尾道市因島三庄町三ヶ崎の「鼻の地蔵さん」へ参拝後、地蔵鼻の山頂にある「美可崎城跡」[みかさき じょうし]へ行きました。
「美可崎城跡」をめぐった往復時間は10分弱で、村上水軍の歴史に触れることが出来るミニスポットでした。
正面の山が「美可崎城跡」で、駐車場のすぐ横に道がありました。
道の両側は、柑橘類の畑で、道の左側に荷物を運ぶモノラックのレールが続いています。
■駐車場付近にあった案内板です。
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美可崎(土岐)城
三庄湾の南を扼する標高五十六.七米の三ケ崎の先端部に位置し、海の関所として古くからあり、宝亀二年(七七一)安芸国に中衛府を設け 中部瀬戸内海を守る海関がおかれた。
郭は最高所を中心に南から北へ二段の削平地があり、その二つを包むように南から東へ帯郭がのびている。岬の南側にある入江を「船隠し」と云う。
城の築かれたのは、室町中期と思われ因島村上氏の将南彦四郎泰統が備後灘を行く船から 帆別餞、駄別餞などの通行税を徴収する奉行として、金山亦兵衛康時を城代としておいていた。
城の北端にある地蔵岩は、城に関係する伝説を伝えている。
教育委員会
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駐車場から少し進むと右手に弓削島が見え、この間の海を「弓削瀬戸」と呼ぶようです。
この美しい海も、昔ここを通行した船にとっては、「鼻の地蔵さん」の伝説のように一つ間違えば生命の危険がある緊張する海域だったものと思われます。
次第に急な坂道になり、「美可崎城跡」への道は、石灯籠の先で右に折れます。
右手の白い標識や、石灯籠に「美可崎城跡」の名が見えました。
階段を上り、頂上が見えてきました。
すぐ先に「三十八番札所 金剛福寺 因島八十八ヶ所霊場」と書かれた案内板が立っています。
頂上に上がるとすぐ左手の「金剛福寺」で、本尊は千手観世音だそうです。
四国八十八ヶ所の「金剛福寺」は、高知県南西の足摺岬にあります。
下に掲載した因島の地図を右に90度回転させ、徳島の一番札所「霊山寺」を因島大橋のたもと「大浜」に見て、足摺岬を「地蔵鼻」に見ると何となく因島が四国に見えてきました。
尾道市因島周辺の地図で、「美可崎城跡」は島の南東「地蔵鼻」にあります。
「美可崎城跡」からは北東方向に「横島」、南方向に「弓削島」などが見えます。
「金剛福寺」の前から左手に石段があり、一段高い展望台に進んで行きます。
「金剛福寺」の付近は、こじんまりした日本庭園風になって参拝者をなごませてくれます。
「美可崎城」の本丸があった場所で、中央に休憩所の建物があります。
かつては、村上水軍が海関を置き、本丸の建物から周囲の監視を続けていたものと思われます。
休憩所の右側を進むと正面に「弓削島」の北端「馬立ノ鼻」が見えます。
写真には見えませんがその左手に豆粒のような「百貫島」が浮かんでいます。
右手の柵に沿って進むと「地蔵鼻」の南岸や、西方向の景色が見え、次の写真で紹介します。
右手の断崖は、「地蔵鼻」の南岸です。
「美可崎城跡」の説明書きにある「船隠し」と呼ばれる入江は、柵の越し見える断崖の下辺りでしょうか。
断崖の先に見える大きな建物がある付近は、因島の南端「家老渡港」や、造船所のようです。
左手の島は、弓削瀬戸の南西にある「佐島」で、その対岸の「生名島」との間に建設中の「生名橋」が見えます。
「生名橋」は、弓削大橋で結ばれている「佐島」「弓削島」と、「生名島」を結ぶものですが、完成が遅れているようです。
向こうに「横島」が見える北東方向の景色です。
一段下の平地は、案内板の地形図に「二の丸」と説明されていた場所です。
小さな見張りの砦をイメージしていましたが、小規模の城の規模でした。
今は柑橘類の木が植えられ、下から続くモノラックのレールは、すぐ前の小屋付近まで続いているようです。
帰りの坂道から見えた駐車場付近の景色です。
大きな二本の桐の木に薄紫の花が美しく輝いていました。
道路わきの石灯籠は、「鼻の地蔵さん」へ下る歩道の入口です。
前回掲載の「鼻の地蔵」の伝説で、浜で切り捨てられたとされる周防の商人の娘は、この辺りを歩いて浜に連れて行かれたのでしょうか。
これで因島の記事は終了ですが、まだ訪れていないスポットもあり、いつか再訪したいと思っています。
「美可崎城跡」をめぐった往復時間は10分弱で、村上水軍の歴史に触れることが出来るミニスポットでした。
正面の山が「美可崎城跡」で、駐車場のすぐ横に道がありました。
道の両側は、柑橘類の畑で、道の左側に荷物を運ぶモノラックのレールが続いています。
■駐車場付近にあった案内板です。
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美可崎(土岐)城
三庄湾の南を扼する標高五十六.七米の三ケ崎の先端部に位置し、海の関所として古くからあり、宝亀二年(七七一)安芸国に中衛府を設け 中部瀬戸内海を守る海関がおかれた。
郭は最高所を中心に南から北へ二段の削平地があり、その二つを包むように南から東へ帯郭がのびている。岬の南側にある入江を「船隠し」と云う。
城の築かれたのは、室町中期と思われ因島村上氏の将南彦四郎泰統が備後灘を行く船から 帆別餞、駄別餞などの通行税を徴収する奉行として、金山亦兵衛康時を城代としておいていた。
城の北端にある地蔵岩は、城に関係する伝説を伝えている。
教育委員会
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駐車場から少し進むと右手に弓削島が見え、この間の海を「弓削瀬戸」と呼ぶようです。
この美しい海も、昔ここを通行した船にとっては、「鼻の地蔵さん」の伝説のように一つ間違えば生命の危険がある緊張する海域だったものと思われます。
次第に急な坂道になり、「美可崎城跡」への道は、石灯籠の先で右に折れます。
右手の白い標識や、石灯籠に「美可崎城跡」の名が見えました。
階段を上り、頂上が見えてきました。
すぐ先に「三十八番札所 金剛福寺 因島八十八ヶ所霊場」と書かれた案内板が立っています。
頂上に上がるとすぐ左手の「金剛福寺」で、本尊は千手観世音だそうです。
四国八十八ヶ所の「金剛福寺」は、高知県南西の足摺岬にあります。
下に掲載した因島の地図を右に90度回転させ、徳島の一番札所「霊山寺」を因島大橋のたもと「大浜」に見て、足摺岬を「地蔵鼻」に見ると何となく因島が四国に見えてきました。
尾道市因島周辺の地図で、「美可崎城跡」は島の南東「地蔵鼻」にあります。
「美可崎城跡」からは北東方向に「横島」、南方向に「弓削島」などが見えます。
「金剛福寺」の前から左手に石段があり、一段高い展望台に進んで行きます。
「金剛福寺」の付近は、こじんまりした日本庭園風になって参拝者をなごませてくれます。
「美可崎城」の本丸があった場所で、中央に休憩所の建物があります。
かつては、村上水軍が海関を置き、本丸の建物から周囲の監視を続けていたものと思われます。
休憩所の右側を進むと正面に「弓削島」の北端「馬立ノ鼻」が見えます。
写真には見えませんがその左手に豆粒のような「百貫島」が浮かんでいます。
右手の柵に沿って進むと「地蔵鼻」の南岸や、西方向の景色が見え、次の写真で紹介します。
右手の断崖は、「地蔵鼻」の南岸です。
「美可崎城跡」の説明書きにある「船隠し」と呼ばれる入江は、柵の越し見える断崖の下辺りでしょうか。
断崖の先に見える大きな建物がある付近は、因島の南端「家老渡港」や、造船所のようです。
左手の島は、弓削瀬戸の南西にある「佐島」で、その対岸の「生名島」との間に建設中の「生名橋」が見えます。
「生名橋」は、弓削大橋で結ばれている「佐島」「弓削島」と、「生名島」を結ぶものですが、完成が遅れているようです。
向こうに「横島」が見える北東方向の景色です。
一段下の平地は、案内板の地形図に「二の丸」と説明されていた場所です。
小さな見張りの砦をイメージしていましたが、小規模の城の規模でした。
今は柑橘類の木が植えられ、下から続くモノラックのレールは、すぐ前の小屋付近まで続いているようです。
帰りの坂道から見えた駐車場付近の景色です。
大きな二本の桐の木に薄紫の花が美しく輝いていました。
道路わきの石灯籠は、「鼻の地蔵さん」へ下る歩道の入口です。
前回掲載の「鼻の地蔵」の伝説で、浜で切り捨てられたとされる周防の商人の娘は、この辺りを歩いて浜に連れて行かれたのでしょうか。
これで因島の記事は終了ですが、まだ訪れていないスポットもあり、いつか再訪したいと思っています。