昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

トルコ旅行 3 初めてのモスク「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」

2014年10月29日 | 海外旅行
9/30 10時頃、グランド・バザールの見物を終え、集合時刻まで余裕があったので、バザール東のモスクへ行ってみることにしました。



南側の駐車場から見上げたモスク「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」です。

大きなドーム(円蓋)の四方をアーチ型の壁で囲い、それぞれの角に小さな装飾塔がある個性的な建物です。

その横に建つミナレット(尖塔)は、ドームの上にももう一つの先端が見られるように二本ありました。

二本のミナレットを持つモスクは、オスマン帝国時代の皇帝によるものとされているようです。

ブルーモスクや、アヤソフィアの優美さのある姿と違い、ゴツゴツとした感じの装飾が印象的です。

Webサイトで、「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」を調べてみると、トルコ語のWikipediaに少し詳しい記述がありました。

googleの翻訳から、このモスクは、第24代オスマン帝国皇帝マフムト1世(1696~1754年 在位1730~1754年)の命により建設が開始され、皇帝が急死した翌年の1755年に完成したとされます。

弱体化しつつあったオスマン帝国を西欧化により建直そうとしたマフムト1世の政策の中で、西欧に広がるバロック建築を初めて導入したのがこのモスクだったようです。

しかし、西欧で見られるバロック建築の顕著な特徴は感じられなく、抑制されたイメージで設計されたのかも知れません。



「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」周辺の地図で、赤色で建物を表示しました。

旅行ガイドブック「ワールドガイド イスタンブール・トルコ」(JTBパブリッシング発行)に掲載されていた地図の一部を利用させて頂きました。

「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」が建つのはイスタンブールの歴史地区で、東にトプカプ宮殿、その南西にアヤソフィア、ブルーモスクが並び、西隣にグランド・バザールがあります。

バロック建築のモスクをグランド・バザールのすぐ隣に造ったマフムト1世の意図や、バザールに集まる多くの民衆が当時、どのように感じたのか興味が湧いてきます。



アーチの上に「NURUOSMANiYE CAMii」の表示がある「ヌルオスマニエ・ジャーミィ」の門です。

前回紹介したグランド・バザール東南の「ヌルオスマニエ門」を背に見た風景です。

この門を抜けると、正面に広い駐車場、左手前方に「ヌルオスマニエ・ジャーミィ」の建物がそびえています。



写真上段は、「ヌルオスマニエ・ジャーミィ」の門をくぐり、振り返った風景です。

門入口側と違い、簡素なデザインです。

写真下段は、門を入り、左手の階段方向を見た風景です。

階段を上り右手にモスク建物への入口、左手にはグランド・バザールの建物が見えます。

木の下に座っている黒い服の女性は、顔と、手以外隠すイスラム伝統の服装でした。

旅行で見たトルコ女性は、このような黒い伝統的な服装で口元まで隠す人も見られ、カラフルなスカーフで髪だけを隠した女性や、髪も顔も全く隠していない人まで様々でした。

トルコではイスラム教徒が99.8%とのことですが、トルコ人ガイドギョクハンさんによると信教の自由が国家的に保障され、イスラム教で禁止された飲酒など、戒律の順守程度も人により様々だそうです。



同じ福山市からツアーに参加されたOさんが「ヌルオスマニエ・ジャーミィ」の門を堂々と、入って行く場面です。

この後、モスクの係の方に見学が許可されていることを確認し、私たちを呼んで頂き、モスク見学が出来たものです。

Oさんは、独身時代に一人でヨーロッパ旅行をした経験があるとのことで、行動力には敬服です。



写真上段は、建物に入り、周囲を回廊に囲まれた前庭(アプス)の風景で、正面中央は、広い礼拝堂への入口です。

写真下段は、広場から見上げた風景で、ドーム(円蓋)を囲むアーチの壁の左右にミナレット(尖塔)がそびえています。

ミナレット(尖塔)は、アザーン(礼拝の時刻を告げる)を行う施設で、かつては塔の上部の柵に囲まれた台に立ち、肉声で人々に呼びかけていたようですが、現在ではスピーカーに代わっているようです。

当日、朝の礼拝は5時半頃、昼の礼拝は13時頃で、訪れた時刻には礼拝する人もなく、ゆったりと施設を見ることが出来ました。

その後は、午後、日没、就寝前と、毎日5回の礼拝があり、その時刻も地域により違い、日々変化するそうです。



礼拝堂の入口付近の風景です。

白い制服の警備員と、その横に清掃係の男性が話をしています。

入口中央の長テーブルには、女性の髪を隠すスカーフが置かれ、礼拝堂への入室には無料で借用できました。

両脇の柱上部の装飾や、入口上の壁龕[へきがん]のような装飾は、バロック建築の特徴と言えるものでしょうか。



礼拝堂に入り、正面の風景です。

多くのランプが付けられた円形のシャンデリアの上を見上げると、ドーム(円蓋)から吊るされ、建物の中心であることがわかります。

左右の壁沿いに二階建ての回廊が見られ、女性の礼拝は男子と区別された二階とされています。

正面奥の壁は、キブラ(聖地メッカの方角)に向いており、壁中央の窪みは、ミフラーブ(聖龕[せいがん]〉と呼ばれており、ムスリム(イスラム教徒)の礼拝は、キブラに向いて行われるようです。



礼拝堂の奥の壁、キブラの中央にあるミフラーブ(聖龕[せいがん]〉の風景で、その右手には説教壇(ミンバール)があります。

毎週金曜日は、イスラム教徒(ムスリム)の成人男子が集団礼拝を義務付けられた日で、礼拝に先立ち説教壇(ミンバール)では指導者(ハティーブ)による説教(フトバ)が行われるようです。

キブラ(聖地メッカの方角)の方向は、トルコではほぼ南南東のようで、地図に記した「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」の赤い建物や、右下のブルーモスクも方角が同じことが分かります。



礼拝堂の中心にある照明設備です。

床のじゅうたんにも円形の模様が織り込まれていますが、とても広いじゅうたんに本場トルコを痛感したものです。

写真左下は、ランプの写真を拡大したもので、ガラスのランプの中に電球がセットされていました。

かつては石油が燃やされていたものと思われるガラスのランプですが、その中の透明電球も今やレトロなものとなり、時代の流れを感じさせられる風景です。

オスマン帝国初のバロック建築とされるこの建物ですが、後方に見える二階建ての回廊の柱などもその特徴が出ているのでしょうか。



礼拝堂のドーム(円蓋)を見上げた風景です。

丸いドームの周囲や、ドームを囲む四方のアーチ型の壁にはステンドグラスの窓が美しく輝いています。

冒頭の写真ではドームの裾部分や、四方のアーチ型の壁の模様にゴツゴツとした感じを受けましたが、中から見た風景から美しい窓のための模様だったことが分かりました。

写真下段は、ドーム中央や、ドームの周囲に飾られたアラビア文字のカリグラフィー(西洋や中東などでの文字を美しく見せる手法)です。

何が書かれているのか分かりませんが、芸術性を感じさせられます。

人生初めてのモスクは、興味深いものばかりでした。

トルコ旅行 2 イスタンブールでグランド・バザール見物

2014年10月22日 | 海外旅行
9月30日、イスタンブールの観光は、グランド・バザールの見物からスタートしました。

グランド・バザールは、約5000店舗、2000以上の工房などがひしめく市場です。

1453年、オスマン帝国(1299~1922年)の「メフメット2世」(1432~1481年)がコンスタンチノープルを攻略してビザンチン帝国を滅ぼし、グランド・バザールの建築は、その直後に命令されたそうです。

1461年に完成したグランド・バザールは、次第に増築され、現在の規模になっのは1894年とされます。



駐車場から徒歩2~3分で到着したグランド・バザールの東南にある「ヌルオスマニエ門」の風景です。

入口上にトルコ語でKAPALICARSI(カパル・チャルシュ)とあり、ガイドブックによると「屋根のある市場」の意味だそうです。

写真右下の文字は、入口の内側の壁に表示されていたもので、下段左端に「GATE1(ゲート番号1)」とあることや、入口上に飾られた立派な紋章からもグランド・バザールに多くある門の中でも表玄関のような門と思われます。



旅行で持ち歩いた旅行ガイドブック「ワールドガイド イスタンブール・トルコ」(JTBパブリッシング発行)に掲載されていたグランド・バザールの案内図です。

右下(南東)の「ヌルオスマニエ門」から歩いた順路を赤丸印の番号(1)~(7)に記しています。

案内図には、店舗の種類を色分けしてありますが、実際には様々な店舗が混在しているようでした。



写真上段は、「ヌルオスマニエ門」を北側から見た風景です。

横から見ると、「ヌルオスマニエ門」の屋根は、かなり老朽化しているように見えます。

現在の建物は、1954年の火災後に再建されたとされ、既に築後約60年経っているようです。

写真右上は、門の上に飾られた紋章で、調べてみるとオスマン帝国の国章でした。

バザールが開設されたオスマン帝国時代からの歴史がアピールされているようです。

写真右下の赤いテントの下に日本人女性が経営する土産物店があり、写真下段は、お店の正面風景です。

このお店[案内図(2)]が自由行動の後のツアーの集合場所ででした。

グランド・バザール場外にある店舗で、女性店主の日本語の対応に安心して買い物ができます。

ガイドさんの話では、グランド・バザール内の家賃は1平方メートルで100万円/月とのことで、異常に高い家賃は、販売価格に転嫁されることとなり、バザールの安いイメージは幻想だったようです。



写真上段は、日本人女性の土産物店から向かいを見上げた風景です。

そびえている塔は、グランド・バザールの東側の一段高い場所に建つ「ヌルオスマニエ・ジャーミイ(モスク)」です。

グランド・バザールの「ヌルオスマニエ門」の名称は、隣接するこのジャーミイ(モスク)から名づけられたようです。

写真下段は、「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」からグランド・バザールを見た風景です。

東側から見たグランド・バザールは、屋根に小ぶりなドームが連続するレンガ造りの建物でした。



グランド・バザールの案内図(1)から(4)に通じる「カルバクチュラル通り」の風景です。

客の少ない開店直後の時間帯でしたが、様々な商品を陳列する店が並び、客が日本語に達者なトルコ人店員から声がかかってきます。

天井のアーチに描かれた模様が印象的でした。



通りを歩き、ちょっと気になったお店の一つです。

写真下段は、陳列棚の一部を拡大したもので、トルコのイメージを感じさせる商品が並んでいました。



この店舗は、案内図にもあるようにカルバクチュラル通りに多くある金製品のお店の一つです。

写真下段は、陳列棚の一部を拡大したもので、棚の中央には銀製品も陳列されており、案内図の店舗分類と実態は微妙に違っています。



カルバクチュラル通りから右に入る路地の角にあった楽器などを売るお店です。

小型のギターのような楽器、マンドリンに似た楽器、3本弦の素朴なバイオリン風の楽器など民族楽器と思われます。

トルコの音楽についてほとんど知らないことを自覚させられます。



トルコの陶器などを売るお店です。

トルコらしさが感じられ伝統的な手描きの模様の陶器は、魅力的ですが、わずらわしい値段交渉や、持ち帰りの破損対策などを考えると、買う気にはなりませんでした。



案内図(6)の「イチ・ベデステン(オールドバザール)」付近にあったジュータン、カーペットのお店です。

ショーウインドウのガラスが光り、少し汚く写っていますが、実物は美しいものでした。

ガイドさんの話では産地のカッパドキアで売られているジュータンと比較すると、非常に高いそうで、目の保養にながめて帰りました。



カルバクチュラル通りから左の路地の向こうに見えたチャルシュ門[案内図(3)]です。

出口の上に「GATE5(ゲート番号5)」と表示され、入ってきた「ヌルオスマニエ門」の「GATE1」から5番目の門だったようです。

何気なく歩いて来たためか、途中にあった門には気づきませんでした。

この後、ベヤズット門[案内図(4)]まで進んだ後、ここまで引き返し、「イチ・ベデステン(オールドバザール)」[案内図(6・7)]へ進んで行きました。



カルバクチュラル通りを突き当ったベヤズット門[案内図(4)]です。

出口の上に「GATE7(ゲート番号7)」の表示があり、カルバクチュラル通りの南側に沿った7番目の門だったようです。

写真下段は、門を出て外から見た門の風景です。

丸い紋章には複雑なアラビア文字が描かれていました。(左上に紋章の拡大写真)

現代のトルコでは使われなくなったアラビア文字ですが、漢字などと同様に書の芸術的作品としても描かれるようです。



ベヤズット門[案内図(4)]を出て、正面に見えた建物です。

ガイドブックには「ベヤズット・ジャーミイ(モスク)」とあり、コンスタンチノープルを攻略した「メフメット2世」の息子「ベヤズット2世」により1506年に造られた建物だそうです。

オスマン様式の代表的なブルー・モスク(スルタンアメフト・ジャーミイ)が1616年の完成とされますが、この「ベヤズット・ジャーミイ」は、イスタンブールに現存する最古のオスマン様式のモスクになるようです。

この門の名称も門に隣接する「ベヤズット・ジャーミイ(モスク)」にちなんだものと分かりました。



写真上段は、「イチ・ベデステン(オールドバザール)」[案内図(6)]に差し掛かった辺りの風景です。

通りの中央に水道施設のようなものがあり、男性が掃除のモップを洗っているようです。

このエリアは、1461年にグランド・バザールが完成した頃からのものだそうで、当時の建物かどうかは分かりませんが、他のエリアと違い、特に古びた感じでした。

写真下段は、「イチ・ベデステン」の通りの風景で、通路に2列の柱があり、通路が3列に分けられた古風な通りでした。

予定時刻より早くグランド・バザールの見物を終え、集合場所に近い「ヌルオスマニエ・ジャーミイ」の見物に行きました。

トルコ旅行 1 岡山空港からイスタンブールへ

2014年10月14日 | 海外旅行
9月29日から10月7日まで9日間、トルコ旅行に行ってきました。

これから数ヶ月かけて想い出をまとめていきます。



写真は、観光最終日にボスフォラス海峡クルーズで、船から見たイスタンブール歴史地区の風景です。

クルーズ船などが発着する港後方の丘にジャミイ(礼拝施設=モスク)のドーム(円蓋)と、ミナレッツト(尖塔)がそびえる美しい風景です。

トルコでは各所ではどこへ行っても村や、町の規模に応じたジャミイ(礼拝施設=モスク)が見られました。

今回の旅行は、阪急交通社のツアー「岡山空港発着 9日間のトルコ大周遊」に妻と、参加したものです。

ただ、岡山空港発着とは言え、福岡空港からのツアーに韓国仁川空港で合流するもので、ツアーのバッチにも九州の文字がありました。

昨年も同じように岡山空港から韓国仁川空港経由でドイツ・スイス旅行に行きましたが、岡山空港からは私たち夫婦だけ、仁川空港での乗り換えなどで、心細い旅でした。

今回は、私たちの他、同じ広島県福山市のご夫婦一組が参加されており、仁川空港経由も二度目であることから少し安心感のあるスタートになりました。

トルコのツアーは、21名と比較的少人数で、気さくな方も多く、天候に恵まれ楽しい観光になりました。



トルコ旅行2日目から8日目の時計回りのコースと、観光概要を記した地図です。(地図の下部に記号の説明があります)

全行程、約3,200Kmのバス旅行で、移動に6時間前後の日も多くありましたが、大平原に続く荒涼とした山並みの風景にラクダの隊商がたどったシルクロードの雰囲気を感じたり、遠く地平線に白くそびえるトルコ第二の山エルジェス山(標高3,916m)、塩湖、種を食べるカボチャの畑など珍しい風景を堪能出来た旅でもありました。

トルコ東部の国境は、クルド人独立紛争や、世界的な脅威となっているイスラム国が活動するシリア、イラクと国境を接し、緊張が高まっている状況下でもありましたが、トルコ西半分を回る観光エリアでは特に危険を感じる場面はありませんでした。



岡山空港の搭乗口前の風景です。

写真右上に挿入した時刻表示板の二段目に10:00 ソウル(仁川)とあり、9時過ぎに搭乗手続きを済ませ待っているところです。

旅行会社の案内に岡山空港の集合が8:00までとあり、少し余裕をもって7:30頃に来たものです。

福山市の自宅を6:15頃出発し、イスタンブールのホテルへ20:00頃到着するまで約20時間(サマータイム期の時差+6時間)長い旅の始まりです。



乗り換えをしたソウル仁川空港の搭乗待合場所から見た雨の風景です。

乗り換えの手荷物検査で、初体験の靴の検査がありましたが、前の人もいなくて、靴を脱ぐ指示の意味が理解できず、戸惑った場面がありました。

多くの国から人が来るアジア大会真っ最中の韓国、脱いだ靴をカゴに入れたイラストなど掲示しておく配慮が欲しいものです。

11:35到着、14:05出発で、2時間半の余裕のある乗り換えで、福岡からの便は確か約30分後の到着だったと思います。

昨年のドイツ・スイス旅行では福岡からの便が大幅に遅れて、不安をつのらせたことを考えると、この程度の待ち時間はやむを得ないものと思われます。

待ち時間に空港の売店でミネラルウォーターや、缶ビール・アサヒスーパードライを購入、値段は忘れましたが驚く高さだったのが印象的に残っています。

福山から同行のご夫婦Oさんは、韓国産のミネラルウォーターを安く購入されたようで、韓国通貨の安さを考えると、輸入品との格差が実に大きいことを実感させられました。



ソウル仁川空港からイスタンブールへの航路が表示された座席モニターの画面です。

韓国から中国~カザフスタン~ロシア領空を通り、トルコへ飛んでいるようです。

カザフスタン経由のコースは、少し北を迂回していますが、直線的なコースでは中国の西にタジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャンなど通過国が増えてしまい、領空通過の小刻みな連絡などを避ける配慮でしょうか。



トルコ、アタチュルク空港の風景です。

現地時間で、17:45頃の着陸でした。

着陸前に上空から見たイスタンブールのボスフォラス海峡の美しい夜景に歓声を上げたことは忘れられない想い出です。



旅行2日目の朝、カーテンを開けたホテルの窓から見えた風景です。

大きなショッピングセンターや、高いビルが高架の高速道路の向こうにそびえていました。

歴史的な観光スポットを除くトルコの街並みは、ビルが林立する現代の都市でした。




宿泊したホリデイ・イン イスタンブール エアポートホテルの玄関付近の風景です。

アタチュルク国際空港から北に約10Kmの場所にあり、すぐ横に高速道路のインターチェンジがありました。

左手に駐車しているバスが旅行7日目まで乗ったバスで、座席が3列のVIPバスでした。

VIPバスとは言え、数ヶ所の窓で、カーテンの金具が外れて日よけが出来ず、添乗員さんにツアーバッチのピン止めで補修して頂いたのも想い出になりました。

いよいよトルコ観光のスタートです。