昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.6 釧路湿原「温根内ビジターセンター」

2011年06月26日 | 北海道の旅
北海道旅行2日目6/4(土)13:30頃、釧路湿原の西岸にある「温根内ビジターセンター」へ到着しました。



「温根内ビジターセンター」の前の案内板にあった釧路湿原の地図です。

湿原の見学スポットの名称と、まわった順を1から4までを書き加えています。

湿原北西の「コッタロ湿原展望台」から「冷泉橋」を回り、再び西岸に戻り「温根内[おんねない]ビジターセンター」へやってきました。

湿原の中央付近にある斜線部分は、「ラムサール条約登録地」で、その周囲の濃い緑のエリアは「釧路湿原国立公園」です。



道道53号線沿いの駐車場から「温根内[おんねない]ビジターセンター」へ向かう入口です。

道路のある少し高い場所の駐車場から湿原横の建物まで木道の階段を下って行きました。



「温根内ビジターセンター」へ向かう道端に白い花が咲いていました。

「オオバナノエンレイソウ(大花延齢草)」のようです。

初めて見る花で、白い三つの花びら(花弁)と、花びらの間に細い萼[がく]がのぞき、花の下には団扇のような葉、三枚が付いており、三枚・三階層の珍しい構造です。

調べると、「オオバナノエンレイソウ(大花延齢草)」は、意外にもユリ科の植物でした。

山ユリなどは、花びら6枚の内、やや幅の細い3枚は萼[がく]とされ、残り3枚が花弁で、「オオバナノエンレイソウ」と同じ構造と説明されています。

確かにツボミの時には3枚の萼[がく]に包まれているようです。

しかし、ラッパにも似たユリの花と、この花が親戚とはやっぱり信じられない気持ちです。



「温根内ビジターセンター」の建物です。

この一帯の湿原の散策を案内する施設で、館内の見学は無料でした。

建物の左右に道は分かれ、向かって右が「釧路市湿原展望台」につながる「釧路湿原探勝道路」、向かって左は温根内湿原を散策する木道です。

向かって右の「釧路湿原探勝道路」は、昭和4年頃、釧路から鶴居村を結んだ馬ひきトロッコ列車「植民軌道雪幌線」の軌道敷跡だそうです。

平坦な線路なら馬でも連結したトロッコを牽くことが出来るようで、歴史過程を感じさせるよく考えられたアイデアです。

昭和43年には廃線となったようで、今では北海道自然歩道の一部にもなっているようです。



「温根内ビジターセンター」の正面の案内板に冒頭の地図と並べてあった、周辺の遊歩道の地図です。

西岸に沿って「釧路湿原探勝道路」が真直ぐ南に延び、付近を散策する木道が整備されていました。



「温根内ビジターセンター」に入ると釧路湿原の案内地図があり、下のスポット名称のボタンスイッチを押すとランプが点灯するものでした。

地図の上に新聞の切り抜きが掲示され、新聞記事の地図の部分を拡大表示しました。

新聞切抜きは、北海道新聞 2002年(平成14年)6月26日(水曜日)の記事で、タイトルは「なるほど釧根」「釧路町の地名はなぜ難しい?」とあります。

記事の中には、釧路市から東に約20Kmの「尻羽岬」までの道道142号に沿ったエリアの地図と、読みづらい12ヶ所の地名が掲載されていました。

釧路から東の道道142号は、日本有数の難読地名ラインのようです。

■新聞記事の難読地名です。チャレンジしてみて下さい。
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1 又飯時、2 来止臥、3 十町瀬、4 浦雲泊、5 跡永賀、6 初無敵、7 入境学、8 賤夫向、9 分遣瀬、10 老者舞、11 知方学、12 仙鳳祉
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■記事の一部です。
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道内出身者でも釧路町の地名は読めない人が多いという。
難しい漢字の地名が釧路町に多いのは一体なぜだろう。
北海道の地名の多くはアイヌ語からきていることは周知の通り。その多くはアイヌ語の意味を大切にするため、読みに合わせた漢字を当てている。
釧路町と十勝管内足寄町に「キトウシ」という地名がある。「キト」はアイヌ語で「行者ニンニク」、「ウシ」は「群生」。
つまり「行者ニンニクがたくさんある場所」という意味だ。しかし、足寄町の「キトウシ」は「喜登牛」と比較的読みやすいのに、釧路町は「来止臥」と難しい。
釧路町の「入境学」(ニコマナイ=川じりに流木の集まる川)にも言える。
似た読み方として札幌の「真駒内」を例に取ると、「川」を意味する「ナイ」を「内」とするのは読みやすいが、「入境学」は「学」を「マナイ」と読ませている。
 なぜ釧路町はこ人なにも難しい漢字そ当てた地名が多いのか。
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■回答 難読地名の読み方
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1 又飯時[マタイトキ]、2 来止臥[キトウシ]、3 十町瀬[トマチセ]、4 浦雲泊[ポントマリ]、5 跡永賀[アトエカ]、6 初無敵[ソムテキ]、7 入境学[ニコマナイ]、8 賤夫向[セキネップ]、9 分遣瀬[ワカチャラセ]、10 老者舞[オシャマッポ]、11 知方学[チホマナイ]、12 仙鳳祉[センポウシ]
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この地名の文字を考えた理由には諸説があるようで、もっと難解なようです。

又、この新聞の発行日は、2002年6月26日で、9年間もここに貼ってある理由もさらに難解です。



「温根内ビジターセンター」横の木道です。

建物から出ると、霧と冷気が漂いはじめ、軽装では寒くなってきたので少しだけ歩いてみました。

■木道の脇にあった案内板です。
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温根内周辺の植生
温根内の周辺は、ヨシ・スゲ湿地(低層湿原)、ミズゴケ湿原(高層湿原)、ハンノキ林、丘陵地の林などで成り立っており、釧路湿原の主な植生を観察できます。
これから先の図鑑にそれぞれの説明がありますので、参考にして下さい。
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案内板には「やちまなこ」、「やちぼうず」の説明があり、以下に記します。



案内板に「やちまなこ」の図と、説明文がありました。

■「やちまなこ」の説明文です。
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やちまなこ
ヨシ・スゲ湿原の中に、小さな水面がぽっかり開いているところがあります。これは「やちまなこ(谷地眼)」とよばれています。「やち」は湿地をいい、水面が光る様が瞳のようなところからその名がついたと言われています。
水面の大きさに比べて、水深は深く、横から見ると図のように口のすぼまった壺型になっていて、夏には水草類で水面が隠れることもあり、湧水[ゆうすい]など水の流れと泥炭[でいたん]との関係で様々なものができます。
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案内板のあった木道のすぐ脇に「やちまなこ」とおもわれる池がありました。

湧水があるようにも思える水のきれいな池でしたが、図のような深さでは木道を造るにも苦労があったと思われます。



案内板に「やちぼうず」の写真と、生育過程の図や、説明文がありました。

写真を見ると蓑[みの]を着た秋田の「ナマハゲ」をイメージします。

■「やちぼうず」の説明文です。
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やちぼうず
丘陵に誓い沢地ハンノキ林に、写真のようなものがたくさんみられます。
これは「やちぼうず(谷地坊主)」と呼ばれ、スゲ類等の株が図のような過程でてきたものです。いろいろな生き物のすみかになっています。
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「釧路市湿原展望台」の建物です。

高台に造られたこの施設からは、湿原を眺望できるようです。

濃い霧と、冷気が立ち込めて、とても湿原を展望したり、散策する気になれなくて、入館を止めました。

修学旅行の生徒たちを見かけましたが、先生に連れられて湿原に歩いて行ったようです。

濃い霧の中の湿原散策は、印象深い想い出になったものと思われます。

■「釧路市湿原展望台」の建物のそばに釧路湿原の案内板がありました。
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釧路湿原国立公園
釧路湿原国立公園は、わが国の湿原総面積の6割におよぶ広大な釧路湿原を中心に、その周囲の丘陵と湖沼を含み、釧路市・標茶町・釧路町・鶴居村にまたがる26.861ヘクタールの面積を有しています。
ハンノキの木立を点在させたヨシの草原と蛇行する河川などがおりなす広大な水平景観、その中に見られる動植物のさまざまな営みと原自然の保存度の高さは、わが国では他に類例がない特異性をもっています。
湿原の主要部分は、ラムサール条約により水鳥の生息地として国際的に重要な湿地の指定・登録を受け、国際的にも重視されています。
このかけがえのない自然を私達の大切な財産として永遠に保護するとともに、その特性を生かした利用を図るために、昭和62年7月31日わが国28番目の国立公園に指定されました。
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上段の案内板と並んで、周辺の散策路の案内図がありました。

図の上部には「温根内ビジターセンター」から続く「探勝道路」が見え、かつては馬ひきトロッコ列車が走る風景が見られたと思われます。

■湿原展望遊歩道の説明文です。
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湿原展望遊歩道(北斗展望台園地)
この歩道は一周約2.5キロメートルあり、だれでも軽装で気軽に釧路湿原を展望・観察できるように大部分が木道になっています。いざない広場からサテライト展望台までの右回り約15キロメートルは、車椅子でも行くことができます。
遊歩道途中の各広場には、釧路湿原に関する様々な解説があり、一周することによって湿原の特徴を理解できるようになっています。あおさぎ広場・サテライト展望台・タンチョウ広場からは、雄大な釧路湿原の四季折々の変化を見ることができます。
管理 釧路市・(社)釧路観光協会
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北海道旅行No.5 釧路湿原 釧路川河畔に舞い上がる丹頂鶴

2011年06月23日 | 北海道の旅
北海道旅行2日目6/4(土)、阿寒湖近くの「滝見橋」を後にして釧路湿原の北部西岸にある「コッタロ湿原展望台」を目指しました。

「コッタロ湿原展望台」からは、東岸の「サルボ展望台」付近まで釧路湿原を横断する道路を往復し、西岸南にある「北斗遺跡展示場」へ16:30頃までに到着することとしていました。



釧路湿原の北部西岸にある「コッタロ湿原展望台」から南東方向の眺望です。

「コッタロ湿原展望台」は、小高い山の上にあり、広大な釧路湿原を見渡すことが出来ます。

展望台のすぐ下を釧路湿原を横断する道路と、「コッタロ川」が流れ、横断道を約1Km進んだ辺りで「屈斜路湖」を源流とする釧路川に合流します。



釧路湿原周辺の地図で、地図に記した番号は、歩いた順です。

広大な釧路湿原の両岸には小高い山の上に造られた展望台が造られています。

右下に添付した拡大地図は、今回紹介する「コッタロ湿原展望台」から「二本松橋」を経由して、シラルトロ湖の東岸にある「冷泉橋」までのエリアになりです。

「コッタロ湿原展望台」付近から「二本松橋」付近まで、釧路湿原を横断する道路は、そのほとんどがダートコースでした。



「コッタロ湿原展望台」の中腹から上って来た階段を見下ろした風景です。

駐車場から左右にトイレのある建物を通り抜け、急な階段を上ってきました。

展望台の頂上には更に急な坂道があり、中腹の眺望で妥協しました。



南東方向をズームで撮った風景です。

はるか向こうに山並みが見え、そのすぐ下に見えるのは「シラルトロ湖」でしょうか。

眼下には「コッタロ川」の不規則に蛇行する流れの向こうに、薄い若葉が出始めた低木が広がっています。



「コッタロ湿原展望台」から北北西方向にコッタロ川上流の湿原が広がっています。

湿原に見える湖面は、向こうの岬付近から流れて来るコッタロ川の支流が合流する辺りと思われます。

ここは「コッタロ湿原展望台」を紹介する写真によく見られる風景です。



「コッタロ湿原展望台」から南南東の「二本松橋」まで延々と続くダートコースです。

道路のすぐ左を釧路川が流れ、所々に釣り人の車が駐車していました。

釧路川に棲む幻のイトウの話を聞いたことがありますが、この辺りにもいるのでしょうか。



道路脇に数台の駐車場スペースがあり、立寄って「釧路川」を見物しました。

平原を蛇行しながらゆったりと流れるイメージとは違い、やや早い流れが続いていました。



「釧路川」の写真を撮っていたら東岸から飛び立つ丹頂鶴と思われる鳥を妻が見つけました。

一羽と思ったら更に上空にもう一羽いたようで、二羽はつがいだったのでしょうか。

鶴は、すぐ近くの西岸の草原に舞い降りましたが、草に隠れて見えなくなりました。



釧路湿原の横断を終える「二本松橋」の上から北の上流方向を見た風景です。

カヌーが下って来るのが見えます。

「二本松橋」の下流には釣りをする人も見え、週末の釧路川を楽しんでいました。



「シラルトロ湖」の東岸にある「冷泉橋」です。

釧路湿原の東岸を走る国道391号にある「冷泉橋」は、そぐそばに駐車場もあり、「シラルトロ湖」がよく見渡せるポイントでした。



「シラルトロ湖」の風景です。

地図では対岸の釧路湿原の中を「釧網本線」が走っています。

軟弱な湿原の地盤を重量のある鉄道列車が走るのは大丈夫なのかと気になります。

12:40頃でしたが、霧が出始めています。

この後、徐々に霧が濃くなり、同時に気温が下がってきました。




「コッタロ湿原展望台」の下の建物に掲示されていた写真です。

写真には「9月夕暮れのシラルトロ湖」とあり、この辺りから見た夕焼けの風景のようです。

暮れてゆく湖の向こうに広大な湿原が紅く染まっています。

釧路湿原の東岸では西岸に広がる雄大な夕暮れの風景が素晴らしいようです。

小高い山にある、「細岡展望台」からの風景が観光案内にあり、連泊する釧路の翌日夕方の予定としました。

油絵「ヒマワリ」

2011年06月22日 | 妻の油絵

妻の油絵「ひまわり」です。

例年より早く描いたひまわりですが、暑い夏に負けず、元気に咲くひまわりを表現したかったそうです。

最近、ひまわりは、放射性セシウムを吸着するとやらで、福島原発の放射能汚染の対策でにわかに注目されているようです。

福島の原発事故は、巨大地震の被害に追い打ちをかけ、問題を一層深刻にしています。

かつて太平洋戦争で、全国の都市が空襲で焦土と化している中、広島・長崎に原爆が投下され、数十年は人が住めないともいわれた中で復興してきた歴史があります。

又、チェルノブイリや、スリーマイル島での原発事故の歴史もあり、それらの歴史に学ぶべきことがたくさんあるのではないかと思われます。

この「ひまわり」には放射性物質を吸着する力はありませんが、震災と、原発事故で被災した方々や、復興を支援する皆さんに少しでも元気を感じて頂ければ幸いです。

北海道旅行No.4 「滝見橋」から見る阿寒川の流れ

2011年06月19日 | 北海道の旅
北海道旅行2日目6/4(土)10:30頃、「阿寒湖展望台」の見物を終え、国道240号を東に約5Km走った「滝見橋」へ立寄りました。

「滝見橋」は、「阿寒川」の清流を見下ろすことが出来るスポットです。



国道240号に架かる「滝見橋」から北を見下ろした風景です。

森の中を「阿寒川」の急流が音をたてて、勢いよく流れていました。

昨年の旅行でも立寄りましたが、今年は新緑の風景です。



阿寒湖の南東部、「滝見橋」周辺の地形図です。

滝見橋は、国道240号と、国道241号が重なる阿寒湖の南東近く、全体図の右下付近に滝見橋があります。

拡大図で、二つの川が合流した辺りの国道上に赤丸印が「滝見橋」の場所ですぐ近くに駐車場(赤いPの場所)も整備されていました。

阿寒湖から太郎湖を通る流れと、直接西側から出てきた流れが橋の下で合流しています。



駐車場から西の「滝見橋」方向を見た風景です。

茶色の柵が途切れた辺りから「滝見橋」で、その先には追い越し車線がありました。

すぐ右上の表示板は、たしか駐車場の案内板だったようです。



「滝見橋」の北側のたもとに大きな木が茂り、その下に勢いよく流れる阿寒川が見えます。

流れは以外に広い場所を分散して流れていました。

北海道の遅い初夏の新緑が爽やかです。



「滝見橋」から正面に見える太郎湖からの流れを見下ろした風景です。

水量のある清流が勢いよく流れ、所々に小さな滝のような段差が見られることから、この橋に「滝見橋」と名付けたようです。

しかし、国道に架けられた見下ろす橋に「滝見橋」と名付けられ後も、この急流には滝としての名は付けられず、いわゆる縦割り行政の問題なのでしょうか。



橋から見下ろし、左手(西側)からもう一つの川が流れきています。

地図を見ると阿寒湖から直接流れ出た川で、水量が少なく、流れもゆるやかです。



二つの流れが橋のすぐ近くで合流していました。

水量から見て、右手の太郎湖からの流れを阿寒川の本流とすべきでしょう。

阿寒川は、国道240号と並行して南に流れ、釧路市大楽毛[おたのしけ]で、太平洋に流れ出しています。



昨年の旅行の時、同じ場所を撮った風景です。

昨年は7月20日と、今年より約1.5ヶ月遅い時期で、緑の濃さや木々の茂り方が違います。

秋には素晴らしい紅葉に変身し、手軽な紅葉のスポットのようです。



阿寒湖から「滝見橋」へ走る途中、国道の脇に満開の桜が咲いていました。

約2ヶ月も遅い桜を見つけ、脇の道に駐車して撮ったものです。

桜の種類は定かではありませんが、ソメイヨシノにも似ています。

すぐそばにも同じ様な小さな桜の木が植えられていましたが、だいぶ散りかけており、日当たりの違いによるものだったのでしょうか。



「滝見橋」から国道240号を南に走っていると、国道脇に黄色の花が咲いた広い畑が見えて来ました。

良く見ると畑一面にタンポポが咲いています。

6月上旬の北海道旅行、各地でこのような黄色いタンポポの咲く風景を楽しむことが出来ました。



この桜は、釧路湿原を目指して国道240号から国道274号を走っていた時に見つけたものです。

品種は分かりませんが、この白い桜も北海道の各地で花盛りの木を多く見かけました。

ピンクの八重桜も各地で見ましたが、この季節に北海道にこんな多くの桜が咲いていたとは意外でした。



白い桜の木のそばにタンポポに似た毛玉がたくさん付いているのを見つけました。

蕗[フキ]の株から伸びており、蕗の種のようです。

蕗にも毛玉のような種が付くことを初めて知りました。

タンポポと、似ても似つかないフキの種がなぜ同じ様な姿なのか疑問が湧いてきます。

前々回の6月14日の記事で掲載したラワンブキを調べていた時、蕗がキク科の植物であると記載されていたことを思い出しました。

タンポポがキク科であることはともかく、フキの茎や葉を見てキク科とは信じられませんが、この種を見ると納得です。

北海道旅行No.3 阿寒湖展望台と、湖畔の散策

2011年06月16日 | 北海道の旅
北海道旅行2日目、6/4(土)10:00頃、「阿寒湖展望台」へ到着しました。

昨年、阿寒湖湖畔の散策をしていたので、今回は高い場所からの眺望を楽しもうと立寄ってみました。



「阿寒湖展望台」からの風景です。

東に雄阿寒岳がそびえ、眼下に広がる阿寒湖の眺望を雄大なものにしているようです。

この場所は、スキー場の上級者のゲレンデの途中でした。

ここから下に急傾斜が続き、滑走するイメージで下を見ると恐い感じです。



「阿寒湖展望台」にあった眺望の案内図です。

木の陰で見えない部分も描かれ、全容が分かりやすい案内図です。



阿寒湖周辺の地図です。

地図左下に「阿寒湖展望台」があり、中央に阿寒湖、右に雄阿寒岳があります。

南西方向の「オンネトー」から国道240号を進み、阿寒湖のアイヌコタンの交差点から南に折れ、スキー場建物を過ぎて少し上った辺りになります。

国道から駐車場までやや狭い約1.5Kmの道程を進んできました。



「阿寒湖展望台」の駐車場です。

山の中腹に展望台への道が見えますが、展望台まで約150mだったでしょうか。



駐車場から下を見た風景です。

すぐ前に国設阿寒湖畔スキー場のリフトの支柱が立ち、右手向こうにはレストハウスも見えます。



レストハウスの向こうに雄阿寒岳がそびえていました。

雪に覆われた雄阿寒岳がそびえる冬の風景を一度見たいものです。



「阿寒湖展望台」から見た阿寒湖湖畔の風景です。

観光ホテルの白い建物が湖畔に並び、その向こうに浮かぶ小さな島の名は、「小島」だそうです。



昨年の旅行で湖畔を散策した時に撮った阿寒湖第1駐車場近くの案内図です。

向って右の第1駐車場から黄色の「阿寒湖畔エコミュージアムセンター」を経由して湖畔の「ボッケ」に至る遊歩道の案内図です。(向かって左が北)



湖畔近くに柵で囲まれた2~3m程の窪地があり、灰色の泥の表面からプクプクと音を立ててガスが噴出しています。

■柵のそばに「ボッケ」の案内板が立っていました。
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ボッケ
火山活動により発生した硫気ガスや、水蒸気が、熱い泥とともに噴き出している泥火山です。
ボッケとはアイヌ語で「煮え立つ」という意味です。
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「ボッケ」を進むと湖畔に下りる階段があり、そばに桟橋が突き出していました。

左手のには小さな「小島」が浮かんでいます。



湖畔に「阿寒湖」と、「マリモ」の案内板がありました。

左の阿寒湖の地図ではマリモの主要な生息地が湖の北部にあるようです。

■以下は、案内板の説明文です。
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●阿寒湖
阿寒湖は周囲26Km、海抜420m、面積13Km、最大水深42m程のカルデラ湖で湖上には大島、小島、ヤイタイ島、チュウルイ島と4つの島が浮かんでいます。
国の特別天然記念物「阿寒湖のマリモ」の棲む湖として知られる阿寒湖ですが、「ヒメマス」の原産湖としても有名です。ヒメマスはベニザケの陸封型(海へ下らずに湖で一生を過ごすタイプ)です。ヒメマスの大きさは、20~40cm程で、秋の産卵期には体の表面が鮮紅色に染まります。
阿寒湖ではヒメマスの他ニジマスやコイなど十種類の魚が棲んでいて、近年では、フィッシングの場所としても多くの人々が訪れます。結氷した湖上でのワカサギ釣りは冬の阿寒湖の風物詩となっています。

●マリモ
日光が行き届く水深2~3mの浅い湖底のごく限られた場所にいます。現在の阿寒湖でのマリモの分布は、北部のチュウルイ湾とキネタンペ湾で多く生息しています。
マリモは、湖の底でじっとしていますが、丸い形をしているので、時々波が立つとゆらゆらゆれます。マリモは、回転することによって体についた砂や泥を払い落とし、位置を変えて体全体で光合成を行い成長を続けます。マリモは大きなもので30cm程になるといわれています。マリモの成長には、きれいな水と日光、そして波はとても大切です。

●マリモの断面
マリモの中心部から表面にむかってたくさんの緑色の糸状の藻が放射状にのびています。
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桟橋の先端から湖の上に雄大な「雄阿寒岳」がそびえています。

12:00頃、薄曇りのためか、あまり美しい風景ではありませんでした。

桟橋近くに阿寒湖の案内板があり、「冬には厚さ70cm程の氷におおわれる」とあり、雪の雄阿寒岳を、氷の阿寒湖から見上げる風景を見たくなりました。

北海道旅行No.2 神秘の湖「オンネトー」

2011年06月14日 | 北海道の旅
北海道旅行(道東・道南)2日目、帯広のホテルを出発し、足寄町にある小さな湖「オンネトー」へ向かいました。

昨年の北海道旅行で、抜群の美しさに感動し、今回も立寄ることにしました。



昨年、7月20日 13:30頃撮ったオンネトー西南岸から見た風景です。

妖精が住むかのように感じる美しい湖でした。

この美しさに魅かれて再訪したわけです。

観光客はまばらで、湖畔に備え付けられた展望のステージから、感動の風景を味わうことができます。

■展望のステージ近くに案内板がありました。
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オンネトー
雌阿寒岳の火山活動でできた堰き止め湖です。
湖面は標高623mと高い位置にあり、面積は0.23K㎡、平均水深3.0m、最大水深は9.8mあります。
天候、風向き、見る位置によって、湖水の色がさまざまに変化することから、「五色沼」ともいわれています。
オンネトーとは、アイヌ語で「年老いた沼」という意味です。
  環境省・北海道
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この美しい湖「オンネトー」をアイヌ語で「年老いた沼」とは、いったいどう言う訳でしょうか。

若い木より齢を重ねた老木に美しさを感じる様にアイヌの人達は、この深い色の湖に老いた美しさを感じたのかも知れません。



オンネトー周辺の地図です。

上段の風景にあるようにオンネトーの東側に「雌阿寒岳」「阿寒富士」があります。

国道241号からオンネトーまでの道は、約5Kmの道程ですが、オンネトーに近づくと、道路が急に細くなるため、観光バスは入れないようです。

「秘境の湖」と言われるゆえんは、観光バスの団体客を拒んでいることにもあるようです。

又、オンネトーから更に南西方向に未舗装の道が続き、上螺湾(かみらわん)を経由して国道241号へ合流します。

途中の上螺湾地区は、巨大な「ラワンブキ」が育つ場所として知られています。



国道241号をからオンネトー方向に曲がり、少し走ると新緑の間に少し霞んだ雌阿寒岳が見えてきました。

ちょうどこの辺りの道路脇に小さな駐車スペースと、オンネトーの風景写真がある案内板があります。

■案内板の説明文です。
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阿寒国立公園
 雌阿寒温泉 3Km  オンネトー 5Km
火山と湖
噴火の絶え間ない標高千四百九十メートルの雌阿寒岳は約二万年前からの火山活動で始まり、その横にそびえる千四百七十六メートルの美しい阿寒富士は、約二千年前からの激しい活動によってつくられました。
この時期の溶岩流で誕生したのが、周囲約四キロのせき止め湖オンネトーです。
神秘の湖オンネトーは、アイヌ語で「大きい沼」又は「年老いた沼」と言います。
阿寒国立公園でのひとときをお楽しみください。
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今年、撮ったオンネトーの西北岸からの風景です。

残念ながら湖面や、山の斜面は、昨年のような美しい輝きはありませんでした。

湖面にはさざ波が立ち、霞みがかった薄曇りの天気と、9:30頃に西側から見る光線のためか、雌阿寒岳、阿寒富士の風景も良くありません。

標高623mの湖畔から見るとさほど高く感じませんが、雌阿寒岳の標高は、1,499m、阿寒富士は、1,476mです。

前日に走った日勝峠の頂付近の道は約1,000mで、残雪が多く見られましたが、それより高いこれらの山にはなぜか残雪がほとんどないようです。



昨年7月、好天の午後に上段の写真に近い場所から撮った風景です。

美しさに思わず感嘆の声をあげたのを思い出します。

やはり、あの神秘的な美しさは、好天の午後に現れるのかも知れません。

以前、これと同じ場所から撮られた紅葉の季節の写真を見ましたが、もっと素晴らしいものでした。

まだ見ぬ紅葉の北海道にあこがれます。



湖畔に咲くミズバショウを見つけました。

約1.5ヶ月遅く訪れた昨年は見かけなかった花です。

萎れかけたように花が地面近くに咲いており、どうも終りに近づいているようです。



昨年、水辺で見かけた水色の小さなトンボです。

初めて見る水色のトンボが、何匹も水草の上を飛び交っていました。

茶褐色のトンボも見られ、自然環境が守られているようです。



昨年、撮った雌阿寒岳の風景です。

雌阿寒岳は今も火山活動を続ける山で、近くの雌阿寒温泉は、硫黄泉で 弱酸性(ph5.6)の湯が湧いているそうです。

オンネトーの湖底にも同様の温泉が湧き、独特の湖面の色は温泉の成分が影響しているようです。

雌阿寒岳の噴火により螺湾川[らわんがわ]が堰止められ、その麓に湧く温泉によって美しい湖になったことを考えると、雌阿寒岳はオンネトーの母とも言える関係です。



昨年行ったオンネトーの南西にある「ラワンブキ圃場」の入口です。

そびえ立つ看板には「北海道遺産 ラワンブキ圃場 あしょろ観光協会」とあります。

横の案内板には牙をむく恐い熊の顔と「クマ出没注意」とあり、辺りには人影もなく、ちょっとビビりました。

オンネトーから螺湾川に沿った未舗装の道を約10Km、辛抱して走って来ただけに引き下がる訳にいかず、恐る恐る進んで行きました。



「ラワンブキ圃場」の前です。

158cmの妻を立たせ、ラワンブキの大きさを撮ってみましたが、やはり大きいものです。

■すぐ横に「ラワンブキ」の案内板がありました。
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ラワンぶきの説明
フキは雌雄異株で、大型の根葉を持つ多年草で、世界に約20種殆ど北半球に分布する
その内日本にはフキとアキタブキがあり北海道に分布するものはこの後者に分類されます。
ラワンぶきと呼ばれるものはこのラワン地区の沢沿いの地区のみに見られる大型のもので、同形のものは日高山脈東側や釧路地方の一部にも見られるが群生しているのは、このラワン地区のみである。
かつては草丈四メートル、葉の大きさが二メートルにも達したものもありましたが次第に小型化しており、この様な保護地区を設けております。
ラワンブキは身なりのわりには柔らかく、独特な風味、自然食品ブームも手伝って好評で、毎年二二〇トンが食用として収穫され、山菜工場において食品加工され道内外に出荷されています。
 足寄町観光物産協会
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「ラワンブキの圃場」のすぐそばを流れる螺湾川の風景です。

オンネトーから流れ出る螺湾川の両岸には延々とラワンブキが自生していました。

だだ、岸辺にはあまり背の高いものは育っていないようです。

弱酸性で、ほとんど魚の育たないオンネトーからの水がこのラワンブキを特別に大きく育てるのではと思い、調べてみました。

やはり、フキは酸性土壌を好むとあり、螺湾川を流れる弱酸性の水が影響しているものと思われます。

案内板に最近、ラワンブキが小型化しているとあり、螺湾川のph値の変化があるのかも知れません。

雌阿寒岳の麓に湧く温泉の影響で大型化したラワンブキは、オンネトーと同様に雌阿寒岳が生みの母のようです。



足寄町の道の駅「あしょろ銀河ホール21」に展示されていたラワンブキの横に立つ松山千春さんのパネルです。

松山千春さんの身長170cmからラワンブキの高さを推定すると、茎の先端は約220cmの高さになるようです。

子供の頃聞いたアイヌに伝わる小人伝説「コロボックル」を思い出しました。

「コロポックル」とは、アイヌ語で「フキの葉の下の人」の意味だそうです。

北海道に自生するのフキの葉の下に立つ「コロポックル」は、子供の頃イメージした程に小さくなかったのかも知れません。


北海道旅行(道東・道南)No.1まだ早春の 「日勝峠」

2011年06月12日 | 北海道の旅
6月3日から8日間、妻と北海道旅行に行ってきました。

今回のエリアは北海道の南部分で、前半4日間は道東の帯広・釧路・根室へ行き、襟裳岬を経由して、後半は函館・松前・江差から積丹半島・小樽・倶知安とまわりました。

広島空港から航空便がないため、松山空港から新千歳空港へ行き、レンタカーで北海道の約2,500Kmを走る旅になりました。

幸運にも8日間、比較的良い天気が続き、雄大な北海道の風景を堪能することができました。

ちなみに昨年7月にも8日間の北海道旅行をし、美瑛町、旭川、稚内、礼文・利尻島、網走、知床、阿寒湖と、北海道の北半分を観光しています。



6月3日、1日目に移動したエリアの地図です。

14:30頃到着した新千歳空港から帯広までは、標高の高いものの、距離が短い日勝峠[にっしょうとうげ]を通るコースで移動しました。

今月まで、高速の道東道が無料で、日勝峠の前後の区間は、ありがたく利用させて頂きました。



日高山脈を越える国道278号の日勝峠[にっしょうとうげ]の「日勝トンネル」付近の風景です。

地図ではトンネルの手前から旧道を進むと「日勝峠展望台」とあり、立寄ってみました。

写真右下にトンネル入口が見え、正面にそびえる山の頂上の標高は、無名ながら1445mです。

春の遅い北海道では、各地で残雪に輝く山が多く見られました。



日勝トンネル付近の地図です。

国道278号は、北西から「日勝トンネル」を通り、南東へ進んでいきます。

地図にあるように「日勝トンネル」付近の細い道を進むと、「日勝峠展望台」があるようです。

地図の赤丸印の場所は、上段と、下段の風景写真を撮った場所です。




上段の地図にある赤丸印の場所にあるスピンカーブの先は残雪に覆われ、残念ながら「日勝峠展望台」への道は閉ざされていました。

旧道の脇には「ふきのとう」が多く見られ、この一帯はまさに早春です。



「日勝トンネル」、「熊見トンネル」に連続する「清流覆道」の入口です。

ここにも残雪が多く見られました。



残雪の山の斜面に奇妙な姿にも見える白い枝を広げた木が多く見られ、とても印象的でした。



日勝峠を越え、しばらく進むと雄大な十勝平野を見下ろす「日勝第一展望台」があり、立寄りました。

既に17時を過ぎた標高の高い峠、車から降りると肌寒く、ジャンパーなしでは震え上がる寒さでした。

レストハウスもあるようでしたが、広い駐車場にほとんど車はみられず、階段を上がった展望台にも人の姿は見られません。



展望台から望む十勝平野の風景です。

やや霞んでいましたが、よく晴れて実に雄大な風景です。



展望台には二つの鐘があるモニュメントが建てられていました。

モニュメントの下部にある箱状になった壁面に「1980年12月7日 清水町文化センターオープン記念 第九交響曲演奏会 全景 204名」と説明書きがある合唱団と、オーケストラが舞台に並んだ写真が描かれていました。(写真右上に拡大写真)

その下には「第九の響く町 北海道清水町 1994年11月」とあり、このモニュメントは約10年前に作られたようです。

第九の写真の下の両側にパネルがあり、手をつないだカップルが男女それぞれのパネルにタッチすると鐘が鳴る仕組みになっています。



モニュメントのある広場から石段を上った裏山の頂上に三角形の大きな石がそびえていました。

一瞬、「古代祭祀遺跡か?」とも思いましたが、大石の左手にも「山神」と刻まれた小ぶりな三角形の石と、両脇に狛犬の石像(写真左下)が置かれ、遺跡の案内板も無いことから、古いものではないようです。

しかし、この大石を建てるには職人技術と、相当な労力も必要と思われ、謎の石です。

後方には立ち入り禁止になっていた展望台が見えています。



モニュメントのある広場から駐車場のある進行方向の風景です。

残雪の美しい山並みの風景も格別です。



18:00頃、高速道の「十勝平原SA」から見た風景です。

日高山脈の稜線に残雪が輝き、広々とした畑の中にある赤い屋根の建物を見ると北海道に来た気分が込み上げて来ます。

日勝峠では寒かった気温でしたが、ここではジャンパーを脱いでもさわやかです。

この後、帯広駅近くのホテルに泊り、翌日は阿寒湖経由で、釧路までの観光です。

能登旅行 「白米の千枚田」と、「能登の揚浜式製塩」

2011年06月02日 | 中部地方の旅
2011年06月02日 | 中部地方の旅ゴールデンウィークに行った北陸地方を旅した続きです。

5月2日、能登半島の西にある茅葺の「阿岸本誓寺」の参拝を終え、海岸沿いの景勝地を見物しながら輪島市街を約10Km過ぎた辺りに「道の駅千枚田」がありました。



「道の駅千枚田」の駐車場の脇から見下ろした「白米の千枚田」の風景ですです。

日本海に面した白米(しらよね)地区の急斜面にたくさんの水田がつくられ、素晴らしい景観が広がっていました。

人の力は、厳しい自然の地形をここまで美しく変えられるのか、実に感心します。



「道の駅千枚田」の売店です。

ゴールデンウィークの「道の駅千枚田」は繁盛していました。



「道の駅千枚田」の「白米の千枚田」見下ろす場所には次々と、観光客が立寄っていました。

海岸の斜面に国道249号が東に続いています。



「白米(しらよね)の千枚田」を見下ろす場所に田植え体験を案内する貼紙がありました。

辺りにはスピーカーで、大きな案内の声が繰り返えされていました。



「白米の千枚田」には田植え体験と思われる人も見られます。

一つ一つの水田の大きさは、意外に小さく、これでは耕運機や、田植え機を効率的に使うことは難しい感じです。

昔ながらの水田を大変な苦労で維持しているものと思われます。



「道の駅千枚田」の「白米の千枚田」を見下ろす場所に案内板がありました。

■「白米の千枚田」の説明文です。
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国指定名勝 白米の千枚田
千枚田は、実際には1004枚ものミニ水田が連なっている。田の枚数が多いので千枚田と称するが、「狭い田」なので千枚田だという異説もある。
最も小さい水田は、0.2?、現在、13戸の農家が幾多の苦労を重ねながら耕作を続けている。畦付けのため、毎年、高い方の土手を削って田圃へ入れるので自然客土となり、肥料も一般の田の半分ぐらいでよいといい、病害虫も少なく二石六斗の反収があるという。米の味は特に優れており、消費者からは大いに歓迎されている。
千枚田は、地すべりの急傾斜地であるが、寛永15年(1638年)頃、能登小代官に赴任中の下村兵四朗(後の板屋兵四朗)が築造したという谷山用水もあり、水利に不安はない。
平地が少なく狭い国土、勤勉な国民性など、千枚田は我が民族の象徴ともいえる。縄文土器をもしのばせるその造型模様は美しく、平成13年1月、国の名勝に指定された。
白米村はかつて製塩も盛んであった。寛永12年(1635年)の記録によると出来塩1295俵とあり、延宝2年(1674年)の記録でも13軒のうち百姓数は六軒、他の七軒は塩士であったとある。また当時、塩を収納したという御塩蔵跡も残されている。
揚浜塩田は、その後の海岸浸触により水没、今は跡形もなくなっている。
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やはり名勝に指定されたこの場所には「白米の千枚田」の名の通り、約千枚の水田があるようです。

下村兵四朗(後の板屋兵四朗)の名は、前日に訪れた金沢の兼六園で見た「辰巳用水」を造った人でも知られ、興味をひかれます。

又、「水利に不安はない」とされ、水田に水を供給していると思われる「谷山用水」もどんなものだったのでしょうか。



「白米の千枚田」周辺の地形図です。

前々回、「気多大社」周辺の地形図に灌漑の池が多く見られたことを思い出し、周辺で「谷山用水」を探してみました。

海岸近くの「白米の千枚田」から直線距離で、約2Km南に二つの池が見られます。

約10Kmの「辰巳用水」の距離を考えると、この池から取水されている可能性もあります。

下村兵四朗(後の板屋兵四朗)は、能登地方で「谷山用水」の他、「春日用水」、「尾山用水」を造ったとされ、測量や、計算に優れた技術を持っていたようです。



「白米の千枚田」の海岸近くの風景です。

海岸に日本海の荒波が押し寄せ、静かな瀬戸内海を見慣れた者には魅力的な風景です。

案内板によると、「揚浜塩田は、その後の海岸浸触により水没、今は跡形もなくなっている」とあり、かつてこの海岸一帯には揚浜塩田が続いていたものと思われます。

又、説明文に「下村兵四朗(後の板屋兵四朗)」は、「能登小代官に赴任中」とあり、塩田関係の業務に関わっていたようです。



「道の駅千枚田」から約15Km東の道路脇で見つけた塩田の看板です。

「国指定 重要無形民俗文化財 能登の揚浜式製塩の技術」とあり、江戸時代からの製塩技術が今日まで伝承されているようです。

各地にあった塩田の中で、特に「重要無形民俗文化財」に指定されていることを考えると高い技能が伴ったものと思われます。



「重要無形民俗文化財」の看板の横に塩田がありました。

海岸に近くに茅葺屋根の建物があり、塩田が造られていました。

■そばにあった案内板の説明文です。
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 揚げ浜塩田
能登の揚げ浜塩田は、記録によると慶長元年(1596年)に開始。
それを加賀藩三代藩主前田利常公が農民救済のために「塩手米制度」をつくり、能登一帯に奨励しました。これは藩の自給米を確保する目的を兼ねていました。「塩手米制度」は田畑の少ない農民に米を貸し与えその変わりに塩を納めさせたもので、玄米一石につき塩9表の割合でした。

以来400年余原始製塩法が当地の重要産業として続けられてきましたが、生産性に劣るため戦後衰退し、ついにはほとんどが姿を消し、現在唯一のものとして保存されています。かお当地に保存されている砂取節(県指定無形文化財)はこの塩田に従事して人たちの労働歌であり、聞く人をしてその労働の辛さを覚えさせます。
  珠洲市
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塩田に隣接した茅葺屋根の建物裏の海岸の風景です。

「洗濯岩」と形容されるような岩場が続く海岸です。

海岸そばの塩田は、このような荒波が押し寄せる岩場に人の手を加えて造ったのものと思われま。

「白米の千枚田」にも見られる急傾斜に造られた水田、その水田に水を供給するための数Kmに渡る用水開発など、昔の人々の想像を超える苦労と技術に改めて感服します。



「道の駅千枚田」の「白米の千枚田」の案内板の棚田の田植え風景の絵です。

■棚田の絵の下に昔話「蓑隠れの話」が紹介されていました。
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「蓑隠れの話」
「むかし、百姓夫婦が田植を終って、念のため水田の枚数を数えてみた。千枚あるはずなのに、どうしても二枚たりない。日も暮れたのであきらめて帰ろうと、そばにあった二人の蓑をとりあげて、みるとその下に二枚の田がかくされてあったという。
「蓑の下、耕し残る田二枚」の一句も伝えられている。
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ほのぼのとした話のようですが、小さな棚田の耕作に大きな労力を要するをことを知る人には百姓夫婦の過酷な生活が思い浮かぶものと思われます。

近代化から取り残されたこの棚田は、食糧生産の役割から郷愁ある美しい景観のためのものになったようです。

荒波が押し寄せる岩場の海岸に塩田を開発したり、急斜面に多くの棚田を造り、数Kmもの山中から用水を引いてきた先人たちの苦労に思いをはせ、ゆっくりとこの風景を眺めるのも良いのではないでしょうか。