tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

東京ウェーデルン(6)

2007-02-28 20:04:50 | プチ放浪 山道編
思い出したくも無い嫌な思い出の一つである。突風のような地吹雪でリフトが止まったのだった。下から吹き上げてくる地吹雪に凍えて思わず身をよじったところ、ウエアが簡単にすべり、むき出しのプラスチック製のリフトの座席から落ちて両手でぶら下がる格好となった。下は整地されたゲレンデである。しばらく、座席にしがみついていたが、どうなるものではない。リフトの高さが3mぐらいだから、うまく着地すればケガをしないだろう。
幼い頃に見た若大将という映画のシリーズには、シングルリフトからスキーヤーが次々に飛び降りてスキーをするシーンがあった。その当時の映像は、今で言うエクストリーム・スキーのノリだったのだろうか。もちろん、リフトから飛び降りれば、搬機が揺れて他のスキーヤーが転落しかねないので、今は厳重に禁止されている。考えてみれば、もともと、スキーは山男のスポーツであり、女性と一緒に楽しむようなスポーツではなかったのかもしれない。スキーへの単独行も、今よりは市民権を得ていたはずだ。♪娘さん良く聞けよ 山男にゃほれるなよ・・・。♪遭難まではしなくても、今のような安全なビンディングシステムのなかったその昔は、スキーヤーには骨折や捻挫と常に隣りあわせだった。さらに、整地されていないゲレンデで起こる雪崩れなど、ある意味、命をかけてスキーをしていたと言っても過言ではない。その意味で、スキーをするような山男は、いつまでも夢を追いかけている大人になりきれない男たちだったと言える。
・・・リフトからぶら下がっていたぼくは、リフトが動き出す前に意を決して、しがみついていた座席から手を離した。リフトで飛び降りれる場所はそこしかなく、さらに上に行けばネットを張ったもっと深い谷底に落ちてしまうことになる。ゲレンデへの着地はジャンプの選手のようにぴたりと決まり、何事も無かったようにぼくは滑り出した。まるで、昔見た映画のようにだ。・・・ただ、座席に片方の手袋が引っかかって、ポールといっしょに座席に取り残されてしまった・・・。前の席に座っていた会社の同僚は、地吹雪で止まったリフトの後ろで起こったぼくの転落事故が分からなかったらしい。ただ、リフトが大きく揺れたこと、リフトから降りるときに、後ろの席に乗ったはずのぼくの姿が見えずに、そのかわり片方の手袋とポールが引っかかっていたので、いったいどうしたんだろうと思ったらしい。この時、ゲレンデの正面にあるレストハウスの一角のミニFM局のスタジオの女性は、ぼくがリフトからぶら下がってそして転落するまでの間、無言になっていた。リフトの支柱に取り付けられたスピーカーから聞こえる彼女の声がしばらく途切れたのだった。きっと、スタジオの窓越しに吹雪の中で止まったリフトを見て、そしてリフトから落ちたぼくを見て、彼女はスタジオの中でオロオロしていたのかもしれない。平成元年2月24日大喪の礼の日のことだった。国民がこぞって弔意を表するなか、ぼく達はスキーをしていたのだった。

東京ウェーデルン(5)

2007-02-27 20:21:22 | プチ放浪 山道編
志賀高原は十数年前に、当時通っていたテニスクラブの仲間たちと新幹線で行ったのが最後だったように記憶している。その時も、2月のことだった。着いたその日は大雪で、ゲレンデはホワイトアウトの状態だった。湿った深雪にスキーをとられて、滑走中に転倒するスキーヤーが続出していた。転んだスキーヤーを避けてゲレンデに止まっていると、上から何人ものスキーヤーが転がりながら降ちてくる。油断していたら、不意に後ろから転倒したスキーヤーがまともにぶつかって来た。頭に強い衝撃を感じるとともに、ぼくはゲレンデに跳ね飛ばされてしまった。幸い、帽子をかぶっていたためスキーのエッジで頭を切るのは避けられたが、運が悪ければ頚椎捻挫なり切創なり重傷を負うところだった。視界が悪いにもかかわらず、スピードを控えるなどのケアをしないスキーヤーのマナーの悪さに強い怒りを覚えるとともに、あこがれの志賀高原の名門コースであるジャイアントコースに迷い込む初心者スキーヤーがとてつもなく多いことに悲しみを感じていた。そう、十数年前の当時は、悪天候であれスキー場には人が多すぎて溢れかえっていた。ゲレンデのほとんどのコブの頂上にスキーヤーが立っており、それを避けるためコース取りに苦労をした時代だった。そして、当時のスキー・バブルは各地のスキー場のインフラを充実させた。その後、バブルが破裂しスキー人口は減少したが、インフラはまだ残っているのでそういう意味ではスキーをする環境は以前よりも向上したと言えるのかもしれない。
志賀はいま、長い長い冬の真っ只中である。12月の初冠雪、そして5月末の雪解。例年、12月中旬から4月の中旬まで、白銀の世界となる志賀高原一帯であるが、今年は暖冬で比較的積雪が少ないらしい。ハイシーズンの2月に入っても、昨日まではずっーと天気が良く暖かい日が続いていたようだ。ぼくは、ゲレンデのそばの宿に行くと、先週送ってあったスキーと荷物を受け取り、さっそくスキーウエアに着替えた。今回のウエアは、これまた10数年前の薄めのモスグリーンのelesseのワンピース。ぼくは、当時このウエアを着ていて、会社の仲間と行った会津高原たかつえスキー場で、搭乗中のシングルリフトから3m下のゲレンデに落っこちたことがあった。最近、そのスキー場には行っていないので今はどうか知らないが、その当時は、シングルリフトの搬器に転落防止用のバーが付いていなかった。また、ゴアテックスのウエアは雪をはじいてよく滑った。そんなことが重なって、ぼくはリフトから転落して3m下のゲレンデに落っこちた。


東京ウェーデルン(4)

2007-02-26 20:34:57 | プチ放浪 山道編
スキーバスの中の蒸し暑さと窓の隙間から入ってくる冷気。眠れないリクライニングシートで、ぼくは曇った窓を拭いて暗い外の景色を眺めながら、MP3プレーヤーの音楽を聴いていた。「松居慶子 DEEP BLUE」。2001年5月に発表、8月にはビルボード誌のコンテンポラリー・ジャズ・チャートで1位にランクされたこのアルバムは、バブル経済崩壊後の空白の十年により生じた虚無感に苦しんでいた頃の孤独を癒してくれた一枚だった。特に、1曲目のアルバムタイトルにもなっているDeep Blueには泣かされた。この曲は地中海の青をイメージしたものという。心に残る美しいメロディが印象的な曲だ。いつもなら、スキーに出かける時は、ユーミンの「サーフ天国・スキー天国」がぼくの定番だった。1987年に公開された映画「私をスキーに連れてって」のオープニングで使われた曲。エンジンを掛け、スモールランプを点灯。おもむろにカセットを取り出し、カーステレオにセットする。さあ、出発だ。流れ出すイントロと同時に、カローラIIのリトラクタブル・ヘッドライトが開く。その当時は、この映画のオープニングに魅了されていた。何度見ても、あのスキーへ行く前の静かな興奮があますところなく伝わってくる。しかし、今回はいつもと違い、一人でスキーへ行くことを選択した。しかも、過去に1度しか経験のないスキーバスでの志賀高原へのアクセスだった。見知らぬ若者達に混ざってバスの中で一人という孤独な状況をいやすため、選んだアルバムの一つがこれだった。
途中、3時間ぐらいおきにトイレ休憩をはさみ、バスは志賀高原への道をひた走った。バスは、碓氷峠の途中でチェーン脱着するが、バスを停めてチェーンを巻いてスタートするのに2-3分しかかからない。ベテランらしいドライバーのその機敏さに感激した。碓氷峠といえば、定番の峠の釜めし「おぎのや」。長野新幹線ができて横川駅に停車することがなくなったため、駅で弁当を買い求めたのは過ぎ去った昔のこととなってしまった。益子焼のやや重い容器の思い出とともに、当時のことがフラッシュバックしてなつかしさがこみ上げてきた。おぎのやの前では、駐車場に入るバスが順番待ちのために渋滞していた。スキーバスの夜行便は、長野まで都内から高速がつながってアクセスが簡単になった今でも、こうして一部区間を一般道を通ることにより経費を節約しているようだ。横川のドライブインを出るとやがて軽井沢だ。窓の外に暗闇の中、車のライトを反射する白銀の世界が見える。空から大粒の雪が、風に舞いながら降っていて止みそうも無い。峠を抜けてバスが長野に入った時、ぼくはようやく疲れて眠りに入った。
気がつくと、夜が白々明けていた。一晩中風雪は続いたようで、朝の段階でもまだ雪止まず。 しかし、ちらほら青空も覗きはじめてどうやら天候は回復に向かいそうだった。早朝にバスの車窓からみた真っ白な雪景色。志賀の玄関口サンバレーの正面ゲレンデが目にはいると、今日は頑張るぞ~と気合いが入ってきた。

東京ウェーデルン(3)

2007-02-25 21:25:15 | プチ放浪 山道編
秋葉原はぼくらの世代では、中古あるいはパソコンのパーツを買うスポットというイメージがあったが、現在は新しいオフィスビルが建つIT産業の拠点となりつつある。つまり、雑多なゴミゴミした街から“新ビル”に見ることができるような近未来的な街に変貌を遂げつつある。もう数年もすれば、フィギュアやプラモデル等のオタクアイテムをチェックするために秋葉原に通っているオタクたちが、「あー昔アキバってあんなだったよね。懐かしいよね」なんて言うようになるにちがいない。最近の都会の変化は急速で、目を見張るものがある。うかうかしていると時代の変化に取り残されそうだった。そうしているうちにバスが到着。バスに乗り込み、いよいよ出発だ。スキーのハイシーズンでしかも3連休の前夜ということもあり、バスの座席は満席だった。若者のグループに混ざって、子供を連れた家族連れが何組か乗ってきた。大きなラゲージを抱え派手なスキーウエアに身を包んだ乗客たちの中に混ざって、セーターとスラックスにモスグリーンのアウタージャケットを着込んで、手にはディパック一つだけの身軽な格好のぼくは、まわりの雰囲気から完全に浮いていた。自分でも場違いな所に来てしまったような感じを覚える。他の乗客も、ぼくのことをスキー客ではなく帰省客とでも思っているのかもしれない。
定刻の午後10時30分、バスはターミナルを出発した。練馬インターから関越道(藤岡)を経由して国道18号で途中休憩を挟みながら長野まで。バスはそこから明早朝、長野県志賀高原のスキー場に到着する予定である。ぼくは久しぶりに学生時代に戻ったように心が弾んだ。ここまでくれば、仕事を完全に忘れて、日常生活から切り離される。明日から雪原の銀世界を滑りまくると思うだけで心が躍った。日頃のストレスも、いやな人間関係も、日常性の枠の中で行動していることから発している。銀世界は、こうした日常性から完全に切り離してくれる。たとえそれが一時の錯覚であったとしても、心が限りなく自由になれる。乗り合わせたの乗客たちは、賑やかに談笑してすでに心ここにあらずといった感じだ。その中に混ざって、ぼくを含めたヒトリスト(単独のスキーヤーたち)は明日に備えて早くも眠り始めている。バスは光があふれる電飾の街アキバを後にした。

東京ウェーデルン(2)

2007-02-24 22:25:28 | プチ放浪 山道編
2月9日の金曜日の夕方、会社を定時に終えてロッカーで私服に着替えると、ぼくはいつもの帰宅方向とは逆の都心に向かう電車に乗りこんだ。スーツは会社のロッカーに連休明けまで置きっぱなしだ。背中に背負ったディバッグには、ポータブルのMP3プレーヤーとCASIOの電子辞書EX-word、沢木耕太郎著書の文庫本が一冊、携帯電話とカメラ、お菓子やカロリーメイトなどの軽食を詰め込んでいる。CASIOの電子辞書は、SDカードを経由してテキストファイルが読めるようになっており、ネットで落とした英語の記事などを読むのに使っている。知らない単語があれば、ボタン一つで意味を調べたり、ネイティブの発音が聞けたりと、いろいろ遊ぶことができるのでいつも持ち歩いているものだ。
秋葉原駅前22:30発の志賀高原丸池スキー場へ行くスキーバス。発車時間まではだいぶ時間があった。ぼくは東京駅の地下街で夕食を取ったあと、秋葉原へ電車で移動し中央通にあるインターネットカフェ「アイカフェ」で時間をつぶした。ここは会員制の24時間営業のネットカフェだが、身分証明書さえあればその場で会員になることができた。出先で手軽にネットに接続できるのはなにかと便利だ。金曜の夕刻のせいか、店内は得体の知れないオタクたちでこんでいた。そこは、ネットオタクたちの吹き溜まりみたいな場所だった。PCブースは3時間パックで1200円なり。Pentium4-2.8GBに17インチの液晶ディスプレイが使い放題である。ソフトドリンクは飲み放題だが、なにしろ、これから夜通し走るバスに乗ってスキーに行くので、トイレが心配で水分はあまりとらないことにした。念のため、パスワードや暗証番号の入力を必要とするサイトは利用しないことを原則に、あちこちのサイトを覗いているうちにようやく出発時間が近づいてきた。秋葉原の駅前に戻ると受付を済ませバスの到着を待った。