tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

aiko 花火

2011-09-28 22:52:27 | my favorite songs

 

♪夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
こんなに好きなんです 仕方ないんです
夏の星座にぶらさがって上から花火を見下ろして
涙を落として火を消した♪

仕事帰りに寄ったジムのプールで流れていた曲。
今はもういないジムの受付の子が好きだと言ってたっけ。。

眠りにつく前の瞬間は、大きな花火を夢見るのに、目が覚めればひどく悲しい。。
涙を落として火を消すしかない・・・。

♪三角の目をした羽ある天使が恋の知らせを聞いて 右腕にとまって目くばせをして
「疲れてるんならやめれば?」♪
♪そろったつま先 くずれた砂山 かじったリンゴの跡に 残るものは思い出のかけら♪

夏が過ぎれば恋が終わるなんてだれが決めたんだ
 
♪胸ん中で何度も誓ってきた言葉がうわっと飛んでく 「1mmだって忘れない」と♪

・・・っつうことで、
真っ赤なマニキュアがとても似合ってたaiko好きに。。

夏の終わりの夜の海辺で、aikoを聞きながら写真を撮ってた。
Bye Bye Bye・・・

      クリック
      ↓↓↓↓↓↓
      aiko 花火
 


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村


若けもんども、別れがつらい会うて別れがなけりゃいい

2011-09-27 23:25:24 | プチ放浪 海沿い編
  
  
  

江戸時代の人たちから、代々、継承されてきた伝統の祭り。
この日、大原市内は、道路があちこちで渋滞する。
神輿の村廻り。
村のお年寄りたちが、手を叩いて神輿を見てる。
あの人たちも若い頃に、いなせな格好をして神輿を担いだのだろうなあ。
・・・通りすがりの車の窓から見ていて、なんだか胸が熱くなってくる。。

大原の氏子の皆さん!
頭ん中は来年のマチんことでいっぱいでしょうが、
それまではこの写真で楽しんでください。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村  


はだか祭り_汐ふみ

2011-09-26 22:54:09 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 

大原の氏子の皆さん!
24にち~25日の朝までおつかれでした!
ホントにいいマチだったです。

祭唄。やれと~ 言われりゃ毎日やりますが

ほらやっさ♪ほらやっさ♪
御前~
何処行く、大原まちへ
祭り囃子のぇ~便り、キタ~

やっとこせ~
よ~いやな   ^^

遠く~
離れて逢いたい時は
月がよぉ鏡によぉなればよい~

浜の通りでの祭唄、涙でてきました。
マチが終わると2~3日は抜け殻みたいになりますよね。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村


遠野まつり 神々との共演

2011-09-25 21:19:11 | 遠野(岩手)

 
 

人気の民芸のもう一つ、遠野の神楽は、大出早池峰神楽(神人神楽)、山伏神楽、早池峰山伏神楽の2系統がある。大出早池峰神楽は拍子の遅い、女性的で優美な舞、山伏神楽は速いテンポで、荒々しく活発な舞だ。
仏の化身とされる鬼に似た面をかぶるのだが、鬼ではなく仏なので面には角はない。

この遠野の神楽は、大宝年間(701~704年)、修験道の祖である役小角が念仏とともに踊ったのが起源とも、大同年間(806~810年)に羽黒山の僧が、荒沢鬼渡大明神で大日如来の化身に伝授されたともいわれる。
踊り手は、胸当て、鎖帷子に赤いタスキをかけ、手平鉦、太鼓、笛の囃子方の曲目にあわせて舞い踊る。念仏剣舞の一種であり、邪気を払うための反閇と呼ばれる独特な足運びで舞う勇ましい神楽。衆生済度、悪魔退治のために行われるのだが、ビリーズブートキャンプも真っ青の炎天のもと相当な体力が要求される踊りだ。

さて、前置きはこれくらいとして、本題はなにゆえの神楽?
邪気を払うためと言ってしまえばそれで[終わりなのだが、炎天下に面に鬼着という重装備。相当の体力と精神力を求められる。それ故に、嘔吐を覚え、幕内で倒れ込む踊り手もいるという。
そういう窮地を見るにつけ、何が楽しくて舞っているのかと、端から見て不思議に思う時がある。

伝統としての重責に耐えているようにも見えるが、心の中では「鬼」と同化しつつある踊り手もいるのではないだろうか?つまり、昔、山伏たちは我が道を歩まんと、母国から旅立っていった。すべては、大御神の意思に在りしと・・・。

上手に舞いたいといった自我にとらわれることなく、ひたすら自らの内なる世界へと深く入って行く。自分自身を追いこんで、伝説の鬼の生きざまを観客に魅せる時、踊り手の形相もその鬼面と同じくして「鬼」にとなっているように思えてならない。神々の心の叫びだ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
 


遠野まつり 神々の叫び

2011-09-24 22:20:29 | 遠野(岩手)

 
 

遠野のしし踊りは、幕をもって踊る幕踊り。
寛永4年、八戸より転封された南部直栄が、「南部ばやし」に引き続き、民芸に理解を示したのがこれ。

徳川秀忠が将軍職に就任するために上洛する際、関東・東北・甲信の諸大名をあわせて10万人規模の軍を率いた。それに南部直栄も宗家南部重直に従って従者を連れて参加。
その上洛途中の遠州掛川は秋祭りの最中だった。
さて、南部直栄の従者の駒木村海上の角助( 覚助)は、そこの土地のしし踊りに見入ってしまい、領主の行列一行とはぐれてしまう。その土地の踊りの師匠は、迷子になってしまった角助を弟子にして面倒を見る。その後、角助は練習に精進し踊りをすべてマスター。師匠は立派に成長した角助の幸せを願い、角助と2人で遠野に赴き、直栄に事の次第を述べ、平伏謝罪、許しを懇願。

民芸に理解のある直栄は、角助の罪を許して、その踊りを後世に伝えることにした。
こうして歌詞とその踊りや囃しの曲譜200余種は巻き物として遠野に伝わり、領内の神社の祭典などには、十教団体が競って出演・奉納するようになったのだ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村