長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

津軽百年食堂

2011-04-15 08:53:43 | Weblog
大森一樹監督の「津軽百年食堂」が、始まったらしい。
彼は、京都府立医大の学生だった。河原町通りをはさんだ場所に
ぼくが通った立命館大学があった。「お隣さん」どうしみたいな学校だった。
河原町を徒歩5分くらい下ると、「荒神口」という交差点があった。
あの伝説の喫茶店「シャンクレール」があったとこ。そこから100m
くらい下ると、「安兵衛」といううらぶれたおでんやがあった。おでんを
つまみに伏見の「名誉冠」を飲む、というのが青春だった。カウンターだけの
お店だったので、常連さんは顔見知りになった。大森一樹氏も、その一人だった。
「ヒポクラテスたち」という映画を撮っているときには、俳優さんたちをつれて
安兵衛にやってきた。その時酔った勢いで、「ぼくも映画にだしてくれへん」
みたいなことをいったら、大森さんが少し考えて、「ええで、君のいれる珈琲は
うまいんで、どこかに紹介しとくわ」ということになった。

京都から東京にでてきて、荻窪に住んだ。駅前に映画館があって、「ヒポクレテスたち」を一人で見た。京都の医学生たちの青春を描く映画の中で、数年前に自殺した
「なんとか」という背の高い俳優さんが、先輩に「うまい珈琲の豆を買ってきてくれないか」といわれ、「はい、わかりました。からふねやの珈琲ですね」と答えるシーン
がある。一般的には、「イノダ」とかいうにが普通だけど、「からふねや」というのが、小さな約束を守ってくれたぼくたちの青春の一ページ。

弘前城の桜祭りも今回の「津軽百年戦争」では、重要なシーンらしい。
ぼくも何度も桜の季節の弘前にいった。桜もほかの花も一気呵成に
バーっと咲くこの季節の躍動感といったら、ない。

昨日、鳩の街商店街の「鈴木荘」から、東北に向けて
支援部隊が物資を直接もっていくプロジェクトの張り紙があった。
「女性の下着類や生理商品、携帯の充電器など・・」とあったので、
友だちがおくってくれた、充電器と懐中電灯と、電池をもって
チャリンコで運んだら、「ながなわさん」が、ちょうどコンポしていた。
「出会い」という手ぬぐいをデザインしてくれた子だ。
この子がこの街にきてくれたおかげで、ずいぶん、この街が明るくなった。

みんな少しづつ復興に向けて歩きだしている。

今日は「ジャズライブ」
シャンクレールに初めていった時、確かキースジャレットのLPが
かかっていた。kazuko babaさんが天真庵にきて弾いてくれた音は、
どこか共通するもんがあった。これもまた青春の一ページかも・・