昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.28 礼文島「桃台猫台展望台」の景色

2010年09月29日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 16:30頃、「地蔵岩」から元地海岸を南下、「桃台猫台展望台」へ行きました。



桃岩トンネルを西に出た辺りから南方向の景色です。

写真左手に駐車場、その海側に「桃台猫台展望台」、海には「猫岩」が見えています。



「桃台猫台展望台」付近の地図です。

海岸沿いの小高い山にある「桃台猫台展望台」からは、南西方向に「猫岩」、東北方向に「桃岩」を望みます。

又、すぐ南の「エンカマ」地区にはユースホステル、北には「元地漁港」があります。



「地蔵岩」から海岸沿いの道を南に走ると「桃岩」が見えてきました。

北西方向から見た「桃岩」は、桃の形には見えません。

山上の「桃岩展望台」から見えた「桃岩」も、見る角度で様々な姿に見えていました。



「桃台猫台展望台」から見た「桃岩」と、北に伸びる元地海岸の景色です。

■「桃岩展望台」の案内板にあった桃岩の説明文を再掲載します。
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桃岩
 桃岩は、礼文島の地層では比較的新しい時代にできたもので、地下のマグマが地表部を押し上げ冷やされながら球状の巨大な岩体に成長したものです。表面にはタマネギの皮のような球状節理(板状節理)が取り巻き、表面のはがれ落ちた内部には、表面よりゆっくりと冷えていく速度の違いから柱のような柱状節理が見えます。
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岩の表面がタマネギのようにはがれ落ちる「球状節理」を初めて知りました。

又、「北海道地質百選」のサイトに「むき出しになった潜在円頂丘 礼文島桃岩ドーム」のタイトルで、桃岩が出来た過程が分かりやすく説明されていました。

海底の地層に粘りの強い溶岩が球状に入り込み、冷えて固まる過程で球状節理が出来たとされています。

その後、地層が隆起、海岸近くの風化作用で周囲の地層がなくなり、球状の岩が残ったというのが桃岩誕生の物語のようです。



「桃台猫台展望台」にあった案内板です。

海岸にそそり立つ「桃台猫台展望台」を中心に、南の「猫岩」、北東の「桃岩」、 北の「地蔵岩」がイラストで描かれています。

■案内板に白い字で書かれている説明文です。
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ここ桃台猫台展望施設からは、澄んだ海の青さの
日本海のほか海に向って右手には、高さ50Mの地蔵
岩、元地漁港、約70戸の家並みを望む。
また、左手には、外海に耳をそばだてて背を丸め
た猫の姿をした猫岩を望む。
背後には、高さ249.6Mの桃岩が、その威容を誇
り、桃岩に連なう岩盤状の頂きは、現在地が峡谷の谷
のイメージを与えてくれている。
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標高50mの「桃台猫台展望台」から見上げる「桃岩」は、実に巨大でした。

桃岩の標高は249.5m、岩の最下部の標高は50~60mで、桃岩の高さは約200mと思われます。



フリー画像から拝借した桃のイラストです。

店頭に並ぶ桃は、右手の丸い桃ですが、先端のとがった桃は、絵本や、イラストでしか見た記憶がありません。

「桃岩」の様な桃をインターネットで探してみたら群馬県の「陣平農園」さんのサイトにありました。

「天津桃です。桃太郎さんの桃ですね。・・・」とあり、みごとに先端がとがった桃の写真が掲載されていました。

やはりこんな桃も本当にあったのですね。



桃岩トンネルの東側入口付近から山の上を見ると頂上が桃の形でした。

一瞬、「桃岩」かと車を止めて撮影しましたが、トンネルの西側にある桃岩とは違いました。

写真の下部には桃岩トンネルの東側の入口が見えています。



翌日、礼文島北西部で見た山の風景です。(礼文島北西部「澄海岬」の約1Km手前)

頂上がとがった山が並んでいます。(他に道路の向いにもありました)

これをご覧になって「桃の先端」より、「オッパイ」を連想される方も多いと思いますが、なぜこんな形の山が礼文島に出来たのかとても不思議です。

おもしろい名前でもつけて案内すると、人気の観光スポットになるのでは?



「桃台猫台展望台」から南方向を見下ろすと赤い屋根のユースホステルがあります。

その裏山に赤い鳥居の続く急坂の参道と、小さな神社がありました。

どことなく懐かしさを感じる景色です。



「桃台猫台展望台」から南方向の全景です。

向こうの「猫岩」を眺めていると、浅瀬でじっと魚をねらっているように見えました。

約600Km先の「猫岩」の高さは29mで、桃岩には遠く及びませんが、そばで見るとやはり巨大な岩のようです。



ズームで撮った「猫岩」です。

とがった両耳、まるい背中、偶然とはいえ、驚くような自然の造形です。

山の上にあるトレッキングの「桃岩コース」から見る「猫岩」の横に穴が空いている写真を掲載(9/25)しましたが、岩は見る角度で大きく変わってきます。

「桃岩」「猫岩」の両方が、みごとに見えるこの高台との位置関係もまた奇遇で、素晴らしい自然の造形でした。

お天気に恵まれた北海道旅行3日目もこれで終わり、早朝出発した稚内から利尻島一周、礼文島南部の観光と、よく動きまわった一日でした。

既に17:00、これから島の東北部にある民宿で一泊、翌日も礼文島の観光です。

北海道旅行No.27 礼文島元地海岸の「地蔵岩・メノウ浜」

2010年09月27日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 16:00頃、「桃岩展望台」を後に、桃岩トンネルを抜けて島の西側へ出ました。



桃岩展望コースから北を見下ろした元地海岸の景色です。(ズームで撮りました)

元地漁港の向こうに続く海岸、写真中央に黒い「地蔵岩」がそびえ、その右手が「メノウ浜」です。

山の上に赤い屋根の神社と思われる建物が見えます。



礼文島の南西部の地図です。

香深港から桃岩トンネルを通り、島を横断する道を進み、海岸を北上すると元地の集落が続いていました。

車道は、メノウ浜辺りで終わり、地蔵岩の手前で歩道も行き止まりになっていました。



16:20頃、「メノウ浜」に到着しました。

かつて、この浜ではメノウ(瑪瑙)の原石がよく見られたそうですが、今ではほとんど見られないようで、ここでは唯一「メノウ浜」の観光標識を見ただけでした。

石垣島や、西表島などの「星砂」も観光客や、土産物店の採取で減少し、地名だけ残る状況はよく似ています。

お土産で持ち帰っても、最後はしまい込んで見向きもされない状況になるものと思われます。

皆が持ち帰った石を善意で返却してもらい、珍しい自然の復元活動が出来ないものでしょうか。



「メノウ浜」から少し進むと海岸に「地蔵岩」が見えてきました。

裂けたような岩がそそり立ち、その向こうの小さな岬には岩礁が続いています。



海岸の道は、柵に張られたネットで、通行止めになっていました。

案内板には「注意 これより先、落石の危険がありますので立ち入らないでください。 礼文町」と書かれています。

しかたなくここから見物です。



ズームで撮った「地蔵岩」です。

「地蔵岩」は、舟のような形をした岩が、山側の岩の面とほぼ並行に立っています。

「地蔵岩」の高さは約50mだそうで、写真から推定した裂け目の幅は約10mと思われます。

実に神秘的な光景ですが、岩の間の地層が風化して、両側の硬い岩が残ったようにも思われます。



広島県尾道市因島の「鼻の地蔵」の参道にあった「光背型(舟型)」のお地蔵様です。

「地蔵岩」の名の由来は、このような「光背型(舟型)」の石仏から連想されたものではないでしょうか。

美しい岬の丸い大岩に彫られた「鼻の地蔵」には、不思議な伝説が残っていますが、「地蔵岩」にも興味深い伝説があったらいいですね。



「地蔵岩」の道から一段下に小石の浜辺が続いています。

所々に浜辺を仕切るように石が並んでいるのも謎の光景でした。

漁師さんが昆布を干す場所を割り振って、境としているのでしょうか。



「地蔵岩」の上を見上げると緑と、岩の断崖が続いていました。

遠い北海道の最北の島の景色は、全てが珍しく感じます。

「地蔵岩」への道が通行止めでしたが、この上から落石があるのでしょうか。



「地蔵岩」付近から南を見た海岸の景色が気に入り、妻はスケッチを始めていました。

西日に輝く元地海岸の景色は、実にすばらしいものでした。

道路の舗装もここで終了し、レンタカーは道路脇に駐車させて頂きました。

北海道旅行No.26 礼文島トレッキング「桃岩コース」の景色

2010年09月25日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 14:00頃、礼文島の南部の観光を開始して、「桃岩展望台」まで歩いてきました。

これから「桃岩展望台」を出発、「元地灯台」の手前まで歩き、適当な場所で引き返す予定です。



14:30頃「桃岩展望台」を出発、歩き始めると香深港や、利尻山を望む美しい景色が見えてきました。

花に囲まれた歩道で、妻は、早速スケッチを始めました。

■「桃岩展望台」の案内板にあった「桃岩歩道」の説明文です。
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桃岩歩道
 桃岩展望台から元地灯台までの桃岩歩道(約2.5Km)は、別名「礼文フラワーロード」と呼ばれます。草原や岩場など環境の変化につれて植物相も変わるため、歩道沿いからたくさんの種類の草花の群落を見ることができます。
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礼文島南部の地図です。

「桃岩展望台」から「知床」まで、トレッキングコースが破線で描かれています。

礼文島のパンフレットでは散策の標準的な所要時間は、「桃岩展望台」から「元地灯台」まで約60分、「元地灯台」から「知床」までが40分だそうです。

私たちは、「桃岩展望台」から「折返し地点」まで歩き、「桃岩展望台」の駐車場まで引き返しました。

地図の等高線を見ると「折返し地点」から「元地灯台」までの間が、長い上り坂です。



トレッキングコースから通ってきた「桃岩展望台」が見えて来ました。

写真右手の平らな所が「桃岩展望台」で、稜線に数人の人が立っているのが小さく見えています。

左手の山は「桃岩」で、「桃岩展望台」から尾根続きでした。



「桃岩展望台コース」から北西方向に、「元地港」付近が見えていました。

礼文島西岸には断崖が続いていますが、「元地」は数少ない西岸の集落です。

「元地港」のすぐ先の海岸には「地蔵岩」がありました。

標高200m程度の低い山に雲がかかり、これも最北の地の現象なのでしょうか。



「桃岩展望台コース」で、一番感動した景色です。

歩道のすぐ脇にピンクの「ヨツバシオガマ(四葉塩釜)」が咲き、利尻山に重ねて撮りました。

礼文島の「ヨツバシオガマ」は、花や葉の数が多く、変種としての名称「レブンシオガマ」があるようです。



「桃岩展望台」から少し南に進んだ場所から見下ろした「猫岩」です。

「桃岩展望台」から見た姿からやや変形して見えますが、やはり背を丸めた猫に見えます。



上段の写真の撮影場所から更に南に進み、折返し地点に近い場所から見下ろした「猫岩」です。

この角度から見ると、もはや「猫岩」のイメージはありません。

何と! 「猫岩」には穴が開いていました。

写真で穴を見つけたので、掲載しました。



向こうに見える峰には長い上り坂が続き、その頂上付近からは「元地灯台」が見えてくると思われます。

雄大な景色でした。

上り坂が始まる手前には右に分岐して進む歩道があり、断崖の手前で終わっていました。

地図にある「折返し地点」辺りです。



上段の写真で、向こうに見える峰の頂上付近を拡大したものです。

頂上辺りや、左手の歩道を歩く大勢の人が小さく見えています。



写真の右手に突き出ている場所は、礼文島の東南端「会津ノ崎」です。

奮部[ふんべ]灯台も小さく見えていました。

右端に見えるのは、知床地区の建物と思われます。



「折返し地点」から来た方向を振返った景色です。

周辺には「イブキトラノオ」の美しいピンクの花がどこまでも咲き乱れていました。

向こうの峰の斜面の道は、上段の地図にある上の矢印辺りです。

桃岩展望台の駐車場からここまで約1時間、よく歩いてきたものです。


道のほとりに咲く「レブンウスユキソウ」を見かけました。

歌で有名なアルプスの「エーデルワイス」とそっくりです。

案内板にも書かれていましたが、歩道沿いにはたくさんの種類の高山植物が咲いていました。

たくさんの花々や、雄大な利尻山の景色の中を歩いていると、天国を散歩しているようでした。

北海道旅行No.25 礼文島「桃岩展望台」からの絶景

2010年09月23日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 13:50頃、礼文島の香深港FTへ到着、14:00過ぎ港近くでレンタカーを借りて出発です。

早朝に稚内を出発、利尻島の観光を終え、まだ日が高い礼文島での観光がスタートしました。



14:15頃、「桃岩展望台」の駐車場へ到着、夢のような利尻山の景色が見えてきました。

中腹にかかる雲が、利尻山の神々しさを演出しているようです。



駐車場の脇に「桃岩付近に咲く高山植物」と書かれた案内板がありました。

レブンアツモリソウ、レブンウスユキソウも名を連ねています。

■案内板の説明文です。
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桃岩付近に咲く高山植物
桃岩一帯は、礼文島の代表的なお花畑です。美しい高山植物が短い夏に一斉に咲き乱れ私達の心に感動を与えてくれます。また学術的にも希少価値の高いもので、昭和34年に北海道文化財の指定区域になっております。植物等を採集すると罰せられますので、皆さんの温かい心で大切に保護しましょう。
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■花の案内板の脇に、桃岩付近でおこったアイヌの戦いが紹介された案内板がありました。
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アイヌ戦争 桃岩物語
 今から約三百年前日高東部蝦夷と日高の国沙流の酋長オニビシとの間に漁猟場奮争に因を発し、これに当時アイヌに対する松前藩の失政と和人の抑圧が更に原因を誘発して、南の島原の乱につぐ北の大乱として天下を騒がせたシャクシャイン事件が起こった。
 当時、アイヌ軍の勢力はすざましく、各地で交易船を襲い多数の和人を殺害し一時は松前藩も危なくなったが、奸計によってシャクシャインが討たれてから叛乱は、ようやく鎮圧された。
 だが、すべて平定されていた訳ではなかった。このシャクシャインに組して和人二十有余人を殺した磯谷アイヌ五十~六十人がルイシン(利尻)に押し渡り皆殺しにするというのを利尻のアイヌが助けを求め三十両の賞金を出してやってことなきを得たが、磯谷アイヌは、この余勢をかって礼文にも押し入ってシャクニンコタンを制圧した。これを知った強族香深井アイヌ一族の酋長ワカインは次の襲来を予期して一族を結集、この磯谷アイヌを先制攻撃することになった。
 香深井アイヌ軍は、地勢をよく知っているので、カフカイ川上流より峰を辿って背後より尺忍の拠点を討たんと軍を進めた。一方磯谷アイヌ軍も、これを察知して防戦、拠点を桃岩付近に置きここにたてこもった。
 桃岩付近で両軍必死の抗戦を続けたが、精悍勇壮な香深井アイヌ軍は遂にこれを攻め寄せてこの天敵を討った。この時、松前藩との和睦のため余市に行っていた宗谷アイヌ酋長セクランケと利尻アイヌ酋長ムシモンヘリンが帰って仲裁に入り今後は理由の如何を問わず、島に渡島しないことなどの条件で一物も得ず、残党だけは釈放され、島内は再び平和に復したと言う。
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江戸時代初期、アイヌが蜂起した歴史的事件「シャクシャインの戦い」にまつわる事件だったようです。

磯谷アイヌは、北海道南西部の蘭越町[らんこしちょう]辺りの人達で、和人との接触が多い地区だけに和人への反感が特に強かったものと思われます。

反面、接触が少なかったためか、宗谷地区や、道東地区のアイヌは蜂起に参加せず、利尻島では、交易相手の和人を助命するため磯谷アイヌへ三十両もの大金を負担をしたようです。

この「桃岩物語」は、アイヌ同士の戦いですが、時代に苦悩する人々の物語でもあったのかも知れません。



利尻島と、礼文島周辺の地図です。

利尻島の鴛泊港から礼文島の香深港へ渡り、さっそく島南部の観光を始めました。

「花の礼文島」といわれる島の景色は、南東方向にそびえる利尻山の景色が重なり、一層美しさが増すようです。

「礼文岳」の南に「カフカイ」の名が見えます。

アイヌ戦争の「香深井アイヌ」は、香深港から北へ約5Kmにある集落の人達だったと思われます。



礼文島の香深港から桃岩付近の地図です。

今回は、トレッキングコース「桃岩コース」の内、③桃岩展望台の駐車場から④桃岩展望台までの景色を紹介します。

桃岩展望台の駐車場まで車で走った道は、とりあえず①香深港から島の西岸へ向う途中の「桃岩トンネル」を目指します。

さらに「桃岩トンネル」の数百メートル手前から右に分岐し、トンネルの上の山を通る道を上って来ました。

香深港の北にアイヌ戦争の香深井アイヌ軍の地「カフカイ(香深井)」の名が見えます。

又、「香深港FT」の南に「尺忍」の地名があり、「磯谷アイヌ」が制圧した「シャクニンコタン」の集落と思われます。



「桃岩展望台」へ上る坂道のそばに白い大きな「エゾニュウ」の花が咲いていました。

今回の北海道旅行で、よく似た白い花を各地で見ましたが、なかなか見分けがつきません。

花の下の白い花びらのようなもの見えますが、開花前には白い大きなツボミの袋だったものです。

トレッキングコースの左手には利尻山のある素敵な景色が続きます。



「桃岩展望台」へ上る坂道は、天国の様な景色で、感動しながら歩いたのを今でも思い出します。

草原には「イブキトラノオ」の可愛いピンクの花が群生しています。

白い花もある「イブキトラノオ」は、「伊吹虎の尾」とも書くようで、この可愛いピンクの花には何とも気の毒な名前です。



白い「エゾニュウ」の花が咲き乱れる「桃岩展望台」への坂道から北東の方向を見下ろした景色です。

赤い屋根のある駐車場から続く坂道を上って来る人が見えていました。

桃岩から下るこの一帯で「アイヌ戦争 桃岩物語」の壮絶な戦いがあったのでしょうか。



14:30頃「桃岩展望台」に到着、奥には「桃岩」の案内板がありました。

案内板の向こうに「桃岩」が見えていますが、てっぺんが少しデコボコで、桃の形ではありません。

ここ東側から見る「桃岩」は、桃の形には見えないようです。

■案内板の説明文です。
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桃岩
 桃岩は、礼文島の地層では比較的新しい時代にできたもので、地下のマグマが地表部を押し上げ冷やされながら球状の巨大な岩体に成長したものです。表面にはタマネギの皮のような球状節理(板状節理)が取り巻き、表面のはがれ落ちた内部には、表面よりゆっくりと冷えていく速度の違いから柱のような柱状節理が見えます。
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「桃岩展望台」から見下ろすと、断崖の下に島の西海岸が見えてきました。

駐車場の向こうには、海岸に突出た「桃台猫台展望台」があります。

向こうの海の中には背中を丸めて座っているような猫岩が見えています。



海岸近くの「桃台猫台展望台」から見た南西方向からの「桃岩」です。

桃の形をした巨大な岩山がそびえ、裏から見る姿とは全く違います。

「桃岩」の右手の断崖の上が、「桃岩展望台」です。



トレッキングコースを進み、南東方向から見た「桃岩」です。

桃の上の尖った部分も見えています。

「桃岩」は、見る角度でまったく違う姿でした。



正面の道は、「桃岩展望台」から南に向かう桃岩コースです。

桃岩コースは、ここから「元地灯台」まで約60分、更にそこから礼文島南端付近の「知床」まで40分かかるようです。

この写真は、帰りの16:00頃に撮ったもので、利尻山にかかる雲が大きく減っているのが分かります。

油絵「倉敷川の風景」

2010年09月20日 | 妻の油絵

妻の油絵「倉敷川の風景」(F20号)です。

久しぶりの風景画です。

まだ観光客のまばらな朝、倉敷川の水面に映る「倉敷館」が気に入り、描いたものです。

「倉敷館」は、倉敷美観地区の中心にある観光案内所で、休憩所としても何度か利用させて頂きました。

周囲には、白壁の蔵屋敷、柳並木、石造りの太鼓橋「中橋」など江戸時代の雰囲気が漂う中で、緑の塔がそびえるこの洋館は、不思議に周囲の風景になじんで見えます。

■「倉敷館」の建物の案内板が玄関の近くにありました。
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倉敷館の由来
この地は、江戸時代の庄屋植田氏の屋敷地であり、天保12年(1841年)ここ一に村会所が設置された。
明治以後は、そのまま村役場となり、現在の木造洋風建築は倉敷町役場として大正5年(1916年)着工、翌6年に竣工され、昭和3年(1928年)の市制施行以来市役所として昭和7年まで使用された。
昭和45年にこの建物を改修し翌46年倉敷館として一般に公開した。昭和54年この地区は国より重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成10年(1998年)当倉敷館は、国登録有形文化財として登録された。
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北海道旅行No.24 利尻島鴛泊港から礼文島へ

2010年09月18日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 12:20頃、利尻島最後のスポット「富士野園地」を出発、レンタカーを返却して鴛泊港へ送って頂きました。



12:30頃、鴛泊港フェリーターミナルへ到着、待合室で余裕の時間を過ごしました。

売店の壁の上に美しい姫沼と、利尻山の写真があり、記念に撮影したものです。



待合室の壁に利尻島の主要な観光スポットの写真が掲示されていました。

それぞれの場所に、季節や、時間帯ごとの美しさがあるものです。

旅行の想い出に撮って帰りました。



これも待合室にあったもので、サイクリングロードに咲く花の案内板のようです。

下にピンクのエゾフロウもあります。

レンタカーの迎えで、見ていませんでしたが、島に着いた時に見るべき案内板でした。



これも待合室にあった利尻山登山の「ルート状況」です。

山登りの人にはうれしい情報板のようです。

いつか再訪し、今度は利尻山へ登りたいと思います。



12:50頃、礼文島の香深港行きのフェリーが入港してきました。

向こうには、ペシ岬がそびえ、白い灯台が見えています。



ハートランドフェリーのサイトで見ると、この船は「サイプリア宗谷」のようです。

全長 95.70m、旅客定員600名と大きなフェリーです。

9時過ぎ、野崎展望台から鴛泊港へ入港する船がこのピンクと、紺色の「サイプリア宗谷」だったので、今日は2往復目の入港だったようです。



ピンクが印象的な、ダイナミックで、動きのあるデザインです。

ハートランドフェリーでは「サイプリア宗谷」の他、2隻の色違いの船がこの航路を運航しているようです。

3連休の前日金曜日で、この後にたくさんの観光客が降りて行きました。



12時頃から乗船が始まり、12:10予定通り礼文島の香深港へ向けて出発です。

この船には、後方にもう一つの入口が見えますが、使われていませんでした。

礼文島から帰る時には二つの入口が使われており、ここでは乗降客が少ないためなのでしょうか。



礼文島と、利尻島の地図です。

赤い点線は、鴛泊港から香深港への航路をイメージした線を描いてみました。

所要約40分の航行で、船上から利尻島や、礼文島の景色が楽しめます。



出航して約30分、デッキに出ると船の前方に礼文島が見えて来ました。

細長い島で、香深港の北辺りと思われます。



利尻山の雲が晴れていないかと、確認すると期待通りでした。

船の左舷後方の波の向こうには、頂上がくっきりと見える利尻山が見えてきました。

神々しさを感じる利尻山に感動です。



船の左舷前方に礼文島の南端辺りが見えて来ました。

名峰利尻山を見ながら歩く、花の咲く桃岩コースは、あの辺りでしょうか。

見え始めた利尻山に元気づけられました。

北海道旅行No.23 利尻島「富士野園地」

2010年09月17日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 12時過ぎ、「大磯駐車場公園」を出発、利尻島の観光も終わりに近づき、レンタカーの返却や、鴛泊港発13:10のフェリーを気にしながら走っていました。



「富士野園地」入口付近に「利尻十六景スタンプラリーの案内板」があり、向こうには頂上を雲に覆われた利尻山が見えます。

案内板には「夢みる山 なおも 気高い理想 追い」と書かれ、ここは「十四景」のようです。



利尻富士町鴛泊富士野にある「富士野園地」付近の地図です。

利尻島最北端の「富士岬」と、「夕日ヶ丘展望台」に挟まれた海岸にはポンシモリ島が浮かんでいます。

「富士野園地」から終着地「鴛泊港」までは、道々105号を東に2~3Kmの場所です。



「富士野園地」の西側に小高い場所があり、展望台になっているようです。

季節によればこの草原に花が咲き乱れるようですが、、ご覧の通り花はほとんど見当たりません。



エゾカンゾウの花が咲く「富士野園地」の写真です。

帰りに、鴛泊港のフェリー乗場の待合室に展示されていた写真を撮らせて頂いたものです。

観光案内の資料で、「富士野園地」では6月中旬~7月中旬にエゾカンゾウが咲き誇るとあり、期待して来ましたが、終わっていました。



海岸に近づくと独特の形をした「ボンモシリ島」がありました。

「ボンモシリ」とは、「利尻島郷土資料館」のアイヌ語資料によると「小さな島」の意味だそうです。



「ボンモシリ島」の左手をズームで撮った写真です。

島にはたくさんの海鳥が住んでいるようです。

ここにも海鳥の小さなコロニーがありました。



ズームで撮った「ボンモシリ島」の頂上付近です。

この辺りには海鳥は少ないようです。

高い場所は、天敵の目に入り易く、低い場所は、波にさらわれ、海鳥の生活も厳しいようです。



断崖の下に広がる海にはたくさんの海藻が生えていました。

これは、全部利尻昆布になるのでしょうか?

「仙法志御崎公園」の海岸でも同じ光景を見ましたが、利尻島に来て初めて、北の海の豊かさを知りました。



東の海岸に標高52.2mの「夕日ヶ丘展望台」が見えます。

緑の草原が続く緩やかな稜線と、荒々しい断崖が印象的です。



ズームで撮った「夕日ヶ丘展望台」の頂上付近です。

柵が続き、柱のそばに見物する二人の人影が見えます。

時間の余裕があれば、登ってみたい山でした。



海岸を離れて帰ろうとした時、足元に可愛らしいピンクの花を見つけました。

葉や、花の姿からフウロソウ科の花のようで、帰りに見たフェリー乗場の待合室の写真にあった「エゾフウロ」かも知れません。

利尻島では、目につく花に出会いませんでしたが、最後に想い出に残る花に出会いました。

北海道No.22 利尻島「大磯駐車場公園」付近の景色

2010年09月16日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 11:50頃、前回掲載の庭に大岩がある家を出発、利尻島最後のスポット「富士野園地」を目指して走っていました。



利尻島北西部にある「大磯駐車場公園」(下段の地図を参照)から約1Km西の景色です。

利尻山の山裾が広がり、所々に岩が見られます。

利尻山の頂上には雲がかかっていますが、裾野から次第に晴れているようです。



上段の風景の場所から少し西に走った辺りの景色です。

道路左手に海岸が広がり、水平線の向こうに礼文島と思われる島が見えて来ました。

かすんで見えづらい写真ですが、意外に小さい姿です。

これまで利尻山に気を取られてしまい、利尻島から見た初めての礼文島です。



利尻島の地図です。

右下に礼文島との位置関係を見る地図を挿入しています。

赤丸印「大磯駐車場公園」と、「栄浜」の間の点線は、東の利尻富士町と、西の利尻町との境界線です。



利尻山が少し晴れはじめたようなので、通りがかった「大磯駐車公園」へ立寄りました。

「日時計」と、案内板があり、利尻山が望めます。

頂上は、まだ見えませんが、中腹の残雪が見えています。



ちょうど12:00に撮った日時計の写真です。

文字盤には、ローマ数字で、vi vii viii ix x xi xii xiii xiv xv xvi (6~16)が表記され、日影の手前部分が xii 辺りを指し、誤差はあるものの、ほぼ標準時間のようです。

滋賀県大津市「近江神宮」(2009年01月24日掲載)にあった精密日日時計を思い出しました。

日時計は、経度と、季節により、標準時間との差異が生じますが、「精密日日時計」は、差異を補正して標準時間を確認するもので、興味のある方は上のリンクから「近江神宮」の記事をご覧下さい。

■日時計の案内板を転記します。
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日時計の歴史
 人類が農耕生活を始めて最初に知ったことは「四季の変化」であろう。
 太陽を始め天体の動きから、日々の変化や季節を知るようになったと思われる。人類最初の時を知るための道具「時計」は多分「日時計」であったと思われる。それは人類が最初に手にした科学的な装置だったと言えるだろう。
 この公園に設置した日時計は、古代文明から永い時を越えて現在のデジタル時計時代の機能本位ではなく、自然に対して素直な気持ちを持たせ、人間生活に潤いを与えてくれるモニュメントとして製作しました。
 しばらくの間、古代人のロマンそして自然の時の流れを楽しみながらご鑑賞下さい。
  稚内土木現業所
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利尻山を眺めていると、雲間から頂上が見えて来ました。

しかし、一瞬のことでした。

結局、利尻島の一周では美しい利尻山が見られませんでした。

北海道旅行No.21 利尻島ウミネコのコロニー

2010年09月15日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 11:27「寝熊の岩・人面岩」を出発、鴛泊発13:10のフェリーまで時間が少なくなってきました。

予定していた利尻山中腹の「見返台園地展望台」までのドライブを取止め、最後の「富士野園地」をめざして走っていました。



沓形港付近を過ぎ、島の北西部を走っていると、広い草原の先におびただしい数のカモメや、ウミネコが飛び交っているのが見えて来ました。
(カモメと思っていましたが、レンタカー会社の人からウミネコも混じっていることを聞きました)

路肩に車を止め、ちょっと見物です。



カモメや、ウミネコを見つけた場所から少し後方(南)の草原に牧場の建物が見えました。

草原一帯に家畜が見当たらず、建物の様子から見ても今では使われていないようです。

道路脇には見慣れない頑丈そうな柵があり、放牧場だったことがうかがわれます。

向こうには利尻山のすそ野が見え、山の上部は相変わらず雲に覆われています。



利尻島の地図です。

たくさんのカモメや、ウミネコがいたのは西北の赤丸印A付近だったと思われます。

西南にある赤丸印「寝熊の岩」から北の鴛泊港まで約20Kmです。



道路脇の草原をよく見ると、小さな丘があり、カモメ・ウミネコはその周辺に集中しているようです。

とにかく、おびただしい数の海鳥が飛び交っています。

カモメ・ウミネコは、夏に利尻島で繁殖して冬には北海道から南下して越冬するようです。



道路に近い丘から右手を見ると岩の丘が見え、ここにもたくさんの海鳥たちがいました。

岩の丘の右は、亀が頭を持ち上げているように見えます。



岩の丘をズームで撮った写真です。

いくつかの岩が組み合わされ、亀の様に見えているようです。

これも火山活動で造られた自然の造形なのでしょうか。



亀の様に見える丘から更に右手(南)に利尻山のすそ野と、小高い山が見えます。

地図で調べると「ポン山」のようです。

この辺りの草原にもたくさんの海鳥が飛び交い、コロニーの範囲はかなり広いものでした。

島の観光を終え、レンタカーの返却の時に、たくさんのカモメいたことを伝えると「利尻島は、日本一のウミネコの繁殖地です。」と教えられ、驚いたことを今でも覚えています。



「ポン山」の辺りをズームで撮った写真です。

右手に小さくのぞいている山は、「小ポン山」と思われます。

旅行から帰って、準備で見た観光案内の本に「カモメのコロニー」の文字が記載されていることに気がつきました。

その本の地図には、ここ利尻町新湊ではなく、1~2Km北東の利尻富士町鴛泊大磯に記載されていました。

コロニーは、この場所以外にもう一か所あったのかも知れません。



利尻町新湊の「ウミネコのコロニー 」から1~2分走った辺りに大きな岩のある家がありました。

地図に赤い四角印のBの地点辺りです。

珍しい景色に車を止めて写真を撮らせて頂きました。

後方が海で、風光明美な場所と思われますが、空家のようにも見えます。



家の前にそびえている大岩です。

岩が棒状に割れ、六角形ではありませんが、柱状節理のように見えます。

庭造りで運んだ岩にしては大き過ぎるようで、岩のそばに家を建てたようにも思えます。

庭に柱状節理の自然石のモニュメントがそびえる家とは驚きです。

この珍しい風景に、しばし感心して眺めていました。



2008年5月、兵庫県北部の旅行で豊岡市の玄武洞で見た柱状節理の写真を参考までに掲載します。

太い六角形に固まった岩が一面に並び、たくさんの鉛筆を束ねた様な不思議な景色でした。



大岩がある家の前に小さな神社がありました。

後方に見える利尻山の雲が、すそ野から晴れて来ているようです。

赤や白に塗られていることが多い利尻島の鳥居ですが、この鳥居は自然の丸木のままの色です。

背景の利尻山や、鳥居に張られたしめ縄の白い紙垂[しで]が風にたなびく風景に神聖さを感じました。

北海道旅行No.20 利尻島「寝熊の岩」「龍神の岩」碑文の由来

2010年09月13日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 11:07「仙法志御崎公園」を出発、島の南西部にある「寝熊の岩・人面岩」を目指しました。

鴛泊を13:10出発のフェリーで礼文島へ渡る予定で、鴛泊港近くのレンタカーの返却まで残り1時間に迫ってきました。



「寝熊の岩・人面岩」のすぐ南に「北のいつくしま弁天宮」がありました。

海岸近くに黒々した巨岩があり、その上に赤い祠が建てられています。

この辺りの海岸は、道路の脇に小高い斜面が続く地形です。



南端近くの「仙法志御崎公園」から赤丸印の「寝熊の岩・人面岩」を目指して行きました。

「北のいつくしま弁天宮」や、「寝熊の岩・人面岩」は、海岸沿いの道路脇に並んでいます。

時間に余裕がなく「利尻町立博物館」の見学は中止しました。



路肩に車を止めて海に突き出した参道を進んで行きました。

赤い鳥居の手前に「北のいつくしま弁天宮」と書かれた丸木の看板があります。

■赤い鳥居の左手に案内板があり、祠の建つ大岩の由来が書かれているようです。
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 「龍神の岩」由来
 昔から古老の話によれば、大正の初期、ある日暮時、大沢より地鳴りをたてて下りて来る何物かがあり、それがこの大岩で消えたと伝えられ当時は吉凶何れかのお告げとして誰もが黙して語らず、
ある時、通りかかった修行者が、この大岩に祠を建てて信仰するよう宣して立ち去ったと云う。
 ここに、昭和五十四年北のいつくしま弁天宮の標識を建立、はじめて龍神の岩が広く世間に知られるところとなった。
 昭和五十五年元総理大臣三木武夫先生の揮毫による「龍神の岩」の碑を、
利尻町観光連盟が建立し、北のいつくしま弁天宮の守護神として一層信仰を深めるようになった。
  利尻町観光協会
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巨岩の上に立つ小さな祠です。

しめ縄の真白な紙垂[しで]が、赤い祠にくっきりと映えて神聖さを引き立てているようです。

祠の右手には、黒い石碑が建てられ、「龍神の岩」と、「三木武夫」の文字が刻まれていました。

案内板の説明では「元総理大臣三木武夫先生の揮毫[きごう]」とあり、筆の文字をそのまま石に刻んでいるようです。

徳島県出身の元総理大臣三木武夫氏が、利尻島の地域信仰「龍神の岩」に関わっているとは、ちょっと意外でした。



「龍神の岩」から北にある「寝熊の岩・人面岩」を見た景色です。

手前に黒く突き出した岩の先が「寝熊の岩」で、道路から一段下りた場所に展望台と、白い案内板が見えます。

向こうの黒い岩の上の中央付近に突出た部分が「人面岩」のようです。



道路から「寝熊の岩」の展望台と、海に横たわる「寝熊の岩」を見下ろした景色です。

「寝熊の岩」の看板と、その横に案内板があり、写真まで備え付けられています。



展望台の案内板の右手に「穴澗 寝熊の岩碑 松浦周太郎」と刻まれた石碑がありました。

「寝熊の岩」の案内板ではこの石碑は、「運輸大臣 松浦周太郎先生来島の際揮毫[きごう]」とあります。

調べてみると松浦周太郎氏は、地元選出の代議士で、当時は三木武夫氏(元総理大臣)が率いる派閥に属していたようです。

その後、三木内閣が終わった1976年(昭和51)に政界を引退、秘書の川田正則氏に地盤を引き継いだものと思われます。

後継の川田氏は、三木氏が「龍神の岩碑」を書いた1980年(昭和55)に再選を果たしており、これらの碑文は、自民党三木派人脈と利尻町との関係を記す歴史資料でもあるようです。

■展望台に「穴澗 寝熊の岩碑」の案内板があり、その説明文です。
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穴澗 寝熊の岩碑の由来
 この碑は昭和四十年五月二日時の運輸大臣 松浦周太郎先生来島の際揮毫されたものを、当地産の自然石に刻み建立したものであります。
 昔、この地に先住民族住居跡と伝えられる大穴澗があったが、道路工事のため埋没し、現在寝熊の岩だけが残っている。
 又付近には地区住民信仰篤き弁天宮があり、この碑の由来を託し永く後世に伝えるものである。
  碑文
穴澗 寝熊の岩
 運輸大臣 松浦周太郎
昭和四十年八月吉日建立
 利尻町観光協会
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「寝熊の岩」です。

岩の先端が「頭」で、上に突出た四角い部分が「耳」で、伏せている姿なのでしょうか。

何となく顔や体を横にして、手前に足を出しているようにも見えますが・・・。

上の案内板に「・・先住民族住居跡と伝えられる大穴澗があった・・」とあり、気になる一節です。

「大穴澗」とは、この海岸にあった大きな洞窟という意味でしょうか。

何かの資料で、極寒の地、宗谷では冬にアイヌの人々が洞窟で越冬したことが書かれていましたが、同様のものなのでしょうか・・・。



展望台に「寝熊の岩」の写真がありました。

「この岩のどこが熊なの?」と言いたいような写真に見えます。

実物の岩を見て感じたことが、この写真でかく乱され、まったく判らなくなってしまいました。



「寝熊の岩」の上の展望台から北の「人面岩」を見た景色です。

「人面岩」には綱が巻かれ、ハチマキをした頭に見えてきます。

周囲の岩場にはたくさんのカモメがとまり、白い糞が黒い岩の各所に見えます。



ズームで撮った写真に岩を見て感じた顔の部分を記してみました。

少し上を向き、右の横顔を見せているように見えます。



「寝熊の岩」の上の展望台にあった「人面岩」の写真です。

見る人によって顔の部分が違うようですが、これも利尻火山が創った芸術作品といえるのかも知れません。


北海道旅行No.19 利尻島「仙法志御崎公園」の動物たち

2010年09月11日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目、利尻島の南部南端「仙法志崎灯台」からすぐ数百メートル西にある「仙法志御崎公園」へ行きました。



「仙法志御崎公園」の駐車場の付近に立つ石碑です。

石碑のそばに利尻島スタンプラリーの案内板が見え、その向こうは曇が垂れこめてまったく見えませんが、利尻山がそびえているはずです。

■「仙法志御崎公園」の石碑に刻まれた文字です。
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利尻礼文サロベツ国立公園
仙法志御崎海岸  利尻町
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利尻島の美しいスポット16ヶ所をまわるスタンプラリーの案内板の写真です。

見えないことが多い利尻山の様子がこの写真で判り、少し見たような気分にさせてくれます。

■「仙法志御崎公園」にあった案内板です。
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「十六景スタンプラリー」
 五景
「立志の山」こころ 決めて 天に囁き
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利尻島のの南端、「仙法志御崎公園」付近の地図で、「仙法志御崎公園」の赤丸印のすぐ上に赤い石碑のマークがあります。

一番上の写真は、石碑の南から北方向を撮ったもので、その先には雲に隠れた利尻山があるという訳です。



駐車場から海岸にある「仙法志御崎公園」へ下りていく道です。

左手には土産店があり、その下には黒い奇岩の海岸が広がっています。



坂道を下ると北方向の海岸に向いて絵を描いている年配のグループがいました。

雲が晴れると海岸の上に利尻山が現れるはずで、それを待ちながら描き始めているものと思われます。

海岸の奇岩や、その先の漁港なども利尻山が現れると味わいのある風景になるのかも知れません。



坂道を下った左手の土産物店の前にアザラシの写真が大きく印刷されたエサの看板がありました。

アザラシの頭から顔にかけて白く、首から胴体には黒い斑点が見え、ゴマアザラシのようです。

看板の横には人慣れしたカモメが立ち、まったく逃げる様子はありません。

このカモメ、「自分にもエサをくれ!」と立っているのでしょうか?

■アザラシのエサの看板に書かれていた宣伝文です。
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アザラシのエサあります。 100円
近くまで寄ってきますよ~!

かわいいゴマちゃんのごはんはこちらで売っています。
 ⇒ (店の方向を指す矢印)
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天然の海岸を囲み、池が造られ、ゴマアザラシが飼われていました。

池の周囲は一周出来る遊歩道があり、磯の景色が楽しめます。

写真右上に取水口のようなものが見え、海水を引き込んでいるようです。

この自然に近い環境なら自然に近いアザラシが見えるものと期待しました。



中央の白い帽子の男性が、お椀に入ったエサを箸でつまんで投げようとしています。

二頭のゴマアザラシが水面から顔を出し、エサを待っていました。

横の見物客たちが、柵に足をかけて水面を覗きこむ格好も、又、おもしろいものです。



水面を泳ぐゴマアザラシです。

頭は黒で、胴体は、白にゴマが入っており、看板の写真のゴマアザラシではないようです。

ゴマアザラシ達は、エサのお椀を持つ人がいない時には水面に姿を現しませんでした。

見物客の行動を観察して学習したゴマアザラシたちがエサを得るための巧妙な作戦だったのかも知れません。

自然に近いアザラシを観察する施設と思っていましたが、観察されていたのは私たち観光客だったようです。



池の北側のすぐ近くにワニがこちらに迫っているような形の岩がありました。

池の周辺の海岸には奇岩が続き、遊歩道の散策も楽しいものです。

この辺りから島の東南部にかけての海岸は、約8,000千年前(縄文時代)に終わった利尻火山の噴火末期の溶岩地帯だそうです。

恐ろしい火山活動も北海道で最も美しい利尻山を造り、このような楽しい作品まで見せてくれることを考えると、改めて大自然への畏敬と、有難みを感じるものです。



池の周囲の海には驚くほどたくさんの海藻が揺らいでいます。

昆布と思われる海藻の幅は、2~5cmと、まだ小さいものばかりでした。

広い浅瀬にびっしりと生えており、これが全部大きな利尻昆布に育って売れると、儲かるのでしょうね。



帰りに通りがかった産物店の前の風景で、看板の横にいたカモメが、まだ道に立っていました。

カモメを撮るカメラにハチマキ姿のお店のご主人が微笑んでくれています。

お店の前で御主人と奥さんが座って作業していますが、カモメはそばを離れないようです。

まさかこの鳥は、ウミ猫で、ペット!?

■ハチマキ姿のご主人の微笑に感謝して、お店の入口に見えた看板をご案内します。
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余計な経費をかけずに漁師一家でやっています。
早煮昆布・丸特煮昆布・とろろ昆布 3袋で(組み合わせ自由) 1,050円!
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北海道旅行No.18 利尻島南端の「仙法志崎灯台」

2010年09月09日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目、利尻島の南部「南浜湿原」でも雲に隠れていた利尻山が現れることを期待しながら「仙法志崎灯台」へ向いました。



10:50頃、利尻島最南端の道路脇に立つ「仙法志崎灯台」までやって来ました。

8:30頃、鴛泊のレンタカー会社を出発し、約2時間20分経過です。

青いネットに覆われて昆布が干された広場があり、入口の立て札には「昆布の干場です 入るな」とあります。



利尻島南端「仙法志崎灯台」付近の地図です。

道々108号を分かれ、海岸線を進んで来ました。

「仙法志崎灯台」は、利尻島の最南端からやや西にありますが、この場所が標高が高いことから選ばれたのでしょうか。

今回の写真は、灯台近くの赤丸Aの場所、少し西にある赤丸Bの場所から撮ったものです。

灯台から西約1Kmには「仙法志御崎公園」があります。



ズームで撮った「仙法志崎灯台」です。

紅白の縞模様は、利尻島の東端「石崎灯台」や、ノシャップ岬の「稚内灯台」、宗谷岬の「宗谷岬灯台」と同じです。

「仙法志崎灯台」は、塔高は12.6mで、標高29mの場所に立ち、海から見ると高さは32m近くに見えるようです。

利尻島の東端に立つ塔高日本第7位の「石崎灯台」の塔高は32.23mで、標高の低い場所に立つことを考えると船から見る高さはさほど変わらないのかも知れません。



西の海岸沿いの道路脇(B地点)から撮った「仙法志崎灯台」です。

下の海岸は、小さな港で小さな漁船が見えます。

漁船の向こうの広場にも青いネットが敷かれ、ここでも昆布を干しているようです。



灯台の沖は、黒い岩の海岸です。

驚くほど波静かで、海面に岩影が映っています。

ここから昆布漁や、ウニ漁に出ているのでしょうか。



「仙法志崎灯台」の西にも黒い岩の海岸が続いていました。

道路の反対側の空き地に車を止めさせて頂き、灯台と、海岸見物をしました。



ズームで撮った下の海岸の景色です。

沖の黒い岩礁には白いカモメがとまっています。

この海岸にも漁船が陸に引き揚げられていました。

近所の各家に船があり、それぞれに船着き場を持っているようにも見えます。



道路の反対側の景色です。

建物の右手には漁具が置かれ、ここにも昆布が干されています。

こんな風景が続く利尻島の海岸の道は、まさに「昆布ロード」でした。

北海道旅行No.17 「南浜湿原」の「メヌウショロ沼」の景色

2010年09月08日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 利尻島の南部「オタドマリ沼」を後に、すぐ西の「南浜湿原」へ行きました。



「南浜湿原」にある「メヌウショロ沼」です。

北の「姫沼」、「オタドマリ沼」に続き、湖面に映る利尻山を見る最後のスポットでしたが、やはりここでも利尻山の無い景色になりました。

「メヌウショロ沼」の向こうにいくつかの峰が見え、それぞれ名称の下に「ポン山」が付いています。

「ポン山」は、アイヌ語で「小さな山」の意味だそうで、地図で「利尻山」を見ると周囲に見られます。



「南浜湿原」付近の地図です。

「メヌウショロ沼」は、周囲100m程度で、周囲約1.5Kmの「オタドマリ沼」よりだいぶ小さな湖でした。

又、駐車場も狭く、観光バスの観光客で賑わう「オタドマリ沼」と違い、湿原の静かな散策が出来るようです。



冒頭の写真の景色から左側の景色です。

雲が低くたれ込み、当分晴れそうにありません。

小さな湖面がとてもきれいに見えるこの「メヌウショロ沼」は、アイヌ語で「湧水池のある湾」の意味だそうです。



左手の見とり図には、道路脇の駐車場、「南浜湿原」の散策路が描かれています。

右手には「7月に咲く花」とあり、「ホロムイチゴ(実)」「カキツバタ」「ハイイヌツゲ」「ツルコケモモ(実)」、下段に「キソチドリ」「タチギボウシ」が紹介されています。



案内図の左手下に外来植物「オオハンゴンソウ」の黄色い花の写真と、説明文がありました。

「オオハンゴンソウ」は、観賞用に輸入され、全国に分布しているようですが、寒冷地・湿地での繁殖が旺盛で、在来植物に脅威となる植物だそうです。

日本全国で、民家の庭に咲く美しい花も、海外から多く輸入されており、もっと体系的に在来植物を守る対策が必要と思われます。

■案内板の「オオハンゴンソウ」についての説明文です。
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南浜湿原の歴史①~外来種「オオハンゴンソウ」~
利尻島にも数多くの外来種が確認されており、オオハンゴンソウ(北アメリカ原産)が文献等に見られるようになったのは1997年で、それほど古くから分布していたものではないと考えられています。湿原植生への影響が懸念され、駆除作業を始めたのは2001年からで、ここ南浜湿原では2005年から駆除作業を開始し、今では年間およそ3万本前後の駆除が、ボランティアの方々の手で行われています。
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案内板の右下にあった写真を拡大したもので、「メヌウショロ沼」に映る「利尻山」です。

残雪のある「利尻山」の美しい写真を見ていると、再訪してこの目で見たい気持ちが湧いてきました。

北海道旅行No.16 利尻島沼浦付近の景色

2010年09月06日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 利尻島鬼脇の「利尻島郷土資料館」を後に、地元のレンタカー会社に薦められたスポット「沼浦展望台」を目指しました。



鬼脇で、利尻島一周道路に面した大きな白い鳥居が見えたので、立寄ってみました。

堂々たる大きさの白い鳥居で、赤い屋根とのコントラストは北海道らしさが感じられます。

■鳥居の左手にあった案内板に「利尻富士町指定有形文化財」が紹介されていました。
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利尻富士町指定有形文化財
北見神社境内、北海道三景之碑、綱島貞助顕彰碑
昭和54年10月26日指定
 北見神社は、文政8(1825)年、場所請負人の藤野喜兵衛が漁場を開くのに伴い、
伊勢の御師に請願し建立されたといわれています。明治32年、北見神社として創立、
明治43年に村社となり、大正5年、現在地に遷座されました。
 北海道三景之碑は、大正12年、小樽新聞社が創立30周年と累号1万号を記念して北
海道名勝地三景を決めるため読者投票を行なった結果、利尻富士が56万票を確得して
第1位に輝き、その記念碑として翌13年建立されたものです。
 綱島貞助顕彰碑は、利尻島の水産業の発展改良や漁業組合設立などの功績を残した
綱島貞助をたたえ、昭和2年に建立されました。綱島は、天保11(1840)年、新潟県
で生まれ、明治4年、鬼脇に移住しました。漁業に従事しながら、明治19年創設され
た利尻郡漁業組合の初代頭取となり、その後鬼脇村総代として学校や病院の建設など
にも尽力した人物として知られています。
 平成20年8月
                     利尻富士町教育委員会
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北見神社の社殿です。

中央の屋根の上にツノのように千木[ちぎ]が見え、伊勢神宮の御師[おんし]が関わったことがうかがえます。

内地の各地から移り住んだ人々が、この神社を中心に心を合わせ、神社を守ってきたのでしょうか。

「北海道三景之碑」や、「綱島貞助顕彰碑」は時間がなく、確認できませんでした。



北見神社から約500m南に進み、セイコーマートを過ぎた左手に利尻昆布のお店がありました。

お母さんと娘さんとおぼしき店員さんから丁寧な説明を聞き、お土産の昆布を購入しました。

「なめこ」のような食感の「ミミコ」という海藻も購入、みそ汁に入れ、とてもおいしく頂きました。

最近、昆布を見ると利尻島の海岸に続く昆布干しの風景を思いだします。



「沼浦展望台」から利尻山の方向を見た景色です。

「利尻島郷土資料館」を出た時には見え始めた利尻山は、残念ながら再び雲の中です。

地元のレンタカーの人から、観光バスが通れない場所にある一番の推奨スポットと聞き、訪れたものです。

又、北海道土産「白い恋人」のパッケージにこの場所から見た雪の利尻山が使われていることも聞き、観光パンフレットの写真を見て納得しました。



「沼浦展望台」「オタドマリ沼」付近の地図で、南東方向からの利尻山が望めるスポットです。

「沼浦展望台」は、海岸近くの見晴らしの良い高い場所にあり、すぐ脇に駐車場がありました。



「沼浦展望台」にあった案内板です。

上に「十六景スタンプラリー」とあり、「八景」「雲湧く山」と書かれ、ここは十六景の八番目のスポットと思われます。

まさに「利尻山」は、雲に隠れた「雲湧く山」でした。

この案内板の下に小屋の形をした戸棚があり、記念スタンプが置かれているようです。



下を見下ろすと「オタドマリ沼」の駐車場に観光バスが並び、観光客で賑わっているようです。

利尻山が見えず、ガッカリです。



「沼浦展望台」から見た海側の鬼脇方向の景色です。

黒い岩だらけの海岸で、左手に「石崎灯台」が見えます。



中央付近に鬼脇ポン山が見える「オタドマリ沼」です。

相変わらず利尻山は、雲に隠れ、湖面も雲の色が映っています。

美しい利尻山の風景を期待してはるばる来たのに残念です。

■湖岸に「国立公園オタドマリ沼園地」の案内板がありました。
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 オタドマリ沼、三日月沼を含むこの周辺は沼浦湿原と呼ばれています。この湿原は、海の水際の爆発的な噴火で爆裂火口ができ、噴火のときの火山砕屑物がまわりを取り囲む丘を作り、そこにできた窪地に水が溜まり沼ができました。その後、この沼に植物が入ってきましたが、気温が低いなどの理由によりパクテリアの働きが不活発なため、植物が枯れても十分分解されずに堆積し、泥炭層が形成されて湿原になったものです。
 ここでは、針葉樹の中でもより厳しい環境に耐えられるアカエソマツが湿地性の群落をつ<り、初夏にはカツコやツツドリの声も旭<ことができます。
 オタドマリ沼の周囲には、7日初旬エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメなとが咲き誇り、沼を一周する遊歩道は、距離約1.1キロメートル、所用時間はおおむね20分です。
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パンフレットにあった「オタドマリ沼」からの景色です。

夢のようなこの景色は、ついに見られませんでした。



湖に突き出た木道から見渡すと、たくさんの水鳥が浮かんでいました。

「利尻島郷土資料館」の解説シートによると「オタトマリ」は、アイヌ語で「砂浜のある入江」の意味だそうです。

水鳥たちは、入江の奥の波おだやかなこの湖で羽を休めているのでしょうか。



近くの湖面に白い水草の花が咲いていました。

スイレンの花でしょうか。

一部の葉は、水面から立ちあがっており、「コウホネ」かも知れません。

北海道旅行No.15 利尻島郷土資料館

2010年09月02日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目 9:40、利尻島鬼脇の「利尻島郷土資料館」を目指して走って行きました。

最北の離島の一つ「利尻島」の暮らしや、歴史が見られると、楽しみに訪れたスポットです。



島の一周道路から「利尻島郷土資料館」方面に右折したところです。

右手に郵便局があり、次の路地を左折すると「利尻島郷土資料館」です。

正面には利尻山がそびえているはずですが、ほとんど雲に隠れています。

まだ見ぬ利尻山に気持ちがつのります。



「利尻島郷土資料館」の正門前で、駐車場を背にした景色です。

赤い屋根と、白い壁がちょっとまぶしい洋館風のレトロな建物でした。

どっしりした太い門柱にも風格が感じられます。



玄関を入った横の壁にこの建物の昔の写真が展示されていました。

「利尻島郷土資料館」の建物は、大正時代に建てられた「鬼脇村役場庁舎」だったようです。

後方に利尻山の頂上が見え、屋根や、壁の色は、現在と違い、大正、昭和初期の雰囲気が漂っているようです。

■写真の横にあった説明文です。
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利尻富士町指定有形文化財
  昭和54年10月26日指定

利尻島郷土資料館(旧鬼脇村役場庁舎)
大正2年、鬼脇村役場庁舎として新築され、昭和44年に鴛泊に新庁舎が建てられるまで使用されていました。昭和48年からは、郷土資料館として再活用され現在に至っています。
建物は、木造平屋、寄棟屋根形式で、建物正面のやや左寄りに玄関のある洋風建物です。また、屋根の棟の両端には矛状の棟飾り、玄関の上部には鬼板が飾られています。平成13年・14年には全面的に補修を行いました。
  利尻富士町教育委員会
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向って左は「モッコ」と呼ばれる道具で、大量に獲れるニシンを背負って運んだようです。

向って右の道具は説明がなく、不明です。

中央の鉄製の器具は、ニシンを絞り、ニシン粕を作るもののようです。

ニシン粕は、北前船で西日本各地に運ばれて、肥料として重宝されたことを聞いたことがあります。

道具→器具→機械→装置と発展した現代、船で運ぶ大量のニシン粕を人手を使って作ったことを考えると気が遠くなるようです。

■道具の上に掲示されていた説明文です。
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ニシン粕胴(丸胴)
ニシン釜で煮たニシンを入れ、上からジャッキで圧力をかけ締める道具です。余分な油・水分をしぼり出し、残った粕は良質な肥料であるニシン粕となります。集めた油は、石けんや燃料に利用されました。
鉄製の丸胴以前は、木製の角胴が使われていました。 [採集地:本泊]
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玄関付近に遺跡の場所が地図に記された「利尻島の遺跡」という展示がありました。

後で見た展示室には「利尻富士町役場遺跡」で出土した石器・骨器・土器などがたくさん展示され、この地図で見ると、その場所には遺跡が集中しているようです。

利尻島の遺跡の多くある場所は、西の沓形岬の周辺に8ヶ所が分散してある他、鴛泊港周辺に9ヶ所が集中して見られます。



上段の地図から鴛泊港周辺を拡大してみました。

⑨の「利尻富士町役場遺跡」は、⑬ペシ岬灯台遺跡から南西端の⑥栄町キャンプ遺跡まで直線的に並ぶ遺跡群のほぼ中央付近にあることが分かります。

■「利尻富士町役場遺」の出土品に展示されていた説明文です。
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利尻富士町役場遺跡
利尻富士町役場遺跡は、旧役場庁舎を中心とした鴛泊港をのぞむ段丘の先端に位置しています。発掘調査は、面積約75㎡を対象に平成6年5月から6月にかけておこなわれました。
その結果、役場遺跡が営まれた時代は、いまから約1,500年ほど前の続縄文文化ならびにオホーツク文化期であることがわかりました。オホーツク文化とは、サハリンから北海道東北部の沿岸地域に発達した独自の融合文化です。特色としては海獣猟や漁撈、ブタやイヌを飼育し、鉄や石、骨を素材とした道具を使い、遠く中国大陸の国々との交易もさかんにおこなっていたことがわかっています。
ては、調査によって遺跡からはどんなようなものがみつかったのでしょうか。まず、小さな穴が16ヶ所、石をならべた浅い窪み(燻製などをつくるための施設)が2ヶ所見つかりました。さらに、鈴谷式土器やオホーツク式土器とよばれる土器や石鏃(石のやじり)、動物解体用のナイフなどの道具も出て来ました。また、当時の人びとが食用としたニシン、ホッケ、アシカ、オットセイなどの骨もたくさんみつかっています。ただし、人々の住まいであった竪穴式住居跡は発見されていません。すてられた土器や石器、骨角器、動物の骨などの発見により、当時の人びとが漁撈を生業にし道具をつくり、いかに日々の生活を送っていたかがうかがえます。小さな範囲でしたが、利尻富士町はもちろん利尻島全体の歴史を考えるうえでも貴重な成果が得られました。
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「利尻富士町役場遺跡」の場所を地図で見ていると「利尻山」(標高1721m)と、その北にある中腹の峰「長官山」(標高1218.3m)が、遺跡と直線で結ばれることに気が付きました。

等高線で見ると「利尻山」、「長官山」はほぼ左右対称の山で、「利尻富士町役場遺跡」から見ると二つの三角隆起が整然と上下に並んで見える場所と推察されます。

井上香都羅著「古代遺跡と神山紀行」によると左右対称形の山を「神山」と崇める信仰は、大陸にも共通に見られ、旧石器時代にさかのぼるとし、同氏著「銅鐸祖霊祭器説」には左右対称の山の手前に小三角隆起が見える山も神山信仰に多いタイプとされています。

「利尻富士町役場遺跡」は、約1,500年前から600~700年続いた遺跡で、近くの旧石器時代の「栄町キャンプ遺跡」とあわせると非常に長い時代の生活の場であったと思われます。

人種が違う可能性の高いこれらの人々の生活が、神の山「利尻山」が最も神聖に見えるこの地域で、長く続いていたことは、原始から続く神山信仰によるものかも知れません。



「利尻島郷土資料館」を出て、振り向くと雲間から利尻山が見え始めていました。

雄大にそびえる山の斜面に残雪がくっきりと見え、うれしくなってきました。