tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

バーカロ(バール)めぐり

2012-02-29 22:29:16 | プチ放浪 都会編

 
 

ベニス初日。言葉がほとんど通じない異国での一人飯は、注文の際に緊張しまくる割に苦労はなかった。まだ暗いうちにホテルの周辺の探索に出かけ、ナトリウム街灯に照らされてオレンジ色に染まる雪の大通りを歩いていて、明け方でもまだ開いているバールを発見。
カウンターの女性にエスプレッソとブリオッシュを頼み、朝飯前の朝イタ飯(夜食?)。バールは、イタリア全土で16万軒もあるといわれ、地域生活に密着した欠かせないお店だ。

ホテルに帰りシャワーを浴び、今度はブス(バス)で出かけたベニスの中心。ぼくはそこで案の定、迷子になった。迷路のような路地をぶらつくうちに方向感覚を喪失。人の流れに乗って歩いていくうち、いくつものしゃれたバールを通り過ぎ、いくつかの気に入ったバールに入って、朝飯とお茶とランチをした。道に迷ってはいるが、どうにかなるさと。これからベニスで5日間。なんの観光計画もないけど、時間だけはたっぷりとある。
一冊だけ持っていたガイドブックは、ヴェネツィア ~カフェ&バーカロでめぐる、12の迷宮路地散歩 (地球の歩き方 GEM STONE 23: 篠 利幸著)。
雰囲気たっぷりのいろんなバールの写真が気に入って買ったガイドブックなのだが、ベニスの迷宮路地をたどって掲載されているバールに行きつくのは、よっぽど運がよくなければ難しそうだ。なので、早々とガイドブックを使うのを諦めた。第一、ディパックからガイドブックをいちいち取り出して地図を見るのは邪魔くさい。片手はカメラでふさがっているし。。
それにガイドブックにある日本語で表記された超簡単な地図をどうやって使えというのだ?・・・例えば”ローマ広場”。広場ってイタリア語で何と言うんだ??
頼みの綱のiPhone地図アプリは、近くのWiFiスポットすら見つけられずに、しかもiPhone3Gは電子コンパスが無いので、なんの役にも立たない。

っつうことで、三島由紀夫が結局カンで歩くほかなかったベニス。彼にならって、動物的なカンを頼りにベニスを彷徨(咆哮)。行き当たりばったりで入ったバーカロで、ガラスケースに並んでいるイタリアのサンドイッチというべきパニーノ(パニーノ・インボッティート、panino imbottito、~5?)やら、ズッキーニの花の天ぷらなどチケッティといわれるおつまみ(2~3?)、魚介のフライ (Frittura Mista、3?)や、大きなブールベリーパイ(3?)を食べていたら、お腹いっぱいに。
ちなみに、バーカロとは、ベニス特有のオステリア、つまり居酒屋のこと。メニューの主役はワインとチケッティ(小皿料理)。

イタリアで食事の際に最初に洗礼を受けるのは、リストランテとトラットリアの違い(値段の違い)だろう。それから「ピッツェリア」「オステリア」「バール」などといういろんなタイプのカフェがある(すまん。カフェとバールの基本的な違いをまだ理解していない)。

種類分けをわかった範囲で書くと

リストランテ・バール しっかりとした食事ができる店
ピッツェリア・バール パスタやピッツアがメインのお店
パニーノ・バール イタリアン・サンドイッチが中心のお店
カフェ・バール カフェメニューのお店
エノテカ・バール ワインやお酒メインのお店(酒だけ。たぶん)
ジェラテリア・バール ジェラートのお店

バールでは、立ったままカウンターで注文した飲み物を飲んだあと、お金を払う。バールへ立ち寄る目的は、喉の渇きを癒すなり、軽く休憩するなり、トイレを借りるなり、情報収集するなり、いろんな理由だ。
カウンターでの利用は、テーブルよりも値段が安い。エスプレッソは、間違えて特別の店に行かない限り1ユーロ程度。テーブル席の値段は一般に倍くらいするのだが、バールによっては壁に作り付けのテーブル席でも同じ値段だったりする。
基本は裏路地の地元の女性たちが利用しているバール。そうした店が安くておいしくてお勧め。
ということで、初日はバーカロめぐりで終わってしまい、ちゃんとした食事はしなかったorz。


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ベニスの中心でまた迷子

2012-02-28 21:54:26 | プチ放浪 都会編

 
 

三島由紀夫が最初の海外旅行に出かけたのは1952年のクリスマス。朝日新聞特別通信員として世界一周旅行へ、旅客船で横浜港から出航した時だ。文壇の寵児として名声を確立してゆく過程にあって、「仮面の告白」がベストセラーになっていた。
この時の紀行文を「外遊日記(ちくま文庫)に書いている。ベニスについては「冬のヴェニス(昭和36(1961)年7月・婦人公論)」にある。

 ”それまですでに二度もイタリーへ行きながら、一度もヴェニスへ行かなかったのは、いつも私のつむじ曲がりのためであった。「名物に旨いものなし」と信じていたのである。
 ところが今度、冬のヴェニスを訪れて、自分の先入主のあやまりに気がついた。どんなことをしても訪れるべき土地である。こんな奇怪な町、独創的な町が、地上にまたあろうとは思われない。
 第一にそれは退廃している。救いようがないほど退廃している。”

三島由紀夫がどんなことをしてでも訪れるべき土地と評したベニスは、その一方で、生活臭にあふれる街でもあったのだ。

 ”水は汚く小運河にはいつも芥が漂い、引き潮には去っても、上げ潮にはまた帰ってくる。街のどこにいても、酸っぱい、病的な汚水の匂いが鼻をつく。”

・・・1987年に世界遺産となったベニスは、この景観を損ねるゴミの存在が、今は改善されている。ただ、三島由紀夫がベニスで滞在中は、アックア・アルタ(acqua alta)と呼ばれる高潮により、サン・マルコ広場は水没していたようだ。広場や道路には臨時の高床が組まれ、通路が確保されていた。当時、北の対岸のマルゲーラ地区で、工業用の地下水のくみ上げが行われたことにより地盤沈下が起こり、アックア・アルタによる洪水の被害が多発していた。

 ”朝露をついて陸路を美術館へ行った時も忘れられない。地図を綿密にしらべていくのだが、あんまり路がくねくねと折り曲がり、大した距離でもないのに七つや八つの橋は渡らざるを得ないので、結局カンで歩くほかなかった。そして一足毎に、街の角度は変り、小さな複雑な、燻んだ万華鏡のような展望がひらけた。最後の大運河の大橋も、段階のついた橋だったので、この町に自転車一台見当たらない理由がわかった。車のついたものではどこへもいけないのだった。”
(三島由紀夫 冬のヴェニス 昭和36年7月・婦人公論)

三島由紀夫が結局カンで歩くほかなかったと結ぶベニス。確かにそうだった。ホテルで詳細な地図をもらったのだが、くねくねと角を曲がっているうちに方向感覚を失ってしまう。
RIALTO(リアルト橋)から、運河を渡る潮風に吹かれながら、カナル・グランデ(大運河)沿いをぶらぶら歩いていて、何軒かのカフェに立ち寄っているうちに、完全に迷子。
それでも、人通りの多い道を選んで、現地の人の流れに乗って歩いていると、見覚えのある景色に遭遇。。なんと、そこは朝のスタート地点、ローマ広場だった。
・・・歩けるじゃん。ローマ広場からサンマルコ広場 まで直線距離にして約2km。だが、ネットでいくら調べても、その区間を歩いたという日本語、あるいは英語の記事が見つからない。いくら、道がくねくね曲がっていたとしても、最短距離は3kmに満たないから、簡単に歩ける距離のはずだ。事実、朝夕は地元の通勤の人たちが出勤のため、列をなして歩いている。また、両側に店が並ぶメインストリートには多くの観光客がぶらついている。

この日の朝、ローマ広場からサンマルコ広場 までヴァポレット(船)で渡り、昼から午後にかけて、サンマルコ広場 からローマ広場までの一往復半(9km?)を、写真を撮りながら一日中かけてぶらぶらと歩いた。足が棒のようになったが、ベニスの町を歩く自信がついた。迷っても、人通りを頼りにその流れに乗れば、どうにかなる。


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マスケラ(ベネチアンマスク)

2012-02-27 22:11:45 | プチ放浪 都会編

  
 

マスケラ・・・本心や素性を隠すためのマスク。
日本のこの時期の花粉症対策としてのマスクは、社会不安障害とかで他人とのコミュニケーションが苦手な一部の人達にとっての、人と接触を断つための道具となっているようだ。あるいは、アイドルを真似てストーカー行為の防衛対策とか、あるいは駅前のナンパの声掛け対策とか。
一方、ベニス(ヴェネツィア)でのマスケラは、中世の貴族になりきるための魔法の道具の一つ。
ベニスカーニバルのマスクにはいろいろあるが、それを着けた人々は自分以外の何者かに成りきって、つかの間のプチ冒険を楽しんでいる。つまり、マスケラはベニスカーニバルというシチュエーションでのコミュニケーションのための手段であり、この扮装一つでより多くの旅行者たちと触れ合いを楽しむことができる。
この点、写真を撮る側からも、マスケラを見かけると気軽に声をかけることができる。写真を撮ってもいいですかと。マスクの目からのぞく目が即座に笑ってOKをくれる。
・・・どさくさに紛れて、素顔のままのかわいい女性たちなんかにも、声をかけてしまうのだが。。
ってことは、カメラも一つのコミュニケーションの手段っつうこと。。
ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルによれば、「社交」は、「社会化の遊戯的形式」。中世の貴族たちのお仕事は、自分の領土を「社交」によって守ることにあったのだ。

狂乱と退廃との妖しい匂いが立ち込めるマスケラ。手に手袋、頭には帽子や頭巾を被り、極彩色の繻子を纏って金襴緞子に身を包んでいる。
それぞれのマスケラは、二つと同じものはなく、スタンリー・キュービックが描いたEyes Wide Shutのような秘め事や、喜び、愛情、陶酔、快楽、退廃、あるいは、怒りや悲しみ、お人好し等を浮かび上がらせている。
仮面には二つのアーモンド型の穴が穿たれ、その穴を通してカメラのレンズを覗き込んでくる緑や青の目は、ぼくをむせ返るような頽廃と幻想に誘い込む。
・・・ダリの不思議な時計がまた、頭の中を泳ぎ始める。

人々が着けているマスケラの種類は、大別すると5種類。
・目から鼻にかけて顔の上半分だけを隠すおなじみのColumbina(バッドマンみたいなやつ)。同名の喜劇女優のためにデザインされたらしい。美人向けだ。
・Bautaと呼ばれるフルフェイスの口の部分が前に突き出しているペンギンみたいなやつ。仮面を付けたままでも飲食が可。
・Medico Della Pesteと呼ばれる鼻と口に鳥の嘴のような突起をもつ仮面。この仮面は中世の医師たちがペストの治療の際に用いたマスクで、嘴の部分には、空気を洗浄する目的で香の強い薬草を入れていた。また、目には直接目をあわせないようにメガネをかけ、手には直接触らないで布団をめくり上げるための棒を持つ。
・Morettaと呼ばれる1760年ごろにのみ流行ったという黒のベルベット製の女性用マスク。もともとはフランス起源のマスクで、結ぶためのヒモはなく、マスク内側のボタンを咥えて装着。このため、このマスクをかぶった女性は話ができなくなる。会話は優雅な身振りのみ。競馬観戦なんかの時に主に装着されたようだ。
・最後はLarva(Voltoとも)呼ばれる白の典型的なベネチアンマスク。Larvaはラテン語の”マスク”、あるいは、”幽霊”からきている。映画Vフォー・ヴェンデッタででVが着けていたマスクだ。軽くて装着がしやすく、着けたままダンスや食事など気軽にできるので一番人気。

さてさて、優雅さを身にまとうためのマスケラだが、着けているほとんどの人々の目が笑っている。まあ、こんだけ歩く道すがら、みんなからカメラを向けられると、ちょっとしたいい気分になれるのかもしれない。それに引き替え、マスケラたちの写真を撮ろうとカメラの群れに突っ込んでいく東洋の美人たち。その表情がまるで仮面を着けたように無表情なのが不気味だ。
・・・カメラはコミュニケーションを楽しむことができる魔法の道具なんだけどなあ。。
では、ciao, ciao


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ベニスの町

2012-02-24 22:43:44 | プチ放浪 都会編

 
 

水上都市ベニス(ヴェネツィア)の起源は、5~6世紀頃に外敵の侵入を避けるために干潟(ラグーナ)に定住した人々に遡ると言われる。それ以来、泥の層が堆積したアドリア海の干潟に、人工の都市が建設されてきた。ベニスの建物は、干潟の泥中に打ち込まれた大量の丸太の杭を土台としている。

ブルッヘ、アムステルダム、サンクトペテルブルク、蘇州。水の都と呼ばれる都市は多いのだが、やはり水の都といえばベニスが一番だ。
ホテルの傍のブス停を出たブスは、しばらくすると、鉄道の鉄橋と平行に伸びるアドリア海を渡るリベルタ橋を通ってローマ広場に到着する。
車、バスが入れるのはここまで。ベニス本島には自動車が走っていない。このローマ広場から水上バス(ヴァポレット)や水上タクシー(モトスカーフィ)に乗ってベニス本島へ入ることになる。

ベニス本島は魚のような形をしている。その真ん中を全長約3kmにおよぶ逆S字形の「カナル・グランデ(大運河)」が北西から南東へ、市街を2つに分けながら湾曲して流れる。
まずはヴァポレットに乗って大運河を縦断し、島の反対側にあるサン・マルコ広場へと向かうことに。
乗り合い定期運航船ヴァポレットがベニス本島の各所を網羅している。乗り降りの多い路線は15-20分おきに船がある。

チケットは現地の人たちに比べて4倍程度の料金設定。距離に関わりなく1回6.5ユーロ。かなり高い(´ω`。)グスン 。
乗降船時に改札はないのだが、まれに船内で検札があり、乗船券を持っていないと39ユーロの罰金が科せられるらしい。
船から航路を見ていると、カナル・グランデをのところどころに白い浮遊物が・・・。一瞬、冬の日本海のような「波の花」?と思ってみていたのだが、どうやら白い浮遊物は氷。氷が波で寄せ集められてところどころ白くなって見えている。

さて、船着き場を降りるとそこはRIALTO(リアルト橋)・・・。
(゜∇゜ ;)エッ!? S.MARCO(サンマルコ広場) 行きがRIALTO(リアルト橋)で終点なの?と思いきや、50m先の停船所で、S.MARCO(サンマルコ広場)へ乗り換えて行けとのこと。・・・ヴァポレットは、イタリア語を話さない人間(ぼくだけかもしれないが)にとって、かなり難易度が高い。

さて、乗り換えたヴァポレットは、カナル・グランデで数少ない大きな異彩を放つリアルト橋を背にして先に進む。16世紀にかけかえられた大理石製のリアルト橋の上には、小さな店が並んでいるのが見える。
仮面を付けた若い女性たちの旅行者グループが船首に設けられた座席ではしゃいでいたが、あまりもの寒さに後方のキャビンに引っ込む。凍りついたカナル・グランデを渡る風は、頬を切るような冷たさで、デッキでの体感温度は氷点下。
10分ぐらいのクルージングでS.MARCO(サンマルコ広場) 。

S.MARCOに到着。すぐそこにヴェネツィア共和国の総督が住み、立法・行政・司法の中枢だったドゥカーレ宮殿がある。その隣りに見える巨大な丸屋根がサン・マルコ寺院。
O(≧▽≦)O ワーイ♪ マスケラが大勢ひしめいている。


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雪のベニス

2012-02-23 22:12:10 | プチ放浪 都会編
  
  

夜明けのベニス( ヴェネツィア)の写真を撮ろうと5:30にセットした目覚ましに起こされて、ホテルの部屋の窓ののカーテンを開けるとまだ、外は真っ暗。街灯のナトリウム・ランプに照らされて、あたりは一面オレンジ色に光っている。
・・・雪だあ♪ \(^0^\)(/^0^)/ ♪
・・・なんだっけ?ワンワン物語の歌。ベラ・ノッテ?
今朝は朝焼けの写真を撮ることはできないが、雪のベニスっつうのも写真の題材としていいかもしれない。
さっそく起きだしてホテルのフロントでちゃんとしたベニスの地図をもらい、カメラを片手に散歩にでた。
昨夜の深夜の到着からぼくの面倒を見てくれたホテルの支配人が、降りしきる雪にも関わらず、すでにホテルを後にしたぼくを走って追いかけてくれて、ブス(バス)の乗り方を片言の英語で教えてくれる。曰く、ブス停でヴェネツィア行のブスが来たら、手をあげで合図すれば停まってくれるらしい。。
・・・まだ、ホテルの近所の探検のつもりなんだけど。。

まだあたりは真っ暗だというのに、結構、バスは頻繁に走っている。大型のトラックなどがびゅんびゅん通りすぎていく2車線のメイン道路の脇には積雪が10cmほど。路肩を走る蛍光カラ―の防寒着を着た自転車とすれ違う。
アルプス山脈を越えてイタリアに積雪をもたらすシベリア寒気は、ここベニスの気温を氷点下まで降下させる。地中海の湿った空気はその寒気で冷やされて雪になるが、日本の上越と同様に重く湿った雪となる。だから、降りだした雪でも、自転車で通行が可能なのだ。

広場に残るだれかの足跡を追いかけて教会へ。司祭なのだろうか、もうこんな時間に教会に来ている。・・・そう言えば、今日は日曜日だ。
教会からさらに先に進むと、昨夜、その前を通り過ぎた時に興味を引いたバーカル(Bar)がまだやっている。中をのぞいてみたら、カウンターの中には中国人らしき若い女性、そして、テーブルにはコーヒーを飲んでいる中年の男。
カウンターに陳列されているいくつかの種類のクロワッサンとエスプレッソを頼み、テーブルへ。
どうやら、こちらのバーカルでの作法は、自分でショーケースから好みのクロワッサンを紙ナプキンで取って、用意された皿に乗せ、自分でエスプレッソとともにテーブルに運ぶようだ。んで、テーブルチャージはなし。
中にクリームが詰まったクロワッサンでイタリア式朝食をとっていたら、ようやく辺りが明るくなってきた。日の出は7時前後のようだ。雪はまだしんしんと降り続いている。
ホテルに帰ってシャワーを浴びたら、ベニスの真ん中まで出てみよう。マスケラを探しに。。


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