長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

人間 本来無一物

2011-04-23 08:23:44 | Weblog
梅雨がくる前に、掛軸の虫干しをする。
余震も続くので、昨日は、九州の実家に
一部を避難させた。南條先生の「寒山拾得」の軸
なんかを中心におくった。将来どこかの田舎で隠居するときに、
それを眺めながらお茶でも楽しめたらと思う。
パソコンをおいてあるこの部屋の上に、寒山拾得と寅にのった豊干禅師
の絵が飾ってあり、そこに「本来無一物」と書いてある。

人は裸ひとつで生まれてくる。そしてひとりで何ももたずに帰っていく。
本来無一物。お金や家や車は、借り物。友だちや、親や女房、子どもも
借り物。必要な時に、神さまが貸してくれて、必要がなくなると、返す
ようなもの。そんな気持ちになると、乞食みたいな豊かな気持ちになれる。

昨日の「ダメ中」で、まいこさんが、仙崖和尚の詩を紹介した。
その中にも、「一椀の飯と一杯の茶がありさえすれば充分」
というのがあった。和尚が最初に博多の聖福寺に来たとき、
博多の坊さんたちが、托鉢をいやがったという話が残っている。
その時に和尚は、「人間は、誰ひとり、ひとりでは生きていくことが
できない。いろいろな人に食わせていただいている。まさに乞食みたいな
もので、托鉢して、施しをいただくという行こを、大切な修行である」
みたいなことを説いたらしい。仙崖さんも、もちろん好んで「寒山拾得」
を描いた。「寒山」は洞窟の中に住み、ぼろを着て、詩を書いたりした。
文殊菩薩の化身といわれ、絵の中では蒔絵をもっている。拾得は、お寺に
拾われたので「じゅっとく」と命名され、絵の中では箒をもって描かれる。
普賢菩薩の化身である。この風狂で世俗を超越した境涯を「寒山拾得」の
絵をかくことにより、禅林や画家たちが、登竜門としてきた。

昨日、升たかさんから電話があった。「最近、寒山拾得の世界を表現したくなった」
とのこと。アバンギャルドな寒山拾得が、この混沌とした世界の中で、またちがった
かたちで暴れまわるのが楽しみだ。

生かされていることを謙虚に思い、いろいろな人に食わせてもらっていることに
感謝していく。毎日1歩1歩、そんな繰り返しの托鉢をしながら、みんな生き暮らして
いけばいいと思う。今日も一服の幸せがある。喫茶去。



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