tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

ツォツィ

2008-05-25 12:44:41 | cinema

南アフリカのヨハネブルグのスラム街だけの話ではない。映画「バス174」は、ブラジルのストリートチルドレンの実態をモチーフにしたものだったし、「セントラル・ステーション」や、「シティ・オブ・ゴッド」でもブラジルの社会の底辺に生きながらえる者達の渇望を描いている。
北朝鮮では各国の経済制裁に起因する食糧難のため、食糧確保に出掛けた父母から離れて子供たちが都市部の闇市や鉄道駅に集まり、「コッチェビ」(花つばめ)と呼ばれる集団を築いている。また、ロシアやモンゴルでは、極寒の冬を生き延びるために温水管が張り巡らされたマンホールの中に住み着く子供たちがいるし、バングラデシュの首都ダッカには33万人以上、ルーマニアの首都ブカレストには数千から1万人もの、プノンペン ストゥンミーンチェイ郡にあるゴミ山の傍には2千人の、そして、フィリピンのパヤタスのゴミ捨て場で、さらに、インドでも、ストリート・チルドレンがスラム街に暮らしている。
現在、国連の推定では、世界中にストリートチルドレンは1億人以上としている。日本でも、第二次世界大戦後、「戦争孤児」たちが身寄りのない「浮浪児」として都会の底辺を這いまわっていた。

この映画の物語の舞台となるヨハネスブルグには、近代的な高層ビルが立ち並び、白人や一部の裕福な黒人たちは豪華な高級住宅街で何不自由ない生活を送っている。一方で、貧しい人々が暮らすスラム街では砂ぼこりが舞い、ストリート・チルドレンが土管の中で生活している。
主人公の名はツォツィ。3人の仲間と満員の電車に乗り込み、スーツ姿の男を取り囲んで金を脅し取ろうとする。ところが、声を出されそうになった拍子に、仲間の1人がアイスピックで腹部を刺し貫いてしまう。平然と行われる殺人は、日常茶飯事のことなのだろうか。無表情のツォツィの顔の奥にはどれだけ残忍なものが潜んでいるのかと思えてくる。

ストリート・チルドレンは多くの大都市に存在するのだが、彼らは単に貧しい生活から逃れるためだけでなく、両親の離婚や暴力など家庭内の問題が原因で故郷の村を離れて、心の傷をかかえたまま路上で生活を送っていることが多い。そして、彼らの生活は、小商い、荷運び、靴磨き、ごみ拾い、売春など不当に低い賃金での長時間労働でなんとか成り立っている。その暮らしは、路上で生活しているため、所持していた現金を夜眠っている間に盗まれたり、不衛生な環境のために病気になったりするなど絶えず危険にさらされている。もちろん、学校には通っていないことがほとんどだ。
路上に生きる女の子たちは、ある年齢を境に売春に関わっていく。父親がいなかったり、父親がいたとしても家族を支えるだけの収入がなかったり、そんな状況におかれた女の子の多くが自分の体を売って金を稼いで来いと自分の親に強要される。そして、客側は後の事を考慮せずにことに及ぶためコンドームを使用せず、加えて売春している子供らも貧しさからコンドームを購入できないという事情もあり、これもがエイズの問題を拡大させている。
それでも、ストリートでの生活は、初めて味わう「自由」を彼らにもたらす。誰にも邪魔されない生活は、彼らにとって本当に素晴らしいといえるものだ。食べ物を分かち、身を寄せあって寝た仲間との間に育つ友情。家や仕事場で感じた苦しみや心の痛みは、仲間と目的もなく歩き回るときだけは忘れることができる。

とにかく、食べるために彼らは働かざるを得ない。仲間と一緒に盗みもするだろう。盗んだ野菜や果物を別の場所で売る。・・・・・・麻薬も売る。彼らは自分が稼ぐ以外にストリートでは生き残る道がないことを知っている。家族の元へは絶対に戻らない。両親、兄弟、だれも彼らのことを引き取りたくないどころか、家族として認めもしない。そんな愛情のかけらもない場所に戻って一体何になるんだ。

ストリート・チルドレンがなぜ生れているのだろうか。
南アフリカはその典型だろう。先進国の資本による大規模な農園が各地に生まれる一方で、土地を共有しながらそれぞれが自営の農民であった古来の社会は崩れて、人々は地主の土地を耕作する小作農または農業労働者になっていく。ここに現代の「貧困」の原点がある。ひとにぎりのエリートと大多数の貧困層からなる社会。アジア・アフリカの各国に共通する植民地時代の土地所有関係が基盤になっている。
加えて、近代化は、農業などの第一次産業から工業などの第二次産業への移行を伴い、農業生産の効率化により人々が農村から都市に流れ、工業化を支える労働力となるはずなのだが、実際にはそうなっていない。教育を受けていないことが問題なのだ。
都市においても同じだ。農村からやって来た大量の人口を吸収できるだけの雇用が都市にはない。しかも、南アでは、1994年の民主化(アパルトヘイト撤廃による史上初の全人種参加の選挙実施)以降、公的部門の民営化により20万人以上の雇用が失われた。社会的サービスの民営化は貧困層の生活を直撃する。利益優先のため、貧困層へのサービスは切り捨てられるのだ。
その上、多くの発展途上の大都市では、人口の増加にも関わらず雇用条件や住宅環境など都市の環境が整っていない。この環境の不備が都市の周辺に拡がるスラムを生み出し、そしてストリートでインフォーマルな仕事につく子どもを生みだしている。多くの場合に、スラムに住む人々のうちのほとんどは農村、漁村から移り住んできた人々なのだ。

日本の人口に匹敵する数のストリート・チルドレンたち。近代化すればするほど、その数は増大する。根は深い。せめて、盗みでも何でも良い。あぶく銭を手に入れたストリート・チルドレンたちが、この映画を見て何かを感じ取って欲しいと思う。そうでなければ、ぼくらがやっていることは、安全な檻の外から中にいる彼らを覗き見ているに等しい。ちょうど、臓器を求めて、子どもや若者たちを物色している死の商人のように。


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