tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

100本のダイビングで見れたもの

2010-02-28 23:41:40 | プチ放浪 海沿い編

  ようやく時間的な余裕ができて、ダイビングコンピュータのデータをPCに転送していて気がついた。
先日の雲見でのダイビングはダイビングNo.が100を超えていた。

そもそも、ダイビングの本数を数えるのも、その本数を公表するのも好きじゃない。ダイビングサービスによっては、居合わせた皆でお祝いをしてくれるのだが、海をリスペクトすることなしにダイビング本数を自慢するやつらをサイテーだと思っていた。それに、このトシで祝ってもらっても、先がないことが見えているから嬉しくはない。
(年季の入ったヨッティたちは、乗挺の回数を自慢することはない。その代わり、遭遇した嵐の大きさを自慢する・・・。)

思えば、2年前に足を骨折して、そのリハビリとして夏季限定のつもりで再開したダイビングだった。再開には20年以上のブランクがあった。20年の前のログは失くしてしまっているので、人生におけるトータルダイビング本数はわからないままだ。

20年ぶりに再開してからの100本のダイビングで見ることができたもの。
残念ながら、マンタ、マンボウ、クジラ、そしてサメといった、海のアイドルたちは見れていない。
昨年はサイパンのダイビング後に減圧症らしき障害が出て、しばらくは、夜も寝られないほど苦しんだ。
それでも、死なずにこれたのは、一緒に潜ってくれたバディたちのおかげだ。
水中で出会ったサカナを思い出すのは苦労するが、一緒に潜った仲間の記憶は海よりも深い。
一生忘れることはない。

バディの皆様。どうも、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。
また次のダイビングは、近頃、ガイドすることがレアなプロフェッショナルなあの方に記念ダイブをお願いしようと思っています。その節は、よろしくお願いします。

 
 

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買っちゃいましたぁ(笑)

2010-02-27 21:06:23 | プチ放浪 都会編

ついに・・
念願のカメラを購入しましたぁ。

と、某ブログで「河津桜」の称号を得たパタパタさんのブログをリスペクトした某デジカメさんのブログと同じような書き出しです(笑)
 
これまで使っていた富士フィルムF31fdは、一度、ヨットで海中に落ちたときに水没してから買いなおして以来、
取り扱いに気をつけていたため、ほとんどダメージを受けず、1年以上、ファンダイブのお供として活躍してくれています。

ですが、いろんな意味で限界を感じるようになり、新しいカメラが欲しいな~と思い始め、何を買おうかずっと悩んでいました。
富士フィルムのF200が欲しかったのですが、外付けのレンズがつけにくいという点で躊躇し、他にこれというのがなくどうしようか悩んでいました。

そんな中、横浜の中華街をぶらついている際に大通りにあるお土産屋さんの店内で見かけ、お肌をツルツルにするということで感動しました。
菜香食品(さいこうしょくひん)って最高!!

んで、これ↓です!!



え?

 

カメゼリーですよ(´・ω・`)
亀等(カメラ)なんちって。。
・・・感じていた限界って老眼です。中国5千年の歴史パワーでマクロをなんとか見えるようにと。
でも、こないだまで中国って4千年の歴史だったですよね。。




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修善寺 モノトーンの似合う土地

2010-02-26 23:45:14 | プチ放浪 山道編

 
 
 
 

頼朝の立場からすれば、武門の総帥たる自分の許しをなしに任官され、自分の対抗者として後白河院に利用されようとしている義経を許すわけにはいかなかった。
まして、義経は自分の弟であるだけに、より厳しく対処しなければやっと築き上げた幕府の統制が崩れ去ってしまう恐れがあったのだ。
頼朝はもう一人の弟の範頼に義経を殺すよう命じる。だが、範頼が弟を殺すのは嫌だと断わると、今度は範頼も義経のように叛くようになると疑うようになる。
建久4(1193)年の曾我兄弟仇討ちの時、頼朝も巻き込まれ殺されたと誤って伝えられ嘆き悲しむ政子を範頼が慰めると、頼朝亡き後幕府横領の下心があると思い込む。

範頼は陳弁につとめるのだが、同年、ここ修禅寺に幽閉され、梶原景時に攻められて、日枝神社下にあった信功院で自刃。
源範頼の墓は修禅寺左手の丘にあり、桂川を挟んだ反対側に、父頼朝の死により家督を継いで鎌倉二代将軍となった頼家の墓がある。
正治元(1199)年に18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった頼家は、父の没後に専横になった北条氏を押さえて幕府の基礎作りに懸命であったが、みにくい駆け引きに終始する政争に破れ、在位わずか6年で、この修善寺に流され、元久元(1204)年、北条時政の手で入浴中に暗殺された。(享年23歳)
源氏の悲劇とこの修善寺の地とのかかわりは深い。

明治25年、修善寺を訪れた正岡子規は、「此の里に悲しきものの二つあり 範頼の墓と頼家の墓と」と詠んだ。
また、明治43年に滞在した夏目漱石も、範頼・頼家をしのぶ句を病床で詠んでいる。
「範頼の 墓濡るるらん 秋の雨」


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修善寺 かなしきものの 二つあり

2010-02-25 23:14:41 | プチ放浪 山道編

 
 
 
 

明治25年、修善寺を訪れた正岡子規は、「此の里に悲しきものの二つあり 範頼の墓と頼家の墓と」と詠んだ。

異母兄弟の弟 義経を死に追いやった冷酷な頼朝のイメージ。源頼朝が世間に嫌われているのは、彼のこのイメージからくるものだろう。
頼朝には2人の兄、義平と朝長がいて、そして、範頼、義門、希義、義経の4人の兄弟そして異母兄弟がいる。
だが、頼朝は生まれた時から嫡子として育てられた。兄弟は、生まれた所に一緒に居た訳でもなければ一緒に育てられた訳でもなかった。
頼朝も兄達も其々の母から生まれ、其々の環境で育ったのだった。

彼らが兄弟として出会った時には、頼朝は既に嫡子としてのプライドを持ち、お互いがライバル同士の関係だったのだろうか。
頼朝は兄たちのプライドを傷付け無い様に気を遣いながら、常に武家の嫡子としていなければならない。
頼朝の性格はこうして形成されて行ったのだろう。

そして、母の違う弟の範頼、義経達を、頼朝はどう思っていたのだろう。
平治の乱で、父や兄達と共に戦いたいと思い初陣を決めた、たった12歳の頼朝の心の中には、幼い弟たちを守りたいという思いがあったのではないだろうか?
だから頼朝は少しも恐れる事なく戦えたのだと思う。

だが、その愛情が義経や範頼への冷たさへと変った気がしてならない。義門は幼くして死亡。そして、希義は流刑人として20年を過ごし、土佐国で平重盛の家来によって殺害。範頼、義経は残された異母兄弟だった。


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メガハートのダイバー(2)

2010-02-24 23:28:51 | プチ放浪 海沿い編

 
 
 
 

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バンクバーオリンピックで、一番見たかった選手。それが彼女だ。安藤美姫選手。
4年前の前回トリノ五輪では4回転ジャンプに果敢に挑戦したものの15位だった。オリンピックが惨敗で終わったとたん、潮が引くようにメディアは彼女から離れていった。だが彼女は、それでも輝いていた。
大人の演技を身につけた彼女は、2007年世界選手権では女王となった。
彼女は今、08年浅田真央、09年金妍児と、彼女に続く2人の女王経験者と決戦に挑んでいる。

彼女のショートプログラムの演技をみたいのだが、残念ながら、NHKでの放映を今のところ目にすることができないでいる。
だから、ネットで見つけた彼女の写真の姿を、脳裏にずーっと焼き付けておこうと思う。
彼女は今、誰よりも確かに輝いている。
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さて、先日のダイビングでの出来事だった。イントラが狭いアーチ潜り込んだ。
他のダイバーたちは、海底のマクロ生物などを探していてイントラの後にすぐに続く様子はない。
ぼくの方がイントラのそばにいたことから、イントラに続いてアーチに潜り込んだときだった。
順番を抜かされた女性ダイバーがぼくを追い越そうと、砂を巻き上げながら割り込んできた。狭いアーチなので、どうしても体が重なる。
不意にレギュレータが強く引っ張られて、体ごと前方に持ってかれた。
猛烈な勢いで追い越こそうとする彼女に、ぼくのレギュレータホースが引っかかってしまったのだ。とっさにレギュレータを押さえるも、口からはずれてしまう。

こんな時の対処法は3通り。一つは、オクトパスリカバリーを行い、自分のオクトパスで呼吸する方法。2つ目は、相手のオクトパスを取り、呼吸する方法。そして最後は、引っかかって外れた自分のレギュレータを回収し、それで呼吸をする方法だ。
この時、ぼくの選んだのは、自分のオクトパスを使うだった。ホースを引っ掛けた彼女は、アーチのど真ん中で止まり、写真を撮り始める。
どうやら、彼女はアーチを出るイントラの姿をシルエットとして写真に撮りたくて、狭いアーチに突っ込んできたようだった。
人気のイントラだから彼の女性ファンは多い。絵になる背景があればその姿をカメラに収めて、彼にプレゼントしたいという気持ちはわかる。
だが、地上においてすら、体がぶつかるような狭い空間を通行する場合は、互いに気をつけて通行するというのが一般ルールだ。

引っかかっていたぼくのレギュレータはすぐに外れた。レギュレータを回収しリカバリー。一呼吸きりのオクトパスブリージングだった。
レギュレータを引っかけることなど、網など障害物の中でレスキュー作業を行う海猿たちから言わせれば、よくある話でつまらないことかもしれない。
そもそもハイシーズンになれば、こうした目がハートの女性ダイバーたちがイントラの後を追って狭いアーチに殺到し、撮影ポジションを巡ってバトルを繰り広げるのだろう。
そんなシチュエーションに慣れた彼女たちからすれば、レギュレータのリカバリーなんぞ朝飯前のことなのかもしれない。

女性の人気が異常に高いイントラゆえに、ハイシーズンになればぼくがこのイントラと一緒に潜ることはまずない。
なので、得がたい経験を積ましてもらったことになる。
貴重な体験をさせてもらったのだが、ぼくのこの経験から得られた教訓は「目がハートのダイバーには気をつけること」だった。

そのイントラの写真は、その日のログの写真としてしっかりと採用されていた。さすがメガハートダイバーというしかない。
なお海猿たちとの官民合同潜水訓練では、素もぐりの装備で、ヘリから飛込みを想定した高所(5m弱)飛込みと、それに続くドルフィン、体調確認素潜りなどの訓練をするらしい。彼らは着水のショックでマスク、シュノーケル、フィンをはずしてしまうことはないというから・・・すげえ。。
きっと、体の一部になっているのかも。。


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