tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ええじゃないか

2011-08-31 22:38:05 | プチ放浪 都会編

 
 

阿波の国を流れる吉野川は毎年のように稲の開花期になると豪雨で濫し、人々は米の不作に悩まされていたという。その一方で、川の氾濫によって運ばれてくる土砂が養分を運び、良い藍草ができた。阿波藍は世間に名声を高め、藍商が栄え、徳島の町は殷賑を極めた。
だが、米の不足分の解消のため、藍とひきかえに久留米絣で有名な久留米藩などから、米の買い付けをしなければならなかったのだ。

徳川幕府は権力をかさに、他藩よりの米や兵器の輸入の禁止、大船の建造禁止、金や銀の産出の制限、贅沢禁止令など、幕府安泰のための悪辣な策略を駆使していたのである。

「踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ 損々」

蜂須賀氏の入国後は安定した世が続いたが、武士や大名など支配階級は次第に税収不相応の贅沢をするようになる。その結果、藩の財政は悪化し、農民への租税は次第に重くなる。

天保年間(1830~1843)には、異常気象により不作が続き、農民たちの生活は極めて困窮した。天保12年(1842年)。ついに、徳島県三好市山城町の白川谷川流域以北で百姓一揆(山城谷一揆)が勃発する。

「日本国の世直りはええじゃないか、豊年踊はお目出たい」
といった世直しを訴えた”ええじゃないか”は、慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった。

「ええじゃないか」と「阿波踊り」の発祥。時代はかなり接近している。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村


傾城阿波鳴門

2011-08-30 22:34:25 | プチ放浪 都会編

 

「とと様の名は阿波の十郎兵衛、かか様の名はお弓と申します」

阿波十郎兵衛の妻お弓が、大阪善福寺(どんどろ大師)に参詣し、門前の茶屋で休憩していると、幼い女の子の巡礼がやってくる。女の子の名はお鶴。阿波の徳島から親を探して巡礼の旅をしているという。
お鶴の身の上話を訊ねるうち、お弓はお鶴が幼い頃に手放した我が子である事に気付く。
だが、夫の十郎兵衛は紛失した主家の家宝の刀、国継の詮議のため、盗賊の仲間となって日本刀の行方を追って辛苦に満ちた日々を送っている身だ。しかも、追手が迫っている。捕縛されたら、お弓はおろか、わが子のお鶴までも罪に問われる。

実の娘と偶然に再会しながら、素性を明かせず、お弓は涙をこらえて耐え忍ぶのだ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村


巡礼お鶴

2011-08-29 22:49:25 | プチ放浪 都会編



「巡礼お鶴の あの菅笠に いとし涙の 雨が降る」

巡礼お鶴は、阿波十郎兵衛(本名:板東十郎兵衛)の娘だ。
十郎兵衛は、徳島市川内町(板野郡宮島浦の庄屋。徳島藩の「他国米積入川口改裁判役」、つまり、今で言う税関の役目を命じられていた。

当時の徳島の農民は、藩の奨励により藍染め用の藍を作付けしていた。このため、米が不足。これを補うため、他国より米を輸入していたのだ。
米を運ぶ船頭には、運賃のほかに、「洩(も)れ米」として一俵につき三升二合の取り分を認めることが、暗黙のルールだった。だが、きまじめな十郎兵衛はこれを認めず、津田浦の船頭・彦助との間でいさかいとなる。

幕府は原則として他国米の輸入を認めていなかった。徳島藩は、十郎兵衛と船頭・彦助のトラブルを解決するため、「不届き」という名目で、二人を処刑してしまう。
元禄11年11月21日。十郎兵衛は息子とともに処刑。享年53歳。後に十郎兵衛の妻のお弓は病死。娘お鶴は消息不明となる。

人々は十郎兵衛に同情した。十郎兵衛が処刑されて70年の後、近松半二らによって「傾城阿波鳴門」の人形浄瑠璃が作られる。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村


エライヤッチャ

2011-08-28 22:05:25 | プチ放浪 都会編

 
 

♪(アーラエライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ)
踊る阿呆に 見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ 損々
新町橋まで 行かんか 来い来い

阿波の殿様 蜂須賀様が 今に残せし 阿波踊り

(アーラエライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ)
「笹山通れば 笹ばかり 大谷通れば 石ばかり
猪豆食うて ホーイ ホイ ホイ」

巡礼お鶴の あの菅笠に いとし涙の 雨が降る
こうも鳴門で 未練の深み それで渦ほど 気がまわる
踊り踊らば しなよく踊れ しなのよいのを 妻に持つ♪

さて、最後のフレーズは、福島の民謡「会津磐梯山」にも出てくる。

踊り踊らば姿(しな)よく踊れ 姿(しな)よい娘を嫁にとる

古来から祭りに歌われる唄は全国共通で婚活の道具立てとしてテッパンだったのだろう。
・・・巡礼お鶴のお話は、また明日。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
 


夏の高円寺 

2011-08-27 22:30:54 | プチ放浪 都会編

 

踊りつきせぬ 夏の高円寺 踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ

太鼓、鉦(かね)、三味線、笛の囃子にのり、東京の高円寺は熱気であふれる。手を挙げて踊る様は、九州のハイヤ節の影響とも。ハイヤ節は、北前船により、全国の港町に伝えられ、徳島では阿波おどりとして発展し、昭和の時代に全国区となった。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村