tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

せっかくだから、天の川を見に行こう

2007-07-07 19:04:19 | lesson

こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブの3つの星を結んでできる細長い大きな三角形を夏の大三角形という。
こと座の1等星ベガは、全天でも4番目の明るさの星(シリウス、カノープス、アルファ・ケンタウリに次ぐ)で、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)とされる。わし座のアルタイルは、夏彦星(彦星、牽牛星)だ。この2つの星をペアにして、日本では「女夫星」(みょうとぼし)、「二つ星」(ふたつぼし)と呼ぶ。七夕伝説の主役たちだ。

日本における七夕の言い伝えは、ご存知のように以下のような悲恋物語だ。
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦もまた働き者の牛飼いの青年であり、天帝は似合いの二人を結婚させることにした。こうして織女と牽牛の2人は、新婚生活を始めた。しかし、結婚してからの2人は、あまりにもラブラブで毎日遊んで暮らすようになり、すっかり仕事をしなくなってしまった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ会うことを許した。しかし、7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。その時は、2人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。
実は、織姫と牽牛の2人が7月7日にしか会えなくなったのは、カササギが「七日に一度だけ会ってよい」と伝令すべきところを、うっかり間違えて「7月7日だけ会って良い」と言ってしまったためらしい。責任を感じているカササギが2人の逢瀬を手伝っているとのことだ。すなおに訂正しておきゃいいものを・・・・・・。

この七夕伝説。中国や東南アジアには多くのバリエーションがあり、大きく分けると三つのパターンに分類される。一つは上に書いた「天人同士の結婚」の悲恋物語。もう一つは「羽衣伝説」で、人間が天界から訪れた天女の羽衣を隠し結婚に成功するが、天女は羽衣を取り戻し再び天界へ帰ってしまい、人間は天女を追って天界へ向うも様々な難題を課せられて、結局、難題をクリアできなかったために夫婦は再び別れ別れになるという「天人女房」ものだ。そして最後は、現世で引き裂かれた夫婦・恋人が、死して星となるという物語だ。

たなばたの語源として日本書紀によれば、高天原(たかまがはら)から豊葦原水穂國(とよあしはらみずほのくに)、高千穂に降り立った天孫ニニギノミコトが吾田(あた)の笠狭(かささ)の岬を歩いていた時、海辺に建てた八尋殿の中で機を織る美しい「棚機女」(たなはたつめ)と出遭ったとある。棚機女は、オオヤマツミノミコトの娘でコノハナサクヤヒメといい、後にニニギノミコトと結婚した女神だ。女神は神の衣を織っていた。その女神の職業「棚機女」から、「たなばた」の名称が来ている。また「たなばた」は農作物の収穫を感謝する大事な行事でもあった。まだ米ではなく、麦を中心として粟・稗・芋・豆などを主食としていた時代で、収穫祭として「たなばた」を迎えるのが日本古来の信仰として存在していた。この畑の収穫祭と、盆迎えの祓えの信仰が中国の「星の伝説」や「乞巧奠」(きこうでん)と合体して現在の「たなばた」になった。「たなばた」は「棚機」であり、7月7日の夕べの行事だったので「七夕」の字があてられるようになった。「乞巧奠」とは巧みを乞う祭りという意味で、機織りが上手な織り姫にあやかろうとするものだ。のちに機織りだけでなく、日常の針仕事、歌舞音楽の芸事、詩歌文字の上達を願う行事へと発展した。

七夕は旧暦(太陰太陽暦)での行事なので、季節は7月7日よりも1~2ヶ月遅い時期となる。これを太陽暦であるグレゴリウス暦でやろうとすると梅雨の真っ最中となる。だから、「仙台の七夕」を始めとする各地の八月に行われる七夕行事は月遅れの行事と呼ばれるが、旧暦の7月7日に近い時季となる。また、旧暦では7月7日は上弦の月だから、月明かりが少なく星がはっきり見える。今年は8月19日に相当する。なお、(グレゴリオ暦・旧暦どちらでも言えるが)七夕に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられている。
織姫と牽牛よ。この7月7日が雨でも、あと2回チャンスがあるから、泣くなよ・・・・・・。いざとなれば、カササギが橋を渡してくれるし、上限の月のゴンドラだって1度だけだけど下流を横切るのだから。