南九州旅行3日目(2012/5/9)、宮崎県日南市宮浦の「鵜戸[うど]神宮」参拝の続きです。
前回は、参道の風景でしたが、いよいよ本殿への参拝です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/cc/cd0de1dd8aa5521b221760c751c113a3.jpg)
最後の階段を下った「鵜戸神宮」本殿のある洞窟入口の風景です。
鳥居の最上部「笠木」の下の「島木」が白く塗られ、そこに並ぶ三つの菊のご紋が印象的です。
神門前にも同様の鳥居がありましたが、赤い柱と、白壁の鮮やかな神門、楼門に連動させた配色に思えます。
又、笠木や、社殿の屋根は、岩と調和させる中間色とし、その下に清らかさを感じさせる白を配すると、聖域を感じさせる効果があるのかも知れません。
■神社由緒が書かれた案内板が楼門のそばにありました。
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鵜戸神宮御由緒
主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊※[ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと]
当宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房を御神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
又、霊石亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願い事が叶うという伝えがある。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、厄除・漁業・航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘的な霊気によって人々の魂を高めていくであろう。
鵜戸神宮社務所
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※主祭神の神名が古い文字のため正しく表示できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ac/8dd3549ce062bb114ce60366099f89a8.jpg)
鵜戸神宮の本殿です。
著名な神社にもかかわらず、拝殿や、幣殿のない単一建物の社殿です。
向かって左が参拝を行う本殿正面で、写真下段には本殿奥に置かれた丸い鏡に妻と私が映った風景です。
天井が低く、深い洞窟には暗闇が続き、押しつぶされるような恐さも感じますが、暗い本殿奥の鏡に映された自分たちの姿を見ると、神様に見つめられているような錯覚を覚えます。
■案内板より
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県指定建造物 鵜戸神宮本殿
宮崎県教育委員合 (平成7年3月23日指定)
鵜戸神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。
本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると祭神天皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、光喜坊快久が神殿及び、仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、「鵜戸六所大権現」、江戸時代以降は「鵜戸山大権現」として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。
現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊東祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のまよであり、その文化的価値は高い。
説明板管理者/日向市教育委員会
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b8/7d915a755922253cac361f5936537800.jpg)
本殿に参拝し、左手奥に進んだ「皇子神社」の風景です。
祭神「彦五瀬命[ヒコイツセノミコト]」は、神武天皇の御兄君とされ、神武天皇東征の軍団に同行し、戦いで亡くなった皇子とされています。
第一皇子で、東征の軍団に同行していたことを考えると、亡くならなかった場合は、天皇となった皇子かも知れません。
■案内板より
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皇子神社
御祭神:彦五瀬命[ヒコイツセノミコト]
鸕鷀草葺不合尊※[うがやふきあえずのみこと]の第一皇子
第一代天皇 神武天皇の御兄君
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※主神名が古い文字のため正しく表示できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/94/2561c2ffe75e388acc1a3a8af0e90832.jpg)
「皇子神社」の隣にある「九柱[ここのはしら]神社」です。
古事記によると、伊邪那岐命は、亡くなった妻の伊邪那美命を追って黄泉国[よみのくに]へ行き、逃げ帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓えをし、その時に多くの神様が生まれた物語があります。
この社伝に祀られた九柱の神様は、最後に生まれる三貴子、「天照大御神」「月読命」「建速須佐之男命」の前に生まれたとされています。
■案内板より
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九柱[ここのはしら]神社
伊邪那岐命が、日向の楠の小戸の阿波岐原で禊[みそぎ]祓ひし、身を洗い清めなされたとき、御生まれになられた九柱の神のお社です。
御祭神
一、神置日神 二、大直日神 三、伊豆能売神 禍を吉事(福)になおすおはたらきをお持ちの神々。
四、津綿津見神 五、中津綿津見神 六、上津綿津見神 彦火火出見尊(山幸彦・当宮主祭神の御父神)は綿津見神から二つの霊珠(塩盈珠・塩乾珠)を授けられる。海を守る神々。海神。
七、底筒之男命 八、中筒之男命 九、上筒之男命 海路を守られる神、墨江[すみのえ]の大神。航海安全の神々。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6f/131f52473f6d73d38f2217489a634b6c.jpg)
洞窟の奥に進むと「御霊石」があり、隣には「撫でうさぎ」と名付けられたウサギの人形が置かれていました。
それぞれに賽銭箱が置かれ、神社の涙ぐましい経営努力が垣間見られるようです。
■洞窟内の案内板
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御霊石(ごれいせき)
この御霊石は、室町時代中頃より祀られており、鵜戸山大権現仁王護国寺の信仰のなごりと思われる。願い事は諸願成就し、国家安泰を祈祷して、霊験あらたかと伝えられている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/24/8211d12680647e041ae21134df00e2ee.jpg)
上を指さす絵と、「御乳岩」と書かれた案内板の上に乳房の様なふくらみがある岩がありました。
古事記では、祭神の母「豊玉姫命」が大きな鰐[わに]の姿となってお産をしている姿を父「彦穂穂出見命」に見られ、海神の国へ帰ってしまったとされます。
天皇家の先祖が鰐を母とする神話から、その母が乳房を岩にくっつけて去ったとする荒唐無稽な話も、神社が売る「おちちあめ」の由来となっており、おもしろがって買った参拝者の思い出になっているようです。
■案内板より
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霊石「おちち岩」
当神宮ご祭神の母君「豊玉姫命」が、洞窟に造った未完成の産屋でご出産の際、父君「彦穂穂出見命」がのぞいてしまいました。
そのため母君は故郷の海の国へ帰らなければならず、その際お生まれになったご祭神への愛情と健やかな成長を願い、ご自分の両乳房を洞窟にくっつけていかれたといわれています。
現在も絶えず石清水がしたたり落ちる神秘の岩。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/16/59b49c45712f0057e94120026e0fe28b.jpg)
鵜戸神宮の普通車駐車場から国道220号までの海岸に「鬼の洗濯岩」が広がっていました。(潮がよく引いていない状態か)
道路脇に案内板があり、ここの場所の名が「鵜戸千畳敷奇岩」、地形の正式名称が「隆起海床と奇形波蝕痕」とのことで、1200万年前から現在までの生成過程が以下の段階の図で説明されました。
「鬼の洗濯岩」の名は、昔、修学旅行でバスガイドさんから教えられ、その珍しい風景に驚いたことを思い出します。
■案内板
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県指定天然記念物 鵜戸千畳敷奇岩
宮崎県教育委員会(昭和8年12月5日指定)
この鵜戸千畳敷奇岩は、鵜戸神官の鎮座する鵜戸崎の南面にある。
今から約1200万年前から600万年前にかけて堆積した地層(新第三系宮崎層群)で、砂岩と泥岩が交互に堆積してできている。この地層は、10度から20度傾いて日向灘に面しており、長い年月にわたって日向灘の激しい波浪や風雨にさらされ、浸食されて現在の姿となった。
こうしてできた波状岩は別名「鬼の洗濯岩」(正しくは、隆起海床と奇形波蝕痕)と呼ばれ、とりわけ鵜戸千畳敷奇岩は、その広さから県指定の丈化財に指定された。
〔管理者〕日向市教育委員会 社会教育課
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d7/32bf2d0f6ec899f5161401a741f4cd0a.jpg)
説明図1、「1200万年前」
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今から約1200万年前、川によって運ばれた砂・泥・れき(礫)が海底に堆積しました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/37/3d6683d294d30f892567df7bf3e11d8d.jpg)
説明図2
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一度堆積した砂や泥は、地震などの揺れによって再び動かされ、乱泥流となって海底斜面に砂と泥の層をくり返し堆積しました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0c/f404e83c10cf1df2ccd250e83db007e4.jpg)
説明図3
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フィリピン海プレートの北上によって大地は隆起し、海面は低くなりました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a0/f94fc57801fc7de22a2123909f9d714c.jpg)
説明図4、「現在の日南」
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その後、浸食を受け、れき岩や砂岩の地層は突出した地形となりました。
砂岩と泥岩の互層は、泥岩層が削られ、砂岩層が突き出た波状岩をつくりました。この波状岩が鵜戸千畳敷奇岩と呼ばれています。
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曲がりくねった日南の海岸線に広がる鬼の洗濯岩は、直線の縞模様が一定方向(南北?)に伸び、海岸の曲線に連動していないことが不可解です。
曲がりくねった海岸近くの海底に砂や、泥が堆積したものの、フィリピン海プレートによる圧縮が堆積物を堆積岩に変え、長い直線的な地層に変化させたと言うことでしょうか。
1200万年前からの出来事が丁寧に描かれていますが、余りに長い年月の複雑な出来事で、実感できないのが正直な感想です。
この後、日南海岸を北上し、「青島」の「鬼の洗濯岩」の上を歩いて大自然の不思議な風景を満喫しました。
前回は、参道の風景でしたが、いよいよ本殿への参拝です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/cc/cd0de1dd8aa5521b221760c751c113a3.jpg)
最後の階段を下った「鵜戸神宮」本殿のある洞窟入口の風景です。
鳥居の最上部「笠木」の下の「島木」が白く塗られ、そこに並ぶ三つの菊のご紋が印象的です。
神門前にも同様の鳥居がありましたが、赤い柱と、白壁の鮮やかな神門、楼門に連動させた配色に思えます。
又、笠木や、社殿の屋根は、岩と調和させる中間色とし、その下に清らかさを感じさせる白を配すると、聖域を感じさせる効果があるのかも知れません。
■神社由緒が書かれた案内板が楼門のそばにありました。
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鵜戸神宮御由緒
主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊※[ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと]
当宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜った。
また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は西の高野とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。
母君の豊玉姫が御子の育児のため、両乳房を御神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
又、霊石亀岩の背中に運玉を投げ見事にはいると願い事が叶うという伝えがある。
このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、厄除・漁業・航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘的な霊気によって人々の魂を高めていくであろう。
鵜戸神宮社務所
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※主祭神の神名が古い文字のため正しく表示できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/ac/8dd3549ce062bb114ce60366099f89a8.jpg)
鵜戸神宮の本殿です。
著名な神社にもかかわらず、拝殿や、幣殿のない単一建物の社殿です。
向かって左が参拝を行う本殿正面で、写真下段には本殿奥に置かれた丸い鏡に妻と私が映った風景です。
天井が低く、深い洞窟には暗闇が続き、押しつぶされるような恐さも感じますが、暗い本殿奥の鏡に映された自分たちの姿を見ると、神様に見つめられているような錯覚を覚えます。
■案内板より
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県指定建造物 鵜戸神宮本殿
宮崎県教育委員合 (平成7年3月23日指定)
鵜戸神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられている。
本殿創建の年代は不詳であるが、社伝によると祭神天皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、光喜坊快久が神殿及び、仁王護国寺を再興した、と伝えている。中世には、「鵜戸六所大権現」、江戸時代以降は「鵜戸山大権現」として、日向国内外から厚い信仰を得ていた。
現在の本殿は、正徳元年(1711)に飫肥藩五代藩主伊東祐実が改築したものを明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものである。平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われた。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のまよであり、その文化的価値は高い。
説明板管理者/日向市教育委員会
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/b8/7d915a755922253cac361f5936537800.jpg)
本殿に参拝し、左手奥に進んだ「皇子神社」の風景です。
祭神「彦五瀬命[ヒコイツセノミコト]」は、神武天皇の御兄君とされ、神武天皇東征の軍団に同行し、戦いで亡くなった皇子とされています。
第一皇子で、東征の軍団に同行していたことを考えると、亡くならなかった場合は、天皇となった皇子かも知れません。
■案内板より
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皇子神社
御祭神:彦五瀬命[ヒコイツセノミコト]
鸕鷀草葺不合尊※[うがやふきあえずのみこと]の第一皇子
第一代天皇 神武天皇の御兄君
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※主神名が古い文字のため正しく表示できませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/94/2561c2ffe75e388acc1a3a8af0e90832.jpg)
「皇子神社」の隣にある「九柱[ここのはしら]神社」です。
古事記によると、伊邪那岐命は、亡くなった妻の伊邪那美命を追って黄泉国[よみのくに]へ行き、逃げ帰った後、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊ぎ祓えをし、その時に多くの神様が生まれた物語があります。
この社伝に祀られた九柱の神様は、最後に生まれる三貴子、「天照大御神」「月読命」「建速須佐之男命」の前に生まれたとされています。
■案内板より
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九柱[ここのはしら]神社
伊邪那岐命が、日向の楠の小戸の阿波岐原で禊[みそぎ]祓ひし、身を洗い清めなされたとき、御生まれになられた九柱の神のお社です。
御祭神
一、神置日神 二、大直日神 三、伊豆能売神 禍を吉事(福)になおすおはたらきをお持ちの神々。
四、津綿津見神 五、中津綿津見神 六、上津綿津見神 彦火火出見尊(山幸彦・当宮主祭神の御父神)は綿津見神から二つの霊珠(塩盈珠・塩乾珠)を授けられる。海を守る神々。海神。
七、底筒之男命 八、中筒之男命 九、上筒之男命 海路を守られる神、墨江[すみのえ]の大神。航海安全の神々。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6f/131f52473f6d73d38f2217489a634b6c.jpg)
洞窟の奥に進むと「御霊石」があり、隣には「撫でうさぎ」と名付けられたウサギの人形が置かれていました。
それぞれに賽銭箱が置かれ、神社の涙ぐましい経営努力が垣間見られるようです。
■洞窟内の案内板
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御霊石(ごれいせき)
この御霊石は、室町時代中頃より祀られており、鵜戸山大権現仁王護国寺の信仰のなごりと思われる。願い事は諸願成就し、国家安泰を祈祷して、霊験あらたかと伝えられている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/24/8211d12680647e041ae21134df00e2ee.jpg)
上を指さす絵と、「御乳岩」と書かれた案内板の上に乳房の様なふくらみがある岩がありました。
古事記では、祭神の母「豊玉姫命」が大きな鰐[わに]の姿となってお産をしている姿を父「彦穂穂出見命」に見られ、海神の国へ帰ってしまったとされます。
天皇家の先祖が鰐を母とする神話から、その母が乳房を岩にくっつけて去ったとする荒唐無稽な話も、神社が売る「おちちあめ」の由来となっており、おもしろがって買った参拝者の思い出になっているようです。
■案内板より
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霊石「おちち岩」
当神宮ご祭神の母君「豊玉姫命」が、洞窟に造った未完成の産屋でご出産の際、父君「彦穂穂出見命」がのぞいてしまいました。
そのため母君は故郷の海の国へ帰らなければならず、その際お生まれになったご祭神への愛情と健やかな成長を願い、ご自分の両乳房を洞窟にくっつけていかれたといわれています。
現在も絶えず石清水がしたたり落ちる神秘の岩。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/16/59b49c45712f0057e94120026e0fe28b.jpg)
鵜戸神宮の普通車駐車場から国道220号までの海岸に「鬼の洗濯岩」が広がっていました。(潮がよく引いていない状態か)
道路脇に案内板があり、ここの場所の名が「鵜戸千畳敷奇岩」、地形の正式名称が「隆起海床と奇形波蝕痕」とのことで、1200万年前から現在までの生成過程が以下の段階の図で説明されました。
「鬼の洗濯岩」の名は、昔、修学旅行でバスガイドさんから教えられ、その珍しい風景に驚いたことを思い出します。
■案内板
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県指定天然記念物 鵜戸千畳敷奇岩
宮崎県教育委員会(昭和8年12月5日指定)
この鵜戸千畳敷奇岩は、鵜戸神官の鎮座する鵜戸崎の南面にある。
今から約1200万年前から600万年前にかけて堆積した地層(新第三系宮崎層群)で、砂岩と泥岩が交互に堆積してできている。この地層は、10度から20度傾いて日向灘に面しており、長い年月にわたって日向灘の激しい波浪や風雨にさらされ、浸食されて現在の姿となった。
こうしてできた波状岩は別名「鬼の洗濯岩」(正しくは、隆起海床と奇形波蝕痕)と呼ばれ、とりわけ鵜戸千畳敷奇岩は、その広さから県指定の丈化財に指定された。
〔管理者〕日向市教育委員会 社会教育課
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/d7/32bf2d0f6ec899f5161401a741f4cd0a.jpg)
説明図1、「1200万年前」
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今から約1200万年前、川によって運ばれた砂・泥・れき(礫)が海底に堆積しました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/37/3d6683d294d30f892567df7bf3e11d8d.jpg)
説明図2
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一度堆積した砂や泥は、地震などの揺れによって再び動かされ、乱泥流となって海底斜面に砂と泥の層をくり返し堆積しました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/0c/f404e83c10cf1df2ccd250e83db007e4.jpg)
説明図3
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フィリピン海プレートの北上によって大地は隆起し、海面は低くなりました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a0/f94fc57801fc7de22a2123909f9d714c.jpg)
説明図4、「現在の日南」
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その後、浸食を受け、れき岩や砂岩の地層は突出した地形となりました。
砂岩と泥岩の互層は、泥岩層が削られ、砂岩層が突き出た波状岩をつくりました。この波状岩が鵜戸千畳敷奇岩と呼ばれています。
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曲がりくねった日南の海岸線に広がる鬼の洗濯岩は、直線の縞模様が一定方向(南北?)に伸び、海岸の曲線に連動していないことが不可解です。
曲がりくねった海岸近くの海底に砂や、泥が堆積したものの、フィリピン海プレートによる圧縮が堆積物を堆積岩に変え、長い直線的な地層に変化させたと言うことでしょうか。
1200万年前からの出来事が丁寧に描かれていますが、余りに長い年月の複雑な出来事で、実感できないのが正直な感想です。
この後、日南海岸を北上し、「青島」の「鬼の洗濯岩」の上を歩いて大自然の不思議な風景を満喫しました。