京都近代美術館で「東山魁夷展」が開催中です。東山魁夷は私が最も好きな画家の一人です。
東山魁夷は清澄で深い情感をたたえた風景画で、戦後の日本画に大きな足跡を残しました。
自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげた作品は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして評価されています。
明治41年(1908)横浜に生まれ東京美術学校を卒業、ドイツ留学の後太平洋戦争への応召、肉親の相次ぐ死といった試練に見舞われます。
しかし苦難のなか、風景の美しさに開眼し、戦後はおもに日展を舞台に「残照」や「道」といった風景画の名作を数多く発表しました。1999年没。
本展は生誕110年を記念し、戦後の日本を代表する国民的画家と謳われた東山魁夷の画業を代表作でたどるとともに、東山芸術の記念碑的大作「唐招提寺御影堂障壁画」が特別出品されます。
東京では10年ぶり、京都では30年ぶりの本格的な回顧展です。
会期 2018年8月29日(水)~ 10月8日(月・祝)
第一章 国民的風景画家
画像は40年近く前に買い求めた「東山魁夷全集11巻」からです。
残照 1947(昭和22)年
終戦直後妻以外の家族と家を失った東山が、気負うことなく素直な目と心で自然を見つめて描いた。
結果、官展で初めて特選を受け、後に「国民的風景画家」と呼ばれるようになる画家の第一歩を印した記念的作品。
「残照の山頂に独り腰をおろして、暮れゆく山々と遠く澄んだ空を見渡した。
苦悩と悲哀を経ての静かな祈り。諦念の世界。」本人解説 以下「」は同様。
月宵 1948(昭和23)年
「澄み渡った水の中にいるような月夜だった。そこには心のやすらぎと祈りがあった。」
彩林 1949(昭和24)年
「河原の近くのくぬぎ林。秋の彩りを身につけて、生命の存在をいっぱいに示している。」
道 1950(昭和25)年
「夏の早朝の草原の中に、一すじの道がある。遍歴の果てに、新しく始まる道。
絶望と希望が織り交ぜられた心の道。」
たにま 1953(昭和28)年
「雪のたにまに春が訪れる。流れでる小川の微かなせせらぎの音
回生の喜びの歌が聴こえる。
」
晩照 1954(昭和29)年
「暗い水面から岩山の頂きへ、夕影が山肌を重々しい調子に沈めてゆく。
山頂近くには、まだ夕陽の反映。静寂、荘厳の世界。」
山かげ 1957(昭和32)年
「山かげの小さな瀧が囁く。木の葉も日毎に落ちてゆく。
間もなく冬が来るだろうと。」
木霊 1958(昭和33)年
「峡谷の奥深くに響く瀧。木々の交錯を透かして、落下する白い一直線。」
秋翳 1958(昭和33)年
冬を前にした「薄曇りの午後、それも、盛りをすぎようとする紅葉の山のたたずまい」に、間もなく落葉する自らの運命を受け入れ、静かに終わりを待つ姿を変えを感じ、心うたれて描いた作品。
「薄曇りの空に三角形の紅葉の山のイメージが浮かんだ。凋落の冬をまえにしての、秋山の静けさ。イメージの山を追って、いくつもの紅葉の山を写生した。
しかし、どこにでもあり、また、どこにもない山を描いた。」
青響 1960(昭和35)
「私が表したかったのは、白く落ちる瀧の響きではない。谷を埋めて重なり繋り合う樹々の、韻律である。」
雪降る 1961(昭和36)年
「私の心の中に、内に向かって閉ざされた暗い世界がある、。そこには絶え間なく雪が片々と舞い落ちている。」
黄耀 1961(昭和36)年
「上州から越後へと、三國峠お超える晩秋の山路。黄褐色に輝く、ぶな、みずなら、からまつ、しらかば。」
萬緑新 1961(昭和36)年
「山路を少し登ったところで、猪苗代湖を望んだ。朝の東山がさす直前の、静かに澄んだひとときである。」
続く。