モンゴルに行って、日本語教師をしていた時期があった。生徒は私立校の中学生から高校生。生徒数は全体で100名程度。学年によって異なるが、生徒数はひとクラスが10人~20人程度だった。
日本語教師の資格を持ってないから、もぐりの教師だ。ボランティアの教師であっても、現地の人の職を奪うことになるので、教壇に立つのは違法就労。なので、モンゴルに対し有益と主張するも、滞在が許されたのは観光目的の30日。延長を申請して60日。。
モンゴルの少女・少年たちに日本語を教えていて、いろんなことを考え、そしていろんなことを学んだ。・・・教師って大変な仕事だ。
ちなみに、数学は優秀な教師たちがそろっており、高校生で日本の大学教養課程(微分積分や線形代数、確率統計、行列など)を生徒は学んでいる。
日本語に興味のない生徒たちに、どうやって日本語を教えるのか。同僚となったイギリスから来ていた英語教師と毎日、真剣に話をした。というか、モンゴル語ができないので、日々の会話は英語を話す一部の教師に限られるわけだが。。。
「理解が困難な話を聞いてもらう」。
中学生は遊びたい盛りだ。
英語で日本語授業をしようにも、こちらの話は聞いてくれない。声を大きくして、否が応でも英語・日本語が耳に届くようにする。。。というのは最低の選択だ。
理想は、すべての生徒が興味を持って積極的に聞いてくれる授業だ。しかし、凡人の僕にはできなかった。なぜ若き彼らが日本語を学ぶことが必要なのか。経済が縮小し、低所得・低い生活レベルに甘んじている日本だ。どこに日本語を教える意義がある?
「積極財政」を主張する経済学者たちも然り。興味を持たない一般大衆に声を届かせようと大声で叫ぶ。聴衆は、その大声を不快に感じ、その声を遠ざけようとする。最悪なのは、大衆を理解させようといろんな数字を持ち出すが、理解不能な数字はいくら積まれても理解は難しい。
・これまで30年にわたる日本の「緊縮財政」では、経済の縮小効果しかなかった。
・政権交代を契機に、「積極財政」を数年間、試験的に行い改善がみられなければ元に戻す(消費税を復活)。
でいいんじゃね?・・・スティーブ・ジョブズなみに。
ちなみに、モンゴルでの日本語教師は、何回か原因不明の発熱・下痢が続いた。コロナの最中だった。体力的・精神的に死ぬんじゃないかとの心細い思い。職を辞退して帰国した。日本語が通じない異国の地での教師。ムリゲーだった。そんなぼくが何かの話をしても、だれも聞かないのはまちがいない。