久しぶりに通った川沿いの道。並木の桜のつぼみは、大きく膨らんで開花を待ちきれない様子。
衝撃だったのは、桜の向こうに広がっていたはずの小さな田んぼ。梅雨の前には、稲の葉にホタルが飛び交い、心が安らいだものだった。
その豊かな田んぼが転用され、太陽光発電設備が設置されていた。
田んぼを太陽光発電に転用することで、土地の固定資産税は増加する。稲作の労力を考えると、初期投資も含めて売電した方が賢い選択となるのだろう。
この先も、高齢化した多くの農家が、稲作をやめていくのかもしれない。
昨今の米価の高止まりは、どう考えても、減反政策の行き過ぎによるコメ不足が原因だ。消費量(必要量)を生産量をバランスさせ米の値段の安定化を図ってたら、米が不足してしまったという笑えない話。うまく天秤にかけたつもりで、片方がオーバーシュートしてしまう。プロでもよくやる間違いだ。
日本の米作はどこへ向かうのだろう。国民は「安いカルフォルニア米」を食べて、高級な味の良い「国産米」は海外へ輸出する。
考えてみれば、江戸のころ、お百姓さんたちは、自分の造った米は年貢として徴収され、「ヒエやアワ」を食べていた。歴史は繰り返すのだ。
「国産米」というプレミア品は、年貢として召し上げられる。
合理化を追求する日本の現実だ。