tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

右足複雑骨折

2008-01-14 20:26:08 | bad news

tetujinの拙いブログを訪れてくださる皆様へ

tetujinは、本日の2本目のフライト(パラグライダー)で着地に失敗し、見事に右足をクラッシュ。大破いたしました。恐らく、明日から入院生活を余儀なくされるので、ネットには上がれない状況となってしまいやした。すんまそん。

現在、2か月後の職場復帰を目指して計画中です。退院できたら、ネットの方もこれまでどおり顔を出させていただきます。約一年間のブログでしたが、種々の応援をありがとうございました。復帰するまで皆様お元気でお暮らしください。くれぐれも、着地に失敗して怪我をしないように、お願いします。

なお、入院中は生まれて始めての長期休暇。読まずにたまりまくった本を読みまくる予定です。長編小説の執筆も挑戦しようかなと・・・・・・。

お元気で。


風に舞う。

2008-01-13 21:01:24 | プチ放浪 山道編

頭上に、とんびが風に舞う。
「やあ」
「とべないのかい?」
「まだまだ修行中なのさ」

今日は北風、9mオーバー。
一日中風が強くて全然飛べず、ミニサイズのパラグライダーでさえも出す気がしないほど強い風が吹き荒れていた。
しかたがないから、焚き火に当たって焼き芋を。
ベテランパイロットのいろんな話を聞けた。しかし、ここのところ、飛べる確率がかなり低い。
明日に期待するしかないかあ。

とんびのみてる光景を僕もみる。
島のように空と海の間に生れた。
君も僕も。そしてあなたも。

Elton John - Your song


ドクサツ

2008-01-12 18:45:37 | プチ放浪 都会編

強烈な光があたりを照らすのと同時に、ぺたぺたとスリッパを引きずる音が床をかすかに揺らす振動と共に聞こえてきた。俺たちは物陰に隠れて奴が通り過ぎるのを待つ。
運悪く見つかれば間違いなく命はない。奴らはそういう生き物だ。俺たちの仲間が毎日にように無残に殺されていく。あるものは、捕らえられて衰弱して、またあるものは毒ガスで処理されて、またあるものは撲殺だった。
だが、俺たちはその運命を甘んじて受け入れるしかなかった。逃げ回るだけ・・・・・・。時には自分たちの運命をのろい、そして自由に生きることができる日々を夢見る。だが、毎日を生き延びることこれで精一杯で、運命を変えようとする余裕はなかった。
たぶん、どこの世界でもそうなのだろう。そんな風に世の中はなっているんだ。

俺は物陰に隠れながら、家で待っている飢えた子供たちのことを思った。今日の出掛けに見送ってくれた後、俺の姿が見えなくなってから、「パパぁ!早く帰ってきてね」と大きな声が聞こえてきた。もうすぐまた子供も生まる。ますます責任が重くなる。だから、今、俺は死ぬわけにはいかないんだ。

奴が通り過ぎた。だが、まだそんなに遠くには行っていない。もう少し、様子を見ることにしよう。ここは一番大きな通りだ。ここを渡らないとどこにもいかれない。だが、途中に隠れる所がないため、特に危険な場所なのだ。
仲間が様子見に行く。意を決して全力で走りだす。俺は仲間が無事に渡るのを確かめてから渡ることにした。用心にこしたことはない。仲間は渡りきり、こっちを振り向く。しめた。奴はまったく気づいていない。
いよいよ俺が続く。音を立てずに走る。大丈夫だ、行ける。まっすぐ前を見て走るのだ。向こうで待ってる仲間のところへ。
大丈夫だ。奴は気づいていない。

通りを渡りきった俺たちは、建物の陰に急いだ。建物の中を覗き込んだ仲間は、ぎょっとして声をもらした。扁平な形をした建物。その入り口に設けられたスロープの向こうには、我々の仲間たちの死骸がいくつも転がっていた。そのなかに、まだ息があるのかかすかに動いている者もいた。死のトラップだった。生存者を助けようと建物のスロープに足をかけた仲間を俺は制した。
「行くな。近づいたらお前も動けなくなる」
「しかし!」
「かわいそうだが置いていくしかない」
一人の仲間の命より、残された者たちの生活が大切なんだ。

俺たちはさらに進む。振り返らずに無言で歩いた。永遠に続く地獄の日々。でも、この悲惨な現実から逃れることはできない。

「見つかった!逃げろ!」
仲間が叫んだ。
「早く走れ!」
次の瞬間、ガスが我々を襲った。
仲間の悲鳴が響く。
姿が見えない。完全にガスで視界が遮られている。
意識がもうろうとしてきた。
地面にひざを突き、倒れ込む。締め付けられるような頭痛が襲ってくる。ガスは神経を麻痺させつつある。全身の筋肉が勝手に伸縮をはじめる。だめだ。もう動けない。体を起こす事さえ無理だ。
俺は死ぬんだ・・・・・・。

*******************
「うわー、気持ちワル!」

女はそう言いながらティッシュを取り出し、
一匹のゴキブリを捨てた。


バッテリー

2008-01-11 11:59:34 | cinema

本屋の店先に山となって置かれていた累計1000万部のベストセラー小説。気になっていつも手にとって見ていたが、あまりにも大きなそのボリュームから、読むことをを断念していた。それが、映画になって、そしてDVDとなってやってきた。

とてつもなく速い球を投げるピッチャー。同じ人間とはとうてい思えないバッター・・・・・・。どんなスポーツでもそうだが、才能に恵まれていて、頭一つ抜け出ている非凡なヤツってのは必ずいる。凡人がどんなに努力しても追いつけない天賦の才能。小さい頃は、そんな才能のあるヤツにあこがれてたし、その才能に嫉妬もした記憶がある。
特に野球が好きというわけでもないが、大学の頃は他のクラスの体育授業にまで参加してソフトボールを追っかけていた。ある時は、草ゲームで人数が足らなければ助っ人を。普段のポジションはピッチャーなのだが、助っ人の手前、遠慮してファーストの守備。そこで、サードに入ったサウスポーからのスローイングにびびったのを思い出す。あの大きなボールがナチュラルにシュートしながら、しかも、うなりを上げてファーストめがけて襲ってくるのだ。シュートする分、差し出したグローブの親指をボールがたたく。グローブを突き上げるようなボールを受けたのもはじめてで、ボールを受けるたびに親指を脱臼しそうになって。恐怖に襲われていた。死ぬかもしれない・・・・・・。恐怖から、ボールを取りこぼしていた。・・・・・・すごいヤツっている。

女性が書いた中学の野球小説。ぼくら”巨人の星”世代の呪縛を乗り越えて、スポコンドラマとは違ったテイストのストーリーを描いてくれている。時代は確実に変った・・・・・・。
主人公は、剛球が自慢のピッチャー。独りよがりのところがあるけれど、これが新しいクールなヒーローだ。おそらく、原作者あさのあつこの理想とする少年像なのかもしれない。<中途半端なことはやらない>。主人公は大人顔負けのガッツを見せる。軟弱に、人の影に隠れていた自分の中学時代を思い出し恥ずかしくなる。「おばさん、野球はやらしてもらうものではなく、やるものです」なんて逆立ちしても言えなかっただろうなあ。野球部の監督による支配的指導や丸坊主を求められても、「丸坊主にしたら、球が早くなるんですか!」と。言えないだろうなあ。

だが、確かなことは自分も中学生時代には、少なくとも頭の中が空っぽだったわけではなく、一生懸命なにやら考えていたなあということ。自分の年にあった相応の悩みがあり、真剣に考えていたということだ。だから子供を、いつまでも「子ども」と思っていてはいけないということ。年配者として考えさせられる映画だった。


世界でいちばん不運で幸せな私 Jeux D'enfants

2008-01-10 20:22:55 | cinema

Games Of children Love Me If You Dare Better than life

もしも、恋愛小説で読者があっと驚くような「大どんでん返し」のストーリーを書くとすれば・・・・・・。まさに、この映画はそれだ。というような書き出しでこの映画のことを書いてみようと思ったが、念のためにフランス語の原題「Jeux D'enfants」を英語に訳してみたら、案の定
「Games Of children:こどもたちのゲーム」。つまり、この映画はラブストーリーではない。だから、流行の韓国映画の延長でこのフランス映画を観ると、だまされたと思ってしまうのかもしれない。なんで2人は ま じ め に 人 生 を や ら な い ん だ と。
でも、ファンタジーとしてこの映画を見れば、心に残るシーンがたくさんある。ちなみに、この映画のInternational: English titleは”Love Me If You Dare:勇気があるなら愛してよ”、フランスのworking titleは ”Mieux que la vie(Better than life):人生よりももっと素晴らしいもの”。・・・・・・本当に微妙なタイトルだ。
 
きれいなお菓子の缶は、男の子の宝物。
「こんなに綺麗な缶を見たことがある?だから、あげる」
ガンに侵されて余命いくばくもない母親は、幼い息子の気持ちだけ受け取る。このお菓子の缶、男の子にとってはすごく大事な宝物なのだ。その宝物の缶をいじめられていたポーランド移民の少女ソフィーにあげる。
「これ、あげるよ。でも時々返してね。」というジュリアン。
「私に勝ったらね。」と返すソフィー。そこから二人のゲームは始まりまる。母親の死を乗り越えるため、父親はジュリアンの唯一の話し相手のソフィーと共に暮らさせることにする・・・・・・(設定が現実離れしているが)。
2人のゲームは、年齢を重ねるごとに命を危険にさらすほど過激なものとなっていく。突然、彼女にあっさりプロポーズ。しかも映画の中ほどで。あれ?映画が終わっちまうじゃまいか?と思っていると、実は他の女性との結婚式への招待だったりする。結婚式の誓いの場面で映画”卒業”で見たダスティホフマンばりのパフォーマンスを演じたかと思えば、迫り来る列車の前に目隠しをして相手を立たせたり。本当に理解し難いゲームに2人は興じていく。

こんな超過激なシーン。1971年にアメリカで製作された映画「時計仕掛けのオレンジ」を見た時の衝撃を思い出した。過激な暴力描写などショッキングな場面は最近の映画では珍しくもなくなってしまったが、当時は現実世界とのギャップがあまりにも大きすぎるうえに、一人残らず徹底的に利己的な行動をとる主人公たちの行動に度肝を抜かれる思いがした。このような社会や体制に対する反抗的な姿勢、怒りをあらわすファッションは1970年代のロンドン・パンクがその源流となっていて、当時の保守的な人たちからは全く理解されなかったのだが、この映画もそれに似ている。あの頃のパンク・ファッションは、今日においては誰でもが楽しむ普通のファッションになってしまっているのだが。
命がけの狂おしい愛を描いた過激な描写のこの映画も、年月を経れば見慣れた描写になっていくのであろう。人間というものは、より強い刺激を求めがちで、しかも、たやすく刺激になれてしまうものだ。そういう意味において、この映画はこれまでの恋愛映画とは一線を画したということができよう。だからあえて、今、この映画を無理に理解しようとはせずす、時がそれを可能にしてくれるのを待つといいのかもしれない。
とは言え、2重になったラスト・シーンにはヤン・サミュエル監督の救いが託されている。2人の愛はコンクリートに固められて永遠に続くことになる。実は、大人になってからのあの過激なゲームは、実際には想像上のものでしかなかったことを暗示しつつ・・・・・・。

Jeux d'enfants[How Did I fall in Love with you]