tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

必死になると不思議に心が通じるだよね。これってテレパシー?

2006-09-30 01:01:14 | プチ放浪 都会編

3年前,グランゼコルのひとつEcole des Mines de Paris(パリ高等鉱山学
校???)で開催された国際会議に出かけた時のこと。
自分が失業中であり,かつ,この時付いたスポンサーからの旅費が少なめだったこともあって,滞在費をできるだけ安くするため,泊まった宿から国際会議場の学校までは,毎日,メトロで通っていた。

パリのメトロは,日本と同じシステムである。自動販売機でチケットを購入し,切符を自動改札機に入れて刻印し,遊園地の入り口によくあるバーを押して中に入る。
各線の終着駅名の表示が通路の各曲り角に出ているので,その表示に従って歩くと目的のプラットホームへ出ることができる。
また,出るときも同様に切符を自動改札機に通してバーを押し外にでる。
車内が混雑している場合、ドア付近にある折りたたみの座席は使用しないなど,JRの電車のシステムと同じである。

数十年ぶりに訪れた花の都は,いわゆる人種的マイノリティで溢れていた。
事前に知人から情報を仕入れていたものの,メトロではその比率が高く驚いた。
駅構内や車内でのスリには注意。荷物には常に気を配り、なるべく人と接触しないようにとの知人のアドバイスにも,メトロ車内を見て素直にうなずけた。

さて,メトロに乗り始めた次の朝,改札機を抜けようと切符を入れてバーを押したところ,近くで小さな悲鳴が聞こえたような気がした。振り返ったものの,改札を待つ人の群れに特にいつもと変わったところが無かったので,不審に思いながらもホームに足を進めた。
ホームに着いたところで,後ろから

「"Monsieur le sot, qui est-ce qui vous a fait si hardy de le mettre l醇A??????"」


と声を掛けられた。見ると,年のころ二十歳前後のアフリカ移民系の若い男が怒った顔で立っている。その傍には,年老いたジプシー風の老婆が,なみだ目でこちらを見ていた。
先日引退したジダンを連想させる堀の深い顔立ちの若者は,こちらがフランス語が全く理解できないにも拘らず,さらに

「"Ce n'est pas ce que je vous dis encore, Monsieur le sot.????" ]
と問い詰めてくる。

こんな時,人間って不思議なもので,例え,全く知らない言語でも,なんとなく相手の言っていることが理解できるようになる。


「なんで,あんたは改札で他の人を通してあげないんだ?」


とフランス語?で言っているような気がした。
とりあえず,何が起こって,何で文句付けられてるのか判らないので
一応,「Sorry, I can not speak French」と返事をする。

すると,男は諦めたようにクビを振り,後ろに立つ老婆に自分の口を指差して
「こいつ,フランス語がダメなんだ・・・」
と説明したように見えた。

この出来事が気になったので,メトロを利用するときは,他の人がどのようにするのか注意をするようになった。改札を抜ける時になにか非常にまずいことをしたのかも知れない。
で,わかったのは,パリのメトロの自動改札は,笑ってしまうほど故障が多いこと。
刻印した切符でも,何度かは改札を通ることができること。
最後に,マイノリティなど弱小市民においてはキセルをするものが非常に多く,パリ市民はこれに寛容で,自分の切符を使って改札を通してあげることなどを学んだ。そして、僕は、あの時に改札でスタックしていたおばあさんを助けてあげられなかったことを深く恥じた。

所変われば,文化が変わる。マイノリティに席巻されつつあるパリは,また,違った文化を育てつつある。恐らくは,日本では生育することのない文化であろう。
そして,この僕も,壊れた改札機(壊れるのは切符の磁気記録?)で通れなくなった時に,僕の前を歩いていた若きパリジェンヌに改札を空けてもらった。
また,最終電車で通れなかった改札を,カラードの警官に通してもらったこともあった。
パリが抱えるマイノリティ市民の問題は,今後も,多く露見していくであろうが,みんなで助け合って生きていく姿に単純に感動した。

【 Don't think. Feel‥ 】      by BLUS LEE



切ないにゃあ

2006-09-30 00:52:49 | old good things
夕方,本屋から戻る途中,駅前のコーヒーショップへ立ち寄った。
コーヒーを飲んでいたら,店内を流れる有線で,ユーミンの「あの日に帰りたい」が流れ始めた。
店の喧騒は一瞬静まり,ほとんどの客が過去の思い出にトリップしたようだった。
久しぶりに聴くと,妙に切なくなってしまう。
ページをめくる指先をふと止めて,しばらく聞き入ってしまった。
ユーミンを夕暮れ時に聞くのは,やっていはいけないことなのだ。

泣きながらちぎった写真を
手のひらにつなげてみるの

、、、、、か。切ないにゃあ・・・・・。

"No, I am not a peeping Tom!.....

2006-09-28 20:07:54 | エッチ: よい子は立ち入り禁止

Peeping Tom:          

"A person who gets pleasure, especially sexual pleasure, from secretly watching others; a voyeur.
In an age when we can speak of peeping Tom cameras or electronic peeping
Toms
we have indeed come far from the time of the legendary peeping Tom.
Godgifu (fl. 1040‐1080), Lady Godiva to us, pledged her legendary ride as a
means of persuading her husband, Leofric, Earl of Mercia, to lower taxes.
In the original version of the story she was observed by all the townspeople as she disrobed, but in a much later version of the story a tailor or butcher named Tom was the only person to observe her as she rode by, everyone else having shuttered their windows as they had been asked."
Reference: The American Heritage® Dictionary of the English Language: Fourth Edition. 2000.


"No, I was not peeping you!....."
My desperate resistance was no use among the scoffing people.

This is the old story about thirty years ago when I was a student which happened one day during my first trip to Europe.
I stayed a cheep hotel during the trip for south of Spain. In those days, the exchange rate was about 300 Yen/US Dollar, and I took that trip with carrying a guide book of "ten Dollar stay for one day in Europe" in my backpack. Well, I found thus cheep inn which the  room charge was five dollars or so....
The guest rooms were filled to the capacity with about ten guests enjoying
their summer vacation.
The guests next of my room was a family, the middle-aged parents and a teenager daughter, they seemed to came from north part of Spain or France...I guess.....
There were three guest rooms in one floor and the end room was the bathroom.
Shower was not in each of the room, so we had to share that.
After got back from the sight seeing, I was going to the bathroom. The next moment when I tried to open the door of that bathroom, I was surprised at
the teenager daughter, she was just getting out from there.
...................She was without a stitch of clothes on.....................
Thus unexpected matter, I could do nothing but paralyze. At such the moment, European guy will apologize himself for his being there....
Afterwards, her father came out from their room, and brought me into derision.. "You peeped the bathroom? hahaha...."
Because of my few vocabulary in English, I only could say was "No. I was not peeping...No,..."

What should I do at such a moment? Must I apologize her?


                 


クラッシュ

2006-09-27 00:18:02 | cinema

えーと、あのう・・「あ・うん」の呼吸ってご存知です?でも、コミュニケーションなしに他人と理解し合うっていうのは、ぜったい無理でやんすよね。
だいたいは、外見で差別されて、本心が伝わらないままに諍いが起こっちまうでやんす。
でもね。アニメの「あらしのよるに」では、外見の壁を取っ払えば例え捕食の関係にあるオオカミとヤギでさえ真の友達になれるって・・いや~、いい映画ですよね・・ほんとに!

「あらしのよるに」に出てきたオオカミのキャラクターには、あこがれに近いものを覚えた。が,それは置いておいて・・・

いくつもの全く関係のないストーリーが、登場人物とつながって、物語が完結していくという構成の映画が増えてきたように思える。「クラッシュ」でも、一見バラバラな登場人物たちの人生が、思いもかけない形で交錯し、狂い始めていく様子が描かれている。
ぶつかりあう人間達。全く別々立場の人間が、それぞれ微妙に関係して人間ドラマが形成されている。生から死へ、愛から憎へ。連続的に繰り返されるいくつものドラマ。

中国の思想に曼荼羅の世界感があるが、まさにこの映画に表されているものはそれである。互いに、わずかづつでも影響しあって、人と人が必然的にクラッシュする場所、それが社会(人生)なのだとこの映画は伝えてくれる。

しかし、登場人物であるアジア人、アラブ人、アメリカ人等の自己主張はすさまじく,辟易させられる。
きっと、この自己主張の強さが米国の人種差別の根底にあるものと考えてしまう。

差別と言えば、学生時代に旅行したイギリスの地下鉄でのこと。がらがらの車両で、その車両には僕と、目の前に座る帽子をかぶりステッキを持ったステレオタイプの初老紳士の2人だけがいた。
くだんの紳士は、あたりをきょろきょろ見回し、僕以外、誰もいないことを確認すると、手に持っていたまるめた紙くずを座席の下に捨てたのである。
これを見て、彼を躊躇させた原因であろう行き届いた英国マナーに関心すると同時に、いくら東洋の若造であれ、目の前に座っている僕を人間として見なさない差別に愕然とする思いであった。
(まあ,この時も普通にクラッシュには至らなかったけど・・・)

 It's the sense of touch. In any real city, you walk, you know? You brush
past people, people bump into you. In L.A., nobody touches you. We're
always behind this metal and glass. I think we miss that touch so much,
that we crash into each other, just so we can feel something. (from Crash)

 



 


BAR(バール)に灯ともる頃

2006-09-25 21:14:52 | cinema

BAR(バール)に灯ともる頃というイタリア映画がある。
小さな港町に一人暮らしの息子を訪ねて、父親がはるばるローマからやってくるお話。
父子の間の微妙な心の揺れを絶妙なタッチで描いてあり、二人の心の動きが手に取るようにわかる。そして、面白いことに、父親および息子の両方の行動に同時に感情移入ができる。
やはり、涙がじわーとあふれて来てしまうのは最後のベタな場面である。こんな映画にじんわりくるのは、それなりにオヤジになってきたのかもしれない。

バールと言えば、学生時代にヨーロッパに一人旅した時の話。
アジア人など滅多に行かないスペインの片田舎のバールに夜遅く潜り込み、一人で夕食をとった。5人も入れば身動きできそうもない小さな店で、
陽気な店の主人と、飲んだくれのおっさんに混ざって、エスカルゴを注文した。
店の傍らに金網を張った木箱があり、なにやら細かいものがキャベツの中でぎっしり蠢いているのが見えた。

いやな予感がしたが、店で出てきたエスカルゴは、そいつだった。1cmぐらいの子供カタツムリが目と角を出し、ニンニクバターのソースに絡まれて、山盛りになっている。恐らくは数十匹はあると思われる。
小さなカタツムリのやや苦めの味はともかく、つまよう枝で身を取り出し口に入れようとすると、カタツムリの飛び出た角や目に、どうしても目が行ってしまう。
覚悟を決めて1~2匹を口に放り込むが、永遠に無くなりそうもない残りのエスカルゴにため息が出てきた。
小さい時に食べたドジョウ以来、苦手な食べ物の出現であった。

ポルトガルでは、大賑わいのバールで、みんなが注文している人気料理であろう煮込みを注文した。スプーンで大き目の塊を取り出してみると、それは,立派に爪がそのまま残るひづめ。勇気を出して口の中に放り込むが、ひづめの部分って、食べられる肉なんて付いてない。
地元の人が食べているのだから、食べても死ぬことはないと自分に言い聞かせながら食べていた。

いつかもう一度、バールを娘と二人でのんびりと訪れてみたい。

♪Barcelona・・・そのあとの住所も知らず
たどった坂の街は 輝く蜘蛛の糸
あの時胸焦がした 絵葉書それは
ただ一度送られた 心のしるし♪ by ユーミン