tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

パイの物語

2013-07-30 22:08:30 | cinema

 

先日、ネットのニュースを何気なく見ていて、台湾で不法残留となった39歳のチェコ籍の男性が、映画『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を真似て筏を自作して日本への渡航を試み、海上を漂流中、台湾海巡隊に救出されたとのニュースが目に留まった。

せっぱ詰まった理由があるせよ、さまよえる人生を切り開こうともがくチェコ人の行動力に乾杯だ。

さて、ライフ・オブ・パイは、カナダの作家のヤン・マーテルがブッカー賞を受賞した小説「パイの物語」をアン・リー監督が映像化した作品。
「グリーン・デスティニー」、「ブロークバック・マウンテン」など、アン・リー監督のシネマトグラフィの美しさにぼくはとりこになってる。
この映画、ラストに驚愕のシーンがあり、多くの伏線やメタファーがちりばめられた上出来の作品だった。

ライフ・オブ・パイは救命ボートに取り残されたインドの青年とトラとの漂流の話だが、その漂流には多くの人が辿るであろう人生のドラマが象徴されている。
人生のドラマ。つまり、大人になったぼくらが生きてく上で必要なおとぎ話だ。
辛い経験、受け入れたくない事実、果たせなかった夢、数々の失敗。だれもが経験する陳腐な人生のストーリー。
どこにでもあるような陳腐な話を「おとぎ話」に変えていくのは、その人の生き方しだいだ。

写真を含め、良い芸術、良い映画は人に生きる力を与えてくれる。
非現実的な話や構図、図柄でも、その中に人生の真実があれば感動をよぶ。
大切なのは、人生を感動をもって生きていくことじゃまいか。
とか思うものの、この夏にハワイを目指して手製のいかだで漂流する気には な れ な い。
やぱ、虎がジャングルに入る時に振り返らなかったことが、悲しくて泣けてしまう。
・・・若さという荒ぶる魂との決別。世渡り上手にはなるが、何かへの情熱がうばわれてしまう。
だからこそ、おとぎ話が夢をぼくらにくれるのは確かだ。

 


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古墳時代の愛

2013-07-29 23:06:57 | old good things

 

「香取の海」の周辺の集落は、川に面した台地の上に数軒から十数軒の規模で構成されている。
川ぞいの土地は、生活に必要な水の確保や稲作にも便利だからだ。古代集落の中央には、祭のためであろう広場があり、玉を造ったり、小鍛治のための小屋などもある。
 
古墳時代には、豪族は大型化し高床式の掘立柱建物に居住した。
一方、庶民は竪穴住居。地面を4~5 mの四角に掘り、雨が入らないように土でまわりに積み上げ、対角線上に4本の柱を立ててカヤやワラで屋根を葺く。家の入り口の反対側に「かまど」。住民は4~7人くらいだった。
母系家族。男性が女性のもとに通ったり、女性の家族が男性を迎え入れてたわけだ。
最も影響力が強いのは女性の母親の意見。したがって、よそ者は排除された。
女性はいつも母親の目を気にしながら好きになった男性と会ってたのかもしれない。
また、愛の行為と妊娠との因果関係が明確でなかったから、だんなと妻という夫婦関係は曖昧だった。

炊事や食器に使った土器には、縄文土器、弥生土器と同じく低い温度で野焼きされた赤褐色ないし黄褐色をした「土師器」や古墳時代5世紀に朝鮮半島から伝わった陶質土器の製作技法をもとに、ロクロという回転台を使って造形し、登り窯によって1100℃以上の温度で焼かれた「須恵器」の2種がある。
須恵器は、水を入れてももらず、お祭りのためや儀式用の貴重な土器として使われた瀬戸物の元祖。

古代の人々は「部」と呼ばれる集団に属した。
房総には後に軍事的部民となった「丈部」姓が広く分布する。
平城京には、安房国から調として大量のあわびが「日下部」、「額田部」、「私部」、「矢作部」、「矢田部」、「大伴部」、「占部」の姓の人々から送られてきたことをあらわす木簡が現存している。

 

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オールド・ファッションド・ラブ・ソング

2013-07-26 23:20:02 | old good things

 

埴輪から想像される古墳時代の人々の生活や風俗。
彼らの服装は藍やベンガラなどの色を使った、豊かで華やかな色彩のものだったという。
古代の人たちは、現代よりも物質的には豊かではなかったのだろうが、精神的には豊かなものをもっていたにちがいない。
埴輪には目のまわりや頬に赤い化粧をしているのもある。
赤は、太陽の色、血の色で、再生を願い、魔よけのための色だ。

男性の服装は、衣と袴のツーピース。襟がまるい左前の服を、ひもで胸と脇の2箇所を結んでいる。パンツは太いダボダボのシェープ。膝の下をひもでしばっている。
下着はふんどし。髪は頭の真ん中分け。髪を束ねて、耳の脇で結ぶ。
一方、女性は男性と同じく襟がまるい左前の服にスカート。ウエストには帯。沖縄の男性用民族衣装に似た衣裳だ。
下着はといえば、当時から女性の下着は秘密のベールの向こうだったようで詳しい資料はないが、おそらくは腰巻だったかも。
長い布を腰に巻き付けて下着にするのは、南方民族から古代エジプトまでの普遍的な物だ。
髪は頭上にまとめて結び、まげに結う。
男女とも首飾りをつけ、「耳にタコ」じゃなくて耳に耳環をつけている。神聖なイベントの ある日は、こうして着飾って、日々の暮らしを楽しんだのだろう。

 


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筑波石

2013-07-25 22:08:22 | old good things

 

筑波山麓周辺で産出される雲母片岩を筑波石という。
千葉や茨城の古墳の多くは、古代の「香取の海」につながる水路で筑波石を運び、その巨石を使って石室や石棺が作られた。

「香取の海」の要衝、茨城県石岡市高浜町を流れる河口の台地縁に舟塚山古墳がある。
群馬県太田天神山古墳に次ぐ規模(186m)の前方後円墳だ。常陸国の当時の政治的社会がうかがえる有力な首長の墓。

この船塚山古墳をはじめ、馬形飾八個を付けた金銅冠を副葬していた三昧塚古墳、さらに王の存在を示す玉里船塚古墳など、「香取の海」を舞台に活躍した古代豪族たちの栄華の跡だ。彼らは、経済的な基盤を押さえたばかりでなく、軍事的な拠点を要衝として、古墳時代社会の中で優位性を保ったのだろう。
しかし、古墳終末期(7世紀代)になると、「香取の海」の古墳は、大型方墳・竜角寺岩屋古墳に集中していく。
数は力。より強力な敵に対処するため、豪族たちは結束せざるをえなかったのだろうか。
それとも、政治の発達により、中央集権化が必須となったのか。
この集約の動きは上野国、下野国も同じだ。


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埴輪列

2013-07-24 22:23:35 | old good things

 

古墳時代は、大陸から伝わった新しい技術と道具により、人々の生活は大きく変化した。
鉄の道具が用いられ、田畑の開拓が大規模に行われた。
登り窯で焼かれた須恵器や、高級な織物技術も伝わった。
塩などの生活必需品や、宝飾品、石など資材の交易もさかんになり、海や川を丸木舟が行き来した。

東京湾岸は房総の玄関口。畿内政権の影響を色濃く受けていた。
そのため、古墳の副葬品も金メッキされた「金銅製品」などが多いようだ。
古墳の上やまわりに、埴輪が並べられている。
すべては外を向いて立てられていて、死者のためというより、墓の前での儀式のために並べられていたのかもしれない。


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