tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

クィーン

2007-07-10 19:57:11 | cinema

「クィーン」よ。あなたもか?

1997年8月31日にパリで交通事故死したダイアナ元皇太子妃の死因について、ロンドン警視庁は2006年12月14日、「単なる事故死」との報告書を発表したが、2007年1月、彼女自身の死因究明の審問が3年振りに再開されることが決定した。
ダイアナ妃の死には、当初より多くの謎がつきまとっていた。
8月31日0時25分。パリ市内のアルマ・トンネルのコンクリート製の柱に衝突したメルセデス・ベンツの中には、ダイアナ妃、恋人のドディ・アルファイド、ドライバーのアンリ・ポールとボディ・ガードのトレバー・リース・ジョーンズが乗っていた。ドライバーとドディはは即死だったが、助手席にいたボディガードは、なぜか事故直前にシートベルトを締めていたため、顔と手首に重傷を負ったが一命をとりとめている。ボディガードは常にシートベルトは締めないのが鉄則であるにもかかわらずである。ダイアナ妃はシートベルトをしていなかったものの、事故直後は内出血を伴う重傷ではあったが生きていたという。後日、ボディガードは、事故直後にダイアナ妃がドディの名前を呼んでいたことを証言している。また、ダイアナ妃が「My God」と呻いたのも聞いている。
事故発生の1分後に、たまたまアルマトンネルを通りかかっていた救急医のフレデリック・マイレ医師は、メルセデスの後部座席にダイアナ妃が横たわっているのを発見した。彼女は当局が伝えた”後部座席にはさまれた状態”ではなかった。メルセデスの後部座席は、事故によってもそれほど損害を受けておらず、ダイアナ妃に接近することは容易だったのである。その医師は経験を積んだ救急医療のプロで、フランス政府救急医療サービス(SAMU)に勤務したこともあるベテランだ。ダイアナ妃はひどい傷を受けており、内出血を起こしていたが、事件後の 9月29日の「スコッツマン」紙の記事によれば、マイレ医師はダイアナ妃の状態が絶望的とは考えなかったとある。
マイレ医師はダイアナ妃の頭を動かして、呼吸できるようにした。そして、事故の詳細を報告するために、携帯電話で救急車を呼び出したが、「救急車はもう出発した」との返事があった。その後、人工呼吸を行い、ダイアナ妃が窒息死したり、舌を呑み込んだりしないように処置を行う。事故発生から7分後にSAMUの1ユニットが到着した時、マイレ医師は、ダイアナ妃がすぐに近くの病院に運ばれると確信してその場を去ったのである。このとき、マイレ医師は、ダイアナ妃の内出血を予想していた。
事故発生から15分後の0時40分。救急車が到着。救急車で最初に到着した医師たちも同じく内出血の診断を下していた。一人の医師は「彼女は汗をかいていて血圧は下がっていた。内出血の兆候がはっきり表われていた」と語っている。
救急車到着時、ダイアナ妃はメルセデスの後部座席に寝そべる形で横たわり、彼女の身体の大部分は車外に出ていた。彼女はすぐさま車外に運び出された。
交通事故による犠牲者が内出血を起こしている場合、取るべき方法は一つしかない。安静にし、手術のためにすぐに病院に運ぶことである。手術で内出血を止めないと患者は出血により死亡してしまう。
しかし、それから1時間経過しても、ダイアナ妃はまだ事故現場に置かれたままだった。後日、「最初の救急車が到着して、ダイアナ妃を約6キロ離れた病院に運んでいくのに、なぜ1時間43分もの信じられない長い時間がかかったのか」という質問に対して、フランス当局は、上に書いたように「車がつぶれてダイアナ妃に近づけなかった」という説明を行っていた。
この説明がウソであることはマイレ医師の証言でわかるが、そればかりか、パパラッチの一人のロムアルド・ラットが救急隊員が到着する直前に、メルセデス後部座席に侵入して意識を失いかけているダイアナ妃の写真を撮っていたのが目撃されている。事故車内のダイアナ妃には、容易に近づけたのだ。なぜ、フランス当局はウソをつく必要があったのだろうか?

1時間たって、1時30分にダイアナ妃はようやく救急車に運び込まれ、6.15km離れたセーヌ河畔のラ・ピティエ・サルペトリエール病院に運ばれた。深夜なら川沿いの高速を使えば通常は5分~10分で着くところを、運転手はフランスの応急処置法に従って、患者に搬送による負担を与えないように時速40キロの低速度で運転した。その結果、病院に着くまでに43分もの時間が費やされている。ダイアナ妃をこの病院に運ぶ指示を下したのは、現場にいたパリ警察署長マゾーニと、内務大臣シュベヌマンだ。マゾーニはトンネル内におり、シュベヌマンはすでにラ・ピティエ・サルペトリエール病院にいた。シュベヌマンは電話でトンエル内の救急隊員と連絡を取っていた。しかし、事故現場からもっと近い病院が他にも5つあり、そのどれもが緊急患者に対応できる先進設備を整えているのである。

フランスの緊急医療専門の医師は、この事故の救急対応を振り返って、<ダイアナ妃はバル・ド・グラス病院に運ばれるべきだった。この病院は、ピティエ病院よりも事故現場から遥かに近い軍人病院だ。自動車事故に巻き込まれたり、それで怪我を負ったりした政治家たちは皆、この病院へと運ばれる。事故現場にいた救急隊員たちは軍所属だ。彼らは明らかにバル・ド・グラス病院のことを知っていたはずだ。
この病院は夜間も交替制で、ひどい事故が起きた時のトップ・チームを配置している。私なら、ヘリコプターを飛ばして彼女をそこへ運んだだろう。この病院でなら、運ばれた後、数分で手術室に運ばれたはず。ダイアナ妃は、世界で最も権力・影響力を持った人物の一人だ。それほどの人ならば通常、最高の優先と最高の治療を受けることになる。しかし、ダイアナ妃はそのようには扱われなかった>と語っている。
ダイアナ妃は、バル・ド・グラス病院に運ばれなかっただけでなく、コシャン病院、デュ病院、ラリボワシエール病院、そして民間のアメリカ病院にも運ばれなかった。これらの病院は全てラ・ピティエ・サルペトリエール病院よりも近く、血管破裂を治療するスタッフ・設備を備えていたにもかかわらずである。ダイアナ妃を救急車に運び込むまで、なぜ1時間以上もかかったのか。現場にいたフランス救急隊員から、納得のいく説明はまったくされていない。それに加えて、なぜ救急車はラ・ピティエ・サルペトリエール病院からほんの数百ヤードのフランス国立歴史博物館の前で10分間も止まっていたのだろうか?
スコッツマン紙によれば「ダイアナ妃に行われた治療について不可解なのは、危険な状態に至るまで病院に運ばれなかったことである。ダイアナ妃はトンネルの中から、ラ・ピティエ・サルペトリエール病院に搬送されるまでに何度も心拍停止を起こしている。搬送が遅れた原因について、納得できる説明は何もない。病院の手術チームは、ダイアナ妃が運ばれてくるまで長い時間待ち続けた。彼らは、事故直後からトンネルへ駆けつけた医師と電話連絡を取り続けており、午前1時からは緊急体制に入っていた。しかしダイアナ妃が運ばれてきたのは、それより少なくともさらに1時間後であった」とある。
なぜ非番の警備担当者アンリ・ポールが当日、運転手として呼び出されたのか。リッツ・ホテルの支配人たちはポールがアル中であることを知らなかったのか。ダイアナ妃はなぜ病院へ運ばれるのに2時間もかかったのか。事故現場に残されたさまざまな痕跡から推測される第二のクルマとの接触事故とは。そして、そのクルマに乗っていたのは何者で、どこへ消えたのだろうか。事故の現場で、ダイアナ妃の味方はドディだけだったのだろうか。救急車の中で医療関係者たちは、ダイアナ妃が死んでいくのをじっと見守っていたのだろうか。

冒頭に書いたように、ダイアナ妃の事故が陰謀によるものではと噂される中、ロンドン警視庁は2006年12月14日、「単なる事故死」との報告書を発表した。そして、この「ダイアナ」事件の舞台裏を、エリザベス女王を主人公にして王室の側から描いた映画「クィーン」が公開された。とにかく英国政府および王室側は、そこから世界中の視線をはずしたくて仕方がないようだ。映画では、我々が最も知りたいところ、つまり謀殺説や陰謀説について、さらにはダイアナ妃の恋人ドディ・アルファイドの素性についてすら、ほとんど触れられていない。この映画を見ても、あの事件の真実、および政治の本質などはまったく見えてこない。そのかわり、そこには王位にある者としての使命感・責任感と、英国民の世論、ひいては世界に広がったダイアナ追悼の思いと動きに挟まれて、エリザベス2世が苦悩する姿が描かれている。主演のヘレン・ミレンはデイムはアカデミー賞をはじめ2006年度の主演女優賞を総なめにしたが、10年後、20年後に、歴代の受賞を果たした数多くの映画の中で、はたしてこの映画は今ほどの輝きを保ち続けているのだろうか。この映画の各賞の受賞の背後には・・・・・・。
シェークスピアの言葉を借りれば
"Et tu, Queen?"
「クイーン」よ。あなたもか?と言わざるを得ない。