昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

日吉大社「山王鳥居」の不思議な形

2009年03月30日 | 近畿地方の旅
西本宮から楼門を出て参道を進むと鳥居がありました。

以前から鳥居の種類などの図で何度も見てきた「山王鳥居」を初めて見ることができました。

分かりやすく逆の道順で説明します。



西本宮の坂道の参道を登った先に鳥居が見えて来ます。

長い坂道に石が山型に並べられたものが連続していますが、何なのでしょうか?

道に降った雨が道の両端に導かれ、水たまりが出来ないように工夫されているのかとも思われます。



三角の飾りが付いた「山王鳥居」に近づいてきました。

鳥居の最上部の高さは、下に立つ人から推察して約8~9メートルでしょうか。

このデザインは、江戸時代以前からのものと推察されますが、現在の鳥居が造られたのは昭和15年(1904)だそうです。



「山王鳥居」に近づいてきました。

鳥居の上に山型の破風(合掌形の装飾板)が載せられ、神仏習合を表すと説明されていますが、よく見ると不思議な形ですが、意味がよく分かりません。

「山王」とは、霊山(比叡山)を守護する神霊のことで、東本宮祭神「大山咋神」を指すそうです。

山型の破風は、霊山を表現しているのでしょうか?

■鳥居の下に立札があり、転記します。
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「日吉社神道秘密記」惣合神門
於比内東向両大神宮拝念、関東諸国諸神祈念処、西向祈念問之

山王鳥居

日吉大社独特の鳥居で、東に向って伊勢の神宮を始め東日本の神々を西に向かっては西日本の神々をそれぞれ拝することができる。
滋賀県指定文化財
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裏側から見た鳥居です。

山型の破風と、その下の笠木に黒いストライプがあり、独特のイメージをつくっているようです。

日吉大社「西本宮」と、祭神

2009年03月28日 | 近畿地方の旅
滋賀県大津市の日吉大社の参拝も最後の西本宮です。

本来ならここから参拝を始めるようですが、駐車場から道なりに進んだ結果です。



日吉造で知られる日吉大社西本宮の本殿です。

日吉大社では祭神を「大己貴[おおなむち]神」とし、天智天皇が大津京遷都(667年)の時、大津京を始め国家鎮護の神として大和国三輪山の大神[おおみわ]神社より御神霊を御迎えしたとしています。

ヤマト朝廷は、663年白村江で新羅・唐の連合軍に大敗し、必死で防衛体制を整えている時代です。国譲りで敗退させた「大己貴神」をなぜ「国家鎮護の神」として祀るのか疑問です。

又、「大神神社」では主祭神を「大物主大神」とし、「大己貴神」「少彦名神」は配祀としています。

一般的に大物主は、大己貴神の別称とされるようですが、どうも世襲の役職名ではないかと推察しています。

675年、西本宮に合祀されていた「田心姫神」が「宇佐宮」へ分祀したそうです。

三輪山に祀られてる「大物主大神」が、「大己貴神」でない可能性がある場合、大己貴神の妻「田心姫神」の合祀を不適切と考え、分祀したのかも知れません。

何分「古事記」「日本書紀」ができる前の時代で、事実はまったく霧の中です。



b日吉大社西本宮の本殿前の様子です。

社殿に上がる階段の下の板張り「浜床」を見ると、気軽にお上がり下さいと言われているようです。

■本殿前の説明板を転記します。
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国宝 建造物
日吉大社西本宮本殿 一棟
 (大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間[けたゆきごけん]、梁間三間[はりまさんげん]、日吉造[ひえづくり]、檜皮葺[ひわだぶき]の建物です。日吉造は、一名を聖帝造[しょうたいづくり]ともいい、全国では、日吉大社だけにみられる特殊な構造です。
つまり、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に廂[ひさし]がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝[こうはい]と浜床[はまゆか]をつけ、縁高欄[えんこうらん]がまわりをめぐっています。
天正[てんしょう]一四(1586)年に復興[ふっこう]されたものですが、慶長[けいちょう]二(1597)年に改造されています。
昭和三六(1961)年に国宝に指定されました。
 大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
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cここにも特徴のある狛犬がいました。

ドングリ眼が印象的で、どことなくスフィンクスを連想するようなタテガミです。

この建物が復興された天正14年(1586年)は、天皇から関白太政大臣や、豊臣姓を賜った秀吉の絶頂期でもありました。

その後、建物が改築された慶長2年(1597年)は、朝鮮半島への侵略「慶長の役」が始まった年で、翌年秀吉が亡くなっています。

廻り縁や、欄干に施された豪華な飾りを見ていると、安土桃山時代がついこの前のように錯覚してしまいます。



d日吉造りの特徴である本殿裏側の庇を見上げた様子です。

この角度では日吉造りの特徴がよく見えなかったようです。



e桂の木が御神木と案内されていました。

桂の木にちなむ神話を思い出しました。

島根県の山間部にある「金屋子神社」に行った時、数本の桂の木がありました。

昔、その桂の木に金屋子神(たたら製鉄の神様)が降臨したそうです。

■案内板を転記します。
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日吉随一の御神木
桂の木
山王祭(例祭)を別称「桂の祭」と申します。
冠や衣服に桂の枝を飾って神縁を結ぶ古式が行われます。
また縁結びのご神木と崇められ「愛染桂」とも親しまれています。
全ての良き縁をお祈り下さい。
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f桂の木を見上げた様子です。

ハート型のやさしそうな緑の葉を見上げていると心がなごみます。

古代人は、木の清々しさから神の降臨する木と考えたのでしょうか。



g本殿の横から向かいの拝殿を見た景色です。

向かって右の桂の木との間に西本宮の楼門が見えています。



h楼門を背にして見た拝殿正面の様子です。

鈴を鳴らすひもが、5本も下がっています。

お祭りには大勢の参拝者があるものと思われます。

■拝殿の脇に案内板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
日吉大社西本宮拝殿 一棟 (大津市坂本五丁目)
この拝殿は、方三間[ほうさんげん](桁行三間、梁間三間、一重[いちじゅう]、入母屋造、檜皮葺[ひわだぶき]、妻入[つまいり]りの建物です。
柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子[きつれこうし]、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井[おりあげこぐみごうてんじょう]となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正一四(1586)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和三九(1964)年五月に重要文化財に指定されました。
 大津市教育委員会  平成四(1992)年三月
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i西本宮の楼門です。

全景が撮れていませんが、実に立派な建物でした。

本殿と同様、天正14年の建物と推定されているようですが、約四百年間美しい姿を維持していることに驚きます。

■門の脇に案内板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
日吉大社西本宮楼門一棟 大津市坂本五丁目
楼門とは、二階建で階上に縁があり、屋根は上の一つしかない形式の門のことです。
西本宮楼門は、東本宮楼門と同様、三間一戸(戸とは出入口のこと)入母屋造、檜皮葺の建物です。木部は丹塗[にぬり]を主としたもので、上下の釣り合いがよく、樹の緑によく映えます。四隅には猿の彫刻、前後に極彩色の蛙股[かえるまた]があります。
確実な資料はまだ発見されていませんが、天正十四年(1586)頃に造営されたものではないかと推定されています。
大正六年四月五日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会
昭和六十三年三月二日
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日吉大社摂社「宇佐宮」参拝

2009年03月24日 | 近畿地方の旅
滋賀県大津市の日吉大社の参拝で、東本宮の参拝から始めて、白山姫神社の参拝の後、宇佐宮へ向いました。



「宇佐宮」は、白山姫神社から一段高い場所にありました。

階段の向こうに壁のない拝殿見えています。

本殿は、向って右にあります。



「宇佐宮」本殿の手前に「宇佐竈殿社」の祠がありました。

日吉大社にある三つの竈殿社の一つですで、「宇佐宮」の料理を司る神様として「奥津彦神」「奥津姫神」が祀られています。

「奥津彦神」「奥津姫神」は、大山咋神の兄神・姉神とされており、日吉大社の三つの竈殿社で共通の祭神です。



「宇佐宮」の本殿です。

祭神は、宗像三女神の一番上の姉、田心姫[たごりひめ]神です。

神社のサイトでの説明によれば創建時から675年までは西本宮に夫とされる「大己貴神[おおなむち]」と共に祀られていたようです。

なぜ別居させられたのでしょうか? ちょっとした謎です。

次回、西本宮の記事で、祭神について考えてみたいと思います。

「宇佐宮」の名は、大分県の宇佐神宮の社伝では祭神「応神天皇」「神功皇后」と共に祀られている「比売大神」が、宗像三女神であるとのことから名づけられたものと思われます。

■建物の説明板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
日吉大社摂社宇佐宮本殿 一棟
(大津市坂本五丁目)
この本殿は、桁行五間[けたゆきごけん]、梁間三間[はりまさんげん]、日吉造[ひえづくり]、檜皮葺[ひわだぶき]の建物です。
西本宮本殿、東本宮本殿と同じく日吉造[ひえづくり](聖帝造[しょうたいづくり[)の典型的[てんけいてき[なもので、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面に一間の廂[ひさし]をめぐらし、側面や背面に特色があります。他とは、ほとんど同じですが、正面の階段前に吹寄格子[ふきよせこうし]をいれた障壁[しょうへき]が設けてあるのが大きく異なります。また、高い床下には大きな岩が露出していて何か意味ありげなものです。
慶長[けいちょう]三(1598)年に建てられたものです。明治三四(1901)年八月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会 平成四(1992)年三月
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拝殿の横から見た「宇佐宮本殿」です。

社殿の左右に玉垣に囲われた「橘」があります。

宇佐宮の社紋が「橘」であることから植えられているようです。

「橘」には、田道間守[たじまもり]が常世[とこよ]から持ち帰った神話があります。



宇佐宮の狛犬です。

日吉大社にある各神社の狛犬の表情はそれぞれ違っていました。



宇佐宮の拝殿です。

造りは、他の拝殿とほぼ同じように見えますが、緑の木々を背景に美しく見えます。



宇佐宮から西本宮側に進むと「大宮竈殿社」の祠ががありました。

「大宮竈殿社」は日吉大社西本宮の料理を司る神様として「奥津彦神」「奥津姫神」が祀られています。



「大宮竈殿社」の後方に「庖丁塚」がありました。

6月の「包丁祭」では、滋賀・京都の料理人が集まり、古式ゆかしい式庖丁の披露や、古い庖丁の供養が行われるそうです。

■石碑に「竈殿社」の説明文があり転記します。
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竈殿社
祭神 奥津彦神 奥津姫神
古来 我が国では火の清浄を
尊び 諸の災禍は火の穢より
起こると信じられてきました
また 竈は日常の飲食を炊く
ところで 生活上一日も欠かすことの
出来ない物であることから 古来より
朝廷でも斎き祀られました
殊に一家を構える家庭の命の源を
守護する家神として崇敬されました
このことから現在では台所の神として
また飲食を整える包丁の守護神
として調理の上達を願い多くの
信仰を集めています。
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油絵「青葉の神門」

2009年03月22日 | 妻の油絵
先日、撮った妻の油絵で、4枚連続しましたが、最後の絵になります。



岡山県津山市の「中山神社」の神門をです。

昨年4月下旬に初めて参拝し、新緑の神門がとても美しく、絵にしました。

「中山神社」は、美作国一宮で、祭神は神話に登場する鏡造りの「石凝姥命」を祖とする一族と思われます。

弥生時代、古墳時代にはヤマトで鏡造りをしていたと思われる一族が、現代までこの地で永く祀られるようになったことに強い興味を持ちます。

油絵「バラ」

2009年03月17日 | 妻の油絵
前回に続いて妻の油絵です。


小さなバラ、カサブランカ、マーガレットと、白い花が、トマトの色にも似た赤いバラの花を引き立てているようです。

昔描いた絵と比べると、だいぶ上手になったようにも思いますが、なかなか進歩には時間がかかります。

油絵「椿」

2009年03月15日 | 妻の油絵
久々に妻の油絵です。

今日は、天気がよく、数枚の絵をデジカメで撮りました。



椿の絵です。

余り派手さはありませんが、落着きのある魅力を感じます。

昨年も背景全面を金色にした椿の絵を年賀状に印刷していました。

今年は、小ぶりな赤い椿を少しアレンジした背景で描きました。

日吉大社摂社「白山姫神社」雪丈岩の伝説

2009年03月14日 | 近畿地方の旅
滋賀県大津市の日吉大社の参拝で、東本宮の参拝、山王神輿の見学の後、西本宮方向へ歩いて行きました。

境内がこんなに広いとは思ってもいませんでした。



すがすがしい林の道を進むと、坂道の上に「白山姫神社」が見えて来ます。

印象に残った景色でした。



石段を登る途中で「白山姫神社」の手前に四つの祠が大きさ順に並び、とても面白い景色でした。



白山姫神社です。

とても清楚な社殿で、親しみを持てる神社でした。

祭神は、菊理姫神[くくりひめのかみ]で、平安時代に加賀国一宮「白山比神社」[しらやまひめじんじゃ]から勧請されたそうです。

石川県の「白山比神社」の祭神は、菊理姫神の他、伊邪那岐神[イザナギ]、伊弉冉神[イザナミ]の三柱です。

菊理姫神は、日本書紀の一書では、イザナミの死後にイザナギが黄泉の国へ行った場面で登場する正体不明の神様です。

古代文書「ホツマツタエ」にも菊理姫の記載があり、イザナギ命が、妻イザナミ命の遺体を安置する洞窟へ死体を見に行かないよう諌める妹ココリ姫として登場しています。(結局、イザナギ命は妻の腐乱した死体を見てしまいました)

■正面横に神社の説明板があり、転記します。
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重要文化財 建造物
日吉大社摂社白山姫[しらやまひめ]神社本殿 一棟 (大津市坂本五丁目)

この本殿は、三間社流造[さんげんしゃながれづくり]、桧皮葺[ひわだぶき]の建物で、三間・二間が身舎[もや]、その前方一間通しの廂[ひさし]が前室となっています。
この本殿と樹下[じゅげ]神社本殿とは、ほぼ同形式となっていますが、装飾金具が少なく簡素な造りで地味な落ち着いた中にも、各部の意匠に意を配った建物です。
また、向拝゜[こうはい]は一間で浜床[はまゆか]付き、前室の正面は蔀戸[しとみど]となっています。
慶長三(1598)年に建てられました。
明治三九(1906)年四月に国の重要文化財に指定されました。
 大津市教育委員会 平成4(1992)年3月
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この社殿が建てられた慶長3年は、秀吉が亡くなり、朝鮮での戦争終結や、秀頼体制への移行など、激動の年だったと思われます。



切妻部分をズームで撮った写真です。

金色の金具で派手に飾られた「樹下神社」の切妻と比べるとずいぶん簡素ですが、品の良さを感じます。



社殿の前の様子です。

社殿に上がる階段の下は、浜床[はまゆか]と呼ばれる板張りの床になっています。

説明板から階段の上り口を塞いでいるのは蔀戸[しとみど]でしょうか。

社殿の壁に取り付けられている蔀戸はよく見ますが、こんな場所にあるのは初めてです。



社殿に向かって左の木製の狛犬です。

顔の表情がいいですね。



社殿に向かって右の木製の狛犬です。

迫力のある顔ですが、上の歯くぎが見えて、どことなく愛嬌を感じます。



社殿正面の様子です。

靴を脱いで、浜床にあがってみたい衝動にかられます。

両脇の柱に白い筆のようなものがぶら下がっていますが、稲穂の束だったようです。



本殿横に玉垣の中に石が積まれていました。

何やらいわくのありそうなものですが、説明板も見当たりません。

日吉神社のサイトで境内案内があり「雪丈岩」と名付けられた石でした。

■日吉神社のサイトにある境内案内の説明文を転記させて頂きます。
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平安時代末期に白山の神を広長という人物が私的にお祀りしていたところ、天台座主慶命が見つけ、取り壊すかどうか話し合おうとした夜に夏にもかかわらずこの岩の高さ程の雪が積もり、その霊験によって白山宮創建につながったといわれています。
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にわかには信じられない伝説です。

取り壊しから神社を守るため、白山から雪を送ってきたのでしょうか。

ふと、奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会)と、そのために水を送る、福井県若狭根来の「鵜の瀬」で行われる「お水送り」を思い出しました。



白山神社の前から横に並ぶ祠を見た様子です。

手前から剣宮社、小白山社、八坂社、北野社と大きい順で並んでいます。



白山姫神社の拝殿横から本殿を見た様子です。

拝殿は、東本宮と同様に壁のないたてものでした。

ガラス越しに見た桃山時代の「山王神輿」

2009年03月09日 | 近畿地方の旅
日吉大社東本宮から西本宮へ向かいました。



楼門を出ると八王子山に上がる石段と、その両脇に奥宮を遥拝所する祠があります。

奥宮へ行きたかったのですが、時間がなく又の機会としました。

奥宮にある磐座「金大巌」[こがねのおおいわ]が見られなかったのは残念でした。



神輿収蔵庫の前に「山王神輿特別公開中」の看板があり、立ち寄って見ました。


■入口横に案内板があり、転記します。
==========================================================================山王神輿七基 重要文化財
全国神輿のルーツが山王神輿である事は有名で平安の昔桓武天皇が日吉大神に寄進されたに始まる。又、僧兵の強訴でも有名で平安から室町にわたる三百七十余年の間に四十数回の上洛強訴が行われた。重量五百貫(二トン)の神輿を海抜八五〇メートルの日枝山をかつぎ越えて入洛したエネルギーは想像を絶するものである。
平安時代の神輿は元亀の乱で焼失した。現存のものは桃山時代の作で重要文化財に指定されている。
日吉大社には神輿が十四基現存する。
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この2基の神輿[みこし]には「三ノ宮」「八王子宮」の名札が付けられていました。

ガラスの仕切りと、壁の隙間から撮影できました。

向って右の神輿は、八角形のようでしたが、他は四角形です。

八角形の大きな神輿は、鳥取県の大山の「大神神社奥宮」にもありました。

八角神輿では西日本一の大神輿とされ、平安時代から七基の神輿が繰り出す「大山神幸行列」が行われていたと案内されていました。

七基の神輿が共通で、何か理由があるのかも知れません。

比叡山の僧兵が、朝廷へ強訴した時に担ぎ出した神輿は、もっといかついイメージでしたが、実に華麗な神輿です。



ガラス越しの撮影にかろうじて撮影できた東本宮の神輿です。

華麗で、大きな神輿が、全部で7基並んでいましたが、他の4基の神輿はフラッシュがガラスに反射してうまく撮れませんでした。

七基の神輿は、日吉大社の上七社と言われる西本宮・宇佐宮・白山宮・牛尾宮・三宮宮・東本宮・樹下宮の神輿だそうです。

神輿[みこし]は、神様の乗り物で、それぞれの神社の神様専用のものが造られているようです。

日吉大社東本宮へ参拝

2009年03月07日 | 近畿地方の旅
昨年11月1日~2日の滋賀旅行の想い出です。

2/20の記事、大津市坂本の日吉大社東本宮へ参拝した続きです。

2009-02-28に「浮御堂は、冬至の太陽を遥拝する聖地だった」でも記載しましたが、薬師寺慎一著「聖なる山とイワクラ・泉」に日吉大社の磐座・泉のことも書かれていました。

日吉大社の神体山「八王子山」の頂上付近には金大巌[こがねのおおいわ]と呼ばれる巨岩があり、磐座とされています。

樹下神社の社殿の下に井戸があり、社殿のなかった時代には金大巌に鎮座する神様をこの井戸の上にお迎えして祭礼を行っていた説が書かれていました。

2009-02-24の記事-日吉大社東本宮摂社「樹下神社」の建物配置の謎-で書いた西の八王子山に向って参拝する「樹下神社」と、北に向かって参拝する東本宮本殿に対する疑問が解けたようです。

「樹下神社」はかって東本宮の本社だったのかも知れません。



「樹下神社」拝殿の御神輿を見ている時、神官の先導で、楼門から結婚式の一団が入って来ました。

たくさんの神社を参拝しましたが、結婚式を見るのは久し振りです。



東本宮の拝殿に東側から上る石段を新郎一行が進んで行きます。

手前の壁のない建物が、拝殿、奥に見えるのが本殿です。



西側から上る石段からは新婦の一行が進んで行きます。

天気の良い日、日陰を歩いている白い綿帽子をかぶったお嫁さんに赤い傘をさして歩く演出に思わず笑ってしまいました。

この後、新郎新婦は東西から拝殿の上がり、縁側に沿って南側中央で合流した後、関に着いて行きました。



拝殿の東側からの結婚式の様子で、厳粛に行われていました。

まったく壁のない拝殿の結婚式では周囲から丸見えで、お嫁さんも落ち着かないのではと心配しました。

しかし、神殿のなかった古代には野外で神事が行われいたことを考えれば、極めて自然ななスタイルかも知れません。



拝殿の東側から見た日吉造[ひえづくり]の東本宮本殿です。

正面から見ると入母屋造ですが、後ろから見ると独特の「日吉造」と分かります。

残念ながら結婚式に気を取られ、撮影していません。

屋根の後方部分を見ると、屋根下が切妻造のように斜めに傾斜している所に「日吉造」の特徴がみられます。

うまく表現できませんが、入母屋造の後方の屋根の両角を斜めに切り取ったような形が「日吉造」のようです。




東本宮本殿の東側の狛犬です。

かなりの歳月を経て表面の塗装がハゲ落ちて、寄木造りの接続された様子がよく分かります。

なかなかの面構えで、獅子のたてがみの個性的な表現が、印象に残ります。



桧皮葺の素敵な屋根です。

伝統的な神社建築の清潔さ、すがすがしさを感じる部分でもあります。

この角度で見るとまったく入母屋造にしか見えません。



東本宮本殿の西側から拝殿の後方を見た様子です。

入母屋造りの拝殿で、屋根のシルエットが美しく見えます。

四方向に階段があり、屋根の形と、出入り口の位置で分類される「妻入」「平入」の区別がつきません。

このタイプには新たに「四方入」と名付けたいところです。

■拝殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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 重要文化財 建造物
「日吉大社東本宮拝殿」一棟
                   大津市坂本五丁目
拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)一重、入母屋造、檜皮葺妻入の建物です。
四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾り(屋根の三角部分)には木連格子(縦横の細かい格子)を入れています。
また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井となっています。
「文禄五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、一五九六年頃の建築であることがわかります。
昭和三十九年五月二十九日に国の指定文化財となりました。
  大津市教育委員会 昭和六十三年二月
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拝殿の西側から見た東本宮本殿です。

向って左に見える建物は「大物忌神社」で、東本宮本殿の祭神「大山咋神」の父「大年の神」が祀られているそうです。

■本殿の前に建物の説明板があり、転記します。
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国宝 建造物
日吉大社東本宮本殿 一棟 
大津市坂本五丁目
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造[ひえづくり]檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造といい、三間・二間の身舎[もや]の前面、両側面の三方に庇がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にのみ現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮とほぼ同様の造りですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文禄四(1595)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和三六(1961)年四月に国宝に指定されました。
大津市教育委員会  平成四(一九九二)年三月
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神官が、本殿に上がり、結婚式のお祈りをしていました。

拝殿と本殿が離れているため、雨風の強い日の儀式は苦労されているものと思われます。



東本宮本殿の西に「亀井霊水」という井戸がありました。

柵の中をのぞくと石で造られた六角形の井戸枠から湧水が、ほんの少しずつあふれ出ていました。

樹下神社本殿の床下にある井戸と、この「亀井霊水」との関係が気になります。

■井戸の前にあった案内板を転記します。
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亀井霊水
昔、ここには池があり、伝教大師参拝の折、霊亀が現れた。占いによりここを閼伽井[あかい](仏様に捧げる水を汲む井戸)となし、「亀井」と名付けられた。最名水也
「日吉山王権現知新記」より
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香川県高松市で見た一足早い満開の桜

2009年03月02日 | 四国の旅
3月1日、日帰りで四国の高松市へ行ってきました。

讃岐国の国分寺に立ち寄り、お参りしましたが、案内地図に伽藍跡があるのを知り、見に行きました。



10分の1の伽藍配置模型がありました。

実物題の築地塀も再現されており、古代にはこの付近が讃岐国の中心地だったのかと改めて周囲の景色を眺めていました。



伽藍配置模型のすぐ前の畑の端に花が咲いている小さな木がありました。

一見、梅の花かと思いましたが、どうも桜の花のようです。

向こうの家のそばには紅梅と、白梅と思われる木が弐本りました。



この花です。

雄しべが長く、よく目立ちます。

桜の品種のことは分かりませんが、早咲きの品種でしょうか。

既に満開状態で、驚きました。



アップで撮ってみました。

こうして見ると、なかなか優しそうな花です。

国分寺では「お接待です」と若い女性からつきたての草餅を頂きました。

妻には大きな草餅、私には小さな草餅でした。

肥満の私に配慮して頂いたのかもしれません。



国分寺へお参りした後、讃岐国の一宮「田村神社」へ行きました。

長い参道の途中から神社方向を見た景色です。

突当りに見えるのは神門ですが、そこをくぐると毎週日曜には参道の両脇に朝市「日曜五楽市」が開かれます。

訪れた時には、既に閉店時刻を過ぎて、2~3のお店が後片付けをしていました。



鳥居と、神門の中間地点に小さな桜の木があり、ここでも咲いていました。



この桜も長いおしべが目立ちました。

国分寺の桜と、同じ品種のようにも思えますが、違うようにも見えます。



アップで撮って見ました。

こちらの木は、国分寺よりやや日当たりが悪いのか、八分咲きといったところです。