昔に出会う旅

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何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

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北海道旅行No.18 「霧多布岬」の絶景と、松浦武四郎の歌碑

2011年08月27日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)、納沙布岬から太平洋岸を「花咲岬」「恵茶人沼」や、「羨古丹駐車公園」などへ立ち寄り、15:00頃「霧多布岬」へ到着しました。



浜中湾を左に見ながら道道142号を進むとアーチ型の「霧多布大橋」が見えてきました。

右手に見える島は、浜中湾の南にある琵琶瀬湾に浮かぶ「小島」でしょうか。

この辺りの島は、平坦な地形で周囲が断崖になっています。



霧多布岬の地図です。

上段の地図は、霧多布岬の先端付近にある「湯沸岬灯台」の案内板にあったものです。

下段は、霧多布岬部分の地形図で、「霧多布大橋」「小島」と共に「湯沸岬灯台」を表示されています。

浜中町観光協会のサイトによると「霧多布岬」の正式名称が「湯沸岬[とうぶつみさき]」だそうです。



車道の終点にある駐車場から歩いて行くと、「湯沸岬灯台」が見えてきました。

タンポポの花が咲き乱れ、美しい灯台の風景が心を和ませてくれます。



灯台の近くから霧多布岬北岸に雄大な断崖の風景が広がっていました。

北岸の西方向を見た風景で、断崖下の奇岩が印象的です。



岬先端側から見た「湯沸[とうぶつ]岬灯台」です。

岬の丘に立つタンポポの花に囲まれた灯台の風景は、「花咲灯台」でも見られましたが、ここは格別の美しさです。

■「湯沸岬灯台」の前にあった案内板の説明文です。
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~湯沸岬灯台の概要~
湯沸岬灯台は、霧多布港に出入りする船舶や、沿岸を航行する船舶の道しるべとするため、昭和5年(1930年)10月11日に点灯した旧浜中村所属の霧多布港灯柱に替わって、昭和26年(1951年)6月15日に海上保安庁が建設したもので、当時の北海道の灯台では初めて小型で高光度の機器が使われました。
現在は、これらの機器ら変更はありませんが、沖合い約3キロメートルの岩礁(帆掛岩)への乗揚げ海難を防ぐため、危険区域を示す方向の光を赤色にしているほか、岩礁を直接照らすための照射灯を併設する工夫がなされています。

・位置      北緯 43度 4分38秒
         東経145度10分 4秒
・光り方     単閃白光 毎5秒に1閃光
・光の強さ    820,000カンデラ
・光の届く距離  19.0海里(約35キロメートル)
・高さ      地上から灯台頂部 約12メートル
         水面から灯火   約49メートル
・管理事務所   第一管区海上保安本部
         釧路海上保安部交通課
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灯台の近くから東に伸びる霧多布岬の先端を見た風景です。

好天に恵まれた霧多布岬の雄大な風景は、波の音で一層迫力を感じました。

岬の先端近くに岩がアーチ型にくり貫かれ、自然に出来た凱旋門のようになっています。

岩の名前や、伝承などの案内板が欲しいところです。



岬の先端が見えてきた辺りに碑が立ち、左上に「松浦武四郎」の文字と、以下の歌が書かれていました。

 かねてより
 あらきしほ路と きいたふの
 島根にたかく
 よする志らなみ

「松浦武四郎」(1818~1888年)は、「北海道」の命名者としても知られ、28才から41才の間に千島南部、樺太を含めた北海道を6度も訪れて幕末から明治初期の北方領土政策に影響力を持った人物です。

当時、武四郎がアイヌの人たちから聞いた地名を詳細に書き込んだとされる北海道の地図(伊能忠敬作成)があり、霧多布岬は楕円形の島で描かれていました。(上段の地形図の等高線で島だった形跡が窺えます)

地図では島の右下に「トウフツ」、そのすぐ上に「キイタツフ」と書かれ、現在の「湯沸」「霧多布」の名称となったようです。

歌の二行目にある「きいたふの」は、地名「キイタツフ」と、(アイヌ人たちから)「聞いていた」の意味が掛けられた言葉と思われます。

武四郎は、「納沙布日誌」のなかで、島の対岸「アシリコタン」(浜中町榊町-霧多布大橋の北付近)で宿泊、二日間滞在したとあります。(「日本の旅人14 松浦武四郎 蝦夷への照射」更科源蔵著より)

島の岬「トウフツ」や、「キイタツフ」の断崖の絶景をアイヌ人たちから勧められ、わざわざ見物に来て断崖の下の岩礁に打ち寄せる荒波(あらきしほ路)の迫力に感動して歌ったのかも知れません。

適当に解釈しましたが、この美しい霧多布岬の約150年前の様子や、地名の由来が垣間見られたような気がします。



霧多布岬の先端付近、北側の風景です。

いくつもの大きな岩礁と、波のしぶきが迫力のある風景を演出していました。

北海道最東端「納沙布岬」から最南端「白神岬」まで、訪れた岬の中では「襟裳岬」などと並び、感動した風景でした。



霧多布岬の先端の向こうに黒い巨大な岩礁があり、おびただしい数のカモメがとまっていました。

まれに見る絶景に、しばし立ち止まっていました。

道の先には2本のポールが立ち、通行止になっています。

二本のポールの上にとまっているカモメは、カメラを向けると横を向いてしまいました。



岬の先端から坂の上にたくさんのカモメが並んでとまっていました。

坂を下る時にも同じような光景が見られましたが、チョットたのしいカモメの送迎でした。



岬の先端から坂道を登りきった「湯沸岬灯台」付近からなだらかな駐車場方向を見た風景です。

帰り道は、来る時に見えた「小島」の風景を見たく、左手に見える琵琶瀬湾に突き出た「アゼチ岬」の展望駐車場へ向かいました。



「アゼチ岬」の沖に浮かぶ「小島」と、その向こうに「嶮暮帰島[けんぼっきとう]」が見えます。

「霧多布大橋」辺りから見た「小島」のすぐ横の岩礁の形が面白く、近くで見たいと立ち寄りました。

既に16時、正午頃に納沙布岬へ到着し、ここまで4時間が経過しています。

今日の最後は、釧路湿原まで帰り、「細岡展望台」から夕日に輝く雄大な風景の見物です。
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北海道旅行No.17 浜中町 恵茶人から羨古丹の風景

2011年08月21日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)午後、根室半島の先端「納沙布岬」から「花咲岬」と見物、「道道142号を「霧多布岬」を目指して走っていました。



道道142号が根室市から浜中町へ近づいた辺りで、道の向こうが水に濡れたように見える場所があり、停車して撮った写真(ズーム)です。

水に濡れたように見える場所は、道路が少し下りの傾斜に見える場所で、その先は再び上りの傾斜になっているようです。

「逃げ水」と呼ばれるこの現象は、蜃気楼の一種だそうです。

子供の頃に見たマンガで、探検隊が砂漠の向こうにオアシスを見つけ、目指して歩くものの、なかなかたどり着けない物語を思い出しました。

地平線や、水平線の向こう(下)にある通常では見えない風景が光の屈折で(上に)見える現象を「上位蜃気楼[しんきろう]」と呼び、砂漠で見るオアシスはこれに該当するようです。

この「逃げ水」は、空が下の地面に映った現象で、「下位蜃気楼」に分類されます。

古代中国ではこれらの現象を「蜃[しん]」と称する架空の生物が「気」を吐くと高い建物「楼」が現れるとして「蜃気楼」の名が出来たようです。



北海道東部の地図です。

蜃気楼を見た場所は、落石岬付近から赤枠までの間で、道路が内陸部を通る場所でした。

以下に紹介するのは、東端の納沙布岬から太平洋岸を西へ進み赤枠の付近で見た風景です。



道道142号が根室市から浜中町へ入り、海岸線が見え始めた右手の丘の上に放牧された馬を見つけ、停まって見た風景です。(地図に「牧場」と記した場所)

広い牧場にのびのびと草を食む馬の姿は見飽きません。

この辺りの地名は、浜中町の「恵茶人」[えさしと]と呼ばれ、北海道に多い難読地名です。

北海道の地名は、アイヌ語に由来した地名に類似した音の漢字を当てはめたものが多く、意味不明な難読の地名となったようです。



牧場の前の道から進行方向の西に北海道らしさを感じる海岸の風景が見られます。

下り坂の向こうには砂浜の海岸線が始まり、道路の左側の丘に小さな神社が見えます。



浜中町の海岸を4~5Km走った右手に「恵茶人沼[えさしとぬま]」があり、ここにも放牧された数頭の馬が見えました。(地図に「恵茶人沼」と記した場所)

タンポポが咲き乱れる「恵茶人沼」の畔に馬があそぶ風景には安堵感の様な心地よい気持ちを感じさせられます。



「恵茶人沼[えさしとぬま]」の畔に立つ馬をズームで見た風景です。

馬は、自然の草以外に積まれた干草の固まりにも食欲を示しているようです。

ゆっくりと歩きながらひたすら草を食む馬の姿を眺めていた旅のひと時は、素敵な想いでになりました。



「恵茶人沼」の東側に果てしなく続く牧場の風景が広がっていました。

こちらにも所々に馬の姿が見られ、馬は広大な牧場を自由に移動しているようです。

この写真には映っていませんが、意外にも沼の中に立って釣をしている人の姿がありました。



道路を挟んだ「恵茶人沼[えさしとぬま]」の海岸の風景です。

浜辺に小さな河口のようながものが見え、「恵茶人沼」から続いているように思われます。

「恵茶人沼」にどんな魚が棲んでいるのか興味のあるところです。



ちょっと立ち寄った「羨古丹[うらやこたん]駐車公園」の風景です。

レンガが敷き詰められているものの、駐車位置の白線等もないシンプルな駐車場でしたが、意外な歴史の場所でした。

「恵茶人沼」から道道142号は再び海岸を離れ、再び海岸に近づいた辺りに案内標識があり、立ち寄ったものです。(地図に「羨古丹駐車」と記した場所)



「羨古丹駐車公園」の標識の向こう(南東方向)に浜中湾が広がり、目指す「霧多布岬」が長く伸びています。(地図をご覧下さい)

この標識の隣に案内板があり、夕焼けの浜中湾の風景を背景に「史跡ウラヤコタン異国船上陸の地」の歴史的事件が書かれていました。

■案内板の説明文です。
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史跡ウラヤコタン異国船上陸の地
西暦1831年(天保2年2月18日、午後4時頃)オーストラリアの捕鯨船、レディーロウエナ号(2400~2500石積、240~250トン)がウラヤコタンの海上1里半、霧多布へは海上半里の地点に停泊し、同船乗組員が上陸した地点である。
  浜中町
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■「北海道の歴史 県史」(山川出版社)の年表欄にも事件が掲載されていました。
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1831天保2 2 アッケシのウライネコタンにオーストラリアの捕鯨船来航、松前藩兵と戦闘となる。
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「アッケシ」とは松前藩が商人へ交易利権を与えた「厚岸場所」で、当時イギリスの植民地だったオーストラリアからはるばる北海道まで鯨を獲りに来ていたようです。

厳寒の冬、食料や燃料に困り、上陸して略奪などをした結果の戦闘だったのでしょうか。

別の本には、3月4日退去とあり、2月18日から2週間も停泊していたようです。



海岸の東方向を見た風景です。

坂の上にある駐車場から砂浜のある美しい風景が見渡せます。

オーストラリアの捕鯨船乗組員との戦闘はこの辺りだったのでしょうか。

穏やかなこの風景に意外な歴史がありました。



駐車場の東方向を見た風景です。

砂浜の後方に小さな集落があり、かつてアイヌの集落「ウライネコタン」の場所だったのでしょうか。

駐車場の街灯にカラフルな海鳥「エトピリカ」の飾りが見られます。

浜中町の鳥でもある「エトピリカ」は、赤い部分が口ばしで、白い部分に目があります。
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油絵「バラ」

2011年08月19日 | 妻の油絵
久々に妻の油絵「バラ」です。



毎日、暑い日が続き、通りの木陰で一休みすると気持ちが和らぎます。

背景色は、緑の木陰を意識したのでしょうか。

地元、福山の市街地には歩道にたくさんのバラが植えられています。

この暑い夏、バラの花は咲いているものの、小さくて勢いがありません。

花が美しくなる爽やかな秋が待ち遠しいこの頃です。


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北海道旅行No.16 根室半島の「花咲灯台」と、「車石」

2011年08月15日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)根室半島の先端「納沙布岬」から半島の南岸を釧路方面へ折り返しました。

ここからの太平洋の海岸線には素晴らしい絶景が続いていました。



「納沙布岬」から「花咲岬」へ向かう途中、庭に少し盛りを過ぎた桜や、チューリップ、芝桜が美しく咲くお宅がありました。

隣の広場にもタンポポの黄色い花が広がっていました。

6月の北海道、ここだけは春爛漫でした。

バス停の名は「歯舞信金前」とあり、「納沙布岬」から「花咲岬」へ1/3程度走った辺りでした。



花咲岬に近づいてきました。

右手に駐車場、丸い屋根の建物は公衆トイレのようです。

写真左上は、建物を裏から見たもので、岬の先端にある「車石」を建物のデザインとしたようです。

南に突き出た岬の沖には無人島「モユルリ島」「ユルリ島」が見えます。

島は、平坦な地形ですが、周囲は断崖になっているようです。



根室の観光案内パンフレットにあった根室半島の地図の一部です。

「花咲灯台」や、「車石」は、根室市街の南、太平洋に面した花咲港の東側にあり、有名な花咲ガニを連想します。

花咲岬の南には「モユルリ島」「ユルリ島」があります。

■同じくパンフレットにあった案内文です。
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 花咲灯台は花咲港の入口に位置する灯台です。灯台付近は公園化により遊歩道も整備されました。また、花咲港は春から夏にかけサケ・マス漁船、夏から冬にかけてはサンマ船などの入出港で同港は活気づき、公園の展望台より港全体を一望できます。
 8月を過ぎれば霧の時期も終わり工トピリカ等の海鳥繁殖地であるユルリ島も眼前に眺められます。
 灯台の前には放射状に柱状節理した溶岩「車石」があり、これほど大きく、美しいものは世界でも珍しく、国の天然記念物に指定されています。
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花咲岬の西側を駐車場の後方から見た風景です。

車道から見た花咲岬は、なだらかな地形に見えましたが、西側には数十メートルの切立った断崖がありました。



駐車場から花咲灯台へ向かう道は、素敵な風景でした。

遊歩道の両側に咲くタンポポの花が歓迎してくれているようです。

国の天然記念物「車石」は、灯台の左手から海岸に下って行きます。



花咲灯台の近くから花咲半島の西北岸を見た風景です。

断崖の向こうに見えるのは花咲港です。

下の砂浜で犬と散歩する人の姿がありましたが、どこから下りたのでしょうか。



灯台の前に立つと、電信柱の天辺にカモメ(ウミネコ?)が飛んで来ました。

赤い壁の上に白く輝く灯台に対抗するように胸を張って立っています。

灯台の周囲の柵は簡単に越えられる低いものでしたが、なぜか灯台の門の扉は、ロックされていました。



灯台を過ぎ、車石の見える海岸に下って行く道があります。

正面の斜面に見える大きな岩が「車石」で、横顔を見ている感じです。

大きな岩の表面には岩が棒状に割れた柱状節理が見られます。



灯台の先から「車石」の前に下って来た道です。

柵のある整備された石段を下りながら見る周囲の風景も素敵なものです。

断崖の花咲岬の西岸と異なり、東岸は、比較的ゆるやかな傾斜の岩場が続いていました。



「車石」を正面から見上げた風景です。

半円形の断面に放射線状に割れた岩が見られます。

「車石」から下の方向へ、うねりのような跡が見られ、その下にも柱状節理が見られますが、結晶のような六角柱は見られませんでした。

■現地にあった「車石」の案内板です。
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国指定天然紀念物
根室車石
所在地 根 室 市 花 咲 港
指定年月日 昭和14年9月7日指定
管理者 根室市教育委員会
 車石は、根室半島花咲岬附近一帯に広く分布し、方沸石を含み、アルカリ分に富む玄武岩質岩石中にみごとな放射状節理の発達した球状岩体です。
 その形成当時は、白亜紀(6千万年~1億3千万年前)といわれた時代でアンモナイト・イノセラムスノなどの動物が、住めるような今より暖かい海でした。その海底の地下深くより千度以上もの温度をもったマグマが上昇し、海水を含んだ泥(根室層といわれている)の附近で水平に方向をかえ溶岩となって泥の中へ浸入してきました。そこで泥の中の海水は、この溶岩をどんどん冷やしていきます。表面は、冷やされるため、はじめは柱状節理といわれる柱のようになった割れ目が出来ますが内部はまだ溶けており、後方からおくられる溶岩によって先に進んでいき先端部より海水が浸入し内部を急冷します。
 そして最後には球形の「車石」を多数つくります。このような溶岩を「枕状溶岩」といい、この半島での岩質は租粒玄武岩といわれており一般に長径1~2メートル、最大で6メートルにおよぶものがあります。このような火成岩の典型的な放射状節理構造は例も少なく学術上貴重であり太平洋に面する断崖に球状岩体の多数重なる様は、一大奇観であります。
根室市教育委員会
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「車石」をズームで撮った風景です。

球状の岩全体が中心から柱状に割れていることがよく分かります。

とても不思議な自然の風景でした。



「車石」へ下る道の途中で見た花咲岬から東岸(納沙布岬方向)を望む風景です。

この場所にも案内板があり、説明文と共にこの風景のスケッチが描かれ、向こうの黒くなった断崖に「浜中層」と書かれていました。

説明文の中にも「浜中層」(★印)の説明があり、白亜紀(1億4500万年~6500万年前)にこの一帯であった地殻変動の様子が説明されています。

■案内板の説明文です。
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根室車石[ねむろくるまいし]
「根室車石」は放射状節理の構造をしたアルカリ粗粒玄武岩[そりゅうげんぶがん]で、球状の岩体をしており、その奇観と大きさはせ界でも類を見ないことから、国の天然記念物に指定されています。
 砂岩および頁岩[けつがん]を主とする海成白亜紀層の沈積中、あるいはその直後に、地層間に整合的に岩床として迸入[へいにゅう]し、あるいは海底に溶岩流として噴出したものです。
この正面に見える露出は★浜中層[はまなかそう]の砂岩・頁岩の互層の上にアルカリ粗粒玄武岩の溶岩流がおおいかぶさっている状態が観察できます。
 海底の割れ目から流れ出た溶岩は海底に厚く積もった泥や細かい砂の中に押し入り、または溶岩流として海底に流れ出て急激に冷やされて、ちぎれ押し合い、枕状、俵状、楕円体状または円柱状となって団結し、枕状溶岩(Pillow Lava)となり、その枕状件の周辺からさらに冷やされたため、中心に向かう放射状の柱状節理ができたと考えられています。
「車石」の名は、その形を見てもわかるように、岩が車軸状[しゃじくじょう]の構造になっていることから名付けられています。これら車石がつくり上げた独特な奇観は私達が暮らす地球の生い立ちを身近に感じさせてくれます。
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北海道旅行No.15 最東端「納沙布岬」の穏やかな風景

2011年08月11日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)根室市街から「ノッカマップ岬」や、「北方原生花園」へ立ち寄りながら根室半島の先端「納沙布岬」へ近づいてきました。



「納沙布岬」に近い「トーサムポロ沼」に差し掛かった風景です。

「トーサムポロ沼」は、地図で見るとオホーツク海に面した深い入り江で、海に近い橋の辺りが狭くなり、小川が流れ込んでいることから汽水湖となったようです。

延々と続くなだらかな地形から推察すると「トーサムポロ沼」の水深は浅く、周囲は湿地となっているようです。

国土地理院の地形図で見ると、橋を渡った左右に根室半島チャシ跡群の表示があり、前回掲載の「ノッカマフチャシ跡」同様、入江に面した地形にあります。

前回も紹介しましたが、「チャシ」とは16世紀頃からアイヌによって造られた砦のような施設で、宗教的な役割もあったようです。

下段の地図に納沙布岬付近までのチャシ跡を青い丸印で表示していますが、なだらかな地形のこの辺りでは全て入江に面し、周囲が見渡せる場所が選ばれていたことがわかります。



根室市街から東部分の根室半島の地図です。

青い丸印が地形図で確認されたチャシ跡で、沖縄に点在する小さなグスク跡の分布を彷彿とします。

北の海はオホーツク海、南の海は太平洋となっていますが、分岐点となる納沙布岬の冬は流氷で覆われるようです。

北海道の南端松前半島の切立った「白神岬」を通った時、東側では濃霧が漂い、西側ではカラット晴れていたのを思い出しますが、なだらかな地形の納沙布岬ではハッキリと気候が分かれるものではありませんでした。



納沙布岬に近づくと、白くそびえる「平和の塔」が見えてきます。

地図には「笹川記念 平和の塔」と表示され、日本のドンと言われた笹川良一氏によるものと思われます。

北方領土の返還の悲願をアピールするには最も目立つ建物のように見えますが、高い入場料でパスしました。



車は、オホーツク海が見える駐車場に突き当たり、納沙布岬灯台が見えてきました。

納沙布岬の風景は、穏やかな地形のためか、ほとんど感動はありませんでしたが、タンポポの咲く駐車場からの風景はどことなく懐かしさを感じるものでした。

■根室市観光案内のパンフレットに「納沙布岬」の説明文がありました。
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納沙布岬
本土最東端に位置し、日本で一番早く朝日を見ることができ、晴れていれば北方領土の島々が眺められる有名な「納沙布岬」。そこから望む一面の海には、四季折々の表情があり、夏にはラッコ、冬には流氷などといった、ダイナミックかつ幻想的な景観を楽しむことが出来ます。
先端に建つ灯台は「北海道灯台発祥の地」として、歴史のロマンを感じさせます。
北の海の安全航行を願い、1908年に設置された霧信号(霧笛)は2010年に惜しまれつつもその役割を終えました。
観光施設としては、「観光物産センター」や「望郷の家」「北方館」などがあり、どれも充実した展示内容で大人から子供まで、たっぷりと楽しむことができます。
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12:00頃、「納沙布岬灯台」の正面へ到着しました。

「納沙布岬」は、灯台の裏にありましたが、岬の有名さとは違い、驚くほど平凡なものでした。

朝7:00頃、釧路を出発、途中「春国岱[しゅんくにたい]」の散策などで5時間もかかってしまいました。

■柵に掲示されていた灯台の案内板です。
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納沙布岬灯台
  ~日出ずる国~
日本は、古来より「日出ずる国」とされてきましたが、納沙布岬は本土最東端の地で1番早く朝日が昇ります。
納沙布岬灯台は、1872年(明治5年)に北海道で最初に点灯した灯台で、現在の姿になったのは 1930年(昭和5年)です。
光のエネルギー源は、石油からアセチレンガスを経て電気に変わりましたが、光を放つ四等レンズだけは当時のままです。
この施設の異常を発見したときや、海上における遭難、その他何かお気づきの点がございましたら、根室海上保安部までお知らせください。

位置     北緯 43度23分07秒
       統計145度49分01秒
光り方    等明暗白光 明3秒暗3秒
光の強さ   14,000カンデラ
光の届く距離 14.5海里(約27キロメートル)
高さ     地上から灯台頂部 約14メートル
       水面から灯火   約23メートル
管理事務所  第一管区海上保安本部
       根室海上保安部交通課
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納沙布岬灯台の案内板にあった北海道東部の地図です。

根室半島の南岸、太平洋に沿った場所に「花咲灯台」「落石岬灯台」があるようです。



案内板に高さ約14メートルと書かれ、本土最東端の灯台のイメージとは違い、とても平凡な印象です。

海からあまり高くない場所にあることも穏やかで、日常的なイメージとなっているようです。

灯台の塔と、事務所などの施設が一体となり、別棟の建物がない簡素な施設です。



灯台の後方から見た納沙布岬の先端の岩場です。

好天だったこともあり、波も穏やかで小さな岩場も平凡な風景でした。

沖には北方領土が見えるはずですが、よく分かりませんでした。

冬にはこの岬が流氷で覆われるようですが、穏やかなこの風景からは想像しがたいものです。



灯台の横から太平洋岸を見た風景です。

西に伸びる海岸線の岩場に白波が立っているものの、余り迫力はなく、ものどかな風景が続いていました。



灯台の横からオホーツク海の海岸を見た風景です。

向こうに見える海岸の先端辺りは、タンポポの咲く風景を撮った場所で、その向こうは「望郷の岬公園」でした。

右に見える低い鉄塔のすぐ左に茶色のオブジェ「四島のかけけ橋」が見えます。



根室市観光案内のパンフレットに掲載されていた「四島のかけけ橋」の写真です。

■パンフレットにあった説明文です。
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望郷の岬公園には北方領土早期返還の願いがこめられた巨大なモニュメント「四島のかけけ橋」があり隣には昭和62年、(社)日本青年会議所が北方領土問題早期解決・返還を願って建立した「希望の鐘があります。
灯火台には沖縄から運ばれた「祈りの火」が燃え続けています。
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オホーツク海岸に巨大な岩があり、美しい海岸の風景が楽しめます。

岩の上にはカモメか、ウミネコのような鳥がたくさんとまっていました。

これでオホーツク海と別れ、午後は、太平洋岸を釧路方面に帰っていきます。
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北海道旅行No.14 根室半島「ノッカマフ チャシ跡」と、「北方原生花園」

2011年08月08日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)根室港を見下ろす「金刀比羅神社」を後にして根室半島の先端「納沙布岬」を目指しました。



根室市外から道道35号納沙布岬へ向かう途中、なだらかな平原の向こうに風力発電の風車2基が見えてきました。

左手はノッカマップ岬で、風車を過ぎると道は右にカーブし、東側の海岸線が見えてきます。

最近の電力不足問題で、電力需要の午後のピーク時間帯に、供給余力が10%以上必要などとシビアな話を聞くと、改めて安定供給の大切さを教えられました。

昨年の北海道旅行で、「宗谷丘陵」「サロベツ原野」付近に立並ぶたくさんの風車に頼もしさを感じたものでしたが、曜日や、時間帯で変動する電力需要に安定的に供給する話を聞くと見方が変わります。

気まぐれな風や、日光に依存する自然エネルギー発電を増やすことが、今後の解決策になるのか疑問が湧いてきます。

こんな悩みも自然環境で生きる動物ではなくなった人間の宿命でしょうか。



根室半島と、ノッカマップ岬付近の拡大地図です。

海岸線に沿って細長く続く目立たない岬ですが、東端には「根室半島チャシ跡群」と書かれています。

ノッカマップ岬の東には「北方原生花園」があります。



海岸の美しい風景が見えて来て、道路脇の広くなったスペースに駐車しました。

道路わきに「ノッカマフ1号・2号チャシ跡 200m」と書かれ、岬の東端方向を指し示した案内標識がたっていました。

「チャシ」とは16世紀頃からアイヌによって造られた砦のような施設で、宗教的な役割もあったようです。

周囲に空壕があるようですが、チャシは見晴らしのよい高台にあることが多く、平地の続く根室半島では三方を海に囲まれた岬の地形が選ばれたものと思われます。

防衛や、宗教的役割を持つ施設と聞くと、沖縄の「グスク」を連想します。

標識が指す方向には草原が続き、道は見当たりませんでした。



道路から草原に直角に突き出した土を盛ったスペースの先には二本の鉄柱が立ち、鎖で通行止めになっています。

青い屋根の小屋のやや左にノッカマップ岬の東端が見え、そこに案内標識に書かれた「ノッカマフチャシ跡」があるものと思われます。

1789年(寛政元)、北海道東部で抑圧されていたアイヌが蜂起し、和人71人が殺害される「クナシリ・メナシの戦い」が発生しました。

事件は、根室半島の北に浮かぶ(クナシリ)国後島から始まり、西の対岸メナシ(知床半島の南部羅臼町から標津町)に広がったとされています。

蝦夷地での交易を支配する松前藩は、総勢約300人の武士内、260人の鎮圧隊を編成、大砲3丁・鉄砲85丁を装備した陣容で、約2ヶ月をかけてこの地に到着したとされています。

周辺のアイヌの首長たちの協力を得て、首謀者など37人を捕らえて臨時の牢屋に入れ、処刑したのが「ノッカマフチャシ跡」付近だったようです。

処刑は一人ずつ刀で首をはねる方法で、6人目となった時、牢屋の中で騒ぎが大きくなり、牢屋が壊れる程になったので、鎮圧隊は、鉄砲を撃ち込み、槍で刺すなど凄惨な殺害を行ったようです。



ノッカマップ岬の東端に小さな入り江があり、美しい風景が広がっていました。

事件から約200年後の今、国後島や、羅臼・標津に住んでいた交易相手のアイヌの姿はほとんど見られなくなり、社会は様変わりしてしまいました。

そこにはアイヌに代わり、日本人や、ロシア人が住み着いていますが、これも自然界でも見られる弱肉強食の一面なのでしょうか。

「クナシリ・メナシの戦い」の後、鎮圧に協力したアイヌ44人を引き連れて松前城へ凱旋、蠣崎廣年(波響)によって「夷酋列像」(12人のアイヌ首長の絵)が描かれ大きな話題となったようです。



旅行6日目に行った松前城天守閣の最上階に展示されていた「夷酋列像」のひとつ、ノッカマップの首長「ションコ」の絵です。

年老いて曲がった背、目の表情、着物の背中を中心に龍が描かれているのが印象的です。

12人の首長の絵は、当時の人々に強烈な印象を与え、江戸や京都で大きな話題となり、ついには当時の光格天皇の天覧を受けるまでに至ったとされています。

明かり窓の光が映り、見えずらくなっていますが、蠣崎波響(廣年)「夷酋列像」(御味方蝦夷之図)の絵は函館市中央図書館のサイトでも見られます。

しかし、首長の衣装は、松前で着せられたもので、アイヌ首長の現実の姿ではなかったようです。

ロシアの外套を着せた絵もあり、異民族を支配する松前藩を誇示する意図があったのでしょうか。

■絵に添えられていた説明文です。
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ションコ(贖穀)
東部ノッカマップ(根室)の総指導者。
威厳があり、深い知恵にあふれ貧しいアイヌを救ったという。弓術が巧みで常に携えていた。
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広い原野と、木道が続く北方原生花園の入口です。

木戸は、金具の他、二ヶ所にロープで戸締りされて、柵の中で放し飼いされているポニーの糞の臭いも少しただよっていました。

■柵の木戸に案内板がありました。
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お願い!
花園内には、ポニーが放牧されています。
ポニーが逃げないように、出入りの時は必ずカギを閉めてね!
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「北方原生花園」の木戸の横の風景です。

「ヒオウギアヤメ」の株が多く見られましたが、開花には早かったようです。

向うにはミズナラ風衝林が見えています。



根室市街から来る途中、道路脇で見た風衝林で、珍しい風景と思い、駐車して撮った写真です。

強い風に耐えて斜めに立つ低木の枝は、曲がりくねりゴツゴツしています。



北方原生花園の入口の東側に水芭蕉が咲いていました。

この辺りは谷のように低い湿地が続いています。



美しい水芭蕉の花です。

今年のゴールデンウテークに能登半島で自然に咲く水芭蕉を初めて見て、6月の北海道の各地でも終わりかけた花を見ましたが、ここでは最盛期の美しさが見られました。



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