tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

店主敬白

2006-12-29 23:06:52 | 日記

年末年始は12月30日(土)~翌年1月3日(水)までお休みさせて頂きます。
この間は、電脳マシンから離れて、しばらく充電しています。
皆様、是非、よいお年をお迎えください。
また、来年もよろしくお願いします。

*勝手で申し訳ありませんが「ブログ」少しお休みします*

A Happy New Year!
大好きなあなたの部屋まで
凍る街路樹ぬけて急ぎましょう
今年も最初に会う人が
あなたであるように はやく はやく

A Happy New Year!
新しいキスを下さい
そして鐘の音 通りにあふれて
今年も沢山いいことが
あなたにあるように いつも いつも

A Happy New Year!
今日の日は ああどこから来るの
陽気な人ごみにまぎれて消えるの
こうしてもうひとつ年をとり
あなたを愛したい ずっと ずっと

今年も沢山いいことが
あなたにあるように いつも いつも
By 松任谷由実


私をスキーに連れてって(3)

2006-12-29 17:40:25 | cinema

東京で矢野が仲間と集まるのは代々木にあるバー「ゼファーイン」。現在は「リトルワンズカフェ」という子どものためのレストランに改装され、その一角にバーがあるらしい。
はでにひっくり返ったセリカのGT-Four。この車、実際に乗ると、3000回転くらいまではとろい。しかし、その低速でのもたつきと3000回転以上のレスポンスの良さのアンバランスが笑っちゃうくらいに楽しい車だった。
当時のぼくのスキー・ギアは、しぶいエビ茶色が印象的なロシニョールのストラート105のスキー板、5バックルのラングでスーパーバンシーという文字通り足がしびれっぱなしのスキーブーツ、ホープマーカーM4のワンタッチのローターマート式ビンディング、ホープレーサーコンペのポール(ストック)、リバティベルの白の羽毛ジャケット、黒のエレッセのパンツだったかもと、友達に言ったら<何十年前だよ>と突っ込まれてしまった。
たしかにロシニョールのストラート105は、この映画の年代からは一世代以上前で古すぎた。その後、マイ・ギアはいろいろ変遷を重ね、1987年の頃は、グレーのオーリンMark Ⅴにクロのハンソンのスキーブーツ、サロモン727のビンディング、エレッセのワンピースあたりの組み合わせだったかもしれない。基礎スキーをやっていてリアエントリーのハンソンのスキーブーツに手を出した僕は、変わり者といじめられた。しかし、ラングと比べれば足が締め付けられることがないので天国だった。このハンソンというメーカーは今はないらしい。
ちなみに「不撓不屈の鉄人」「バイオレンスヒーロー」と呼ばれたルクセンブルグのマーク・ジラルデリはなんとリアエントリーのブーツ(サロモンSX90EQ)でワールド・カップに出場し、スキーの神様のステンマルクを抜き去った。それからは、基礎系のスキーヤーも、リアエントリーへ脱却を徐々に図ったと思う。ただし、リアエントリーの問題点である操作性(ひざの前傾に制限があることと、足とのフィットが甘くレスポンスに劣ること)から、現在はリアエントリーのブーツは生産されていない。そして、操作性を上げるためインナーブーツを極力薄くしてシェルでのフィットを目指し、それがために足が締め付けられてしまいマゾヒストのような感覚で履いていたラング系のスキーブーツが復活している。

技術的な話で恐縮だが、斜面に対し横向きに位置した場合、下にある足を谷足という。上体は常に谷に向かったままにするが、ターン後半には股関節から下の下半身がクの字に折れて片側の足は谷足(外足)となる。逆は山足。カーヴィングターンの場合、ターン切り替え直後に山足の谷側(インエッジ)のエッジが効き始める。これが、フォールラインを超えた瞬間から谷足となる。「内足・外足」と「谷足・山足」の表現を同時に用いると、説明する側も説明を受ける側も混乱し始めることが多い。
「ターンの時ね、内足持ち上げて引き付けてるだろ? あの癖やめたほうが良いよ」
これは、パラレルターンの後半で山足を持ち上げてスキーの板を揃える優に矢野が言った言葉。山足を持ち上げたときにスキーのトップが上がってポジションが後傾(お尻が落ちた状態)になり、後傾することでスピードのコントロールが難しくなるので止めれと言う意味。
「凍ってるね」
映画の撮影は4月に行われたらしい。だから、映画でのゲレンデのシーンはベタ雪。ユーミンが歌う<派手なターンで転んで 煙が舞い立つ>のは、パウダースノー(小麦粉の様にサラサラの雪のこと)の場合。パウダースノーは「新雪」「アスピリンスノー」ともよぶ。これがコース上に膝、又は腰あたりまで積もっていると幸せな気分を味わえる。誰も滑っていないバーンを「バージンスノー」とか「ファーストトラック」ともいう。ここに綺麗なショートターンのシュプールを残せるのは、最高の幸せ。よく、リフト際など誰もすべっていない場所にシュプールを描いたが、リフトでまた登っていって跡を見ると、いつも誰かが踏んだり横切ったりしている。パイオニアがいればその真似をするやつが必ずどこのスキー場にもいるのだ。
映画では、ヘリコプターやムカデなど基礎系のスキー合宿でみんなとよく遊んだ技が出てくる。そしてジャンプ。スキーを体よりも上に跳ね上げてジャンプするシーンがある。優があきれた顔で見つめるシーンだ。ジャンプのとき態勢が後傾のまま飛び出してしまい後頭部より着地(着雪)することや、不整地にて深いコブで、テールに乗り過ぎてスキーがすっぽ抜け後頭部を強打することを「一人バックドロップ」という。これ、まじ、やばい。打ち所が悪いと昇天してしまう。ジャンプする時は上体を前に出し抱え込むべし。
「万座の灯りだ!」
なんといってもここの魅力は標高1800m、雲上の温泉であること、多量の湧出量と多くの泉質に恵まれていることである。「翼よ!あれが巴里の灯だ」って映画があるけど未見。今度、調べておきます。大西洋横断ヨットでゴールに夜間入港する時は、やっぱり、「セールよ!あれがセントルシア港の灯りだ」ってやるんでしょうか。
「とりあえず」
とりあえずと言ったらビールじゃまいか。映画では、ヒロコが無線でスキー場のロッジのメニューを伝える。「バドワイザー、ハイネケン・・・」ってビールとつまみばっかりでしょうが・・・。
「所詮4駆の敵じゃないね」
スタッドレスでかなりきつい急斜面の雪道を登っていくとき、恐怖からかアクセルを踏み込めず登りきれない4駆がたくさんいる。その横をFFで抜いていくのは快感。もっと快感なのは、FRでドリフトしながらコーナリングする時。いえ、決してマゾではありません。

<EMBED src=http://www.youtube.com/v/k5ROcSs_L7U width=425 height=350 type=application/x-shockwave-flash>

「ばーん。」                                   アイスバーンのことではありあせん。優が矢野に向かって指鉄砲で「バーン!」とやって、コース上で転倒させたのは超有名ですね。この記事を書いてて、懐かしくなって、ビデオを見直してしまいました。その昔は、シーズンのはじめに必ず観ていたので、一つ一つのシーンが思い出のようにすごく懐かしいです。ひとつ気になったのが、この「バーン」。映画では、出会いのシーンと、デート中にスキー板のテールの部分の硬さを調べてる時、デートにすっぽかされた自分に、最後のチョコを渡した時といろんなシチュエーションで「バーン」してるんですけど、いったいどんな意味があるんでしょうね。怒り?愛情表現?どなたか、感性豊かな方の解説をお願いします。


私をスキーに連れてって(2)

2006-12-28 20:00:04 | cinema

総合商社に勤める矢野(三上博史)は、クリスマス・イブに中学時代からの仲間と出かけた志賀高原のスキー場で、タンデムのスキー・リフトに白いスキー・ウエアーの優(原田知世)と乗り合わせ、一目ぼれする。スキーに自信のある矢野は、彼女のすべりの欠点を教えてあげる。
「ターンの時ね、内足持ち上げて引き付けてるだろ? あの癖やめたほうが良いよ」
日暮れのゲレンデで東京に帰ってから再会したいと電話番号を聞き出すが、矢野の連れの女性を彼女と勘違いした優はうその番号のメモを渡す。大切に持っていた電話番号のメモがうその番号だったとわかって矢野は失恋する。ところが矢野は、自分の会社で優と再び偶然に会う。優は秘書課に勤める同じ会社の娘だったのだ。仲間の協力もあって、矢野は最大の勇気を振り絞って優を正月の万座のスキーに誘うが、優は友達と志賀高原の会社の山荘に行く事に決まっていて、断られてしまう。
そして大晦日の夜。万座スキー場にいる矢野が、志賀高原にいる優に会いに行く。
「5時間かけてふられに行くんじゃ、ばかだな」
松任谷由美の「A Happy New Year」がバックに流れる。
吹雪の中を赤のカローラIIでスタックしながら志賀高原へ向かう途中、やはり、矢野に会おうと友人の車を借りて、出てきた優と出会う。
「聞き間違えちゃったかな? 番号。」
話ベタの矢野は要領を得ない。そしてそこで、時刻は12時をまわり、ハッピー・ニュー・イヤーの花火が夜空に上がる。「あけまして、おめでとうございます」
優がにっこり笑顔で挨拶する。二人の新年がスタートする。

ふたりは仲間たちとまた志賀高原にスキーに行く。近くの万座では、彼らの会社の企画で矢野もかかわったスキーウエアの発表会が開かれようとしていた。しかし、同僚の陰謀でウエアが会場に届かない。矢野や優が着ているウエアがあれば発表会は乗り切れるという。志賀高原から万座へ。直線2kmのツアーコース。冬は滑走禁止の自殺コースだ。そのコースをウエアを届けるために、優は吹雪の中を滑っていき、後で気づいた矢野も追っていく・・・。

発表会の終了までにと時間に追われるシチュエーション。はじめての夜間スキー場ロケ。氷点下での撮影。ストーリーには都合主義で不自然な点が多いが、結構ドキドキする。
「この靴ならいけると思う。」
たぶん、この時代のスキー・レーサーは、みなラング(メーカーはイタリア)のスキーブーツを履いていたから、映画で履いていたのはこれじゃないかと思っている。当時に比べれば、スキーブーツのデザインはさぞかし変わっただろうと思いネットで調べてみたが、当時一世を風靡したファントムというモデルの形のまま、その基本的なデザインは変わっていないようである。

この映画で、当時のワールド・カップのスキー・レーサーである海和俊宏が出てくる。彼のアウト・エッジのターンを見て、ぼくは片足でスキーを滑れるようになった。片足スキーは、できてしまえば簡単で、何のことはないスケートのショート・ターン(クイック・ターン)のやり方と同じ。ぼくは、ゲレンデに行かれないシーズンオフは、アイス・スケートのリンクでアウト・エッジのターン、つまり、山足側のエッジを利かせた高速カービング・ターンを練習した。
スキー技術は、年々、道具の進化に伴って変化する。だが、基本は、体重の抜重と加重。雪面をとらえたスキーの裏面に重さが変化することで、雪が溶けて水の膜ができる。これによりスキーの加速がスムースに行くようになる。ターンの時に加重するか抜重するかは、その時のシチュエーションで使い分けるべき。
<EMBED src=http://www.youtube.com/v/gUUsy58yESI width=425 height=350 type=application/x-shockwave-flash>


私をスキーに連れてって(1)

2006-12-27 23:44:27 | cinema

1960年代にアメリカで台頭してきたフォーク・ソング。ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリー、ボブ・ディランなど多くのアーティストがミュージック・シーンに登場する。もともとは、生活苦などをテーマにした民謡からスタートしたフォーク・ソングは、その後、人種差別反対、戦争反対などの社会的なメッセージを込めたプロテスト・ソングへと変遷していった。日本でも、1970年代は学生闘争を背景として、和製フォーク・ソングが世の中の流行となっていた。1980年代に、大きな転換点となったのがユーミンこと荒井由美などのニュー・ミュージックの出現だった。消費社会の新しい都市の時代の幕開けを、みずみずしく歌い上げる荒井由美は、今で言うおしゃれで上品な世界そのものだった。
社会への不満、貧困からの学生闘争が終わると、若者達はエネルギーをぶつける目標を失って、いわゆる「しらけ世代」となった。1980年代の過熱気味の高度経済成長に伴って、彼らの興味は、「社会」ではなく「自然回帰」へ移った。ただし、都会では、ネイチャー志向のかわりに、“異性”を“自然”としてとらえた異性志向への部分も見られる。いわゆる恋愛至上主義。日本において、“会社や社会よりも恋人との時間が大切”とはじめておおっぴらに口外できるようになった時代だった。1970年代の恋愛は、政治や社会に希望を失った若者が逃げ込んだカウンター・カルチャー的な世界だった。ところが1980年代になると、一気に表舞台に登場したのだ。当時、恋人がデートに誘うなど連絡を取り合う道具として電話しか方法がなかった。そして、相手の家に電話すれば相手の親が出る可能性が高い。そんなあれやこれやの事情から、相手とデートにこぎつけるまでにはたくさんの困難を乗り越えなければならなかった。自分を捨てた馬鹿にならなければ、毎日電話するなどできなかった。逆に、恋愛よりもむしろ、馬鹿になれる自分に酔っていた時代なのかもしれない。

「私をスキーに連れてって」は、こんな時代の映画である。映画が公開されたのは1987年。日経平均株価は上昇を続け、翌年には3万円の大台にのった。日本は「Japan as No.1」の言葉どおり、自信に満ちあふれていた。レジャー産業が盛んになり、各地の山の樹林が切り倒されてゲレンデとして乱開発され、スキー人口は増え続けた。レジャー白書によると、1987年に1230万人だったスキー人口は、1993年には1770万人とピークを迎えている。
休日の昼下がり。どこかのコーヒー・ショップなどで松任谷由実の「サーフ天国、スキー天国」が聞こえようものなら敏感に反応する中高年たちはこの頃にスキーを始めた人達だ。映画で使われた松任谷由実の曲「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」「恋人がサンタクロース」「ロッジで待つクリスマス」などが非常に印象的な映画だ。

 <EMBED src=http://www.youtube.com/v/gdVGb-ptCsY width=425 height=350 type=application/x-shockwave-flash>


9:59舞浜駅着

2006-12-26 20:40:14 | プチ放浪 都会編

家族と別居中の彼。一年ぶり子供達に会うため、舞浜駅の南口・東京ディズニーランド入口側の改札で子供達を待った。東京からの9:59舞浜駅着の快速電車から降りた大勢の客の中に、中学2年になる息子と中学1年の娘がいた。ディズニーランドへはこれまで家族で数回来ているが、一番最近訪れたのは2年前の夏。子供達の夏休みに3人で来た時だった。

一年ほど見ない間に一回り大きくなっている子供達をじっと見ていると、2人は照れたように近づいてくる。中一の娘は、ときどき携帯からメールをくれるものの、実際に会うと話しづらいのか彼女もよそよそしい。横殴りの雨の中、ランドまでの道のりを3人とも何を話していいのかわからず沈黙がちだった。直接会って、いろいろ聞きたいこともあった。普通の父親がするように、悩み事の相談なんかものってやりたかった・・・でも、もう親離れの年頃なのか、会話しようにもきっかけがつかめず、そのままイン・パーク。まずは、3人でビックサンダーマウンテンのファースト・パスをとると、指定の時間まで待ち時間の少ないサブアトラクションを回った。いろいろアトラクションを回る内に少しずつ3人の会話は増えてきた。が、お互いに気を使っていて、どこかよそよそしい。
ザーザー降りの雨の天気ながら、冬休みに入りランドは小学生ぐらいの子供達でにぎわっていて、人気アトラクションは、大体90分から2時間待ちであった。色とりどりの雨合羽を着てスタンバイに並んだ小学生の女の子のグループ。お菓子持込で、順番を待っている。お前ら紙くずをちらかすなよ。

2年前の夏訪れた時、スペースマウンテンのスタンバイに並んだ我々の目の前に、その最悪のバカップルが居た。恐らく、東京近郊の田舎から出てきたのであろう20歳ぐらいのカップルは、容赦なく照りつける強い日差しのもとで口げんかを始めた。けんかの発端は良く判らない。はでな黒いシャツを着た男が、千葉の奥か茨城かその辺のアクセントで<暑い。暑い。>と言っていたのが気に触ったらしい。確かにただでさえ暑いのに、すぐそばで暑苦しい男に<暑い。暑い。>と言われれば、余計に暑さがましてイラついてくる。
「少しは我慢しろ」というようなことをその娘は言った。
長髪の髪の先を指先でくるくる丸めながら、「なに怒ってんだよ」男は、相手の言葉を受けてやり返す。
しつこく、何度もなんども男は女になぜ怒ったのか聞いた挙句、「おれが悪いんじゃねーだろう」。女は説明をあきらめて黙り込む。
黙り込んだ女に対し、男はまた無意識に<暑い。暑い。>を繰り返す。
2人は2時間近く炎天下で並んでいる間中、ずーとそれを繰り返していた。
<こんなところで喧嘩すんなよ・・・みっともない・・・>と当時は思った。今考えると、彼らはそうやってお互いに気持ちをぶつけ合って分かり合っていたのだろう。それはそれで、彼らにしてみれば幸福だったのだ。人目を意識して、だまってお互いが我慢するよりもずっとその方が良いのかもしれない。我慢することで、目に見えない亀裂が深く進行して行き、気がついた時にはどうにも修復不可能な状態になっていることがある。それと比べると、ささいなことで喧嘩しあえるのは幸せなことなのかもしれない。喧嘩していた彼らは、今頃うまくやっているのだろうか。幸せになってくれるとうれしいのだが・・・。

冬の日は短く、あっという間に日没。ずぶぬれの体が冷え切って寒さが押し寄せてくる。ワールドバザールで子供達が欲しがった土産物を買ってあげる。レジで財布を取り出しお金を払おうとする子供達を制して精算する。少しは親らしきことをさせてくれ。長いようで短い、8時間ほどの親子ゲームが終わり、日の落ちたゲートをくぐり出た。子供たちはすぐ大きくなってしまうだろう。高校、大学へと進学すれば、親と一緒にディズニーランドに来るなんて絶対にしない。今日が3人で来る最後の日。もう来ることはないと思ったら、彼はつらくなってきた。子供達も、彼の気持ちを察してか、駅までの途中で彼に顔をむけようとはしない。どしゃぶりの雨の中、3人で下をむいたまま傘をさし、とぼとぼとそれぞれの家路をたどる。駅について、東京方面へ帰る子供達を彼は見送る。

電車のドアーが閉まる寸前、息子が周囲も気にせず大声で叫んだ。
「おとうさん、また来ようね!」
その日聞いた、初めての「おとうさん」という言葉。娘はつり革につかまってボロボロ泣いている。
1人、電車の中で携帯で撮ったずぶぬれの子供達の顔の写真を見ていると、彼はなんだか泣けてきてしまった。