間帯なのかもしれない。松葉杖で砂浜をしばらく歩いていく。早々と店を開けたおみやげ売りが声を掛けてくる。このまま海を横目に、ずっと歩き続けたいのだが、その気持ちをなんとか振り切り地元の人と談笑しているプナの元へ。今日は予定が盛りだくさんなのだ。
お土産売りの店で、プナの分も合わせて2本のミネラルウォーターのボトルを買う。1本100円。ホテルの冷蔵庫で、無駄に冷やされたミネラルウォーターは絶対に買う気がしないが、ビーチを綺麗にしてくれているビーチボーイのおじさんなら、多少、高くても気にならない。っていうか、砂浜を平気で汚すようなマナーの悪い日本人や韓国の観光客には、思いっきりボって欲しいと思う。日本人プライス。当然のことだ。その値段を値切るようなヤツらは、まだ頭が幼稚なのだとあざ笑えばよい。
海に向かう道の突端にあった道祖神には、誰が供えてくれたのであろうチャナンが置かれていた。ぼくは、美しいバリニーズの娘がチャナンを供えてお祈りしているのを思い浮かべていた・・・・・・。