京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

入院2日目、and『心の時代 東洋思想の根底にあるもの』

2013-09-10 06:03:39 | 定年後生活


入院日、主治医から手術日は13日金曜日と聞きました。
不吉なホラー映画を思い出してしまいました。
入院中はテレビは全く見ず、もっぱら読書とパソコンです。
手術日までは、日中フリーな時間が多いので、持ち込んだタブレットパソコンとSDカードでブログを投稿したいと思います。
病室は3階で個室です。私から個室を希望したわけではなく、治療上の必要から病院が個室にしたものです。
病室から大文字と比叡山が見えます。
昨夜は10時に就寝したのですが、いつもと違う環境のせいでしょうか、5時前に目が覚めてしまいました。

大文字:ズーム撮影しています。


比叡山:ズーム


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NHK9月7日(土曜日)放送
こころの時代~宗教・人生~「東洋思想の根底にあるもの」について書きたいと思います。この番組は思いついた時に見る程度です。
画像は録画をSDに保存したものです。

お話、東洋思想研究家の境野勝悟、聞き手は金光寿郎です。





自分の頭に刷り込まれた善悪の価値観に固執すると、友人関係、夫婦の間でも、さらには世界との関係においても、不和、仲違い、争いの原因となってしまう。
そこで、古来より東洋思想の根幹である、無心や無我と言った考えたが求められているのではないか。
無になってこそ得られることがある。

『無一物中 無尽蔵 花あり 月あり 楼台あり』
無一物になってはじめて、無尽蔵な価値が働いてくる。そしてそこには、花もあり、月もあり、楼台もある。

放送を聞いていると、私の尊敬する東福寺前管長の故福島慶道禅師を思い出しました。
管長はいつも「禅は無の宗教」、「禅は徹底して無執着の宗教である」とおっしゃっていました。
しかし、無になれといいますが、それができないのが私ども凡人です。
『莫妄想』が大事だ、そにため坐禅中は数息観といって、1から10までゆっくり数えますが、なかなか雑念・妄想をたちきれるものではありません。
しまいには数えることに執着しています。
最も執着するのはやはり、自我です。自我の執着を断ち切った時に忽然と悟れるといいますが、ほとんどの人は不可能です。ましてや在家の者がいくら苦闘しても、老師にはねかえされるばかりです。
私たち凡人は、悟った人の言動を見て、自らを律する以外にないと思うばかりです。
坐禅を通して、執着心を捨てよう、捨てようと言い続けることが大切なのではないかと思うようになりました。

番組は道玄や良寛禅師、方丈記、芭蕉などの言葉を紹介・解説し、わかりやすく話をすすめていきました。

道玄禅師


方丈記


良寛禅師辞世


道玄の「現状公案」に出てくる言葉


芭蕉笈の小文


芭蕉が師事した禅僧の公案への回答と言われている。


足るを知ることの大切さ。


道玄禅師 退くことを学ぶ


道玄禅師傘松道詠
川端康成がノーベル賞を受賞したときのスピーチで引用したことで有名。






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