tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

6.貧しさの中で

2006-10-31 22:14:25 | 日記

ジーコについての情報をもとにあの試合を振り返り、真相を追ってみる。
本名、「アルツール・アンツネス・コインブラ」。ペレと同じく、”ジーコ”は本名ではない。南米では、名前が長かったり、同じ名前が多かったりすることから、本名ではなくニックネームで選手登録することが多い。ジーコの他に、ブラジルのフラメンゴ時代や代表時代、また鹿島アントラーズ時代の選手・関係者間ではガーロ(galo)というニックネームで呼ばれている。その意味は雄鶏で、フィールドの真ん中に堂々と君臨する雄々しい様と、試合中に興奮して叫ぶ声の高さから来ていると思われる。

父がプロのゴールキーパー、3人の兄も皆プロサッカー選手というサッカー家族の中で育ち、幼い頃からストリートのクラブでサッカーに明け暮れる毎日。彼は13歳で狭き門を勝ち残り、リオの強豪チーム、フラメンゴのユースにテスト入団した。当時の彼の実家は貧しかった。ジーコの自宅があるキンチーノから、フラメンゴの練習場があるガビアまで、バスで2時間かかったが、「毎日の交通費と食費の問題だった。仕立て屋の収入だけでは、練習場に行く私の往復のバス代さえ、家計の大きな負担となっていた」と、ジーコは自伝の中でこう書いている。(to be continued)

♪人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ 
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンを かけてゆく
人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ♪ byユーミン


5.弁明

2006-10-30 20:44:31 | 日記

調べてみると、この事件以降、2~3の雑誌が記事にしたのみであった。それによれば、
「あんな不可解なジャッジで負けるのはどうしても許せなかった。行為自体は褒められたものでないし、十分に反省している。しかし、私がつばを吐いたのは、あのPKに対してだけではない。これまで鹿島に対して不利にはたらいてきたこと、審判の公平とレベルアップ、日本サッカーの発展のため、すべてに対して反発したかったのだ。
日本ではヴェルディ、マリノスといった人気チームばかりに有利なジャッジが下される。中でもヴェルディに対するものは目に余る。サッカー協会内部に、代表選手を多く抱えた人気チームを優勝させることが、Jリーグを盛り上げると考える勢力がある」
「25年に及ぶサッカー人生の中で、私は審判とのトラブルで一度も退場させられたことのない選手だということを、知っていてほしい。そんな選手が、なぜあんな行為に出たか、そのことをもっと深く考えてほしい」
とジーコは語っている。(to be continued)

♪人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ 
同じゼッケン 誰かがつけて
また次のシーズンを かけてゆく
人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ♪ byユーミン


秋の味覚

2006-10-29 16:22:51 | プチ放浪 山道編

コロラド州ボルダーは、デンバー国際空港からハイウエイ36を車で西へ約1時間、雄大なロッキー山脈の麓に位置する。スティーヴン・キング原作の映画shinningの舞台となった町である。女子マラソンのマドンナ高橋尚子選手が高地トレーニングを行っている場所と言った方がわかり易いだろうか?最近ではジョンベネちゃん事件で話題になった。
デンバー空港に、夏の夕刻前にアメリカンエアー機から降り立った僕は、空港のHertzレンタカーで、インターネットで予約していた一番安いクラスの車、グリーンのHundai Accentを借り出し、ボルダーのラマダ・インへ向かう。韓国製のこの車、乗り心地はフラットと言うよりはフワフワ感の方が強いが嫌な感じではない。静粛性もあるしフリーウェイを流すにはぴったりの小型車で、普通に運転している限り日本車とかわりは無い。コンソールには、4インチくらいの液晶が付いた簡易型のナビが付いているがおもちゃである。結局、空港のレンタカー屋でもらった地図に頼り、車に付いていたナビは1週間運転して一度も使わずじまいだった。

日没前にラマダ・インに到着。空気のせいか、夕焼けが複雑な階調でゆっくりと変化する。途中、交差点を曲がる度にハンドルのスイッチを押し間違えてワイパーをたびたび動かす。しまいには、左手のみの運転を心がけたが、それでも左ハンドル・右通行にはなかなか順応できない。
ラマダ・インへのアプローチにて、夕暮れのハイウエイの向こう側の空き地に野生の鹿がシルエットで浮かび上がっているのを見たような気がしたが、ジェットラグの影響で頭がうまく働かず、夢で見たのか現実だったのか今も定かでない。
その夜は、逆に夜中の2時に目がさえ、今度はいくら努力しても眠れない。結局朝まで眠れず寝不足のまま、次の日のハイクに参加することになった。コロラド大学主催の夏のワークショップ。その前日にGreen Mountain LoopsとFlagstaff Mountain Loopsへのハイキングが計画されていた。
朝8時にコロラド大学の集合場所で昼食の包みを受け取り、マイクロバスに乗り込む。メンバーはヨーロッパ勢は6名、アメリカ1名、インド1名、アジア2名である。ボルダーの町を抜けて車で2時間。目的のスタート地点に到着。現地のレンジャーの挨拶を受けて、いくつかのグループに別れ登り始める。こんな時、まずは使用する言語からグループができる。その後、年齢を手がかりにグループが再構成。僕はもう一人のアジア人を誘って、スペイン大学のグループへ。なぜなら、スペインの女の子がかわいかったから。もう一人の女性参加者はドイツから。正統派美人であるが、アジア人の見下したような冷たい目は近寄りがたい。

一向は、黙々と登山道をたどった。
有名なトレッキングコースらしく、途中、何人ものリュックを背負ったハイキング客とすれ違う。そのたびに「Hi!」、「Hello!」、「Howdy?」など声を掛け合う。登山道の真ん中に鹿の排泄物が落ちていたり、低木の常緑針葉樹の葉っぱが食いちぎられていたりで、野生動物がたくさん生息する気配に気づく。すれ違った人によれば、つい先日、大型の熊を目撃したそうだ。途中、休憩。トイレのため茂みに分け入ったドイツ野郎が、大きなきのこを手に戻ってくる。
「それマツタケっす。」
「日本では買うと1万円っす」
きのこを見た僕が説明する。15センチを超える大きさの立派なマツタケだった。
僕が言うが早いか、ホストのインド人の教授がマツタケのかさの部分ちぎって口に入れる。「うんまい」。彼が日本に来た時、我が家の庭を案内して地植えのタイムやローズマリーなどのハーブを見せると、僕が説明の言葉を選んでいる内に口に入れた。たしかに、味わってみる方が理解が早い。さすがは、スパイスの国の人である。彼の「うんまい」の言葉に他の者も争って口に入れて味わう。「マツタケ」と断言したものの本当かどうか不安だった僕も、ひとかけらもらって食べてみる。「うまー!」。やや大味ではあるが、まぎれもなくマツタケだった。マツタケの味はヨーロッパ人にも好評のようだ。夕食にマツタケのバーベキューをと言う冗談が飛び出す。もちろん、レンジャーの目が光っているし、マナーの良い彼らは、自分の欲望のためにマツタケを探して盗るような恥ずべきまねはしない。山の物は動物のものと心得ている。我々アジア人が見習わなければ成らない点である。

昼食のお弁当の包みの中身は、ミックスサンドイッチとりんごとプレッツルとROOT BEER。BEERといってもノンアルコールである。これは、炭酸水に砂糖と数種類の植物の根の抽出物を加えたもので、非常に薬臭い。ROOT BEERを飲んでいたヨーロッパのグループから悲鳴が上がる。とにかく味が説明困難であるがまずいのだ。包みに入っている飲み物は人によって異なり、ROOT BEERはハズレらしい。ROOT BEERの味を無理に説明すれば、シナモンとか、はっかとか、しょうが系植物を砂糖で煮詰めたような味である。塩味のスナック菓子のプレッツルといいROOT BEERといい、アメリカ人の味覚はどうなっているんだ。

2000mを超える山道であるが、高度はさほど気にならない。むしろ、夕べの寝不足の方が影響が大きい。やや、足取りが重くなる。しかし、ヨーロッパ組みは元気。僕よりも10歳以上、年上なのにどんどん先を行く。彼らは4kmぐらいの距離であれば、努めて歩く。タクシーは使わない。日々、体を鍛えることを実践している。僕も、日本に帰ってから、彼らの真似をしてできるだけ歩くようになった。
空気が乾燥しているので、汗はほとんどかかない。デイパックを背負っている背中に、汗を感じる程度だ。ただし、日差しが強い。普段は、真夏でも帽子をかぶらない僕であるが、この時は空港で買った赤のナイキのキャップをかぶった。もっとも、この帽子を被ったのは、このトレッキングの時だけで、すぐに宿のベッドメーキングのメイドさんに、毎朝、新聞をこっそりとただでくれるお礼にあげてしまった。
「あと30分ぐらいで到着するよ。」
「30分たって、着かなかったらショックが大きいから、信用しない・・・」
フランスにも、軟弱な子がいる。みんなから遅れがちな彼を元気付け、ようやく出発点に帰着。

結局、1日中遊び歩いた我々は、夕方大学に戻り、夏休みの間入居者のいない女子寮の食堂を使って、食事。大学の寮なのでアルコールは禁止。隣に立地するインド人の教授の自宅へ招かれ、地ビール、ワインなどをたらふく飲む。夏の夕暮れ、スペインのかわいい女の子を相手に、お互いに不慣れな英語での会話をしながら飲むアメリカの地ビールは、たまらなくうまかった。

 


注文の少ない料理店

2006-10-28 21:18:49 | プチ放浪 都会編

昔のテニス仲間から連絡があり,数年ぶりにテニスコートに出かけた。
夕暮れまでゲームを楽しんだが,テニスに熱中していたころのボールへの予想(アンティシペーション)能力は全く失われており,ボールそのものに反応するだけなのでコートカバーリングが遅れ,試合ではボロボロだった。いいようにコートの外まで追い出され,走りまわされ,やられまくって,日没,ジ・エンド。
シャワーを浴びて着替えると,夕飯を食べに行こうと誘われた。
「パスタのおいしいお店があるのよ。マスターが変わった人だけど・・・」
ピアノの先生をしている彼女の言葉の最後の部分が気になったけれど,むちゃくちゃお腹が空いていたので2つ返事でOKする。映画「I am Sam」のミシェル・ファイファーに似たの感じの彼女は,若かりし頃とほとんど変わっていない。身長の半分はある長く形の良い足のラインを,ナイキのウォームアップスーツに浮かび上がらせている。長いまつげの奥で,いたずらっぽい目がいつも笑っていて素敵だ。
街中にあるこじんまりとして赤い壁が印象的なその店は,イタリアの映画に出てきそうな内装で落ち着ける感じの店だった。
メニューには日本語で「秋鮭のほうれん草入りスパゲッティ いくら添え クリームソース」など書いてあり,どんな料理なのか分かりやすく好感が持てる。

スパゲッティと言えば,映画「グレート・ブルー」を思い出す。フリー・ダイビングの記録保持者であった主人公のジャック・マイヨールは親日家で,日本にも住んでいたことがある。88年に公開されたこの映画は,その後,ロングバージョンの「グラン・ブルー」に変わり,松任谷由実やマスコミなどに熱狂的に支持されたことから大ブレークしたので観た人も多いだろう。
ジャックの晩年は,うつ病に悩まされていたらしい。不幸な最後を遂げている。彼に関する記述は,九州の唐津に住んでいたこともあって非常に多いが,彼の内面に迫るものはなかなか見つからない。彼の生き方は僕のとって興味深く,いつか,彼の足跡を追って見たいと考えている。

映画では,大人になったジャックが,イタリアのタオルミーナ岬で開催されたフリー・ダイビングの大会で幼友達のエンゾと久しぶりの再会をし,岬の突端にあるホテルのレストランでパスタを食べながら懐かしんで語り合う。その時注文したのはボンゴレ・ビアンコ。エンゾがパスタを食べていると,一緒に宿泊中の彼の母親が顔を出す。「家以外でパスタを食えば母親に殺される」とエンゾは,ジャックの連れでイルカにどことなく似た顔立ちの可愛い女性ジャーナリストのジョアンナに皿を押し付ける。イタリアではパスタは家庭の味。母親に外で食べている姿を見せたくなかったのだね。ある意味マザコンであるが,母親を見てあわてている様子が微笑ましい。そのうちジョアンナが注文したパスタが届き,彼女はにっこり笑って2皿目のパスタをほうばる。彼女もいい人なんだよね。

さて,とってもおなかの空いていた僕は,その店で2皿目のパスタを注文する。今度はあっさりとした,バジルとおろしチーズのパスタ。映画「マーサ幸せのレシピ」で「ちょっとくらいならいいけど、全部食うなよ、オレんだから」って言ってたやつ。注文したら,店の主人からさっそく怒られた。その店は,客が入ってきたと同時に,その人数に合わせてパスタをゆでるらしい。したがって,2皿目を注文されるとゆで上がったパスタの量の計算が狂っちまうとのこと。そう言えば,使っているパスタはソースが変わっても太さは1種類のみであった。まあ,職人さんには気持ち良く仕事してもらった方が,こちらとしても良い。
ということで,パスタのおかわりはあきらめて,じぶんちでパスタを料理。缶詰のトマトに,にんにく,ピーマンをぶち込み,ブレンドミキサーへ。これにアサリを加えて塩コショウして加熱しソースの完成。デュラムセモリナ粉に薄力粉を適当にまぜ,水と卵を入れてホームベーカーリーで生地作り。パスタマシンでテーブルの上を粉だらけにしながらも,生パスタを製麺。これをゆでて,ボンゴレ・ロッソの完成。ところで,生パスタではどうやってゆでてもアルデンテには成らないぞ。

 


4.そしてタブーに

2006-10-27 20:22:07 | 日記

試合後、ジーコはプレスにまくし立てた。
「レフェリーが川崎のユニホームを着ているようなものだ。あの反則でPKはないだろう」。「ボールへ寄ったのは、ひとつのジョークさ」・・・。
そして日本中の非難を浴びることになった。
「あれは審判に対するジーコの抗議だ」。「レベルの低い日本サッカーへの侮辱だ」。
そんな声もサッカー経験者から多く聞かれた。いまでも憤りを忘れないサッカーファンは多い。当時チェアマンだった日本サッカー協会川淵会長は「日本で一番怒った」とその年のオフに話している。
そして、このジーコの事件はこれ以降、タブーになっている。川淵会長がジーコを日本代表監督に決めてから、そしてジーコが日本代表監督を退いた今でも、関係者はその事件に触れるのを回避する。(to be continued)

♪歓声よりも長く
興奮よりも速く 走ろうとしていた あなたを
少しでもわかりたいから♪ byユーミン