昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

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「ゆうひパーク三隅」昼に見た美しい日本海

2009年10月31日 | 山陰地方の旅
10月11日~12日石見旅行(島根県西部)の続きです。

「畳ヶ浦」の次に浜田市三隅町の国道9号線沿いにある道の駅「ゆうひパーク三隅」へ立ち寄りました。



11時頃、「ゆうひパーク三隅」から見下ろした日本海の景色です。

海岸を山陰線が走り、左手には岩場の海岸が続いています。

よく晴れ、海の色がとてもきれいでした。



「ゆうひパーク三隅」付近の地図です。

浜田市街から国道9号を西に約15Kmの場所にあります。

地図①は、建物の裏手にある海を見下ろす場所です。
地図②は、美しい海岸を背景に山陰線を走る電車を撮影するポイントです。
黒い点は、道の駅のレストランや売店です。



道の駅「ゆうひパーク三隅」の案内板にあった見取り図です。

レストランの右上辺りが、海を見下ろす場所です。

方角は、右手がだいたい北になるようで、上の地図の国道9号の角度を参考にして下さい。



道の駅「ゆうひパーク三隅」のレストランを海側から見た景色です。

■道の駅「ゆうひパーク三隅」の案内板を転記します。
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町の紹介
古くから「水澄みの里」と称され、海、山、川と大自然の恵みが息づく島根県西部の三隅町に位置します。
天然記念物の太平桜、中国地方でも有数のツツジの名所としてしられている三隅公園等、行楽シーズンには県内外からの観光客でにぎわいます。
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建物の裏手の海を見下ろす場所です。

歩道を進むとすぐに、美しい海が見えてきます

写真右手に夕陽の案内板(下段に掲載)があります。



海を見下ろす場所にあった「夕映え見ごろ時間帯」の案内板です。

各月毎に夕日の時間帯がグラフ化され、赤い帯で表示されています。

赤い帯の縦の幅を見ると、夕日は1~1.5時間見ることが出来、10月ではPM6:00頃からが見ごろのようです。



海を見下ろす場所には生垣があり、更に木の柵があります。

左手の山には山陰線のトンネルが見えます。

地図で見ると、夕日が沈む位置は、左手の山のようです。

海に沈む夕日を期待する人は、「ゆうひパーク浜田」などの場所が適当のようです。



山陰線の線路のすぐ脇に岩場が見え、その向こうには三角の岩礁が見えます。

見晴場の下の道に年配の夫婦(?)が見え、そのそばに鉄道写真を撮る機材も見えました。



鉄道写真を撮影するカメラが二つ並んでいました。

二人は、話をしながら電車を待っていました。

ここを通過する電車は、上下合わせて40本余りのようです。



鉄道写真マニアのカメラのそばで撮った景色です。

西側のアングルは、この範囲の中で撮るのでしょうか。

この美しい海岸を走る電車の写真を撮ろうとするマニアの人達の気持ちが少し分かるような気がします。



上段の写真と同じ場所から撮った東側の写真です。

しばらくの間、景色を眺めて電車を待っていましたが、あきらめて次のスポットへ向かいました。
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断層と、化石が、いっぱいの「畳ヶ浦」

2009年10月28日 | 山陰地方の旅
石見旅行、島根県浜田市国分町の海岸「畳ヶ浦」の続きです。



前回も掲載した「馬の背」を少し違う場所から撮った写真です。

「馬の背」の上の大部分が砂岩層、裾に砂利の交った礫岩層が見えます。

右手に潮が押し寄せ、手前の水面には「馬の背」の姿が映って見えます。

写真右端に小さく帽子をかぶせた様な面白い形の岩を見つけました。



右手に帽子をかぶせた様な岩が見えます。

海岸に抜けるトンネル内にあった案内板の説明にあった「きのこ岩」の一つと思われます。

隣にも同じような岩がありますが、年月と共に波に削られてしまうのでしょうか。

■案内板の「きのこ岩」の説明文を転記します。
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きのこ岩
風や雨の力によって、砂岩のやわらかい部分がけずられ、かたい部分が残ってできたものです。
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海岸を歩いていると、足元に網の目のような形の岩がありました。

そばの「馬の背」にも同じ形の岩がありましたが、実に面白い形です。

同じような岩は、三重県熊野市の海岸「鬼ヶ城」や、高知県土佐清水市の海岸「竜串」でも見ましたが、極めつけは和歌山県古座川町の「虫喰岩」でした。



05年07月に行った和歌山県古座川町の「虫喰岩」での写真で、右上部分が「虫喰岩」の全体写真ですが、妻が立っているのはその右下隅です。

硬い岩の表面が剥がれ、内側の岩が浸食されて蜂の巣状になったものです。



海岸の平らな岩場に長い亀裂がありました。

明治の大地震で出来たものでしょうか。

右手には「馬の背」が見えます。



「畳ヶ浦」の「千畳敷」を歩くと足元にこんな亀裂が見えてきます。

この亀裂は、地震で出来た「節理(亀裂)」だそうで、畳が敷かれたイメージから「畳ヶ浦」「千畳敷」の名が付けられたと言われています。



「千畳敷」に抜けるトンネルに「節理」の説明図がある案内板がありました。

赤い線が断層で、沢山の細い線が「節理」です。

■「節理」の案内板にあった説明文を転記します。
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千畳敷と節理
千畳敷は、およそ4900㎡の広がりをもつ、平坦な砂岩層の浸食面です。その表面には縦横に走る無数の亀裂が見られます。
これを節理といいますが、よく見るとその方向には規則性があり、ちょうど畳を敷いたような形をしています。千畳敷という名称はここからきています。

節理(亀裂)
砂岩のような堆積岩の節理は、大地が動くことによって生じた亀裂であると考えられています。
千畳敷では、いくつかの断層がみられますので、これらの活動と関連して節理が生じたものと考えられます。
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ボランティアの方から教えて頂いた駐車場のすぐ脇にある山の斜面にある断層です。

山の斜面は、土砂崩れの防止のためか断層が見えるこの部分を残してコンクリートで覆われています。

上が礫岩層で、下が砂岩層すが、下の説明文にあるようにこの砂岩層からは海水と淡水が交る汽水域に生息する生物の化石が見られるとのことです。

■案内板の説明文を転記します。
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畳ケ浦と露頭[ろとう]
 この露頭で見られる地層は、1600万年前に堆積したもので、畳ヶ浦をつくっている礫岩[れきがん]層とその下部にある砂岩層を観察できます。砂岩層からは、海水と淡水が混じった沼地に生息する貝や植物の化石が見られます。礫岩層は河川が氾濫し、土石流となって河口に堆積したものです。
 左手の畳ヶ浦の崖を見ると、この露頭にある砂岩層は見られません。これは左側の駐車場に断層があり、露頭側が上がり、畳ヶ浦側が下がったことを示しています。
 また、畳ヶ浦の崖の礫岩層上部にある砂岩層からは、海に生息する貝やサメ、クジラの化石が見られます。この砂岩層と露頭の地層とを合わせて考えると、環境の変化をより理解することができます。
 この露頭は畳ヶ浦の成り立ちを知る上で貴重です。
 平成15年9月30日
 浜田市教育委員会
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トンネル入口付近から見上げた断崖の写真で、上部に砂岩層、その下に礫岩層が見えます。

上段の説明文に「また、畳ヶ浦の崖の礫岩層上部にある砂岩層からは、海に生息する貝やサメ、クジラの化石が見られます。」とあり、上段の露頭の写真にある汽水域で出来た砂岩層とは時代が違うようです。

前回掲載の断層図でも書きましたが、千畳敷の表面にある砂岩層は、この崖の上に見えるものと同じものです。



畳ヶ浦の海岸を歩いているとあちこちで足元に化石が見られます。

ここには白く細長い巻貝の化石が多いようです。



上段の写真の近くにも多くの化石が見られました。

貝の化石は、やはり海辺の海底だった頃のものでしょうか。



観光案内所の壁に掛けられていたハート型の化石の写真です。

ボランティアの女性に説明して頂きましたが、畳ヶ浦の海岸にはハート型の化石が3個あるそうです。

「運よく見つけた人は幸せになる」と言われているそうです。
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浜田市の海岸「畳ケ浦」の地殻変動と、 「馬の背」の景色

2009年10月25日 | 山陰地方の旅
10月11・12日に行った石見旅行の最初のスポット、浜田市国分町の「畳ヶ浦」(2009-10-18掲載)の続きです。



駐車場からトンネルを抜けて海岸に出ました。

平らな岩が、遠くまで続く「畳ケ浦」の海岸は、右手の山に沿って広がっています。



上段の写真と同じ場所から撮った満潮の時の写真です。

駐車場にある観光案内のボランティアの方がいた小屋に掲示されていた写真です。

写真の説明は聞きませんでしたが、二段上の写真を比べると、かなり海水面が高くなっています。



トンネル入口の案内板にあった上空から見た「畳ケ浦」の写真です。

右手上に赤い字で「現在地」とある場所がトンネル入口、その左下にある赤い●印の場所がトンネル出口です。

■「畳ケ浦」の案内文を転記します。
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国指定天然記念物
石見畳ケ浦[いわみたたみがうら]
指定 昭和7年3月25日
畳ケ浦は別名を床の浦[とこのうら]とも呼ばれ、およそ四万九千平方メートルの見事な礫岩[れきがん]・砂岩の海食崖[かいしょくがい]や幾つもの断層がみられます。
波食棚は千畳敷[せんじょうじき]と呼ばれ、江戸時代(1817年)の文献にも景勝地として紹介されています。
千畳敷は砂岩層は、約1600万年前に堆積した砂岩層で、多種類の貝や流木、鯨骨などの化石が含まれています。
また、床面には多数の腰かけ状の丸い石(ノジュール)が並んでいますが、これは貝や植物が溜り、貝の炭酸カルシウムなどによって砂粒が固められ、その後、周辺が浸食を受けて残ったものです。
畳ヶ浦は景観の素晴らしさとともに、地学など学術資料としても大変貴重なものです。
 平成21年3月  浜田市教育委員会
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トンネル出口の上を見上げると地層が見えていました。

上段の褐色のきめ細かな地層と、その下に丸い岩が混じった厚い地層が見えます。



トンネル出口のすぐ近くに大きな案内板があり、この図ははその一部です。

上段のトンネル出口から見上げた山の高さは、断層のズレの高さと知り、改めて唖然としました。

■案内板に書かれていた説明文を転記します。
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「断層と千畳敷」
私たちは今、断層の上に立っています。この断層の千畳敷側は大地がずり上がり、さらに波によって平坦に浸食されています。千畳敷ではおよそ1500万年前の海の底を直接観察できます。

大地が動いた後の石見畳ヶ浦
大地の活動(断層)によって、トンネルのある山側がずり上がり(隆起)、千畳敷側はずり下がっています(沈降)。
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トンネル出口の前に広がる海岸、「千畳敷」と呼ばれるようですが、平たい岩の海岸にはたくさんの丸い岩が盛り上がって並んでいます。

この岩は、「ノジュール」と呼ばれているようです。



楽しそうに干潟で遊ぶ親子連れがいました。

良く見ると千畳敷にはノジュールが、直線的に並んでいるようです。



トンネル内に畳ヶ浦の地殻変動を解説する案内板が並び、「ノジュール」の説明文もありました。

下段の図は、ノジュールが出来るプロセスが描かれています。

上段の図は、「畳ヶ浦」の海岸全体に並ぶノジュール列(11列)が描かれています。

■ノジュールの説明文を転記します。
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ノジュール(団塊)
千畳敷でまず目につくのは、リジュールと呼ばれる腰かけ状の丸い岩です。これは貝殻に含まれている炭酸カルシウムなどがとけだして、化石などに集まり、砂岩層中にかたい部分を形成します。その後、かたい部分の周囲が波で浸食されて、丸い岩として顔を出してきたものです。

ノジュール列
ノジュールは地層に平行に入っていますが、地層が地殻変動で傾いてから表面が平坦にけずられますので千畳に並んでみえます。
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千畳敷を山に沿って少し右手に進むと「馬の背」が見えてきます。

有明海に生息するムツゴロウのようでもあり、トカゲのようにも見えます。

最も高い部分は、5mはありそうです。



「馬の背」の最も高い場所に大きな鳥がとまっていました。

トビでしょうか?

数分間同じ場所にとまり続け、近づいても逃げませんでした。



「馬の背」が左手にはるか先まで伸びている様子です。

この長さは、「馬の背」のイメージをはるかに超えており、もと長い「龍」・「蛇」・「トカゲ」なとが適当と思えます。



トンネル内の案内板にあった「馬の背の断面模式図」です。

上段にある「馬の背」の写真は、図右の山側から見た景色で、高くなった面が左右に伸びているのは断層面のようです。

■「馬の背」の案内板の説明文です。
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千畳敷の最高峰 馬の背
馬の背は千畳敷の中ほどにあります。周囲の砂岩層よりもかために小高い丘として残りました。馬の背の地層は、断層によって山側の地層よりもせり上がり、海側に傾いています。観察してみてください。
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油絵「コスモスの花」の修正版です

2009年10月24日 | 妻の油絵
前回掲載した油絵「コスモスの花」の写真が修正出来ましたので掲載します。

比べると歴然としていますが、前回の撮影したままの写真では柔らかい黄色がまったく表現されていませんでした。

一昨日、無料ソフト「GIMP」を見つけて修正、今朝、妻から何とか合格を受けました。

だいぶ奮闘しましたが、こんなに色が変えられるとは、「GIMP恐るべし」です。

使い始めで、まだよく分かりませんが、この画像編集ソフト「GIMP」には、Adobe Photoshopに迫る本格的な機能があるようです。

ダウンロードさせて頂いたサイトは、「GIMP2を使おう」で、インストール不要のポータブル版を選びました。

開発者の方々、関係サイトに感謝申し上げます。
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油絵「コスモスの花」

2009年10月21日 | 妻の油絵
妻の油絵「コスモスの花」です。

9月に描いた絵ですか、やっと撮影が出来、掲載しました。



さらりと描いた絵で、日本画のようにも見えます。

細長い茎の上に咲いたコスモスの花は、ちょっとした風にもゆらゆらと揺れますが、折れやすい茎だけに風の力をうまくかわす必要があるようです。

今回、絵の背景の薄い黄色がうまく撮影出来ませんでした。

画像編集で、何とか黄色を出そうとを試みてみましたが、ダメでした。

とりあえず、落ち着いた絵にはなっているので掲載しましたが、少し不本意です。

黄色を強くする写真編集のソフトを探してみたいと思います。
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「石見畳ヶ浦」の犬島・猫島・穴観音の景観

2009年10月18日 | 山陰地方の旅
10月11日~12日石見旅行(島根県西部)に行きました。

最初のスポットは、浜田市国分町の「畳ヶ浦」です。



「畳ヶ浦」は、浜田市街の北にある海岸で、地図右下の国道9号を国分中学校付近から地図左の海岸方向に進んでいきます。

福山から高速道路で浜田インターを経由して「畳ヶ浦」近くの①国府海水浴場に着いたのは8:40頃でした。

「畳ヶ浦」は、赤い点線で囲まれた辺りの海岸で、②付近に駐車場と、トンネルの入口、③にトンネルの出口があります。



国府海水浴場の駐車場から「畳ヶ浦」方向を見た景色です。

晴天に恵まれ、日本海のながめは、とりわけ気持ち良く感じられます。



国府海水浴場の海にはサーフィンをする人が波を待って浮かんでいました。

手前の建物には海水浴場の監視所や、シャワーなどがあるようです。



「畳ヶ浦」方向の海の中に防波堤が造られ右端に「猫島」がつながっています。

右の半島の先には「犬島」があります。



写真を拡大して見ました。

左手の「猫島」の下部には穴が見え、右手の「犬島」は「猫島」より少し大きな島です。

「畳ヶ浦」の入口にある駐車場に観光案内所があり、観光案内のボランティアさんから「犬島・猫島」にまつわる伝説を聞きました。

■観光案内のボランティアさんから聞いた「犬島・猫島の伝説」です。
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奈良時代、聖武天皇が全国に国分寺の建立を命じ、石見国でも「畳ヶ浦」の近くに国分寺が建立されました。
石見国分寺には高い塔がそびえ、その立派な様子を見て海の向こうの唐は、快く思わなかったそうです。
唐は、石見国分寺を焼き払おうと、猫を日本に派遣しました。
日本には忠犬がおり、幸いにも猫の動きを察知し、戦いが始まりました。
忠犬の攻撃に、猫は追詰められ、ついに畳ヶ浦の海に飛び込み、忠犬も後を追掛けたそうです。
しかし、畳ヶ浦は真冬の厳寒の海で、ついに二匹とも凍死してしまい、「犬島」「猫島」になったと言われています。
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聞いた話を思い出し、適当に書いて見ましたが、間違っていたらお許し下さい。



「畳ヶ浦」のトンネル入口に来ました。

右手に駐車場(100円/回)があり、左手に向かう道路(通行止)の先に「犬島」があります。

この切立った断崖は、1872年(明治5)の浜田地震で出来た断層だそうです。

この断崖は、断層の面で、土地が隆起してこの高い断崖が出来たようです。



左手に二つの島が見えますが、手前が「犬島」、向こうが「猫島」で、手前の海は防波堤に囲まれた唐鐘漁港です。

「犬島」には橋がつながっていますが、道路は通行止めです。

島や、手前の断崖は礫岩[れきがん]のため、崩れやすく土砂が落下する危険があるものと思われます。

この「犬島・猫島」の美しい景観も、いずれ崩れて無くなってしまうのかもしれません。

「犬島」の上に生えている松の木が少しでも長く、島の崩壊を守ってくれることを願うものです。



「畳ヶ浦」のトンネル入口を入り、少し進んだ場面です。

幅2mの長いトンネルは、蛍光灯が明るく照らしていました。

トンネルの向こうから「ドドー!! バシャー!!」潮が岩に激しくぶつかる音が聞こえてきました。



トンネルを進むと突然薄暗い洞窟の部屋が開け、左手に海に向かって二つの穴が開いて、時折波のしぶきが立っていました。

ここは「賽の河原」と呼ばれる「海食洞」(波浪で出来た洞窟)だそうです。

この右隣にもうひとつトンネル状の洞窟があり、海に向かって歩いて行けるようでしたが、通行止めの標識が立っていました。

この広い洞窟「賽の河原」は、三つの穴で海とつながっていました。



トンネルから「賽の河原」に出たすぐ右手の様子です。

右手奥に「穴観音」が安置され、その右隣には多くの石仏が並んでいました。

トンネル入口に唐鐘漁港がありましたが、「穴観音」は、昔から漁師達の厚い信仰を集めているようです。

写真左手に次のトンネルの入口が見えています。



「穴観音」の前から海につながる穴をのぞくと「猫島」が見えます。

浜田地震で海が隆起したと聞きましたが、この洞窟の景色はいつからあったのでしょうか。
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「上黒岩岩陰遺跡」 1,2000年前の縄文人との対面

2009年10月14日 | 四国の旅
9月26日、四国カルストの帰り道、愛媛県久万高原町上黒岩の「上黒岩考古館」に立ち寄りました。

「上黒岩考古館」は、世界の考古学界から注目された縄文遺跡「上黒岩岩陰遺跡」の遺物展示館です。

「上黒岩岩陰遺跡」では、約12000年前(縄文時代草創期)、約10000年前、約8000年前(縄文時代早期)他の各地層から多くの貴重な遺物が発掘されています。

1961年、遺跡のすぐ隣の家に住む中学生の少年「竹口義照」さんが発見、「上黒岩考古館」の建物も遺跡を挟んですぐ隣に建てられています。

遺跡の場所は、松山市から高知市へ向かう国道33号沿いで、高知市の西に河口がある仁淀川支流の久万川川畔にあります。



「12,000年前女神石」と書かれた「上黒岩考古館」の入場券です。

この石は、約12,000年前の地層から発見された「石偶」で、最も注目された遺物のようです。

縄文時代の土偶は、よく知られていますが、この5cm弱の扁平な石に女性像が細い線で刻まれた「石偶」は他に類がない貴重な遺物だそうです。

神秘的なペンダントのようなデザインが気に入りました。



久万川の川畔に約20mの石灰岩の断崖がそびえ、下の斜面に造られた建物の中に「上黒岩岩陰遺跡」が保存されています。

遺跡を保存する建物の前は、駐車場、左手に「上黒岩考古館」、右手には民家(当時中学生だった発見者の家)があります。

石灰岩の断崖の下の窪みから見つかったことから「上黒岩岩陰遺跡」の名称が付けられたものと思われます。



「上黒岩岩陰遺跡」を保存した建物の中にある遺跡の写真です。

左手にある石灰岩の断崖と、右手の柵の間が遺跡の場所で、白い棒には年代別の地層の目盛が付いているようです。、

柵に沿った見学者用の階段から遺跡の写真を撮りましたが、入口の地面から2~3m低い所まで掘り下げられていました。



「上黒岩岩陰遺跡」付近の地図です。

国道33号が左手から右下に走り、右手の赤い部分は、景勝「御三戸嶽[みみとだけ]」です。

「上黒岩岩陰遺跡」の入口は、国道33号から久万川に架かる橋を渡るとすぐで、古民家「旧山中家住宅」も見学できます。



「面河川[オモゴガワ]」に巨大な岩がそびえ立つ「御三戸嶽[みみとだけ]」です。

国道33号から見た景色で、左手から流れ込む「久万川」と、「面河川」の合流する場所です。

「上黒岩考古館」の係の女性から聞いた話では、「上黒岩岩陰遺跡」や、「御三戸嶽」のような断崖をこの地方では「タキ」と呼ぶそうです。

「タキ」には「嶽」「滝」の他様々な漢字が使われていますが、「タキ」の名が付く場所は、古代祭祀場との関わりがある場合が多いように思います。

昔、巨大な岩の裏手の岸に「御三戸神社」があったそうで、社殿のない時代、この岩は磐座だった可能性もあります。(「御三戸神社」は「上黒岩考古館」のすぐ近くにあり、移設されたようです)

「上黒岩岩陰遺跡」の断崖も縄文時代に、祭祀の場だった可能性があるものと推察されます。



「上黒岩考古館」の建物です。

道路を左手に進むと「旧山中家住宅」があり、駐車場の後ろが「上黒岩岩陰遺跡」です。

建物は少々古びていますが、展示物の素晴らしさと、女性係員の分かりやすい説明にはとても満足しました。



「上黒岩考古館」に展示されていた遺跡の地層の図で、左手に石灰岩の断崖、右手に地層が描かれています。

1層から11層まで発掘し、主に4層(約8,000年前)・6層(約10,000年前)・9層(約12,000年前)から遺物が発掘されたそうです。



約12,000年前、縄文時代草創期の地層第9層から発掘された「石偶」で、右のスケッチは、石に描かれた女性の線画です。

「石偶」は、河原で採取されたと思われる直径5cm弱の偏平で丸っこい緑泥片岩に線を掘って描いたもので、同じような「石偶」が8個発掘されたそうです。

どんな道具化分かりませんが、堅そうな石によく線画を刻んだものだと感心します。



同じく約12,000年前の地層、第9層から発掘された「細隆起線文土器」です。

実物の写真がボケて、展示された写真を撮ったものです。

「細隆起線文土器」の模様は、細い粘土紐を表面に貼りつけ、模様を描いたとされています。

縄・貝などを押し付けた模様と違い、手間がかかそうな技法が既に縄文時代草創期にあったことに関心しました。



約10000年前の第6層から発掘された変成岩製のペンダントだそうです。

展示場の説明文に「左のは一つ穴で垂飾品 右のは二つ穴で人間の目をかたどっている?」と書かれていました。

一つ穴の石は、紐で首にぶら下げていたもの、右手二つ穴の石は、謎の物です。

しかし、この時代、一体どうやって石に穴を開けたのか興味のあるところです。

「上黒岩考古館」のパンフレットによると「弓矢がこの時代に初めてあらわれたことも明らかにされた。」とあります。

この地層から鏃[やじり]が発掘されたことによるものと思われます。



約8000年前(縄文時代早期)の第4層から発掘された成人女性の埋葬された骨です。

この人骨の保存状態が大変良いことに驚きますが、石灰岩のカルシウム分が骨の保存に効果があったと思われます。

同じ地層からは「鹿角製棒状耳飾り」「イモガイ」などの貝殻製垂飾品が発掘されており、この女性もおしゃれを楽しんでいたものと思われます。



約8000年前の第4層から発掘された成人男性の腰骨で、ヘラのような骨角製尖頭器が下部の写真のように突き刺さっています。

事故か、闘争か分かりませんが、手厚く葬られていたようです。

同じ地層から埋葬された二頭のイヌの骨が発掘されていたそうで、骨角製尖頭器と、犬を使い狩猟していた縄文人を想像します。

この「上黒岩考古館」の展示品はすばらしく、四国カルストに劣らぬスポットで、入場料100円で親切な説明もゆっくりと聞かせて頂き、とても感謝しています。
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倉敷美観地区の散策

2009年10月10日 | 山陽地方の旅
妻が描く風景画の場所探しで、今日、倉敷市の美観地区を散策して来ました。

過去何度か訪れた場所ですが、さわやかな朝の景色は、格別です。



美観地区へ入る通りに面白そうな店を見つけました。

入口の上の看板に「倉敷の犬 猫屋敷」と意表を突くような意味不明の名前が書かれています。



美観地区を流れる倉敷川にかかった石橋の風景です。

人力車のおじさんが、観光客達の記念写真を、撮ってあげているようです。

石橋には「中橋」と刻まれ、美観地区の中央付近にあります。



人力車のおじさんが、朝9:00頃出勤して来た時の写真です。

いつも「中橋」を渡った所に待機しているようです。



左手に「中橋」があり、東側を見た景色です。

この辺りの風景は、なかなか雰囲気もあり、よく絵に描かれています。



「中橋」を渡り、元来た「倉敷館」側を見た景色です。

この建物は、観光案内所で、この美観地区の中でも最も目立つ建物の一つです。

今朝は、天気が良く倉敷川の川面に建物の姿が映り、とてもさわやかな景色でした。



妻は、この風景を候補の一つにしたいとスケッチしていました。

右手の建物が、「日本郷土玩具館」です。

ここも川面に建物の姿が映り、とてもきれいです。



スケッチしていた場所に太い幹の「センダンの木」がありました。

川べりの道端にそびえる木の枝には、緑の実がいっぱい付いていました。



菅笠[すげがさ]の船頭さんの漕ぐ川舟が、鳩の待つ「高砂橋」付近に来ています。

川舟の遊覧コース南端の「高砂橋」から倉敷川の北側を見た景色です。

鳩山総理の人気にあやかって三羽の鳩も登場させました。

鳩たちは、近くで写真を撮る私より川舟が気になるようです。



倉敷川をゆっくりと川舟が進んでいました。

この川舟の遊覧は、中橋近くで乗船し、倉敷川の西にある「大原美術館」前と、南の「高砂橋」付近を20分で往復するそうです。

11時頃には昼過ぎまで予約がふさがっていたようでした。



「日本郷土玩具館」のショーウインドウに飾ってあった猫の人形です。

「岩井小夜子展 ネコで候」と書かれた案内カードがあり、中でのネコ人形の展示会があるようです。

実に可愛らしく作っています。



川船の乗船場でひまな船頭さんが、白鳥と遊ぶ風景です。

両手にエサを持ち、白鳥を呼び寄せ、頭を撫でようとしていました。

白鳥は、エサをゲットし、すばやく逃げていました。
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「四国カルスト」の散策

2009年10月05日 | 四国の旅
9月26日に行った、四国カルストの続きです。

前回は、姫鶴平から東の天狗荘まで、道路沿いの美しい景色を掲載しましたが、今回は、道路沿いのスポット、散策などを掲載します。



「地芳峠」[じよしとうげ]付近の道路南側に土佐藩の「唐岩番所跡」の案内板がありました。

前回掲載の地図にある⑤の場所で、国道33号から分かれ、国道440号をを南下、「地芳峠」から「四国カルスト」の道に入り、東に少し進んだ辺りです。

右カーブの先に岩の一部が見えていますが、全体はとても大きな岩でした。

東の「天狗荘」の隣にある「カルスト学習館」のビデオ説明では、「唐岩番所跡」の検問を逃れて土佐藩から脱出する者を捕えて死刑にし、見せしめに死体をこの岩に吊るしてしていたそうです。



案内板には「唐岩番所跡」の場所が書かれてなく、すぐ横の草むらだと思い写真に収めておきました。

「唐岩番所跡」は、土佐藩が伊予藩との陸路の境などに往来の検問をした施設で、18世紀の土佐藩には往来の増加もあり、番所は実に80ヶ所まで増えたそうです。

坂本竜馬たちの脱藩にもこのような番所の検問から逃れる危険な道中だったものと思われます。

■「唐岩番所跡」の案内板を転記します。
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唐岩番所跡
宝永元年(1704)唐岩番所として設けられ、厳冬積雪以外は下方の永野口番所より出張して番役を勤めた。
当時、番屋、便所、物置などがあり、庭前に池を配して防風用の樹木もあった。
現在は、敷地の一部と自然の築山も変形して少し残っている。
昭和58年度
高知県文化財保存事業
檮原町教育委員会
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姫鶴平の展望台に登る道の下に赤いトラックが駐車し、木の実の人形を販売していました。

姫鶴壮の向かいにあります。

写真右手に見える男性が店主のようで、一人の小学生を相手に手作り教室をやっているところでした。



トラック荷台に色々な木の実の人形が陳列されていました。

素朴で可愛らしい人形です。



五段城を少し東に走った道路南側に散策路があり、歩いて行きました。

ススキの散策路先の小高い丘の上にあづま屋がありますが、その左手に天狗高原の頂上が少しのぞいています。

11:30頃でしたが、次第に雲間が増えて日が陰る場面が増えてきました。

五段城と、天狗トンネルの間の道路脇に十数台の駐車場があり、散策路を南に進んだ場所です。



あづま屋から更に南に歩いた場所にコンクリートで造られた展望台があり、その下には人が入れるような場所になっていました。

鹿児島県の桜島で見た避難所を思い出しました。

左手から展望台に上がって行きます。



展望台の上から南(高知県)側を見た景色です。

コンクリートの周りは、岩で囲ってあり、転落防止の柵としているようです。

やっぱりこの下は避難所だったのでしょうか?



展望台から見下ろした景色です。

天狗荘から分かれた道が、高知県側に続いています。

四国の高い山の雄大さには感動します。



散策路から見た「五段城」で、尾根の少し手前が道路です。

右手は晴れ間、手前から左手は曇って、天気がめまぐるしく変化しています。

四国カルストの秋は、このススキが一番の景色のようです。



二人共、それぞれ一眼レフカメラを持ち、本格的に撮影されていました。

お話を聞くと絶滅危惧種の「ヒメヒゴタイ」の花が咲いていて、撮影しているとのことでした。



これが、教えられた「ヒメヒゴタイ」の花で、遠目にはアザミの花にも見えます。

一本の茎の先が枝分かれし、先端に数個の球形の花が付いていました。



天狗荘の西隣に「カルスト学習館」があり、立ち寄りました。

ここでは「四国カルスト」についてビデオや、写真などで分かりやすく説明されています。

最初にここで予備知識を得て「四国カルスト」を見て回ると分かりやすいと思います。

特にカルスト地形が出来るプロセスを図解で説明されており、理解できました。

又、ここから山中を東に歩いた場所に天然記念物の地割れ「大引割」「小引割」があることがビデオで紹介され、興味深く見せて頂きました。

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妻の油絵「彼岸花」、今夜は十五夜です

2009年10月03日 | 妻の油絵
今夜は、仲秋の名月、雲はあるものの晴れ間に満月が楽しめる夜です。

スーパーで、お月見ダンゴが陳列されていました。

どうせ早くから陳列しているのだろうと思って帰りましたが、今夜が仲秋の名月でした。



毎年、妻が描く「彼岸花」の油絵です。(F6号)

今年は、ちょっと珍しい白い花と、赤の彼岸花を組み合わせ、少しゴージャスな背景で引き立てるように描いたそうです。

前回、掲載の四国カルストへの旅行で、愛媛県の国道沿いのあちこちに、鮮やかな彼岸花が咲いていました。

彼岸花が、時期を間違えずに咲くことが、改めて不思議に思われます。

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