昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

「草戸山」ツツジが咲く散策道 と「中山城跡」

2012年04月23日 | 山歩き
4/21(土)10時頃、うららかな天気に誘われて妻と、福山市街地の西にそびえる草戸山付近を散策しました。

葉桜の季節になりましたが、昨年、草戸山付近の山道に、たくさんのツツジが咲いていたのを思い出して来たものです。



標高120mの草戸山に建つ展望台です。

らせん状の通路を上った屋上が展望台ですが、「明王台配水池」と呼ばれる水道関係のタンクを利用した展望台です。



草戸山付近の地図です。

展望台までは、国道2号の神島橋西岸の少し南から住宅団地「明王台」へ入り(赤い矢印の道)、公園の無料駐車場[P]へ車を置き、長い階段を登ってきました。

散歩は、駐車場から赤丸印の3地点を往復するコースです。

「三叉路」「中山城跡」の場所はデジカメで記録された誤差のある位置情報から推定して記したものです。

展望台から歩道を示す破線が南東に伸び、「半坂」地区まで続いていますが、「竈神社」や「番神社」へ続く道も案内表示されています。

「竈神社」は、山道の案内標識に「半坂カマド」と不思議な名前で案内された先にある神社で、半坂地区にある竈[かまど]神社を示す通称だと思われます。



フェンスで囲まれた展望台の内側の壁に福山市の観光イベント「鞆の鯛網」の風景が描かれていました。

らせん状の通路を登ると雪景色の明王院の絵に始まり、季節の順で阿伏兎観音、桜の咲く福山城、5月から始まる鞆の鯛網、お盆の花火大会、名勝鞆の浦、紅葉の猿鳴峡と福山市の名所が紹介されています。



展望台から北東方向、福山駅周辺の風景です。(空気が澄んでいた今年1月の写真です)

地図にもあるように眼下には芦田川、写真左端には福山城がありますが、よく見えていません。

写真左側にそびえる「蔵王山」からも福山市街地を見下ろす風景が見えますが、太陽を背にして見るこちらからの風景が美しく見えるようです。



南方向、新緑に染まる芦田川の河口方向の風景です。

河口の一番先に「河口堰」、その手前に「芦田川大橋」がありますが、春の霞で見えません。

散策の道は、左手の林の中を進んで行きます。



展望台から住宅団地の端を通る山道を進んで行きました。

花びらを散らしながらも遅咲きの桜がまだ咲いていました。

右手の住宅を過ぎると道は左にカーブし、林の中を進んで行きます。



散策道の各所に満開の美しいツツジ花が見られました。

花の色には、薄いピンクと、やや濃いピンクの2種類があるようです。



山道を進み、最初の坂を上りきった中に三叉路があり、直進「番神社」、右「半坂」の標識の下に新しく「草戸山城跡」の標識が右斜め手前方向を指しています。(写真右下は標識を拡大したものです)

又、白いプラスチック板の標識に「 ⇔中山城跡 福山山岳会」とあり、今年1月にここを歩いた時には無かった城跡の標識がありました。

確か、最近の新聞で城跡を見つけた記事があり、ここかも知れないと思い、行ってみることにしました。

山道を右折すると数メートルで道は二股に分かれ、「中山城跡」は右方向に行きます。(そこにも福山山岳会の白い標識あり)

写真には三叉路の先にもツツジが咲いていますが、この後に紹介する珍しいキノコが生えていたのはそのすぐ先にある松の木でした。



山道を1~2分歩いた「中山城跡」とされる場所です。

山頂一帯を平坦に整地してあるようですが、その広さは100坪位でしょうか。

途中の道や、この城跡には所々に細い木の切り株が見られ、新たに切り開かれたことがうかがえます。



城跡の西側にあった看板です。

「2012年(平成24年) 草戸山 城跡」とあり、やはり今年に作られたようです。

城跡の周囲は、立木で視界が遮られていますが、地形的には360度の展望が出来るものと思われます。

市街地から見上げると「草戸大橋」と、その上流の「法恩寺橋」の中間にそびえる山頂と思われます。

「中山城」に関する知識はまったくありませんが、中世に栄えた芦田川河畔の草戸千軒遺跡から見上げる場所にあり、興味がわいてきます。



道を引き返し、三叉路を少し進んだ道のすぐ脇にある松の木に珍しいキノコが生えていました。

直径約3センチの小さな栗饅頭のようなキノコで、初めて見る種類です。

キノコは、松の木の根元から這い上がるように、かなり上まで続いています。

ツヤのある栗色に食欲がそそられ、思わず手が出そうになりましたが、毒キノコかも知れないと思い自重した場面です。



芦田川を見下ろす尾根に沿った山道を進むと「番神社」にたどり着きます。

神社境内は、草戸大橋を見下ろす高い場所にあり、下の集落から長い階段が続いています。

小さな社殿内には「三十番神」と書かれた札や、「妙宗 三十番神 略縁起」の文章が書かれた額が掛けられていました。

この「妙宗」の文字から南の山にそびえる「妙見神社」との関連も想像されます。

かつて「中山城」は、「妙見神社」の場所が比定されていたようですが、次第に解明される中世の福山の歴史にも興味が湧いてきます。

「瓶ヶ森」紅葉の絶景を歩く

2010年10月19日 | 山歩き
「瓶ヶ森林道」の紅葉に感激した後、往復約2時間の「瓶ヶ森」(標高1896.2m)の山歩きです。

「瓶ヶ森」は、昨年7月18日に初めて歩き、今回は2回目です。

北海道旅行の記事は、次回再開します。



「瓶ヶ森」の下山途中に見た「石鎚山」です。

下り坂の道脇にモミジが、燃えるような色に紅葉していました。

「瓶ヶ森」一帯の紅葉も美しく、山歩きを一層楽しいものにしてくれます。



「瓶ヶ森林道」からの登山口から少し進むと道が分かれ、「男山」方向へ登って行きました。

下山は、左回りで下の道から帰りました。

鉄板のサビが気になった昨年の案内板が、真新しくなっています。



「瓶ヶ森」最初のピーク「男山」への稜線の道から雄大な景色が見えます。

東方向に「瓶ヶ森林道」が通る稜線が続いています。

彼方に見えるギザギザ頭の山は「伊予富士」、その右の三角山は「東黒森」のようです。

昨年の7月に来た時、この稜線の道沿いにピンクの「イブキトラノオ」が咲いていました。



「男山」のピークに近づくに従い、斜面の紅葉が鮮やかになってきます。

上段の写真とほぼ同じ東方向に見えた景色です。

向こうに「西黒森」が見え、やはり「瓶ヶ森林道」から上に紅葉が目立つ感じです。

ご覧の通り「瓶ヶ森」の東側の斜面は、とても急な断崖ですが、稜線の道は比較的なだらかです。



「男山」のピークに建つ祠の横から見下ろすと、駐車場や、瓶ヶ森林道が真下にあるように見え、更に深い谷が続いています。

駐車場の向こうに二つの三角山が見え、向って右は、標高1677mの「子持権現山」のようです。

左手の山は、標高1709.7mで「子持権現山」より標高が高いものの地図に名称が見当たりません。

駐車場から30~40mの標高差しかなく、「瓶ヶ森」に付属したピークとみなされているのでしょうか。



「瓶ヶ森」の頂上「女山」に近づいた辺りから見下ろした「男山」方向の景色です。

頂上までの景色では最もインパクトのある紅葉でしたが、写真では表現出来ていないようです。

頂上付近の笹の原から少し下に見える低木地帯の紅葉もまた格別です。



14:10頃、頂上に到着しました。

「瓶ヶ森」の頂上は、「女山」の名称の通りなだらかで、登山者をやさしく迎えてくれます。

しかし、頂上にある祠の中には恐ろしい形相の仏像が安置されており、これが「男山」を見下ろす「女山」の真の姿なのでしようか。

13:00頃に登山口を出発、立ち止って景色を見たり、写真を撮る時間をたっぷり使いました。



雄大な「石鎚山」を正面に見ながら下山しました。

下山は、一旦西へ向かい、瓶ヶ森ヒュッテ付近から南の駐車場へ帰るルートです。

手前に見える茶色の低木は、「ツルギミツバツツジ」でしょうか。



瓶ヶ森ヒュッテ付近から、南に進む道で、美しく咲いたキキョウを見つけました。

「瓶ヶ森」一帯で見かけたキキョウは、笹の原に挟まれた登山道の端の踏まれそうな場所で育っていました。

笹の原の中に咲く花は見当たらず、人が作った登山道の端が、キキョウの生き延びる限られた適地なのでしようか。



「男山」のピークを西側の道から見上げた景色です。

稜線には、山小屋が見えます。

紅葉と、「ウラジロモミ」の濃い緑がとても鮮やかでした。



登山口近くまで帰ってきました。

左手に登山口や、トイレのある建物、「瓶ヶ森林道」を挟み右下に駐車場が見えます。

15:00過ぎに登山口に到着、往復で約2時間の素敵な山歩きでした。

福山市「熊ヶ峰」の山歩き

2010年04月25日 | 山歩き
4月21日、福山市熊野町の「熊ヶ峰」に登りました。



「熊ヶ峰」へ登る途中、北東方向に見える福山市街の景色です。

手前の山の下には芦田川が流れ、写真右側にはJFEスチールの工場が広がっています。



「熊ヶ峰」周辺の地図で、芦田川の西を走るグリーンライン沿いに見える山です。

グリーンラインは、芦田川の西岸水呑町から鞆町を結ぶ県道で、国道2号から南の芦田川西岸は沼隈半島です。

「熊ヶ峰」の北西にはテレビ塔のある「彦山」があります。



グリーンライン沿いに広い駐車場と、「熊ヶ峰」の登山口があります。

駐車場の南側に八角形の東屋風の建物と、「熊ヶ峰ひろば」「熊ヶ峰438M」の看板が見えます。



駐車場の北側に登山口があり、桜の木の左右から新旧2本の道が始まっています。

登りは右手の旧道、下りは左手の新道を歩きました。

天候が不安定で、4月下旬になっても桜の花がたくさん残る珍しい年になりました。



一部の花は散り、若葉が芽を出していますが、まだまだ花がいっぱいの桜です。

この日は晴れたり曇ったりの天気で、この写真は下山した晴れの時の写真です。



駐車場の端にあった「熊ヶ峰のんびり登山道」と書かれた案内図です。

山頂標高438Mとありますが、登山口の標高は約370Mで、標高差は60~70M程度で、のんびり歩いても頂上まで10分程度です。



登山道の旧道を登って行くと、ツツジが満開でした。

登り道は薄曇りでしたが、ツツジの花に気持が明るくなりました。



約3分の1登った場所に山崩れがありました。

まだ通れるようですが、すぐ隣の旧道を迂回しました。



山崩れの場所から西の松永湾が一望出来ます。

右手に松永の街、正面に「みろくの里」の観覧車が見え、その向こうは尾道水道です。

西方向の景色は、頂上では木に遮られ、ここが一番の場所のようです。



「熊ヶ峰のんびり登山道」の案内図にあった中間地点の休憩処です。

下りに通った新道にあり、ここから福山市街が見えました。

この付近に「頂上まで200m」の標識があります。



広い頂上の広場の中心に丸木で造られた展望台があり、隣にケルンが見えます。

ケルンの後方に石碑があり、標高と合わせて「沼南アルプス最高峯 熊ヶ峯」の文字が刻まれていました。

「沼南アルプス」は、上の地図にある「彦山」(標高430m)と、「熊ヶ峰」との間にある「葛城山」(標高420m)の三山の総称のようです。

この辺りは沼隈半島東部のやや北にあり、「沼南」は、?です。



丸木の展望台から見た福山市の海岸に近い周辺の眺望です。

幸い雲間から太陽が出てきてしばらくこの景色を楽しみました。

しかし、この方向以外、頂上からの眺望は、木立の成長のためか、今一つでした。

「熊ヶ峰」の滞在は、花や景色をゆっくりと楽しみ、約45分でした。

紅葉の山歩き「吾妻山」

2009年11月03日 | 山歩き
10月31日、広島県庄原市比和町の「吾妻山」へ行って来ました。

福山市の自宅を朝7時過ぎに出発、吾妻山登山口の駐車場へ着いたのは9:45頃でした。



晴天に輝く「吾妻山」の全景です。

下段の地図-③付近から撮った写真です。



「吾妻山」付近の地図です。

地図-①駐車場からスタートして⑦までの番号順に歩きました。



地図-②の場所にある「大池」です。

朝日に輝く紅葉が水面に映り、とてもさわやかで、美しい景色でした。

妻は、絵に描きたいと、この辺りの景色を写真におさめていました。



地図-③から少し登った辺りから左手の小さな山「小彌山」[こみせん](地図-④)と、右手の「吾妻山」(地図-⑤)が見えます。

この辺りは草原の道ですが、少し先から「小彌山」の中腹まで林の道になります。



「小彌山」[こみせん](地図-④)に登り、少し進んだ場所から見た「吾妻山」の頂上です。

左手の斜面の道には登山者のパーティーが続いていました。

空気も澄んだ見晴らしの良い登山道が続きます。



頂上に近い最後の直線の坂道から「小彌山」[こみせん]方向を見下ろした景色です。

紅葉の林の間の道を登って来る人が続いています。

雄大な景色に感動でした。



10:40頃、「吾妻山」頂上に着きました。

途中ゆっくりと景色を楽しみながら麓から頂上まで約50分でした。

頂上でおばあさんが4~6才位の二人の女の子を連れてお弁当を広げ、天気の良い日にはピクニック気分で登れる山のようです。



「吾妻山」の頂上付近を旋回するヘリコプターです。

頂上に着く少し前からヘリコプターが飛んで来ました。

数回、「吾妻山」を大きく旋回して去って行きましたが、皆でヘリコプターに手を振って歓迎しました。

このヘリコプター、尾翼にはANHと書かれ、ボディー後部のストライプ部分にNHKのマークがあり、紅葉の取材のようです。

ストライプは、全日空カラーのようで、NHKの専属チャーター機と思われます。



吾妻山頂上から登山口付近を見下ろした絶景です。後方には雄大な山並みが続いています。

国民宿舎の赤い屋根の右手に「原池」が見えます。

駐車場は、国民宿舎の左手辺りだったと思われます。



「吾妻山」の頂上(地図-⑤)から南の尾根沿い(地図-⑥⑦)方向に下り始めた景色です。

ススキの白い穂が道の両脇に続き、紅葉と調和して意外な美しさを感じさせられました。



地図-⑥「大膳原分岐」から「大膳原・烏帽子山」に縦走する道がある東方向を見た景色です。

左手の山が「烏帽子山」、その手前が「大膳原」、右手の山が「比婆山」のようです。

「比婆山」は、古事記によると「伊邪那美命」(イザナミのみこと)を葬る山とされています。

この「吾妻山」に登り、亡き妻「伊邪那美命」が眠る「比婆山」を眺めた「伊邪那岐命」(イザナギのみこと)が、「吾が妻よ」と偲んだことから「吾妻山」と名付けられたそうです。

このブログで2008-10-26に「比婆山」に登った記録を載しています。



地図-⑦「南ノ原」から麓までの道は、紅葉の林が続く緩やかな道でした。

昼12時頃、駐車場へ帰ると既に満車で、空きを待つ車もいました。

帰りは庄原市西城町熊野の伊邪那美(イザナミ)命を祀る「熊野神社」を参拝しました。

「瓶ヶ森」から見た「石鎚山」の絶景と、「瓶ヶ森林道」

2009年07月20日 | 山歩き
7月18日、四国の「瓶ヶ森」の山歩きを楽しんで来ました。

「瓶ヶ森」(標高1896.2m)は、西日本の最高峰「石鎚山」(標高1982m)のすぐ東にある山で、「石鎚山」の眺望が良く人気の高い山です。

早朝、6:45出発、「瓶ヶ森」の登山口に到着したのが10:00でした。

晴天にも恵まれ、途中の瓶ヶ森林道の景色が素晴らしく、車を止めて景色を眺めていたので、福山市から正味3時間程度だったと思われます。



愛媛県西条市から高知県いの町へ抜ける国道194号の旧道「寒風山隧道」の高知県側の出口です。

隧道を出てすぐに右折すると「瓶ヶ森林道」[かめがもりりんどう]東の起点になります。

この道は、「寒風山」と「伊予富士」の間を通る標高約1120mの峠で、前後は急カーブが連続する狭い坂道が続いています。

昨年の秋にもここまで来ましたが、あいにく積雪があり、断念して帰りました。



快晴の「瓶ヶ森林道」を走っているとこんな景色が見えて来ます。

標高1701mの「自念子ノ頭」[じねんごのかしら]のようで、この辺りの道路の標高も1600mを超えてきます。

道路脇が広くなった場所で駐車し、この景色を満喫出来ました。

この他にも「瓶ヶ森林道」には素晴らしい景色が多く、石鎚スカイラインの景色より印象的でした。



東側から見た「瓶ヶ森」の全景で、向って右の頂上が「女山」、左の少し低い岩のある頂上が、「男山」です。

「瓶ヶ森」の「女山」の頂上は、標高1896.2mで、「瓶ヶ森林道」に面した登山口は、約1670mと、標高差は220~230mのようです。

瓶ヶ森男山の標高は、女山より約50m低く、名前だけ見ると女性上位の山のようですが、女山の頂上はなだらかな丘で、男山の頂上辺りは荒々しい岩場になっていることから名付けられたものと思われます。



瓶ヶ森登山口の駐車場にあった「瓶ヶ森」付近の案内図です。

「瓶ヶ森」登山口の駐車場は、「瓶ヶ森林道」の両側にあり、一段下にある北側の駐車場を利用しました。

向って右下の「現在地」から右上の「男山」まで680m、「男山」から左の「女山」まで540mと進み、帰りは「瓶ヶ森リュッテ」付近を通る下の道を選びました。



向って左の道が、「瓶ヶ森林道」に面した瓶ヶ森の登山口です。

この登山口の向いにトイレなどの施設があり、後方の両側に駐車場の入口があります。

10:00スタートです。



10:45、「瓶ヶ森 男山」の頂上へ到着です。

岩場の頂上には二つの祠があり、向こうに雄大な石鎚山が見えます。

頂上のすぐ手前の道は急な上り坂で、少し下に小さな小屋があり、写真に屋根の端がのぞいています。



「瓶ヶ森」の「男山」頂上から「女山」の頂上付近を見た様子で、これから尾根に沿って登って行きます。

この尾根の道から向って左に「石鎚山」、右に「西黒森」などが見えます。



「瓶ヶ森男山」から「女山」への尾根沿の道から東を見た景色です。

向って左の「西黒森」の頂から切り立った右手の尾根に沿って走る「瓶ヶ森林道」が延々と続いています。

四国の屋根が続く、とにかく雄大な景色でした。



「瓶ヶ森女山」の頂上近くから尾根沿の「男山」を見た景色です。

頂上にある小さな祠がかすかに見えていました。



11:15、「瓶ヶ森 女山」の頂上へ到着です。

登山口から1時間15分掛りましたが、写真を200枚も撮り、実にゆっくりと登ってきました。

頂上には約15人が山頂からの景色を楽しんだり、昼食をとっていました。



「瓶ヶ森 女山」の頂上から北を見た景色です。

向こうの山の向こうに瀬戸内海が見え、その手前が西条市の街のようです。

向って左には今治に向かう海岸線が縦に伸びているようです。

前日夜までの雨で、空気が澄んだようで、だいぶ遠くの景色が見えていました。



「瓶ヶ森 女山」の頂上付近から見た「石鎚山」の景色です。

「石鎚山」の景色を数十枚も撮りましたが、ここからの姿が最も神聖に見えるようです。

「瓶ヶ森」の登山ルートのほとんどの場所から「石鎚山」の姿が見えて、その雄大さに感動の連続でした。

12:18登山口まで到着、2時間18分の山歩きでした。

この後、「瓶ヶ森林道」を西に進み、石鎚スカイラインから東温市で国道11号へ出るコースを走りました。

剣山最後の「剣神社」参拝

2008年12月15日 | 山歩き
「剣山」から見の越の「剣神社」まで下山しました。



「剣神社」を正面から見た様子です。

無事を感謝し、参拝しました。

リフトに乗らず、徒歩で下山する人の多くは、ここで参拝して帰って行くようです。

神社中央から向ってやや左に、墨で書かれた「四国剣山顕彰學会本部」の看板が目立っていました。

「剣山顕彰会」の名は、剣山頂上ヒュッテの入り口にあった新居熊太さんの記念碑にもありました。
(このブログ2008-11-06剣山頂上の「剣山本宮宝蔵石神社」に参拝

記念碑には、新居熊太さんが、「昭和12年より剣山顕彰会幹事として観光開発や国定公園化に尽力。」とあり、この神社が、集会所でもあったのではと思いました。



「剣神社」正面から右に向いた様子です。
向って右の建物の裏山に登山口があり、「剣山頂上へ4,000m」と書かれた案内板があります。

二階建ての建物は、「剣神社簡易宿泊所」の看板があります。

外観から、お客さんは少ないようです。



長い階段の途中に丸木で作られた鳥居があります。

両脇に可愛い狛犬が座っていました。

山を歩いて疲れた足には階段の下りはかなりきつく、休みながら下りて行きました。



鳥居から少し下った石段の左手にこんな銅像が建っていました。

台座に「馬岡晃翁之象」「自治大臣 秋田大助」と刻まれていました。
姿から見るとこちらの神社の宮司さんだった人でしょうか。

政治家「秋田大助」の名は、若い頃に耳にした記憶があります。
少し、気になって自治大臣の在任期間を調べて見ました。
在任期間は、1970/1/14~1971/7/5の一年半でした。

この銅像は、約37年前作られたものと思われます。

昭和12年から剣山顕彰会幹事として活躍していた新居熊太と時期を同じくした人だったものと思われ、「馬岡晃翁」も剣山の開発などを評価され、銅像を建てられたのでしょうか。



見の越の民宿が並ぶ通りです。

徳島市から並走してきた国道438号線、439号線が、この付近で分離して行きます。

この後、439号線を西に進み、祖谷見物です。

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登山開始からここまでの時間を整理してみました。

■登り (1.5時間)
  9:10 「見の越駅」から登山リフトに乗る
  9:30 「西島駅」着→大剣神社経由の道
 10:40 山頂「剣山本宮 宝蔵石神社」着

■山頂付近を散策 (1時間)

■下り (3時間)
 11:40 山頂から下山開始→行場の道を経由
 13:30 西島駅着→西島神社経由
 14:40 「剣神社」まで下山

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紅葉の美しい「剣山」を5時間半ゆっくりと歩き、今でも山のすばらしさを思い出します。
ぜひ、もう一度行きたい山です。

剣山「見の越」までの道のり

2008年12月13日 | 山歩き
剣山「西島神社」の参拝を終えて、見の越の「剣神社」までの記録です。



「西島神社」から下り始めた頃の道の様子だったと思います。

斜面下側は、林になっていましたが、斜面上側が見通しの良く、気持よく歩ける道です。

この先、下るに従って林の道になります。

景色の見えない林の道でも、美しい紅葉の落ち葉を見つける楽しみがありました。



歩いていると斜面上側にこんな大木を見つけました。

新鮮な果物の感じがする美しい紅葉を見上げ、つかの間の休息をとりました。

この辺りから足の痛みがひどくなってきました。
急傾斜の「行場の道」を歩いたダメージのようです。

数十歩を歩いては、立ち止まって休む繰り返しの中でこんな木を見つけると慰められます。



見の越の登山口近くまで下った辺りに案内図にもない神社がありました。

民家の玄関口にも似た入口の上には、しめ縄が張られ、その下に賽銭箱も置かれています。
入口横にも祠[ほこら]があり、その横に小さな石碑が見えます。

この建物と比べて非常に質素な建物の「両剣神社」「古剣神社」等が、案内図にあり、この建物が無名とは不思議です。



見の越の登山口が、すぐの場所にこんな石碑が建っていました。

通り過ぎて下から撮った写真です。

立派な門のようにも見えますが、なにやら文字が刻まれた石碑でした。
登山道を造った記念碑のようにも見えました。


真新しいしめ縄が張られた祠と並んで、石仏が二体立っていました。

祠の手前に見える石仏は、右手に剣を持ち、逆立った頭髪から不動明王ようです。

石仏は、頭を丸め、両手を合わせた姿で、お地蔵様のようですが、白いよだれかけが足元までずれ落ちています。

祠の真新しいしめ縄と対照的な、ずれ落ちたよだれかけが気になりながら通り過ぎてしまいました。



山道が終わり、剣神社の境内に入る場所にこんな案内が掲示されていました。

「クマに注意」の案内板です。

 ゾーとしました。

下山したと同時にこんな注意書きを見てしまうとは・・・。

■案内板にクマと共存する登山への注意書きがあり、転記します。
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「ツキノワグマに注意してください!!」
1.クマに出会わないために
 ○音で知らせよう
  鈴を付けるなど、音を出してクマにこちらの存在を知らせましょう。
 ○クマの糞や、足跡を見つけたら
  新しい場合には、危険です。
  すぐに引き返しましょう。
 ○早朝や夕方に注意を
  クマは特に早朝、夕方に活発に活動します。細心の注意を払いましょう。

2.もし、クマに出会ったら
 ○遠くのクマを見つけたら
  静かにその場を立ち去りましょう。
 ○クマがこちらに気づいたら
  まず、落ち着いて静かにして、クマが立ち去るのを待ちます。
 ○クマが近づいてきたら
  クマの動きに注意しながら、ゆっくりと後退してください。
  走って逃げてはダメです。
  大声や投石は、クマを刺激して危険です。
 ○子グマに注意
  子グマのそばには、必ず親クマがいます。
  近づくと危険ですのて、落ち着いてその場を離れましょう。

3.クマを近づけないために
 ○ゴミはクマをおびき寄せます
  残飯や、生ゴミは、クマのエサになり、味を覚えると人に近づくようになります。ゴミは放置せず、必ず持ち帰りましょう。
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見の越の「剣神社」にたどり着きました。

境内から見下ろす見の越の家並みに、やっと人里に帰った気になります。

剣山「西島神社」までの下山の景色

2008年12月07日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。
思い出が薄れる中で、最期まで書くのが辛くなってきましたが、もう少しで終わりです。



「刀掛の松」から登山リフト西島駅まで下ってきました。

これからリフトに乗らず「西島神社」を経由して見ノ越の「剣神社」まで下山するコースです。



頂上付近から見た「登山リフト西島駅」(右端)と、少し下った「西島神社」までの景色です。



「登山リフト西島駅」から茶屋西島を見た景色です。

先に見えている鳥居を進むと大剣神社です。

皆さん茶屋の前で束の間の休息をとっています。



鳥居を背にして茶屋西島と、西島駅を見た景色です。

向って左の道を下ると「西島神社」です。



一休みが終わり、13:40頃、「西島神社」への下山開始です。

まだ登って来る人は絶えません。



振り返って頂上を見上げた景色です。

頂上を見ると、ずいぶん高い所から下りてきたものだと感心します。

元気な緑と、紅葉のコントラストが鮮やかです。



「西島神社」裏の岩場に突き当たりました。

ここから道は左右に分かれます。

道を右に進み「西島神社」へ参拝します。



大きな岩の横の道を下って行きます。

すぐ先で、道が突き当たり、左に曲がると「西島神社」です。



「西島神社」の下にたどり着き、見上げた景色です。

そそり立つ岩山の中腹に「西島神社」の小さな建物が見えます。

足が疲れ、この急斜面を登るのは躊躇しましたが、気合を入れて登りました。



岩山に立つ「西島神社」です。

建物の前はとても狭く、少し危険を感じながら参拝しました。

社殿は、比較的軽量の木材で作られています。

こんな高い山に神社を造るのは実に厳しい作業で、軽量な材料が選ばれているのは納得です。



小さな社殿の奥の岩場の下にも拝所のようになっていました。



「西島神社」の裏の大きな岩山を見上げた景色です。

そそり立つ岩山を見上げていると、圧倒されるような気持になります。

剣山の神社巡りも最後の「剣神社」を残すだけになりました。

剣山系を源流とする川

2008年11月30日 | 山歩き

行場から厳しい上り坂を過ぎ、やっと「刀掛の松」が見えてきた場面です。



「刀掛の松」の広場に「祖谷川・貞光川・穴吹川源流地案内図」がありました。

すぐ隣に天然記念物の高山植物「キレンゲショウマ」の案内板もありました。
「これより200m先(行場付近一帯)は「キレンゲショウマ」が群生しています。」と書かれてあります。

地図で見ると、「祖谷川」「貞光川」「穴吹川」は、剣山系に源流地があり、全て「吉野川」へ合流する川です。



「刀掛の松」付近から東の方向に見えた「穴吹川」です。

「穴吹川」の流れは、東に向かい、蛇行して北の吉野川に合流します。



クサリ場から急な坂道を下った「両剣神社」のすぐ手前の様子です。

向って右手前に向けて「一の森」に行く道が別れ、同じ方向に「穴吹川」の案内板もあります。

このすぐ先に「穴吹川」の源流地があるようです。



「祖谷川・貞光川・穴吹川源流地案内図」によると「祖谷川」の源流地は、西島神社のすぐ北に下った場所のようです。

写真の向かって右上に見える道は国道438号で、香川県坂出市につながっています。(この道を走って来ました)

リフトの下に見える山裾の道は、国道439号で、西に延びています。

国道439号は徳島市から剣山の麓「見の越」を経由して四万十市まで続く長い国道で、「与作[ヨサク]」の愛称で親しまれています。

徳島市から剣山の登山口「見の越」までは国道438号と439号は共通の道になっているようです。

「祖谷川」は、しばらく国道439号と、並行し、西祖谷辺りでは県道32号線と並行して流れていきます。



剣山登山リフトと、登山道が交差した地点です。

年配夫婦がベンチで休憩しています。

奥さんは、かなりの疲労状態です。

向って右手の山沿いから下る道があり、左手前に道が別れていました。



上段の写真のすぐ横にあった案内標識です。

「祖谷川」とあり、西島神社下の源流地に向う道のようです。



剣山から北を見ると「丸笹山」が見えます。
案内図によると、「貞光川」の源流は、この「丸笹山」の西側(向って左の裏側)にあるようです。

剣山系の川が注ぎ込む「吉野川」は、愛媛・高知両県にまたぐ石鎚山系を源流地とし、徳島県を東に流れて行く大きな川です。

「剣山」に登り、「石鎚山」「剣山」などの大いなる山々に降った雪や、雨が、一年中大量の水が流れる吉野川を育んでいることが、少し実感出来たような気がしました。


「剣山」行場の道を下山

2008年11月24日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。

今回は、「おくさり」から「古剣神社」までの下山の記録です。(前回は11月13日でした)



前回も掲載した行場周辺の案内図です。

今回は、④「不動の岩屋」を後にして⑤「おくさり」、⑥「両剣神社」、⑦「三十五社」、⑧「古剣神社」と進み、「刀掛の松」で尾根の道に合流します。



④「不動の岩屋」から⑤「おくさり」までの途中にこんなものがありました。

谷もないのに橋のようなものが作られ、両側にはネットも張られています。

■同じような施設が、⑧「古剣神社」から⑨の合流地点の間にもあり、そこには説明板があったので転記します。
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この施設は防鹿対策のテキサスゲートです。
人は通れますが、鹿は通れないゲートです。
足元に気をつけて通行して下さい。
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このテキサスゲートは、進入部分に隙間があり、鹿は隙間に足が入って歩けないよう工夫されているようです。

最近、四国でも鹿が驚くほどたくさん繁殖し、深刻な被害になっているようです。
鹿が、草や、木の皮を食い荒らして植物がなくなり、山崩れにまで進行してしまうようです。

山に防鹿ネットを張り、道には人だけが通れるゲートを作って鹿の侵入を防ぐ作戦のようです。

鹿の異常繁殖は、人間が、天敵の「オオカミ」を滅ぼしてしまい、ハンターが減少していることもあるようです。

ネットのない場所で繁殖を続ける鹿問題の根本的な解決方法はないものでしょうか。



案内図⑤「おくさり」の写真です。

道の横から岩の斜面が切り立ち、溝のようになった岩の道にクサリが取り付けられています。

二人連れの女性の一人が、上に登り、下からのカメラにポーズをとっていました。

下りる方が恐いようでした。



案内図」⑥「両剣神社」を坂道の上から見下ろした様子です。

「両剣神社」の建物は、波板のブリキで造られた小さな小屋でした。

手前に別れ道の標識がありました。

向って右下に進むと「一の森へ1480m」とあり、剣山の東の峰へ続いているようです。

直進すると「古剣神社へ150m」とあり、「刀掛の松」へ至る道です。




建物に入ると向って左に「両剣神社」の祭壇がありました。

そそり立つ岩壁に向って祈るものと思っていましたが、以外にも違っていました。

祭壇の横には「剣山山頂大祭」と書かれ、大勢の白装束の人たちでにぎわう祭りの写真がありました。

祭壇の前には紙パックに入った日本酒「菊正宗 ピン 180ml」がお供えされていました。
このお酒、剣山にあるあちこちの神社で見かけましたが、はなやかなパッケージです。



「両剣神社」から急斜面を斜めに上る坂道を進むと右手に岩山がありました。

岩山の上に⑦「三十五社」の小さな祠が見えます。

岩山に向って右側に道があり、案内図「胎内くぐり」に行く道と思いましたが、下りがきつそうだったのでパスしました。



岩山に登り、「三十五社」に参拝しました。

ここにも紙パックの「菊正宗」がお供えされています。

祠の右側こ穴吹川がよく見えました。



「三十五社」の祠を背にして見上げた景色です。

写真には見えませんが、周囲の紅葉も最高で、絶景スポットです。



⑦「三十五社」から少し進むと⑧「古剣神社」があります。

「三十五社」の祠から見えた岩の下に「古剣神社」の建物が造られています。

「両剣神社」と同様、波板のブリキで造られた建物です。



「古剣神社」を下の道から見上げた景色です。

拝殿前での参拝をパスして、下の道から手を合わせました。

建物の向こうの岩山に大きな穴が見えましたす。

洞窟の様子が見たかったのですが、ガクガクする足の調子ではパスするしかありませんでした。



⑧「古剣神社」から⑨合流地点までの道に紫の花「トリカブト」が咲いていました。
ズームで撮りましたが、ピンボケです。

既に花の盛りを過ぎて、周囲には枯れた株がたくさん見えました。

「トリカブト」は、この急斜面の道以外に、④「不動の岩屋」から⑤「おくさり」までの急な下り坂にも咲いていました。



「刀掛の松」に近づいた辺りの道の様子です。

暗い急斜面のきつい上り坂を登り切り、案内図⑨を過ぎると坂道は少しゆったりします。

明るい落ち葉の道は、気持も軽くなるようです。

「星山」の登山と、紅葉の「神庭の滝」見物

2008年11月16日 | 山歩き

11月15日朝11時頃、岡山県真庭市の「星山」[ほしがせん・ほしやま]の麓に到着、いよいよ登山の開始です。
東登山口の駐車場には既に3台の車がありました。

正面に見える高い山が標高1030.3mの「星山」です。
登山口は、頂上から東南方向にあります。

頂上は、向かって右斜面にだけ松が生え、なんだかモヒカン刈りのイメージです。



「星山」付近の地図です。
中国自動車道「落合IC」や、米子自動車道「久世IC」から勝山の町を通り、北に進んだ付近にあります。
「神庭の滝」もその南にあり、「星山」を源流とする流れが滝となったものです。



登山道は、「星山」の南にある標高901mの「前山」の中腹を通り、頂上に向かいます。

「前山」の中腹から見た「星山」の景色です。
山裾にかけて紅葉が広がっています。



「前山」を過ぎ、登山道が「星山」の斜面になった付近です。

登山道に、赤や、黄色の落ち葉がひろがっています。



頂上に近い場所に三角形の巨岩と、その手前の登山道に大きな石が並ぶ場所がありました。
三角形の巨岩は、神山の磐座[いわくら]と思われ、手前のいくつかある石は祭壇を構成していたものと思われます。



「磐座」[いわくら]と思われる巨岩をズームで撮って見ました。

三角形の「磐座」は、道端に立つ八合目の標識とほぼ同じ高さで、近くで見ると意図的に割られた跡がありました。

この「磐座」の少し上に大岩があり、その上に上がって見る景色が、最高でした。


「星山」の頂上に到着です。
南向きに立つ「星山」の標識の前で眼下の景色を楽しみながら弁当を食べました。

しかし、標識の後ろに林があり、北方向の「大山」「蒜山」がきれいに見えませんでした。



頂上から「櫃ヶ山」に至る道を林が切れる場所まで進むと、この景色が見えました。
正面のはるかかなたに「大山」の北壁が見え、最高の景色でした。
霞んではいるものの、幾重にも山並みが重なり、期待した「大山」の景色を見ることができました。

14:10に下山、3時間ゆっくりと「星山」登山を楽しみ、山の写真も約400枚撮りました。



「星山」を下山し、近くの「神庭の滝」へ行きました。

登山で疲れた足を引きずりながら駐車場から「神庭[かんば]の滝」まで歩いて行きました。
約15分、観光客で込み合う道を進むと、正面に驚くばかりの高い場所から水量のある滝が流れ落ちていました。



紅葉に囲まれた「神庭の滝」です。
上段の写真と同じ場所からズームで撮りました。

谷の両側の山が紅葉し、今が一番の見頃のようです。



一番滝に近い場所まで進み、ズームで撮った滝の様子です。

神々しい景色でした。

「神庭」の名は、大量の銅剣や銅鐸が出土した出雲「神庭荒神谷遺跡」を思い出します。
この遺跡では古代に祖霊信仰の祭祀が行われ、その祭具が埋納されたものと推察されます。
この地名「神庭」は、古代の祭祀の場所とも考えられ、もしかしてこの滝の前が祭祀を行う庭だったかも知れません。

地図で見ると、この「神庭の滝」の北に「星山」があり、谷の方角も北に伸びています。
いつか「神庭の滝」の上に「星山」の頂上が見える場所があるか確認したいと思います。

「剣山」頂上から「不動の岩屋」まで

2008年11月13日 | 山歩き
10月12日に登った「剣山」の記録を再開します。
今回は、剣山頂上から「不動の岩屋」まで下山の開始です。



「剣山本宮宝蔵石神社」の前を過ぎ、鳥居をくぐると、道が二手に分かれています。
左(上)に進むと登ってきた「大剣神社」経由の道ですが、右(下)の「尾根道」へ進んで行きました。

この一帯は見晴しの良い笹の原が広がっています。



少し進むと、右に分かれる道があり、案内図がありました。
この案内図の写真は、一部分です。
図にある①~⑤の番号は、私が張り付けたもので、①(現在地)から右に折れ、番号に従って進んで行きます。

右の道を進み始めた直後、下から上って来た若い男性から「この道は、急な道で、クサリをつたって下りる場所があり大変ですよ」と話しかけられました。

案内図にもあるように、クサリをつたって下りる「おくさり」の道は②から⑤の道で、迂回できます。
三叉路にある案内図の前に戻って、立ち話をしましたが、非常に厳しい道のりだったようです。



笹の原から林の道に変る頃から少しずつ道の傾斜が大きくなります。

紅葉の林の向こうにこの剣山を源流とする「穴吹川」が見えます。



上にある案内図の②の地点です。
突き当りの道を右に進むと「クサリ場」と書かれていました。
案内板の「おくさり」の表示と違っています。

右に曲り、少し進んでみましたが、かなり急な道で、直に引き返しました。



「クサリ場」を迂回する道に入り、山の傾斜が急になってきます。

林の道は、雄大さはありませんが、風雪に耐えた緑の松や、紅葉が楽しめます。



急斜面を横切るように造られた道です。

岩肌や、倒木、木の根に近い部分は、苔で覆われています。
この苔が、急斜面の山の保水力を維持し、木の生育を助けているものと思われます。



上段の案内図で、③の場所まで下ってきました。

三叉路の案内標識です。
下段の表示は「剣山頂上へ700m」と書かれていました。



行場への道を背にして見た三叉路の様子です。

向かって左の道から下ってきました。
右の道を進むと「刀掛の松」へ約400mですが、後ろ方向の道に進んで行きます。



三叉路から右に曲がるとすぐ「不動の岩屋」がありました。

道から一段高い場所にしめ縄が張られた洞窟が見えます。



斜面を登り、洞窟に近づいて行くと中から水の流れる音がしてきます。

向かって左に「剣山本宮奥まいり」と書かれた案内図があり、「不動の岩屋」ました。
案内図の下に何か器具のような金属製の物が放置されています。



洞窟の入口に祭壇のような岩が置かれ、「賽銭箱」と書かれたステンレス製の箱があります。
その奥にも「奉賽」と書かれた小さなステンレス製の箱があり、その中に木の札が置かれていました。



洞窟の中に進むと左手奥に垂直に下りて行く金属製のはしごが取り付けられていました。

暗闇をフラッシュで撮影し、穴の中の様子はよく分かりません。
「不動の岩屋」の名から想像すると、この穴を垂直に下ると不動明王が祀られているのでしょうか。

昔、修験者たちが、この洞窟を下りる修行をしていたのではと想像しますしたが、とても下りて行く気にはなれません。
洞窟の下から聞こえてくる水音から、かなり下まで続いているものと思われます。

上段の写真にある洞窟の入口に放置されていた金属製の器具は、老朽化したハシゴだったようです。

剣山頂上の景色

2008年11月08日 | 山歩き
剣山の頂上付近の写真を掲載します。



「剣山頂上ヒュッテで頂いたパンフレットに掲載されていた剣山頂上の写真です。
頂上の様子がよく分かります。

前回掲載した施設のほか、向って左(東側)に木道が延び、その先に板張りのデッキが見えます。
又、写真に向って右端の木道の先(西側)にもデッキがありました。
写真に「頂上」と書かれた所に三角点があり、巨岩のある「剣山本宮宝蔵石神社」から南西方向になります。

パンフレットのこの写真の下に説明文があり、転記します。
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西日本屈指の名峰「剣山1955m」は、幾多の伝説を秘め、四国山地原生林の山々を従え、その中央にそびえています。
安徳天皇の期や、刀掛の松、平家の馬場などに残る伝説、また不動の窟をはじめとする行場、社寺など山岳信仰の霊山として古くから崇められてきました。
今では見の越からリフトで15分、そして登山道を40分ほど登れば、誰でも山頂に立つことのできる山となりました。
東には紀伊の大草山系、西には石鎚山脈。輝く桂浜、好天には遠く大山の姿を見ること白できます。瀬戸内海の夜景、手の届くような星座、日の出や夕焼け、雲海など、天と地と光のドラマを特別席でごゆっくり満喫いただけます。
夏には高山の花たちがつぎつぎとてっぺんまで染めつくします。頂上ヒュッテも、雲海荘もそんなところにあります。
上から眺める全山の紅葉も又すばらしい景観です。そして朝日にきらめく霧氷の世界へと移り変わってゆくのです。
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「雲海荘」の辺りから東のデッキの方向を見た景色です。

11:00頃で、少し逆光になって影の目立つ景色に見えますが、秋晴れの本当に気持ちの良い陽ざしでした。



東のデッキに近づいた景色です。

木道は、何度も見たことがありましたが、デッキは初めてです。

ここで弁当を食べようかとも思いましたが、時間が早く、遂に下山して車の中で食べる結果になりました。
自分の体重をもてあましているのに食べない弁当を担いで歩いてしまいました。



「雲海荘」の横から剣山頂上三角点の方向を見た景色です。
頂上一帯は、平家落人伝説にちなみ「平家の馬場」と呼ばれ、なだらかな地形になっています。

■「祖谷民俗資料館」の玄関前にあった「平家落人伝説の史跡」案内板より。
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平家の馬場
剣山頂上付近、東西約500メートルの範囲は、平家落人たちが源氏との再戦に備え騎馬の訓練を繰り返し、槍や刀を使った大規模な演習など、ここを中心に繰り広げられたと言い伝えられている。
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最初、とても素直に信じる気にはならなかった伝説でも、このように公共の施設に堂々と掲示されると、なんとなくその気になってきます。



頂上の三角点に向かう道端にリンドウが咲いていました。

青い花の色には、気品がただよっているようです。
すぐそばには、つぼみも見えます。

周囲の株は、ほとんど花が終わって枯れ始めていましたが、所々に花が見えました。
剣山では、このリンドウの他に印象に残った花は、下山中に見たトリカブトの青い花です。



向って右の「雲海荘」から頂上へ向かう木道を登山者が歩いています。

朝は晴れていましたが、北の空に雲が出て来ました。



頂上に近い西のデッキの様子です。

日なたのデッキで、登りきった安ど感にひたっているようです。

遠くの山なみがきれいでした。



剣山の頂上、標高1955mの三角点に着きました。

一休みして、なだらかな広い山頂を歩いて来たので、三角点に着いた感激はありませんでした。

ここで三脚を組立て、妻と記念写真を撮りました。



三角点辺りから西側の景色です。
向って右は「次郎笈[じろうぎゅう]」でしょうか。

ここから北には大山、西には石鎚山が見えるそうですが、分かりませんでした。



この一帯の笹は、ミヤマクマザサだそうで、靴幅より短い葉でした。

この小さな葉のサイズを確認するため、妻に足の出演をお願いしました。


頂上を通り過ぎると「次郎笈[じろうぎゅう]」へ縦走する道です。

木道の階段を下りると大きな岩があり、数人の人が休んでいました。

笹に覆われた「次郎笈」の尾根までは、なだらかに見え、誘われるような感じでしたが、足の疲れを考えて自重しました。



頂上から、測候所の横を通る木道を帰りました。

遠くに見える東のデッキには、人が群がっています。

いよいよ下山コースは、修験道の行場を経由する道です。

剣山頂上の「剣山本宮宝蔵石神社」に参拝

2008年11月06日 | 山歩き
10月12日10:45、徳島県の「剣山」の頂上にたどり着きました。
9:00頃麓「見の越」に到着、9:30登山リフト西島駅を出発して1時間15分かかりました。



「剣山」頂上にあった「剣山頂上案内図」です。
図の中央下の道から登ってきました。

「剣山」の頂上は案内図のイメージよりなだらかで、広い笹の原になっていました。

今回は、図の中央下にある岩の前の「剣山本宮宝蔵石神社」、向って左隣の青い屋根「剣山頂上ヒュッテ」、向って右の青い屋根「雲海荘」、中央の茶色の屋根「剣山測候所」の様子を掲載します。



山頂に着くと真先に「剣山本宮 宝蔵石神社」の前を通ります。
次々と登山者が参拝していました。
私も妻と、この山の神様に参拝、ご挨拶をさせて頂きました。

神社の上には巨岩が見えています。

平家の落ち武者達が、この巨岩の下に宝を埋蔵した伝説から「剣山本宮宝蔵石神社」と名付けられたようです。
神社の名に「剣山本宮」とあり、剣山に多くある神社との関係が気になります。

剣山の登山口にある「劔神社」の由緒のページには江戸時代の文献『阿波志』から「劔山系には586社の社があり(西島神社・八劔神社・古劔神社・両劔神社・宝蔵石神社・三劔神社など)その総本社が大劔神社である。」と記載されています。

「総本社」と、「本宮」の意味の違いはよく分かりませんが、江戸時代に総本社とされていた「大劔神社」の建物などにはそのイメージはありません。
賑わいだけなら、この「剣山本宮宝蔵石神社」に「本宮」の名が付いているのは納得ですが、数々の神社の関係はどうなっているのでしょうか?



神社の社務所や、売店のようです。
お守りを買って行く人も多いようです。

登山道は、社務所の前付近から下り坂になっています。



「剣山本宮宝蔵石神社」の鳥居の横から見た神社前の風景です。

登ってくる人、下山する人、休む人、景色を楽しむ人、神社に参拝する人、ここに立っているとなぜか行き交う人に親しみを感じます。

秘境「東祖谷」から更に山奥の高い山にたくさんの人が集まっていることが、とても不思議です。
「剣山」の美しい景色に魅せられた人も多いのではと思われます。



「剣山頂上ヒュッテ」の入り口です。

中に入ると、多くの人の休憩の場になっていました。
急に体調が悪くなった時など考えるとこのような施設があると安心です。



■「剣山頂上ヒュッテ」の入り口(上段の写真)に碑のようなものがありましたので転記します。
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剣山観光開発の祖
新居熊太
明治23年(1890)~昭和59年(1984)
昭和12年より剣山顕彰会幹事として観光開発や国定公園化に尽力。30年(1955)に剣山頂上ヒュッテを開発して多くの登山者の世話にあたり、90歳まで登頂した。<94歳没>
ヒュッテ開発50周年を記念して建立
平成17年7月吉日
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剣山が現在のように便利に登山ができるようになったのはこのような先人のご苦労があったようです。
しかし、90歳まで登山をされていたとは本当に驚きます。



青い屋根の「剣山頂上ヒュッテ」と、巨岩を背にした「剣山本宮宝蔵石神社」の間に階段があり、頂上をめざして次々と登山者が登ってきます。

大きな岩の上には、小さな祠が載せてあります。
向こうに見える青い屋根は、登山道から見上げた「雲海荘」のようです。



上段の写真を撮った場所の反対側から撮った景色です。

巨岩には綱が巻かれ、岩の下に「剣山本宮宝蔵石神社」の屋根が見えていますが、上から見るとずいぶん高さが違います。

■東祖谷の「祖谷民俗資料館」の玄関前にあった平家伝説の案内板に「剣山」の由来が書かれていましたので転記します。
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もともとは石立山とよばれていたらしく、800年も昔、安徳帝が源氏滅亡を祈願し宝剣を納めた後、石立山を剣山と呼ぶようになったと伝えられている。
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このようなそそり立つ岩から過去に「石立山」と呼ばれていたと思われます。
この岩の他、「大劔神社」の「御塔石」[おとうせき]が、「石立」のイメージに合います。

「劔神社」由緒にある総本社「大劔神社」記載から信仰の山「剣山」の磐座は、「大劔神社」の「御塔石」だったものと推測され、「石立山」の名も高くそそり立つ「御塔石」が由来だったと思われます。



山頂の東側のテラスから見た青い屋根の「剣山頂上ヒュッテ」です。

11:00前から曇が出始めて、遠くの景色が見えづらくなってきましたが、遠くに見える山並みは、かえって神秘的で、雄大に見えます。



「雲海荘」の入口ですが、下の登山道から見た高い建物には見えません。
斜面に建っているのでしょうか、頂上側から見るとこんな低い建物に見えます。



今は閉鎖されている「剣山観測所」です。
2001年に廃止されたそうですが、鉄製の門がさびて、塀の中に草が生えていました。
平地の空き家だと数年で藪になるところですが、ここでは背の低い草だけのようです。

向かって左に進むと頂上があります。

剣山「大劔神社」から頂上までの景色

2008年10月30日 | 山歩き
10月12日に登った徳島県の剣山「大劔神社」から頂上までの思い出です。



「大劔神社」の裏にある巨岩「御塔石[おとうせき]」を後に頂上を目指して急な坂道を登って行きました。
斜面の道の両側は、笹の原が広がり、見晴らしの良い道でした。



山の斜面から飛行機が、飛んできました。
飛行機の後に出来る白い雲の線が、山際から上に向かって伸びて行きます。

飛行機雲の角度は、普段見るものと違って見えました。
まるで天に向かって飛んで行くような錯覚を覚えます。



登山道の向こうに少しずつ頂上が見えてきました。

日頃の運動不足で、頻繁に休まないと息が上がってしまいます。
景色の良い場所で立ち止まっては写真を撮り、剣山での撮影枚数はついに765枚にもなりました。
デジカメにセットしているSDカードは4ギガ、スペア1ギガと、電池4個で万全です。



頂上に大きな建物が見えて来ました。
「雲海荘」のようです。



林を過ぎ、頂上近くになるとすばらしい眺めが見えてきました。
笹の原と、紅葉の林、濃い緑の山、丸笹山と、その斜面に白く走る国道、彼方に見える山波・・・。
妻は、心が洗われるようだと感激していました。



一段上の写真とほぼ同じ場所をズームで撮りました。
写真に向って左に白い建物が見えるのが登山リフトの「西島駅」、そこから尾根沿いに上がりなだらかな場所に「刀掛の松」が見えます。
天気もよく、空気もきれいで、気分は上々でしたが、足は、既にガクガクです。



上段の写真にある「丸笹山」の西の峰「塔丸」と思われる山の景色です。
雄大な山々を眺めた思い出を改めて実感する写真です。



この剣山を源流とする「穴吹川」が見えています。
「穴吹川」は、東北東方向に流れ、その後蛇行しながら北の吉野川に合流していきます。



頂上近くになり、「刀掛の松」から直進してきた道と合流します。

「剣山頂上ヒュッテ」の長い建物が見えて来ました。


鳥居の額には「劔山本宮」とあり、神社の建物はすぐそこです。
宮島の海に立つ鳥居のように両足に質素な袖柱があります。
造りから見て強風に備えての支えかも知れません。

頂上に近づき、なぜか、急に人が増えてきたようです。