tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

せっかくだから、天の川を見に行こう(3)

2007-07-09 19:57:00 | lesson

天衣無縫

中国の七夕伝説にも続きがあって、ちょっとエッチな内容で、しかもそれは「天衣無縫」の謂れとなっている。
昔、唐代の太原の町に郭翰(かくかん)という青年がいた。既に両親を亡くしていたが、暮らしには困らず清廉潔白な教養のある青年として勉学にシコシコ励んでいた。そんな夏のある夜半、寝台で涼んでいた郭翰の前に、芳しい香の風を伴って天上から2人の侍女を従えた「うわー、すてき!」 っていうオーラを発している美女が舞い降りてきた。黒い絹の薄衣と、霜のように白い薄絹の肩掛けを羽織った彼女は、翡翠色の鳳凰の冠を被り、雲形模様の刺繍を施した沓を履いていた。美女は自らを天帝の娘で、織姫であることを名乗る。しかも、夫である牽牛(けんぎゅう)と超スーパー長距離恋愛をしていることから、気持ちが落ち込んだため天帝の許しを得て郭翰のもとに来たというのだ。
「どうか私と契りを結ばせて頂きたいと思います (。-_-)ノ☆・゜::゜ヨロシク♪」
「ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪」
と言ったかどうか知らないが・・・・・・。
侍女たちが調えた寝台に、郭翰と2人で横になる。織女が薄紅色の薄絹を解くと、何とも妙なる香気が立ち上り、彼女の柔らかで滑るような肌は艶やかで、しめやかにエッチした2人の夜はこの世とは思えぬ甘美なものとなった。
織女は夜明けとともに帰るが、それから毎晩のように郭翰のもとに通ってくる。そんなある夜、郭翰が<ご主人は、この事を知ってんの?>と尋ねると、<私がだれとエッチしようが、だんなには関係ない。まして、下界でエッチしても、単身赴任中のだんなには分かるはずもない。たとえ、知れたとしてもシカトしましょ♪>と答える。
それでも、さすがに七夕の夜が来ると織女は現れない。数夜の後に、ようやくやってきた織女に郭翰が焼きもちを焼くと、<天上での関係は現世のものとは違って、心を通わせるだけでエッチなことはしない。焼餅を焼く必要なんてないじゃん>と答える。そんな中、郭翰はあることに気がつく。それは織姫の着ている衣服には縫い目が全くないということだ。
そうして、1年が過ぎたある晩、織女は悲しげな表情で、郭翰に別れを告げる。天帝から得た許しの期限が来たのだ。2人は悲しみに暮れ、一晩中別れを惜しむ。別れ際、織女は来年の何時何時の日に手紙を出す告げると天へ昇り、やがて消えてしまう。
織女を忘れることができない郭翰は、ショックのあまり病気になってしまう。翌年の約束の日に、織女の手紙が届くがその後は途絶えてしまう。郭翰の織女への思いは尽きず、他の女には心を動かすことはなかったのだが、跡目を残すために、やむを得ずどこかの家の娘を娶る。しかし、織女のことが忘れられない郭翰との仲は悪く、跡目もできずに亡くなる。

「天衣無縫」とは、天女の衣には縫い目がないということから転じて、詩や文章などに、技巧のあとが見えず自然であって、しかも完全無欠で美しいことや、性格が無邪気で飾り気がない天真爛漫(てんしんらんまん)なことを指す。つまり、「この文章は天衣無縫だ」などの使い方をする。ところで、うまく「遊ばれ上手」になれなかった郭翰が、なにかしら可哀想な気もして・・・・・・...ρ(。。、)ヾ(^-^;)ヨシヨシ。

天から降ってきた人の衣には縫い目がないってのは、なにか宇宙人を想像させるのだが、それはまた別の話。