tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

土曜のジャガイモ(16)

2012-06-30 21:22:19 | 料理のサイエンス

 

「おいしいニョッキが食べたくなって、汽車に乗ってはるばるボローニャまで行く。僕はボローニャという町がなんとなく好きで、とくにこれといった用がなくてもふらっとここに行って、三、四日ゆっくりすることがある」
(村上春樹 「遠い太鼓」)

村上春樹氏が寒い季節にあつあつのニョッキをはふはふと食べるというニョッキ。ジャガイモはボローニャの隠れた名産でもあるのだが、美食と芸術の町・ボローニャは彼がローマ滞在中に何度も訪れた町だ。 
作中に出てくるように、茹でてマッシュポテト状に潰したジャガイモに、小麦粉を混ぜた生地をフォークの背に乗せて親指でこすり付けるようにのばした団子。団子の表面にフォークの痕がギザギザにつき、裏面は指の形にくぼみが出来るのでソースと絡まりやすくなる。
茹であがりをパスタソースと混ぜて食べる。家庭で手作りされている日常料理。
それだけに、日本のカレーライスと同様にシンプルなだけ味の上下にかなりの幅がある。

ローマでは"Giovedi' Gnocchi"(ジョヴェディ・ニョッキ)と言って 木曜日(Giovedi)にニョッキがよく食べられるのだが、日本のイタリアン・レストランではほとんど見かけない。
写真のトマトソースのニョッキは、京都先斗町の横道、木屋町から細い路地に入ったところにある「トラットリ屋 es」さんのお手製。手間暇かけて丁寧に作られた絶品。


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6月のしえと

2012-06-29 22:42:17 | 日記

 

レアチーズケーキの歴史は、古代ギリシャまでさかのぼる。紀元前776年の第一回オリンピックの期間中、アスリートたちに振る舞われていたらしい。
もともとお菓子は、紀元前22世紀頃の古代メソポタミアの新シュメール時代には作られていたようで、マリ王朝の宮殿跡から「うずくまるライオン」の菓子型が出土している。
紀元前2世紀頃からはバターも知られはじめ、チーズの製造にも工夫が重ねられ、菓子作りの基本となる食材が揃い始めた。紀元前のアレクサンドロス3世による東方遠征時には、インドのサトウキビの絞り汁を発酵させた「サッカラム」も蜂蜜や果糖と同様に菓子作りに用いられていたようだ。人は有史以前から蜂蜜や果物などの甘味を求めていたのだ。

チーズケーキの原型は、古代ギリシャで好まれていた「トリヨン」。その作り方は、ラード・ミルク・小麦の胚芽の粉・卵・チーズなどを混ぜ、これをいちじくの葉で包み、鶏のスープなどでゆでる。ゆであがったものに、はちみつをかければ完成。

しかし、日本にチーズケーキが広まったのは、1970年代頃。ベイクド・レア・スフレなどと色々なタイプのチーズケーキの登場は、わずか40年前のことだ。最初は、東京・赤坂の「トップス」。1964年のレアチーズケーキ。レアタイプは、日本が発祥という。
次いで1969年に神戸の「モロゾフ」がクリームチーズケーキを発売。チーズケーキにレモン風味を付けたのは「モロゾフ」が最初。

さて、しえとのチーズケーキ。季節のフルーツが添えられコクはあるが、さっぱりと上品なお味。
ここのスイーツ。お店の調度品と同様に、過去と現代が、どちらも過度な主張をしていない。
バランス感覚が抜群だ。
・・・来月は佐原の夏のお祭りだ。また来たくなっちゃう。過去と現代に会いに。


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にわかセレブ

2012-06-28 23:09:37 | プチ放浪 都会編

 
 

この時勢、大企業といえども、重役クラスはエコノミーだ。また、2代目、3代目の若社長も、当然のことながらエコノミー席。だが、業界を代表する社長たちはビジネスクラス。税金を払うよりもマシと、すべてを経費で落とす日本の(大阪の?)セレブたちは、ぼくらの想像の域を超えたところにある。

例えば、大阪の社長婦人。パリの地下鉄が怖いそうで、すべて移動はタクシー。海外旅行は団体バスで移動するパックツアーが好きという。今回の旅行では、一度だけ地下鉄に乗ろうとがんばったらしい。
「走って逃げられるようにな、スニーカーこうたんよ。日本よりも1万円も高かったわ」
彼女の足元にはルイ・ビトンのまっ白なスニーカー。ちなみに購入金額は約8万円。
たかがスニーカーで8万円???・・・8万もあればサイパンにいってダイビングができる。。
・・・彼女はひどく恐がりで、地下鉄には高級腕時計を盗るため腕を切断する輩がいると信じている。
なので、ぼくの腕にはめているGショックを見て、
「それ、ええなあ」って、ため息をついている。彼女はどれだけ天然なんだろうか。身に着けている派手なブランド物は、大阪のおばちゃんまるだしだ。

大阪のおばちゃんにかぎらず、会社の社長婦人たちは、きちんと挨拶ができる。ちょっとしたことで喜んでもらえて、丁寧におじぎされる。彼女らを見ていて感じたのは、社交界に生きている中世の貴婦人のようだってこと。社交術で世の中をコントロールする術を持っている。

東京から参加した社長婦人とその令嬢。こちらのセレブは、いい意味で旅役者のようだ。いつもセット仕立ての様な髪型や、気品あるしぐさにの一つ一つに目を奪われてしまう。まるでお芝居を演じているような立ち居振る舞いだ。
・・・こちらのセレブはホテルの部屋がお気にめさなかったようだ。
ちなみにぼくの部屋はキングサイズのダブルベッド。部屋の真ん中に真四角のベッドがでんと据えてある。べっッドにはマクラが3つ。寝るのはぼく一人。水平方向ならどんな方角で寝ようと、どんなに寝返りをうとうが、ベッドからはみ出すことはない。
そして、クローゼットにはたくさんのハンガー。大量に下着を洗濯しても干すハンガーに困ることはない。なので、もてあますほどの広い部屋に喜んでいたのだが、同じクラスのツインの部屋の彼女は、部屋が狭くるしくてイヤとのこと。彼女たち親子は、視察が終わったその日から別行動でニースに遊びに行き、その日泊まるホテルはインターコンチネンタル ル グランドホテルパリ(オペラ座界隈)を予約。オペラハウスビューの部屋。プライス約6万円。
たかが1泊で6万円!!!・・・台湾にいって飲茶が食える。。

ニース、そして、セレブとくれば、「太陽がいっぱい」のような美しい若者が登場するのが決まりだが、この旅行記ではそれがない。
というか、セレブたちの「高い店じゃなきゃイヤよ」との要望で、高級レストランで打ち上げの食事会。・・・付き合わされるサラリーマンの身にはつらい。
その食事会。買い物を終えて集合したセレブたちの荷物置き場には、楽にベンツが買えるだろう総額の品が山積みになっていた。


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パリ症候群

2012-06-27 22:49:03 | プチ放浪 都会編



花の都と呼ばれるパリ。同時に恋の街でもあり、道行くかっこいいパリ・ジェンヌに目を奪われる。やっぱり、ファッションは日本の幼女のようなミニスカートとは違う。黒を中心とした大人のコーディネート。黒をいかにおしゃれに着こなすかがポイントのようだ。
かっこいいからといって、ぶしつけにカメラのレンズを向けていれば、日本より肖像権の認識がかなり高いので揉め事になる。観光客として写真をパチパチ撮ってる分は、大目に見てくれるのだろうが、あきらかに特定の人間を被写体としてレンズを向けると大変なことになる。
個人を撮るならしっかりとしたコミュニケーションが必要だ。もちろん、芸術写真を仕留めるためのガッツも。そういう意味で、パリの街はストリート・スナップには、つらいものがあるかもしれない。

さて、パリ症候群。花の都などといったイメージに憧れてパリに遊びにきた人々が、現地の習慣や文化などにうまく適応できずに鬱病に近い症状を訴える始める。
夢に描いてきたパリと現実の落差や、自分の主張を明確に伝えることが要求されるフランス文化との違いから、自身をうまく適応させることができずに、その結果、「フランス人が自分を差別している」などの妄想や幻覚を抱いてしまうことになる。
まあ、飛行機の中でフランス人のCAも言っていたが、実際のパリは狭い上に車や人が多すぎてゴミは散らかり放題。あまり綺麗とは言えない。

パリ症候群に陥るのはこんな事情もある。
日本人は話についていけなくなると黙りこみがちだが、薄ら笑いを浮かべたまま黙りこむ奴は無能で頭の悪い役立たずな人間としてかなり冷たい視線を浴びることになる。
その一方で、わからないことについて質問したりとコミュニケーションをとろうとする日本人に対しては、同胞から横柄な横やりが入る。日本人は、同国人を見下した態度をとる人が多い。
だから、周りの日本人のプレッシャーを跳ね除けて発言する勇気も求められる。
受身の態度というものが通用しないグローバルな場所にもかかわらず、同胞の目を意識して忍ばなければならないのだ。

蛇足ながら、パリ症候群を克服すれば、その先は2つのパターンだ。あたかもパリジャンのように振舞う人と、日本を称賛ばかりする人。
フランスに来てまで日本人と話したくないのか、日本人が嫌いなのか。フランス人の「わがまま」な部分と「礼儀」を間違えているのか。とかく同胞を無視したがる人と、日本人で群れたがる人。
ぼく?・・・ぼくは前者。
だって、わがままを通せるならそれに越したことはないじゃん。できないのは、実力がないせいだけど(爆)。


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ムーラン・ルージュ

2012-06-26 22:38:32 | プチ放浪 都会編



添乗員の相原さんも、今回の視察団でのぼくの立場を理解してくれている。視察が終わった最終日。フランス北部のVivier au Courtから15時ぐらいにパリにもどって来れた。それから夕刻の打ち上げの食事会まで、わずかな自由時間がある。
お偉いさんたちは遊び疲れて、ホテルの部屋でご休憩。したがって、急用でぼくが呼び出されることもないはず。
相原さんはそのわずかな隙間の時間で、ぼくをパリのオペラ座付近に連れて行ってくれた。
「どこか行きたいところあります?」
相原さんの問いかけに遠慮がちに答えたのは、「ムーラン・ルージュ」。
相原さんはぼくの答えを聞いて頭を抱え込んだ。
2回目のショーは23時から。だから、打ち上げの食事会を終えてタクシーで駆けつければなんとか間に合う。
ただし、ショーの終わりは深夜1時を回る。その時間には、白タク(営業許可無しにタクシー業務を行っている車で、通常、正規料金の2倍以上の料金を請求されたりする)しかない。
地下鉄の最終に間に合うかどうか・・・。その地下鉄も夜は危険らしい。

まあ、ぼくも貧乏旅行者として同類の感性を持っていた。盗られるものがないのは強い。なんとかなるよと・・・。

ムーラン・ルージュのショーは、数年前に観たときよりも進化していた。23時から始まるステージというのに、客席はあふれんばかり。カップルや団体が多い。
ショーは「フェエリー」と名付けられたレビューだった。
完璧な肉体美のヨーロピアン・ダンサーたちに混ざって、アフリカン・ダンサーが男女で1名ずつ。アジア系は皆無。ムーラン・ルージュダンサーの条件は男性で185cm以上、女性で175cm以上の身長が必要であるという。フランスではなかなか条件に合致するダンサーを集められないので、各国から集っていて最近ではオーストラリアのダンサーが多いらしい。
ショーの中にはニシキヘビと水槽で泳ぐ美女や男性のバランス芸などもあって、サーカスの要素も含まれている。これはムーラン・ルージュの絵を描いたロートレックの時代からそうだったようだ。
水槽では美女がきれいにイルカジャンプで回転を見せていた。
使われている音楽はほとんどがオリジナルだそうだが、Gloria Gaynor のI Will Surviveが歌われた時は会場中が爆発した。




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