昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

油絵「ぼたんの花」

2010年04月28日 | 妻の油絵
妻の油絵「ぼたん」です。



元気のいい色で、花が描けたと言っています。(この写真では表現できていません)

五月が近づき、いよいよ「ぼたん」の季節になりました。

「ぼたん」と言えば、4年前に行った中海に浮かぶ松江市大根島の「ぼたん園」を思い出します。

平坦な島に畑が続き、美しい日本庭園や、様々なぼたんの花に感激したものです。

毎週描く花の絵ですが、今回は絵に何か表情を感じます。

福山市「熊ヶ峰」の山歩き

2010年04月25日 | 山歩き
4月21日、福山市熊野町の「熊ヶ峰」に登りました。



「熊ヶ峰」へ登る途中、北東方向に見える福山市街の景色です。

手前の山の下には芦田川が流れ、写真右側にはJFEスチールの工場が広がっています。



「熊ヶ峰」周辺の地図で、芦田川の西を走るグリーンライン沿いに見える山です。

グリーンラインは、芦田川の西岸水呑町から鞆町を結ぶ県道で、国道2号から南の芦田川西岸は沼隈半島です。

「熊ヶ峰」の北西にはテレビ塔のある「彦山」があります。



グリーンライン沿いに広い駐車場と、「熊ヶ峰」の登山口があります。

駐車場の南側に八角形の東屋風の建物と、「熊ヶ峰ひろば」「熊ヶ峰438M」の看板が見えます。



駐車場の北側に登山口があり、桜の木の左右から新旧2本の道が始まっています。

登りは右手の旧道、下りは左手の新道を歩きました。

天候が不安定で、4月下旬になっても桜の花がたくさん残る珍しい年になりました。



一部の花は散り、若葉が芽を出していますが、まだまだ花がいっぱいの桜です。

この日は晴れたり曇ったりの天気で、この写真は下山した晴れの時の写真です。



駐車場の端にあった「熊ヶ峰のんびり登山道」と書かれた案内図です。

山頂標高438Mとありますが、登山口の標高は約370Mで、標高差は60~70M程度で、のんびり歩いても頂上まで10分程度です。



登山道の旧道を登って行くと、ツツジが満開でした。

登り道は薄曇りでしたが、ツツジの花に気持が明るくなりました。



約3分の1登った場所に山崩れがありました。

まだ通れるようですが、すぐ隣の旧道を迂回しました。



山崩れの場所から西の松永湾が一望出来ます。

右手に松永の街、正面に「みろくの里」の観覧車が見え、その向こうは尾道水道です。

西方向の景色は、頂上では木に遮られ、ここが一番の場所のようです。



「熊ヶ峰のんびり登山道」の案内図にあった中間地点の休憩処です。

下りに通った新道にあり、ここから福山市街が見えました。

この付近に「頂上まで200m」の標識があります。



広い頂上の広場の中心に丸木で造られた展望台があり、隣にケルンが見えます。

ケルンの後方に石碑があり、標高と合わせて「沼南アルプス最高峯 熊ヶ峯」の文字が刻まれていました。

「沼南アルプス」は、上の地図にある「彦山」(標高430m)と、「熊ヶ峰」との間にある「葛城山」(標高420m)の三山の総称のようです。

この辺りは沼隈半島東部のやや北にあり、「沼南」は、?です。



丸木の展望台から見た福山市の海岸に近い周辺の眺望です。

幸い雲間から太陽が出てきてしばらくこの景色を楽しみました。

しかし、この方向以外、頂上からの眺望は、木立の成長のためか、今一つでした。

「熊ヶ峰」の滞在は、花や景色をゆっくりと楽しみ、約45分でした。

油絵「ゆり」

2010年04月21日 | 妻の油絵
妻の油絵「ゆり」です。

妻は、最近の花の絵としては、絵の表現がうまく出来、やや満足しているそうです。

子供の頃、山のあちこちに「笹ユリ」の薄い赤みが入った清楚な白い花を見つけ、魅了された思い出があります。

この絵の「ユリの花」は、日本に自生する花と比べ、実に華やかです。

このカラフルな花の美しさを素直に感じることは自然な気持ちでしょうが、輸入や、品種改良による動植物の多様化にはどこか不安を感じます。

もうすぐ「笹ユリ」の咲く季節、久しぶりにぜひ見に行きたいものです。

鳥取市鹿野町「茂宇気神社」創建の謎

2010年04月16日 | 山陰地方の旅
3月22日、鳥取県の日帰り旅行で、三仏寺の参拝を終え、鳥取市鹿野町河内の「茂宇気神社[もうけじんじゃ]」を参拝しました。



「茂宇気神社[もうけじんじゃ]」の参道口です。

石の鳥居は、比較的新しく、黒い扁額に「茂宇気神社」と刻まれています。

以前、このブログで鳥取県日野町金持の「金持神社」を紹介しましたが、この神社も「茂宇気」→もうけ→「儲け」と金運につながる神社として知られるようになりました。

神社名の発音が「もうけ」と言うだけで御利益を信じる人も少ないと思いますが、宝くじと同様、もしかしてと期待するささやかな願いと、遊び心の表れでしょうか。

神社は、鳥居の先に見える山沿いの道を進み、長い石段を登った山の中腹にあります。

■駐車場の入口に神社の案内板がありました。
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起源ははっきりしませんが、古くから地元河内の氏神であり妙見大権現と称しておりました。
明応年中の棟札が現存しております(一四九五年)。寛文七年(一六六七年)藩主池田家より社領六斗を寄進され、元禄五年(一六九二年)妙見茂宇氣神社と改称しております。
明治元年(一八六八年)神社改革にあたり茂宇気神社と改称しました。
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「茂宇気神社」がある鳥取県中央部付近の地図です。

米子自動車道湯原IC→国道482号→国道179号(天神川沿い)→県道21号(倉吉-鹿野町)→三朝温泉→三仏寺→茂宇気神社と走って来ました。

「茂宇気神社」は、県道21号と並行して流れる河内川沿いにあり、東に標高921mの「鷲峰山」[じゅうぼうざん]があり、その頂上からは鳥取県東部が見渡せるようです。

「茂宇気神社」の社務所は、約2Km北に走った場所にあり、社務所付近から右折して400m進むと「鷲峰神社」で、そこから鷲峰山の登山道が始まっているようです。(神主さん両神社を兼務)

■鷲峰山には大山と背比べをした伝説あります。
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鷲峰山と大山の背比べ
 全国の神様が出雲に集まる行事の帰り道、鷲峰山と大山の神様が背の高さを言い争い、背比べをしたそうです。
背比べに負けた大山の神様は悔しがり、鷲峰山の頭を杓子ですくいとったそうです。
この後の話はありますが、省略します。
 (鳥取県公式サイトを参考にしました)
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この伝説に「鷲峰山の神様」が登場していることから、「鷲峰山」は信仰の山だったものと思われます。



参道の途中から茂宇気神社の駐車場付近の様子を撮った写真です。 (3台駐車している)

河内川と並行する県道21号から橋を渡り、駐車場から山沿いの参道を進んで撮影場所まできました。

川の両側の狭い平地に水田が続いていましたが、民家は対岸の山のふもとに並んでいます。

戦国時代以前から続くこの神社への参拝は、洪水で橋が流されることもあったと考えられます。

この河内集落の人々が、なぜ不便な対岸の山の中腹を選び、神社を造営したのか興味のあるところです。



河内川に架かる橋から東北方向に雪をかぶった高い峰が見えます。

「鷲峰山」から北に続く峰と思われます。



最初の長い石段を登ると、道は左に折れ、更に長い石段が続いていました。

すぐ上に二番目の鳥居があり、はるか上の石段の先にはまだ社殿が見えてきません。

ここまで登ると、小高い場所にある並みの神社と違い、予想外に高い場所にあることに気付きます。

寒々として、息切れのする長い石段に、一瞬「くだびれ儲け」になるのではと不安がよぎりました。



長く続いた石段の上にようやく建物が見え始め、石段の左手には立ち枯れた大木や、倒壊して朽ちた大木がありました。

神社の長い参道や、社殿の周囲の森には枯れた大木があちこちに見られ、長い何百年も地域の人達が神様の領域を守ってきたことがうかがわれます。

上に見える建物は、社殿ではなく氏子の人達が集う施設のようです。



建物の下に「ガコの木」とかかれた標識と、その右手に「ガコの木」の大木がありました。

各地の神社をめぐっていますが、初めて見ました。

「ガコの木」は、くすのき科かごのき属の常緑樹で、薄い茶色の樹皮に鹿のような白い模様があることから「鹿子の木」と名付けられたようです。



下の駐車場に鳥取県が建てた自然環境保全地域の案内板があり、この図はその一部です。

「茂宇気神社」の原生的な森を保護するための案内板のようです。

図には大雑把な等高線が書かれていますが、国土地理院の地図で標高を確認すると、参道口約170m、本殿約240mで標高差は実に70mもあるようです。

又、神殿の背後には612mの無名の峰があり、その先には小富士山(標高769m)があります。

ここまで高く登らなくても周辺に適地があったと思われますが、信仰に関わる何らかの理由でもあったのでしょうか。

■下の参道口にあった環境保全地域指定の案内板の説明文を転記します。
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鹿野河内県自然環境保全地域
 指定年月日 平成十年十一月二十四日
 指定地域  気高郡鹿野町大字河内(茂宇気神社社叢)
 指定面積  1.2ヘクタール

保全地域の概要
 この地域は、スダジイ、ウラジロガシ、タブノキ、カゴノキなどの樹木からなる原生的な照葉樹林です。
 森林内には、巨木が数多く見られ、幹に鹿子模様のあるカゴノキは特徴的です。

注意
 この地域内では、許可なく樹木の伐採等はできません。 鳥取県
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石段の途中から見えていた建物の前に立つと一段上の場所に社殿が見えてきます。

最後の石段の下には、山の湧き水を引いたと思われる噴水の手水鉢がありました。

ふもとの石段の始まる付近の参道脇にも竹筒から流れ出る手洗い場所があり、参拝者への心遣いを感じます。

■建物の前に「茂宇気神社」の由緒記が書かれた案内板がありました。
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由緒記
祭神 天照大神、大山祇命、倉稲魂命、起原[きげん]詳[つまび]かならず。
往古より河内村の氏神にして妙見大権現と稱す。明應年中の棟札現存せり。寛文七年十月、藩主池田家より社領六斗を寄進せらる。當社祭神は、元禄十五年閏八月、天照大神を勧請合祀し、妙見茂宇氣神社と改稱す。同年當村字山神鎮座山神(祭神大山祇命)、同村字荒神鎮座荒神(祭神倉稲魂命)、境内末社稲荷大明神(祭神倉稲魂命)の三柱を合祀す。明治四年二月社領を上地し、翌五年三月村社に列格し、大正九年十月三十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
尚本殿の造営は総[けやき]造りにして明治二十五年十月十七日小別所村大工棟梁横山重平の作と云う。
 例祭日 十月十七日
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気が引き締まるような雰囲気の「茂宇気神社」社殿です。

予想を超える長い石段を何度も休みながら登り、寒い日でしたが少し汗ばんできました。

神社創建の時代は中世以前と思われ、これだけ高い場所に、しかも集落から川を隔てた対岸に神社が建てられているのかは今となっては分かりません。

もしかしてこの場所から神が鎮座する山を望み、遥拝する古代信仰の場であったのかも知れません。

社殿の周りは深い木立に囲まれ、社殿前方の周辺の山は見えず、神の山があったのかは謎のままです。



白木に金色の文字で書かれた「茂宇気神社」の扁額です。

改修当時、立派な社殿を造ろうとした氏子の意気込みが感じられます。



社殿の前から見上げると、森がぼっかりと開き、そそり立つ大木に神社の神聖さと、長い歴史を感じさせられます。

お金儲けの願望を満たしてくれそうな名称で話題となった神社ですが、この神聖な雰囲気の中で参拝すると「どうかお金を儲けさせてください」とは祈れず、家族や、周囲の人達の安全と、健康をお祈りしました。

今回の日帰り旅行で、「三徳山三仏寺」の参拝と、「茂宇気神社」の参拝で、なぜか心が安らぐ思いで帰途に着きました。

倉敷で見た桃と、桜の素敵な風景

2010年04月12日 | 山陽地方の旅
4月3日、倉敷周辺の花見に行きました。



大原美術館前の満開の桜です。

妻が描く倉敷川の風景画のため、美観地区を訪れました。



すぐ下の川面をのぞいていると、錦鯉がゆっくりと集まってきました。

天気にも恵まれ、美しく咲いた桜に、とても気持ちの良い川辺の散策です。



旧大原邸と、美術館を結ぶ「今橋」の桜のある風景です。

龍の絵が彫られているこの石橋の上には次々と桜を楽しむ人が渡っていました。



「今橋」付近から倉敷川の美観地区入口方向を見た風景です。

川面に映る満開の桜が、風景を華やかにしてくれます。

川の向こうの小さな小屋は、川に住む白鳥のためのものと思われます。



美観地区の入口にある「倉敷物語館」に入るとお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」の飾りがありました。

「花まつり」と染め抜かれた桃色の幟に誘われて入場し、案内の人に勧められて釈迦像に甘茶をかけて参拝しました。

「花まつり」は、4月8日で、5日早いイベントですが、地元の人達が配る甘茶パックを頂いて帰りました。



倉敷市玉島八島の桃畑の風景です。

新幹線の新倉敷駅の近く、山陽自動車道の北側の小高い山を切り開き、桃や、ブドウ畑が広がっています。

この季節、車や、新幹線からこの辺りの景色を眺め、いつか来たいと思っていました。



桃の花がほぼ満開で、桜の花とほぼ同じ時期となっていました。

この一帯の桃の木は、ゆったりとした間隔で植えられ、うららかな日和と合わせてのどかさを感じさせてくれます。



やっと低い枝を見つけて接写した桃の花です。

まっすぐに伸びた枝に桃花が並び、花の中心に可憐な赤みがさしています。

満開の桃の下で飲む花見の甘酒もおいしいでしょうね。



池のそばの桃畑に菜の花が咲いていました。

失礼して畑に入り、撮影させて頂きました。

とてものどかな景色に心が和みます。



お昼頃、倉敷市玉島の曹洞宗「補陀落山円通寺」の裏山にある「円通寺公園」に行きました。

この石像は、「円通寺公園」の山頂にある良寛像です。

大きな岩の台座で花に囲まれて立つ良寛さんは、若い頃に出家してこの寺で20年間修行したそうです。



桜の花の下で食事をする人たちで賑わう「円通寺公園」の山頂付近の様子です。

広い公園に桜の木も多く、芝生の上でゆったりと花見が出来るようです。



「円通寺公園」の頂上付近から見下ろした景色です。

ここから倉敷市南西部の町や、高梁川の河口一帯が見渡せます。

この景色を眺めながら私たちも頂上付近のベンチで、おいしくおにぎりを食べました。

3 「三徳山三仏寺」本堂へ参拝

2010年04月11日 | 山陰地方の旅
3/22に行った鳥取県三朝町の「三徳山三仏寺」参拝の続きです。

「輪光院」の参拝を終えて本堂へ向かいました。



「輪光院」から長い石段を登り、見下ろした景色です。

「南無三徳山金剛蔵王大権現 三徳山開山三百年」と染抜かれた赤い幟が続いています。

本堂までには、もうひとつ石段が残っています。



石段を上がり、左手奥に「宝物殿」があります。

「宝物殿」には投入堂に安置されていた重要文化財の蔵王権現立像の他、仏像や、狛犬などが展示されていました。

「宝物殿」の前に四角に仕切られた場所が見えますが、火渡り神事などが行われるのでしょうか。



パンフレットにあった重要文化財「蔵王権現立像」です。

「宝物殿」の中で、金色の姿を拝観させて頂きました。

他にも役行者の像や、狛犬の像などがあり、印象に残っています。



本堂への最後の石段付近の様子です。

石段の上に見えるのが「三仏寺」とされる建物で、向って左に工事中の本堂がありました。

石段の下に慈覚大師円仁の石像が見えます。



石段脇の斜面に小さな石仏が並んでいました。

仮本堂で放映されていた寺の案内ビデオによると、米田住職がこの石仏を彫られているそうです。

苔むした石仏を見ると、長年彫り続けられているようです。

福山市図書館のDVDで、五木寛之さんの「百寺巡礼」のシリーズに「三徳山三仏寺」があり、米田住職が登場されています。

投入堂参拝登山口で、五木さんに説明されている場面です。



石段の下に両足の位置を示す石があり、ちょうど米田住職が参拝者へこの石の上に立つよう案内されていました。

何があるのでしょうか。

石段を見ると、長年の参拝で非常にすり減っており、取替えられた石段が、石仏の材料になっているそうです。



両足を置く石の上に立ち見上げると、杉の大木の間に「地蔵堂」が見えました。

「地蔵堂」は、奥の院「投入堂」への途中にある堂で、当日に参拝登山が出来ないこともあり、住職は参拝者へ熱心に案内されていました。

石段を上った左手も「地蔵堂」が見える場所で、案内板がありました。



石段下に金魚鉢を大きくしたような手水鉢があり、住職のご説明ではこれが水琴窟の一部になっているそうです。

横に「水琴窟」の案内板があり、「響き 日本第一」と書かれています。

地下に埋められた瓶に水がしたたり落ちる音だそうで、なかなか風流な音が響いていました。



現在、三仏寺本堂は解体修理中で、この建物は仮設の本堂です。

住職から堂内で、お寺の案内ビデオを見るようすすめられ、見せて頂きました。

寺の歴史や、投入堂などの施設など興味深い内容でした。



解体修理の本堂です。

本堂正面に向って右手に奥の院への登山道入口への通路から見た様子です。



参道口の西にある遥拝所から見上げた「投入堂」です。

車道の脇に小さな遥拝所の建物があり、ズームで撮った写真です。

はるか上に霞む「投入堂」の姿に感動し、改めて参拝登山に訪れたいと思いました。

2 「三徳山三仏寺」の宿坊「正善院」「輪光院」

2010年04月05日 | 山陰地方の旅
鳥取県三朝町の「三徳山三仏寺」参拝の続きです。



最初の宿坊「皆成院」を過ぎ、次の石段を登ると左手に「正喜院」があります。

■門の脇に案内板があり、転記しますが、「正善院庭園」の説明文は、後述します。
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正喜院の文化財
県指定保護文化財木造蔵王権現立像
指定年月日平成十五年九月五日
 蔵王権現は、役小角が吉野の金峰山で修行中に現れた日本独自仏であり、釈迦、観音、弥勒の三尊が一つになったものとされる。
 蔵王権現立像は台座まで含む一木造りであり、像高九〇‥六センチメートル内刳りは施されていない。所作は、三徳山三仏寺に残る他の蔵王権現現像と同じく片手、片足を上げて忿怒相をしているが、多くの蔵王権現像とは左右逆の所作となっている。
 平安時代後期の作と考えられるが、県内に残る数少ない木造りの蔵王権現像としてその価値は高く、秘仏として祈念所に安置されている。
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門を入ると道が二手に分かれていました。

屋根の軒下に雪対策と思われる壁が造られていました。

初めて見るものです。

当日は撤去工事が行われ、既にプラスチックの波板は外されています。



門を入り、正面の大きな入口を入ると、木彫りの大黒様が安置されていました。

神仏習合時代のなごりでしょうか、ちょっと戸惑う参拝でした。



門を入り、右手の入口の様子です。

こちらは、お寺らしい参拝場所になっていました。

向って右では軒下の仮設の壁を撤去する作業が進んでいます。



建物に向かって右手の山の斜面に造られた庭園です。

雨の多い山陰では庭の地面や、木々に苔が多く、風情を感じさせられます。

■門の脇の案内板にあった庭園の説明文です。
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県指定名勝 正善院庭園
 指定年月日 平成十七年十一月二十九日
 正善院には、方丈前庭と池庭の二つの庭園がある。方丈前庭は、斜面の傾斜を活かし三つの築山で構成されの傾向を活かし三つの築山で構成されている。池庭には後背の山林から取水された山川水が滝となって落され、渓流となり他に注いでいる。池中には、鶴・亀に見立てた中島、そして浮石が配され、池に面した書院座敷から中景の樹林越しに遠景の文殊堂を望むむみごとな景観ょなしている。作庭時期については、庭園の景観構成から成から江戸時代中期以降と推定される。
平成十八年三月鳥取県教員委員
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「正善院」の裏手にある庭園で、三つの宿坊では最も美しく造られています。

工事の人から「建物の裏にもいい庭がありますよ」と案内され、進んでいきました。

裏手に回るとすぐ右手に小さな滝が造られ、山水が心地よい音を立てて池に落ちていました。



池は、建物裏手の奥に広がり、縁側から庭園が見渡せるようになっています。

宿泊ができるとのことで、これらの庭に面した部屋でしょうか。



「正善院」から次の石段を登ると右手に「輪光院」の門が見えてきます。

最初の「皆成院」同様、門の手前に売店があり、シーズンには参拝者が多いものと思われます。

三つの宿坊は、それぞれが立派な寺院の構えをしており、かって多くの伽藍があった名残を感じさせられます。



「輪光院」の門の脇に観世音菩薩像が立っています。
切れ長の目で、とても気品のある石像です。

隣には大きな念珠が掛けられ、後ろの看板に説明書きがありました。

百八煩悩転生大念珠
静かに念じて念珠を下に引いて下さい
カチカチと音と共に厄除け開運をお祈り下さい 合掌



「輪光院」の門を入ると正面の建物の軒下が覆われ、撤去工事はまだのようです。

屋根から落ちた雪が残っており、この辺りの遅い春を感じます。

左手に十二支のお地蔵様が色々なポーズで迎えてくれます。



入口を入ると、小首を傾げたかわいい仏像が安置されていました。

賽銭箱の隣に円盤が取り付けられた木製の器具がありますが、これもクルクル回してお祈りするのでしょうか?



十二支のお地蔵様の裏手には、他の宿坊と同様、池がありました。

きれいな山水が注ぎ込み、とてもすがすがしい池でした。

長い石段の道を登って来ましたが、これからまだ本堂への坂道が続きます。

奥深い山の急な斜面を切り開き、よくこれだけ多くの建物や施設を造ったものだと感心します。

寺院を造ることを「開山」と言いますが、改めて「開山」の言葉の重さを実感するようです。