tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

無関心の街

2019-09-30 22:28:58 | プチ放浪 都会編

8年前のイスタンブール街歩きで、絨毯屋の若旦那に声をかけられたのは、ぼくがボケーっと通りを眺めていたこともあろう。しかし、彼が言うには、たいていの日本人は声をかけても知らんぷりで通り過ぎるのに、ぼくだけが笑って挨拶を返したからとのこと。
・・・まあ、被写体を探してよっぽど暇だったんだね、自分。

なんだか、イスタンブールは変わっちまった。同じように被写体を探しててヒマしてても、まず声をかけられるのはニーハオ。8年の年月はぼくの顔を中国人のように変えたのだろうか。。そうではなくて、中国人に声をかけた方が反応が良いからだ。

日本人が好きな国を順番にあげていくとしたら、はたしてトルコは何番目なのか。トルコのことをどの程度知っているのか。
日本はそれほど親トルコ国ではないのに、かつてトルコは超親日国だった。多くの日本人旅行者がトルコの人々に優しくしてもらってた。気になるのは、街角で声をかけられた日本人たちが尊大な態度をとるのが多く露見されることだ。

同行した女性添乗員が言っていた。声をかけられたら毅然として態度でノーと言うこと。女性の場合は声をかけられて簡単に反応するのは問題が大きいが、親切に声をかけてくれた相手に対して、完全無視ではあまりにも失礼だ。
こうした恥ずべき人々の言動は、トルコの人々の気持ちを損ない続けてきたように思う。

かつて日本人の危機を助けてくれた国はあまりにも少ない。
日本を好意的に見ていない国は半日教育をしている中国や韓国だけではない。インドネシアでは昔、田中角栄首相が訪問した時に日の丸が焼かれ、卵を投げつけられた。昭和天皇が欧州を訪問した時も、同じような事件が起きた。
世界を旅していると今も消せないかつての戦争の傷跡を目にすることになる。

沢木耕太郎の本に出てくる・・・知ってる人は知ってるだろう・・・「はなもち」にはならないと心に刻んだ。


チャイは謎だらけ

2019-09-29 21:26:12 | プチ放浪 都会編

トルコではシルクロードを渡って中国のお茶がもたらされたにもかかわらず、意外にも18世紀まではコーヒーが主流だったようだ。
トルコでチャイが広まったのは、ウィキペディアによれば20世紀になってから。第一次世界大戦後にはコーヒーの価格が高騰して入手困難となり、その代替飲料としてチャイが奨励されたようだ。

黒海に面したリゼ地方に紅茶のプランテーションが出来たのは1938年。本格的に紅茶工場が稼動し始めたのは1947年のこと。現在のように国の隅々まではチャイが飲まれるようになったのは1970年代ごろからのようだ。2現在では、018年の上半期に93か国に茶を輸出、450万ドル以上の収入を得ているとのこと。トルコ紅茶のトップ3バイヤーはドイツ、トルコキプロス、米国。現在世界一の紅茶消費国はトルコ。
トルコには、チャイハネという喫茶店があり、そこではチューリップの花形をした小型のコップで紅茶を飲みながらトランプをしたり、語り合うなど庶民の憩いの場となっている。

8年前に絨毯やのあるじ(ぼくよりも若いだんな)につかまり、アップルティ(エルマチャイ)をごちそうになった。今思えば薬が入っているかもと、やばめな状況でだ。そのときのアップルティがおいしかったことが記憶に残ってる。リーフで淹れたのではなくインスタントの粉末のヤツ。

今回のトルコ旅でスーパーに行く機会があるごとにアップルティを探したのだが、あれは、観光客向けのもので、トルコの人々にとっては決して毎日の飲み物ではなさそう。

トルコのチャイは、細かい茶葉を煮出して抽出し、お湯で薄めて飲むのが一般的。ミルクやレモンは入れずに、小さな角砂糖だけをいれて飲む。イスタンブールにしても、海辺のリゾート地にしても、トレーの上にお茶を載せて、デリバリする男の子がいる。このティーボーイ(年配のティーボーイの方が多いかも)は、一般のショップでも理髪店でも、接客のあとに「お茶でもいかが?」と聞かれたかと思ったら、どこからともなく現れ、お茶をサーブしていく。

いったい彼はどこから来て、どこに消えていくのか、いったいどのように呼ばれてやってくるのか。・・・謎だ。
まあ、さすがにトルコのスタバにはチャイのデリバリはないが
( ^ω^)・・・


深夜特急

2019-09-28 20:32:28 | プチ放浪 都会編

ぼくが旅した2011年5月。イスタンブールからカッパドキアへ深夜バスを利用した。国内線の飛行機はあるにあったが値段が高く一般的ではなかった。トルコにおいてバス路線が発達していて、運賃が安い深夜バスの利用はローカルの人々とともに旅人においても好まれていた。

わずか8年前のことではあるが、今ではイスタンブール-カッパドキアの深夜バスを利用するツアーは見当たらない。バスで移動途中にパムッカレの宿泊をはさみ、帰りのカッパドキア-イスタンブール間は国内線を利用するのが一般的となった。実際、国内線の利用は現地の人々も積極的になっている。
古くて使えなくなった飛行機はレストランに改造されて利用。現地ガイドによれば、飛行機に滅多に乗れないトルコの人々が結婚式などに利用するとのことだが、そういう意味では日本と同様に経済格差が広がっているのかもしれない。

8年前に深夜バスの車窓から観た朝焼けのトルコの大地。果てしなく草原が広がり、ノマド(放牧民)のキャンプが見えて心が暖かくなった。また、道路沿いのバス停では、朝早くというのに制服姿の小学生が路線バスを待っていて、彼は草原のどこから来たのだろう、草原の向こうへ行ってみたいと夢を膨らませたものだった。

今回、深夜バスに乗らなかった分、旅はより効率的に観光地を巡ることができたのだが、旅の大切な何かが失われてしまったような気がする。しょせん、ぼくにはお金持ちの団体旅行には向いていない。


クレオパトラの湯

2019-09-27 23:40:14 | プチ放浪 山道編

トルコの大地に走る北アナトリア断層。約1,000㎞に渡ってトルコ北部を東西に貫く。世界的に見ても活発な活断層のひとつだ。このため、トルコでは日本と同様に大地震が多く、また火山の活動も活発だ。

火山国であるがゆえに、古代の温泉保養地の遺跡などがある。イスタンブールから長距離バスで約10時間。トルコ西部・デニズリ県にあるユネスコの世界遺産パムッカレ-ヒエラポリスは、紀元前190年ごろから作られたローマの温泉保養地。パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡だ。

円形劇場、共同墓地、公衆浴場などの遺跡がある。浴場はプール、競技場、庭園などの施設を兼ね備え、娯楽施設としての役割も果たした。エジプト女王クレオパトラも入浴したと伝わる 微炭酸の冷泉プールは、いまでも水着着用で入浴が可能だ。

聖母マリアが目の不調を訴えた時に治したとも言い伝えられている温泉水を求めてクレオパトラも入浴。・・・その時、水着を着てたかどうかは知らない。
ひと風呂浴びれば、関節痛やリュウマチのほか5歳は若返る効果があるらしい。


どっちが幸福?

2019-09-26 22:42:33 | 日記

トルコ・カッパドキアの街中を歩いていると、そこらじゅうでたくさんのノラ犬と野良猫にであう。トルコの人々はノラ犬や野良猫にやさしく、地方の自治体がエサ代や狂犬病のワクチンや避妊・去勢の予算を持ち、街の人が世話をしているようだ。

一般にイスラム教では猫は敬愛される動物とされる。預言者ムハンマドは猫が大好きで、猫をいじめたり殺すことを禁じたと言われている。猫は古代オリエントの時代からアラブの国で尊ばれてきた。猫は穀物庫、食料庫を有害な動物から守るほか、本を食べるネズミをとる等、人間にとって有用な動物だった。

一方、犬は致死率が高い狂犬病を誘発する。これゆえ、イスラム教においては犬を忌み嫌うという傾向がある。
だがトルコでは、大型の野良犬が街のありこちで鎖もつけずにゆっくり昼寝したりくつろいでいる。トルコの神話には狼が出てくるなど、イスラムの教義に関係なく、動物の存在は古くから身近だった。もともと農業国だったため農家では使役犬として犬を飼い、羊の番をさせていたようだ。

日本の犬たちは鎖で繋がれている。日本はむかしから幼稚な管理至上主義の国だ。ちょっとした危険があるとすぐに法律や条例でがんじがらめにしてしまう。国民はもちろんのこと、行きたいところに行かれない犬たちもストレスは相当なものだ。なので、犬もだれかに噛みつきたくなるのだろう。リードや鎖につながれた犬は日本の常識だが、ヨソの国では通用しない。

犬たちにとって、鎖につながれ食事が与えられる環境と、土地の人たちにかわいがられて自由に動き回れる環境とどちらが幸福なんだろう。すくなくとも、ぼくの目にはトラム(路面電車)を止めて堂々と道路を横断するトルコの犬たちが幸せに思えてならない。トルコの犬たちに感想を聞いたわけではないのだが。。