長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

明鏡止水

2011-04-19 06:35:39 | Weblog
呼吸を整え、臍下丹田に気をこめ、心が波打たないような毎日を
過ごすこと、そんな心構えで毎日を過ごそうと思う。

不思議なことだけど、地震の前に、近所のジャズドラマーのセシル・モンローさんが、
「大石さんが、この新しいCDをプレゼント。」といって、「WATER MIRROR」をくれた。澤野工房からでた彼のソロアルバム。「大石学 WATER MIRROR」で検索すると、
インタビューがでてくる。彼の音楽性と哲が吐露されていて、感動的な内容だ。
興味がある人はぜひのぞいてほしい。
パリで録音された「音」が、ほんとうにびっくりするほどいい。
二曲目にタイトルの「WATER MIRROR」が入っている。まさに明鏡止水。

震災の日の午前中にボーズが壊れて、しばらくラジオを聴いていた。
落ち着いて、またCDをかけたら、311の前に聴いたときとは、また
違う感動があった。
昨日の午後も聴いていたら、大石学さんから電話があった。
「7月に天真庵でライブをしたい」とのこと。
前々から夢だったことが、実現しそうだ。押上のシャッター通りの
うらぶれたお店にある古色蒼然としたピアノに、いろいろなピアニスト
たちがやってくる。「マホピア」・・・魔法のピアノ。そしてまた、無駄の
ない縁で繋がれた音楽家たちが、ぞくぞくとやってくる。

今月の27日(水)は、天真庵のHPの表紙の写真のひたりのコンサート。
マスコットガールズみたいな、娘みたいなふたりだ。

「ピアノとチェロの調べ」
演奏:野代 奈緒(ピアノ)・竹本 聖子(チェロ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)

5月15日は「墨田ぶらり下町音楽祭」。

今日は朝から雨。夜は「書をしよう会」
「墨田ぶらり下町音楽祭」のパンフは、すぐになくなった
しまうほど、なくなるのがはやい。
イラストを和香菜さんが書いてくれて、題字を貞本さんが
書いてくれたのが、大きい。
「協力できるものは、協力する」そんな小さな力の結晶が
作り上げてきた手作りの音楽祭。今年で三回目になる。
秋には、南千住でも同じ企画でやることになった。
「感動」が飛び火した。きっと、その先にも飛び火する
に違いない。静かに、優美に広がっていく、そんなイメージ。






押上文庫

2011-04-18 07:39:22 | Weblog
「押上文庫」が、いよいよスタートした。

5月15日の「墨田ぶらり下町音楽祭」の会場にも
なる。それにあわせて、少しはやめのオープンになった。
スタインウェイのピアノがおいてあって、器も作家もの
がならんでいて、おもしろい場所だ。もともとカラオケスナック
だったところなので、その雰囲気を払拭するのに時間がかかるが、
主人がまだまだ若いので、進化発展していくお店だと思う。
二階には、和室もあるので、「和」の文化の発信もできるので、
ますます楽しみである。

昨日は竹細工の後に、虚無僧さんが尺八をふいてくれた。
自分で竹細工をやって虚無僧笠をつくっている。尺八も
もちろん自分で竹林にいってつくる。
僧衣はめさず、髪も切らず、托鉢みたいに、「明暗」という
箱を前にぶらげて、施しを受けながら行脚する禅の修行。
「手向け」という曲をひいてくれた。新しい街にいったとき
などに、挨拶がわりにひく曲らしい。昨日は、今回の震災に
あって犠牲になった魂を鎮魂する意味でひいたらしい。

これから「卵かけごはん」

今日の午後は「易占神社」
これも竹を使って占う。筮竹(ぜいちく)といい、
天地自然の理をそれで占う。

明日は「書をしよう会」
筆も竹を使う。身近に竹がある。

セシル・モンローがやってきた!

2011-04-17 08:19:03 | Weblog
昨日は天気がよかったので、浅草に買出しにいった。
普段は、朝から外国人観光客でごったがえし、「世界の浅草」
だったのが、在日日本人みたいな同胞の顔しか見えない。
これはこれで、汚染された川がきれいになって、魚がもどってきた、
みたいなすがすがしがある。
浅草ではいつも出汁に使う「焼きアゴ」を買う。アゴが落ちるくらいうまい
ので、九州では昔から飛び魚のことを「あご」といってきた。九州のうどんや
ちゃんこが美味いのは、その隠れ味の力が大いにある。

セシル・モンローさんが陽だまりの散歩の後に、ぶらりとやってきた。
手にメモ用紙をもっていて、「これ、オオイシさんの連絡先。テンシンアンで
ソロライブをやりたいといってる」
とこと。先月はじめモンローさんに大石学さんの新しいCDをいただいた。
地震の前もよかったけど、地震の後に聴くと、こころに染みいってくる力がすごい。
物書きが昔から原稿用紙に、まるで田植えをするように文字を植えていくみたいに、
五線譜の中に神の意志を感じながら、おいていく、そんな「音」だ。
新しいCDを聴いて買ったお客さんも多いし、ライブの日程がきまる前から
満席(きまったら教えて、というお客さんがあまたいる)みたいなライブ。
今日の午後、電話をしてみようと思う。

今日は「竹細工の日」
午前中と午後にわけて、やっている。月二度、日曜日と月曜日にやっている。
月曜日は人数が多すぎて、銀座の教室でやっている。「アットホーム」
というより「大家族」みたいな暖かさがあって、この会をやる日は、ほのぼの
している。「自分でできることは自分でやる」というのが、これからの時代の
大テーマだと思う。休みの日に、ボーとテレビを見ているような場合ではない。
「じっと手を見る」といった詩人がいたけど、竹ヒゴをつくったり、土をこねたり、
耕したり、そばを打ったり、珈琲を入れたり、大工仕事をしたり・・・・宝のもちぐされみたいな「手」が、手持ちぬたさで待っている。

明日は月曜日。月曜の朝は「卵かけごはん」
そして、午後は「易占神社」
易学の先生、福田さんが天真庵の二階で、「占」をする日。
生徒も多くなってきたけど、こちらのお客さんも、増えてきた。

明後日は「書の会」
筆跡鑑定という仕事もあるけど、貞本さんも、字を見て
その人の性格や人生が見えるようだ。彼の飲み方はさまになっていて、
人生がでていていい。



今日はスケッチの会

2011-04-16 08:46:22 | Weblog
昨日の「ジャズライブ」は、とても素敵な演奏だった。
馬場さんのピアノは、クラシックで鍛えられたしっかりとした土台の
上で融通無碍な音が踊っているみたいだし、井上さんのギターは、ベース
になったり、ドラムやパーカッションの役割をしたり、ボーカルになったり
して不思議だ。ふたりとも本場のニューヨークを舞台にしてきた「技」がベース
になっているけど、わざとらしさがなく自然でいい。

次は27日(水)の「クラシック・ピアノとチェロの調べ」。天真庵の表紙の写真のふたりのかわいらしい音楽家たちの共演。
「ピアノとチェロの調べ」

演奏:野代 奈緒(ピアノ)・竹本 聖子(チェロ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)

今日の夜は「スケッチ倶楽部」
土曜日の夜はめずらしい。週休二日になり、お稽古ごとも
増えているので、やむなしか・・
でも休日のゆうたりした気持ちで絵を描くのもいいかも。

明日は「竹細工の会」
大分から森上仁さんがやってくる。
「大分」がマイブームの人がまわりにたくさんいる。
昨日も蕎麦職人がやってきて、「大分にいきたいのですが、どこがいいか」
きかれた。博多や熊本や長崎にもいきたい・・らしい。
東京に10年いてもまだ東京のことはわからない。一週間くらいの旅なら
「大分だけ」みたいなランテェスターみたいな旅のほうが、ぼくは好きだ。

5月15日(日)は「墨田ぶらり下町音楽祭」がある。

津軽百年食堂

2011-04-15 08:53:43 | Weblog
大森一樹監督の「津軽百年食堂」が、始まったらしい。
彼は、京都府立医大の学生だった。河原町通りをはさんだ場所に
ぼくが通った立命館大学があった。「お隣さん」どうしみたいな学校だった。
河原町を徒歩5分くらい下ると、「荒神口」という交差点があった。
あの伝説の喫茶店「シャンクレール」があったとこ。そこから100m
くらい下ると、「安兵衛」といううらぶれたおでんやがあった。おでんを
つまみに伏見の「名誉冠」を飲む、というのが青春だった。カウンターだけの
お店だったので、常連さんは顔見知りになった。大森一樹氏も、その一人だった。
「ヒポクラテスたち」という映画を撮っているときには、俳優さんたちをつれて
安兵衛にやってきた。その時酔った勢いで、「ぼくも映画にだしてくれへん」
みたいなことをいったら、大森さんが少し考えて、「ええで、君のいれる珈琲は
うまいんで、どこかに紹介しとくわ」ということになった。

京都から東京にでてきて、荻窪に住んだ。駅前に映画館があって、「ヒポクレテスたち」を一人で見た。京都の医学生たちの青春を描く映画の中で、数年前に自殺した
「なんとか」という背の高い俳優さんが、先輩に「うまい珈琲の豆を買ってきてくれないか」といわれ、「はい、わかりました。からふねやの珈琲ですね」と答えるシーン
がある。一般的には、「イノダ」とかいうにが普通だけど、「からふねや」というのが、小さな約束を守ってくれたぼくたちの青春の一ページ。

弘前城の桜祭りも今回の「津軽百年戦争」では、重要なシーンらしい。
ぼくも何度も桜の季節の弘前にいった。桜もほかの花も一気呵成に
バーっと咲くこの季節の躍動感といったら、ない。

昨日、鳩の街商店街の「鈴木荘」から、東北に向けて
支援部隊が物資を直接もっていくプロジェクトの張り紙があった。
「女性の下着類や生理商品、携帯の充電器など・・」とあったので、
友だちがおくってくれた、充電器と懐中電灯と、電池をもって
チャリンコで運んだら、「ながなわさん」が、ちょうどコンポしていた。
「出会い」という手ぬぐいをデザインしてくれた子だ。
この子がこの街にきてくれたおかげで、ずいぶん、この街が明るくなった。

みんな少しづつ復興に向けて歩きだしている。

今日は「ジャズライブ」
シャンクレールに初めていった時、確かキースジャレットのLPが
かかっていた。kazuko babaさんが天真庵にきて弾いてくれた音は、
どこか共通するもんがあった。これもまた青春の一ページかも・・

京都三条で生まれた美人がやってきた・・

2011-04-14 08:25:01 | Weblog
きのう、京女の「こいさん」が夕方やってきた。
舞妓さんのように、凛としたオーラにつつまれていて、
そこにいるだけで、華やいだ気持ちになれるそんな子だ。
少し複雑な事情があって、うちで面倒をみてほしい、という
友だちからの話だだったけど、諸事情からいって無理があり、
えりさんが、家族にするとのことで、天真庵でお見合いをした。
前々から家族だったみたいに、スムーズに家族になれそうな感じだった。
車でえりさんたちを家までおくっていき、いっしょに食事をご馳走になり、
とても幸せな気持ちになった。しかも昨日はえりさんの誕生日。
素敵な誕生日のお祝いになった。。

「こいさん」・・・英語では「こい」は「ラブ」。
京都生まれのチワワ・名前がラブ。今年の秋で2歳になるが、飼い主の女性が
若くして先月末に旅立った。
犬は「神さまの実像が見える唯一の動物」だ。そう、飼い主が神さま
なのだ。今回の地震でも、たくさんの犬やネコ
たちが、孤児になった。人間も動物たちも、「孤族」になってはいけない。

「こいさん」といえば、こんな話がある。中学1年の国語の時間に
福田先生が教えてくれた。ものごとには「起承転結」が大切だ、という
ことを、かの頼山陽が門人たちに教えた詩らしい。

「京都三条の糸屋の娘、姉は十六、妹は十五、諸国の武者は弓矢で殺す、糸屋の娘は目で殺す」

人生も犬生も、無常なことや非情なことも多いし、紆余曲折も多いけど、
それがまた一生を彩る季節みたいなものだし、いろいろな縁で「結ばれて」、
結果よしの終わりかたをしたいとつくづく思う今日このごろ。

明日の夜は「JAZZ ライブ」なので、16時で閉店。
時代の空気とか、その場の空気とかによって、音を融通無碍に
演奏してきたJAZZが、また「時代」にあってきたように思う。
ニューヨークで研かれた馬場さんのピアノと、井上さんのギター。
演奏がはじまった途端に、天真庵がニューヨークになる。


4/15日(金)
Kazuko.Baba&Satoshi.Inoue Jazzライブ
演奏:Kazuko.B (ピアノ)・Satoshi.I (ギター)
19時開場 19時半開演
¥4,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

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4/27日(水)
ピアノとチェロの調べ
演奏:野代 奈緒(ピアノ)・竹本 聖子(チェロ)
19時開場 19時半開演 ¥2,000(蕎麦・珈琲 付き)



長崎から船にのって京都についた・・・

2011-04-13 09:02:56 | Weblog
そんな歌があった?

昨日は、「ながさ木」君がやってきた。玄関の横に、彼の版画を飾ってある。
京都の洛南高校(当時は東寺の中にあった。今もそうだけど・・)出身で版画家であり、庭師でもあり、空間デザインもする。
彼が東京芸大を卒業する時に、新宿で版画の展覧会を
やった。ブラリと界隈を歩いていて、木の精霊があぶりだされたような
不思議な版画の前で立ち止まった。そのギャラリーには、かわいらしい
女学生みたいな子が留守番をした。話を聞いてみると、「ながさ木」くん
の妹だとのこと。

「画廊天真」(当時はそんな名刺だった。その後、彼の
版画・元気をイメージしたものを名刺にいれ、天真庵という名前になった)
の名刺を渡し、「1度遊びにくるように伝えて・・・」と伝言した。
確かヨーロッパにいっていて、帰国するやいなや天真庵に遊びにきた。
それから、unaや中西くん、林くんら、押上の天真庵を改装してくれたアーティスト
たちが、ぞくそくとやってくるようになった。般若くんもそのひとり。彼は
金沢美大で、その後にぼくのお茶道具や、珈琲のドリッパーをつくってくれた
角居くんをつれてきたりした。そんな奇人のかたまりみたいな芸術家がくるように
なって、今の天真庵がある。「今のもの」という展覧会も何度かやったな~。

「ながさ木」くんには、これまで二つ庭をつくってもらった。
池袋時代に、上池袋4-12-12に住んだころ、「竹」を中心にした
庭をつくってもらった。そのあと、上池袋4-12-13、つまり隣に
引越しをして、そこの屋上に枯山水の庭をつくってもらった。
池袋の摩天楼みたいな夜景を借景に、深草砂を敷き詰め、手作りのガラスと
真鍮でつくった光る(照明)飛び石を置き、久保さんの大きな器を蹲にして
水を張って、そこでお茶会をやったり、酒を飲んだりしてみんなで楽しんだ。(今日の写真の庭)

今余震・・・

ちょっと、お店を見てこよう。今日はゆっくり本でも読みながら
過ごそう。

6月から、「文花的な寺小屋にまた新しい講座ができた。
赤松林太郎くんを講師にして「クラシック寺子屋」を始める。
昨日「死神」を飲みながら、りんたろうくんがつぶやいた。
日本の古典的な文化、歌舞伎、能、舞踊、邦楽、お茶、お花・・・
みんな「基本的な知識」を学ぶ機会があると、その後にそれらに触れた時の
おもしろさは10倍くらいになるし、その後の人生が100倍くらい楽しくなる。
「死神」という古典落語を聞いたことがある人とない人で、この文章の
おもろさが、雲泥の差くらいあるのと同じだ。
ラジオの番組に「弾き語り for you」とかいうのがあるけど、それのクラシック番
みたいな内容になるだろう。6月6日(月)の19時からスタート。
7月は25日(月)。3000円(蕎麦会つき)
「易」もすごいことになってきたけど、こちらも、負けないくらい
おもろい日になりそうだ。
音楽家や芸術家たちが、動きだした。若くて、繊細で、いつも時代に迎合できずに、
ときどき右往左往することもあるけど、今回の大困難に向き合わずに、踵をかえし、
逃げるように生きていたら、いつまでたっても後からいろいろな津波が襲ってくる
に違いない。大きな自然の前では無力だが、人として、生きていく「哲」くらいは
はらわたの中にすえて生きていきたいと思う。芸術の役割は、ますます大きくなるだろう。

なまくさ坊主 いや、なまず坊主

2011-04-12 08:42:28 | Weblog
天真庵を池袋に結んだころ、だからかれこれ15年くらい前に、
不思議なオーディオを買った。
世界5000代限定でボーズがつくった、パンフも名前もない、
値段も一円も負けない・・・そんな「ないないずくし」のものだった。
ちょうど、友だちがマルチメディアの会社をやっていて、2000万くらい
かけてオーディオルームをつくり、完成したときに、その部屋でホイットニー
ヒューストンのCDを聴きながらワインを飲んでいた。すごくいい音だったけど、
その会社の社長、つまり友だちが、「ちょっと気にいらない話がある」
といって、彼の社長室にいって、同じCDをかけたら、同じような音がした。
「あちらは2000万。こちらは25万・・・あまり音がかわらない」
ということだった。確かに、1975万の差は、感じられなかった。
それが、このボーズのオーディオだ。それから間もなく、飛び込み営業で
営業マンがやってきたので、名刺を交換しただけで、音も聴かず、話もせずに
ボーズがやってきた。

それからまったく故障なしに、毎日いい音楽がきけた。
3月11日、つまりあの地震がくる日の午前中に、CDが
聞こえなくなった。それでラジオにしていたら、地震がきた。
まるで、なまずが地震を予知していたみたいに。
そして、昨日、ジャズの歌姫がカウンターにとまり、コルトレーンを
聴いていたら、突然、とまった。外を見たら、また不気味な黒い雲が覆い、
スカイツリーもその中にいた。「今日もくるかも」といい、カウンターに
座っていた陶芸家の渡辺愛子さんにも「かえったほうがいいで」といって、
ふたりを帰した。その後に、やはり大きなものがきた。
なまずみたいなボーズ。「なまず坊主」だ。

夜は「易の勉強会」だった。雨がふり、地震で電車がおくれたりしたけど、
ドタキャンどころかドタサンもあり、生徒が10名になった。易の先生も
占えないような事態だ。伊賀や甲賀が忍者の里になったみたいに、押上
が「占の里」になり、十間橋の川端やスカイツリーの周りに、「押上の母」
が・・というのもあながち絵空事ではなかったりして?

今日は「英語で蕎麦会」
連日参加の人もいる。「易」と「英語」ができたら、
世界中で活躍できるわ、きっと。
昨日は「ダメ中」の人たちもきた。「易」と「中国語」ができても
いいわね。
それぞれが、「自分のできること」で、人の役にたっていく。
みんながそんな気持ちになって、動き始めたらいい。
能書きや評論家みたいなことを、くだぐだいっている暇があったら、
動くことだ。

月曜の朝は卵かけごはん

2011-04-11 07:21:53 | Weblog
昨日のライブは、結局26人のお客さんがきた。
よくそんなに入って(2階に8名)、つぶれないものだ。
その分も計算して、夜明け前から蕎麦をうっていたが、
開店した2時間で完売した。珈琲豆も、米びつの米状態だったので、
1時間はやく3時に閉店して、ライブの準備をした。
前日こりこりをエリカ庵でほぐしていたので、元気にいっぱい蕎麦を
打った。今日の朝も、元気に蕎麦を打った。まるで蕎麦屋さんになったみたい・・

梅田千晶(ハープ)
坂田憲治(イーリアンパイプス)
奥村りん(フィドル/バイオリン)

の熱演だった。初めてイーリアンパイプが天真庵に登場。坂田くんも
こりこりさんと同じく、宮崎産だ。こりこりさんもジャンベをやる。
一番最初にジャズピアノで登場した荒武くんも宮崎だ。

ハープも初登場。7kもある楽器を元気にかついできて、天使のように
奏でてくれた。「ゆらぎ」のあるアイリッシュの音楽が、日本人の
繊細な琴線をじょうずに鳴らしてくれる。

奥村りんちゃんは、西條八十先生のひ孫さん。昨日は西條先生の娘さん、お孫さん、
ひ孫さんが、きてくれた。

仙崖和尚の言葉に
「親死ね 子死ね 孫死ね」というのがある。
初孫が生まれた時に、「和尚さん、何かおめでたい言葉をお願いします」
といわれ、書いた言葉。そのお客さんは最初は「なんて、失礼なことを・・」
と憤慨したらしい。すると和尚が、「では」・・といって、「孫死ね 子死ね 親死ね」
と書いたら、「そうか、順番に旅立つのが自然でいい」ということを納得したらしい。
今回の地震は、いたいげな子どもたちも、無慈悲に飲み込まれたりもした。
できたら、自然にさらさらと川が流れるように、人生をおくりたいと、つくづく
思う。

西條八十さんの墓碑の言葉。

「われらたのしくここにねむる 離ればなれに生まれ めぐりあり 短き時を愛に生きしふたり 悲しく別れたれど ここにまた 心となりてとこしえに寄りあいねむる」

詩人の魂は、ひ孫まで受け継がれ、吟遊詩人のように、フィドルやバイオリンを
使って、「今」を語り継いでいく。音楽、芸術って、ほんとうに素晴らしい。

今日は「易の勉強会」
明日が「英語で蕎麦会」
金曜日の夜は、天真庵がニューヨークになる。





こりこりさんが、こりこりしにやってきた。りんのコンサートにりんがくる。

2011-04-10 07:59:58 | Weblog
昨日は、エリカ庵だった。最近は解説つきで体のコリを
ほぐしてくれる。信用したり、納得したりすると効き目が
100倍違ってくる。「わかる人にはわかる。わからない人は
わからない」。そんな世界だ。
近所に「ころこりさん」とよばれる、整体の名人がいる。
ぼくの両親と同じ小学校の後輩にあたり、宮崎の延岡生まれの
佐藤くん。きのうは珈琲を飲みにきたときに、たまたまエリカ庵
を二階でやっていたので、「ちょっいってこいや」といったら、
二階へあがって、しばらく降りてこなかった。こちらも挨拶ができれば、
と思っていたけど、エリカ庵の人たちがお客さんと思って、そのまま
整体をしたらしい。「こりこりさんが、こりこりしにやってきた。」

今日は、りんちゃんこと、奥村りんちゃんがライブをやってくれる。
薩摩琵琶のももちゃんと、いっしょにやってくれたのがきっかけ。
ももちゃんは、お客さんとして、やってくる。
もうひとり天真庵ゆかりのピアニストの「りん」、赤松林太郎くんも
お客さんとしてやってくる。ややこしいけど、運命共同体みたいな
感じでいい。19席しかないところに、25人のお客さんがくることに
なった。

「@つながっている」という感覚がより強く感じられる今日このごろ。
縁のある人とは、おそくも。はやくもなく、ちょうどいいタイミングで
繋がっていくものだ。

というわけで、今日は16時で閉店。

明日は月曜日。月曜日の朝は「卵かけごはん」
夜は「易の勉強会」・・・この会も、不気味なくらいに
人が集まり始めた。ますます「あやしげな喫茶店」になりつつある。

明後日は「英語で蕎麦会」
「ビールとスルメで英会話」として、1999年にビル・スメール
が始めたものだけど、継続は力とばかり、続いている。