長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

頼山陽と田能村竹田

2011-04-21 07:49:35 | Weblog
田能村竹田という、文人がいた。昨日彼の掛軸を飾ってみた。
文人たちが、山紫水明の里で、煎茶を楽しんでいるような絵だ。
大分が産んだ巨匠だ。「亦復一楽帖」という画帳は国宝だが、
頼山陽との交流や書簡のやり取りがもとになっている。それが煎茶を
隆盛にした大きな要因でもある。日常の中に宝ものみたいな「楽」を見出し、
「これも、またまた一楽」なんていいながら風流を楽しんだ。

先週紹介した、頼山陽の詩に、
「京都三条の糸屋の娘、姉は十六、妹は十五、諸国の武者は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」というのがある。中学一年生に教える先生がいるのがうれしい。
頼山陽といえば、「川中島」の詩吟がある。どうしてか?がわからないけど、
北九州の小学校では、5年6年になると、騎馬戦をやる。川中島とはゆかりの
ない土地だけど、昔から「ならわし」になっている。運動会のクライマックスだし、
停学年のころは、将来のために、(白)(紅)にわかれて、「いざ、このたーびは、
信玄を・・・」なんて練習する。本番になると、どこからか詩吟の名人がやってきて、
川中島を歌う。


♪鞭声粛々 夜 河を渡る
 暁に見る 千兵の大牙を擁するを
 遺恨十年 一剣を磨き
 流星光底 長蛇を逸す♪

そして、低学年のころより頭にたたみこまれた歌を、歌いながら
戦場を浄化していく。

(白)いざこの度は信玄を ( 僕は、「この旅は」と長いこと勘違いしていた。)
(紅)いざこの度は謙信を

(白)打ちはたさんと甲斐路より(これも、内畑さん・・人の名前と思っていた)
(紅)打ちはたさんと越後より
(白)信濃に出でし謙信の
(紅)信濃に出でし信玄の
(白)率いる兵は八千騎
(紅)率いる兵は二万余騎
(白)隊伍正々堂々と
(紅)川中島に出でし時
(白)秋の日は早暮れ果てて
(紅)水の音のみいや高し
(両軍)水の音のみいや高し

きっと、教育委員会かそこらに、頼山陽とか田能村竹田の熱烈な
ファンがいたのだろうと思う。
そんな因縁がどう作用したのかしれないが、木曜日は「煎茶」
を楽しんでいる。この秋には、看板をいただく予定だ。
「長屋茶房・天真庵」と命名したのも、そんなことがきかけ
でもある。「喫茶去」(きっさこ)・・みんな元気がなくなって
しまったけど、この気持ちを大事にしたい時でもある。

明日は「ダメ中」
ダメから始める中国語。まいこさんが京都、もとい名古屋から
やってきて、中国語を教えてくれる。中国の文人たちの詩も
紹介されたりして、とても内容のある勉強会だ。

日曜日が「エリカ庵」
整体というのも、東洋の神秘というか、悠久の時間をかけて
つくってきた人間の体の宇宙を探索するような楽しみもある。
人間の智恵で、原発なんてつくってみても、自然の大きさから
いったら、はなくそにもいたらないほど小さいものだ。
今回の地震で日本列島が東へ少し動いたみたいだけど、もともと、
ユーラシア大陸から分離したものだ。自然の力というのは、計りしれない
くらい大きい。「命」をもう一度、大切なものとして、とらまえたい今日このごろ。

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