昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「美ら海水族館」の油絵

2007年01月16日 | 妻の油絵
写真は、妻の油絵で、2003年4月沖縄旅行で行った「美ら海水族館 黒潮の海」の大パノラマを描いたものです。
巨大なジンベエザメがたくさんの魚を従え、パノラマウインドウから去った後、マンタが群れをなし、大きな羽ばたきで登場してきました。
水槽は上からの太陽光線で青白く輝き、すばらしい神秘的な海の世界を体感できました。
余談ですが、あの大きなジンベエザメの口が、真横から見るとなぜかオチョボ口に見えてしまいました。

フェリーから見た夕焼けの桜島

2007年01月15日 | 九州の旅
(写真上段・中段)桜島港から鹿児島港へ向かうフェリーから撮った桜島です。
(写真下段)フェリーから撮った日没直後の鹿児島港の景色です。
桜島に西日が当る景色を続けて撮影していました。
フェリーは車と、人で満員で、出航から15分で到着しました。
これで鹿児島旅行1日目の観光も終わりです。

すばらしい景色、ありがとう桜島

2007年01月14日 | 九州の旅
実に雄大でした。 写真を見ると、今でも感動がよみがえります。
四合目の湯之平展望所から見る桜島は、明るい夕方の日差しを斜面に受け、輝いていました。
山の下から見えていた噴煙は、運よく吹き始めた強風で飛ばされ、桜島がスッキリと見えました。
上段の写真は、展望台へ登る途中で撮った桜島の景色です。
旅行プランを考えた時、桜島の西に位置する湯之平展望所は、太陽の方角から夕方行くスケジュールにしましたが、本当に期待以上でした。
すばらしい景色を見せてくれて「ありがとう桜島!」

有村展望台からの「桜島」

2007年01月14日 | 九州の旅
有村展望台から見る桜島は、実に雄大で、広大な裾野に広がる溶岩原を目の当たりにした時、爽快感とは別になぜかしら畏れを感じます。
駐車場から展望台まで歩く歩道の両脇に、巨大な溶岩がゴロゴロしていますが、人間が作ったコンクリートの避難所が、いかにも頼りなく思えてしかたありません。
噴煙の立ち上るこの桜島に住んでいる人達は、実に度胸があるものだと妙に感心してしまいました。

「道の駅たるみず」の足湯で一服

2007年01月14日 | 九州の旅
霧島市から国道220号線を桜島に走ると「道の駅たるみず」に無料の足湯がありました。「無料」の言葉に強い反応を示す妻のリードで、さっそく利用させて頂くことにしました。
60メートルもある細長い長い足湯が、海岸に沿って伸びていました。お客さんが多く、賑わっていましたが、桜島や、海の景色を眺めながらゆったりと疲れを癒すことができました。
旅行前の下調べでは、2005年4月のオープンイベントで、「一度に足湯につかった人数の公式記録」としてギネスに申請、一年後には登録される見込みとの情報がありましたが、世界一の看板は見えませんでした。
帰って調べてみましたら2006年8月栃木県の塩原温泉の新しい施設のオープンイベントでギネスに挑戦、289名の記録で道の駅たるみずの220名(国道220号線にちなんだ記録)を超えて世界一となったことが分かりました。
施設に少し多く金をかけただけでギネス記録を横取りした「塩原温泉 湯っ歩の里」に対して「道の駅たるみず」の関係者の中には腹立たしく思われた方も多かったことと思います。なんせ世界一の記録を獲得したらイメージアップにはとても効果的ですし、アイデアにも熱い思いが込められていたと思います。
他人のアイデアを平気で横取りして蹴落とすことを「恥」とする社会にしたいものですね。

神武東征の出発の伝承地「宮浦神社」

2007年01月13日 | 九州の旅
写真は、鹿児島県霧島市福山町の宮浦神社です。
日本書紀の有名な神話で、神武天皇東征の時、船出をした伝承地だそうです。
海岸に伝承を書いた看板がありました。
石段を上がった境内入口に神木の夫婦銀杏がそびえています。
夫婦銀杏は、推定樹令約1200年、幹回8m、高さ37m、とても元気そうな樹でした。
10月上旬の秋口、セミの鳴く鹿児島では葉も青々していました。
祭神は天神七代・地神五代・神武天皇と案内板に書かれていました。
「神武天皇東征とは何だったのか」とても興味があるテーマです。
推測ですが、「天忍穂耳尊」の子「瓊瓊杵(ニニギ)尊」の代から正統な系譜から外れ、ヤマトの「饒速日(ニギハヤヒ)尊」が天照大神の正統な系譜を継ぐ者だったのではないか、神武東征とは少し血縁が離れた皇族のクーデターではなかったのかと考えています。

福山町の「黒酢の壷畑」があった

2007年01月13日 | 九州の旅
写真は鹿児島県霧島市福山町で見た黒酢の瓶壷です。
鹿児島湾や、桜島が見える山の斜面にフェンスで囲われた「アマン(酢)壷畑」がありました。なにしろ今や健康食品ブームで高級品ですからね。
約200年前、中国から伝わった伝統製法で春と秋に仕込みを行っているそうです。
原料は、蒸した玄米、麹、水で、54リットルのカメ壷に仕込み、毎週1回かき混ぜる作業が続くそうです。屋外で約6ヶ月醗酵させた後、大きな瓶壺に移してさらに半年以上醗酵させると黒酢ができるそうです。
上の写真撮影には少し苦労しました。なんせ厳重なフェンスに「セコム」の看板があって、近づくにも神経を使いました。

巨大噴火に消えた「貝文土器文化」

2007年01月13日 | 九州の旅
写真上は、上野原遺跡で発掘の貝殻で文様を付けた平底の「貝文土器」です。他地区の縄文時代の土器は、底の尖った土器から始まり、平底の土器が出現するのは、縄文前期の6000年前頃からのようです。円筒形や、四方の縁が尖った9500年前のこのデザインは現代人にも洗練された美しさを感じさせてくれます。
「石蒸し焼き炉」と思われる直径10~20cmの石を多く置いた「集石遺構」が104基発掘されています。石を焼き、葉で包んだイモ・魚・肉を置き、土をかぶせて蒸し焼き料理をする施設と考えられています。南太平洋の島々では今でも行われている調理方法です。
「燻製施設」と思われる連穴土抗も発掘されています。大小二つの穴を数十センチ離して掘り、両方の穴を地中でつないだ設備です。大きな穴で火を焚き、小さい穴から出る煙で燻製を作っていたようです。
南九州では縄文時代草創期から独特の「貝文土器」の文化が栄え、6300年前の鬼界カルデラ(屋久島の北、硫黄島付近)の巨大噴火で西日本の縄文人が壊滅的被害を受けるまで続いていたようです。

三内丸山遺跡よりはるかに古い「上野原遺跡」

2007年01月13日 | 九州の旅
写真は、復元された9500年前(縄文時代早期前葉)の竪穴住居です。
52軒の住居跡が重なり合って発掘され、10軒程度のムラが長期間営まれていたことが分かったそうです。屋根は、かやぶきで、形は木を曲げて組み合わせ、ドーム型になっています。
遺跡は、海岸から500m離れた標高260mの高台にあり、高千穂峰と、桜島を結ぶ直線上の中間付近に位置します。上野原遺跡には大型の壺形土器や、石斧などを埋納した祭祀遺構があり、神の山を望む場所に銅鐸・銅剣など埋納し、祈っていたと思われる数千年後の古代信仰とも類似点があります。
桜島から北の鹿児島湾全体が「姶良カルデラ」と言われ、急斜面に囲まれたこの高台は、巨大な外輪山の一部のようです。
青森県三内丸山遺跡は、約5000年前(縄文時代中期)陸奥湾を望む高台に作られた集落ですが、鹿児島湾を望む高台に作られた点でよく似ています。
鹿児島県では平成11年に指宿市の水迫遺跡で、はるか1万5千年前の住居跡2軒が発掘され、定住が旧石器時代後期から始まった可能性が高いと考えられています。

「隼人塚」を見学

2007年01月11日 | 九州の旅
写真上は、「隼人塚」の全景で、三つの石塔(五重塔)を四つの石像(四天王)が囲む珍しい史跡です。
かって「熊襲塚」と呼ばれ、熊襲征伐(日本書紀ヤマトタケル)や、隼人の乱(奈良時代)の慰霊施設の説がありましたが、平成11年の発掘で平安時代後期のものと考えられているようです。
写真下は、四天王の写真です。背丈とほぼ同じ高さで、顔の表情には長い歴史を感じました。
周囲は、公園として整備され、「隼人塚史跡館」で資料が展示されています。

奈良時代の「隼人の楯」が再現

2007年01月11日 | 九州の旅
写真は、隼人町立歴史民俗資料館に展示されていた「隼人の楯」です。
平城宮の役所跡の井戸枠に使われていた16枚の板が、「延喜式」記されている「隼人の楯」と分かり、再現されたものです。
「延喜式」は、奈良時代の法律「養老律令」の施行細則で、その中に「兵部省・隼人司」と言うお役所がありました。隼人は、隼人司に管理され、朝廷の重要な儀式に刀・槍・楯を装備して参列したようです。
逆S字模様は、鹿児島の縄文時代の土器の模様にも見られるそうで、どことなく南の島の文化を感じます。

鹿児島の郷土玩具

2007年01月11日 | 九州の旅
鹿児島神宮横の隼人町立歴史民俗資料館を見学しました。
上の写真は、郷土玩具「鯛車」です。釣り針をなくした山幸彦が、海神の宮に行き、鯛のノドにあった釣り針を取り戻したという伝説にちなむものだそうで、鹿児島神宮拝殿にも約1mの大きな鯛車が奉納されていましたね。
下の写真は「発鼓」(はつつづみ)で、豆太鼓ともいい、初午祭りの鈴懸馬には特大の鼓が飾られるようです。その他に「ハジキザル」という竹細工の玩具もありました。

2 鹿児島神宮の境内

2007年01月09日 | 九州の旅
鹿児島神宮へ参拝しました。
境内の印象は、灯篭に菊の御紋があるものの堅苦しさがなく、親しみを感じます。
御祭神は、天津日高彦穂穂出見尊と、豊玉比売命のご夫婦の神さまが祀られています。彦穂穂出見尊は、山幸彦、海幸彦の神話でおなじみの釣り針をなくした山幸彦です。神社の案内板では「御系統:天照大神-天忍穂耳尊-瓊瓊杵尊-彦穂穂出見尊-鸕鷀葺不合尊-神日本磐余彦尊(神武天皇)」とあり、彦穂穂出見尊は、天照大神のひ孫、神武天皇の祖父にあたります。
境内の竜宮の亀石・拝殿前の勅使殿、拝殿の天井絵が見どころです。
拝殿に郷土玩具の鯛車が置いてありましたが、おおらかな土地柄を感じます。(写真下)

1 鹿児島神宮の思い出

2007年01月09日 | 九州の旅
昨年10月7日に行ってきた霧島市隼人町の鹿児島神宮の写真です。
赤い鳥居をくぐり、直線コースの参道を走って鹿児島神宮の駐車場に到着しました。境内の入口に小屋があり、奉納木馬がありました。(写真左)
お祭りには鈴や、造花で飾り立てた多くの鈴懸馬が、太鼓・三味線などにあわせてステップを踏んで踊るようです。
境内の階段を少し上がると幹に大きなコブのある大木があり、小学生が登っていました。にぎやかなセミの鳴き声や、木のコブの上に座ってのんびりと遊んでいる子供を見ていたら、すっかり南国気分になりました。
子供たちに声をかけましたが、残念ながらその時の会話は忘れてしまいました。